017 テキーラ




 長い爪を赤く染めた女の指が、火をつけたばかりの煙草をさらっていった。中嶋英明は心の中で舌打ちすると、ベッドから出てワイシャツを拾いあげた。少し物憂げな女の声が、その背にかけられた。
「どうしたの? ヒデくん」
「どうした、って。……どうかしたのか」
 袖を通しながら振り向くと、女は立てた膝の上で頬杖をついて、しきりに煙草をふかしていた。
「だっていつもと全然違う。ちょっと醒めた感じはいつもと一緒だけど。……なんだか、とても激しいと思ったわ。私なんかにそんなこと、初めてよ」
「ああ……」
 中嶋は小さく頷いた。確かにそうだったかもしれない。
「久しぶりにセックスらしいセックスをした。だからじゃないか」
「なあに、それ」
「このところ、非常に手のかかるのを相手にしていた」
「ふうん。バージンだったわけだ」
「女じゃないがな」
 女がくすくす笑いはじめた。
「とにかく服は脱がせてやらなきゃ脱げないし、手はこうだ足はこうだといってやらなきゃ動かせない。そのくせほんのちょっと触っただけでいってしまう。挙句の果てに、終わったとたんに意識がない、とくる。最初から最後まで、よくもあれだけ手をかけさせてくれるものだ、と、少々感心している」
「ああ嫌だ嫌だ。何、惚気てるのよ」
「惚気てるだと? 俺が?」
「そうよ。すっごいお惚気。貴方、相当その子を愛しちゃってるのね」
 そういいおいて煙草をもみ消した女は、服をひろって身につけ始めた。
「たとえばヒデくん。私の名前覚えてる? ついさっき私としたセックスは? きっと私がシャワー浴びてる間に忘れちゃってるのよね」
「……」
 『テキーラ・サンライズを飲んでるときは、誰と一緒にいようと誘ってもらってかまわないわ。だけど私の前にあるのがテキーラ・サンセットなら、たとえ独りでいても誘わないで』
 アブシンス・グリーンで見かけるこの女は、初めて声をかけてきたときにそういった。それはよく覚えていて、今日まで忠実に守ってきている。だが最初に聞いたはずの名前は、きっと聞いた瞬間に忘れてしまったのだろう。そんなものまで入れておく引出しは、中嶋の記憶細胞の中にはないのだ。ましてや彼女とのセックスなど、シャワーを浴びている間どころか、身体から離れた瞬間に、きれいさっぱり忘れてしまっている。
「でしょう? 人にもモノにも執着しないはずの貴方が、そんな細かいところまで覚えているのよ。ううん。きっともっともっといろんなことを、その子の一挙手一投足まで覚えてるのに違いないわ」
「覚えていたらどうだというんだ」
「だからそれを『愛している』っていうのよ」
 服を着終わった女は、中嶋の頬に手を添えるとキスをした。
「自分で気づいてないっていうのは重症ね。……さよならヒデくん。貴方とのセックスは楽しかったわ。でも男の子とのことを惚気るようになったらおしまいね」
 気がつくと女の姿はどこにもなかった。だが女の言葉はいつまでも中嶋の耳に残っていた。
―― 俺が啓太を愛している、だと……? ――
 そんなこと、今の今まで考えたこともなかった。自分が誰かを愛せるなどと考えたこともなかった。
 だが中嶋はふっと笑いをもらすと、そこで考えるのをやめた。考えるまでもない。啓太は自分のものなのだ。それに意味付けなど必要ないのに気づいたからだった。
 身支度を終えた中嶋は部屋から出た。そしてドアを閉めた瞬間に女の言葉をきれいさっぱり忘れてしまった。だがその言葉は中嶋の深層意識に、深く深く刻み込まれたものらしい。このあとしばらくして、担任に進路の変更を告げることになる。





いずみんから一言。

「テキーラ・サンライズの女」です。ヒデには珍しく何度か遊んでいるようです。
別にこの女に言われたから啓太くんを手元に置くことに決めたって訳でもないんでしょうが、
言われて初めて認識したんじゃないかと思います。
でもヒデって啓太に「愛している」なんていうタイプじゃないですけどね。
PC版では「好きだ」なんて言ってたので驚いちゃいました(笑)


100のお題へ戻る