028 ビギナー




 英語の宿題を教えてもらおうと思って、和希の部屋に行った。ノックをしたら鍵をはずす音がして、細めに開いたドアの隙間から和希の目だけがこっちを見た。
「お前ひとりか? 周りに誰もいないな?」
「そうだけど」
「よし。誰にも気づかれるな」
 何なんだよ、と思いつつ中に入ったとたん、思わず「何なんだよ!!」と、いってしまった。
 床の真ん中に三味線がひとつ。和希が座っていたらしい空間を残して、あとは床いっぱいに教則本らしい本やらコピーやらが散らばっていて、よほど気をつけないと踏んでしまいそうだった。
 そしてテレビには和服を着たオバサンが三味線を弾いている映像が流れていた。
「うるさい。見てのとおり、三味線の特訓中だ」
 後ろ手に閉めたドアに鍵をかけた和希が、苦虫をかみつぶしたような顔でいった。俺は思わず、ぷっと吹きだしていた。
「笑うな!!」
「だって」
 学園内でもオシャレの部類に入る和希の、こんな姿を誰が想像できるだろう?
「そろそろ祇園あたりのお茶屋で、芸妓(おねえ)さん相手に粋に遊べるようになれって親父からいわれてるんだ。だけどこれがなかなか手強くて。三味線ってのはギターなんかと違って、ビギナーではなんともごまかしようがない楽器だよ」
「そういうのも必要なんだ」
 俺はマジで驚いていた。和希が茶道とかに詳しいのは知ってたけど。こんな三味線みたいのまで必要だとは思いもしなかったのだ。
「大物の財界人ほど粋に遊んでるものなんだよ。来年からは日舞もちょっと習わなきゃって思ってる」
「へえーっ。鈴菱のトップになろうと思ったら、いろんな意味で大変なんだなあ」
「そういうこと。お前も俺の右腕になってくれるんなら、今のうちからやっといてくれよ。そうだ。来年、一緒に日舞習いにいこうぜ」
 和希はその言葉どおり、いずれ俺を鈴菱の中枢に入れてくれるだろう。俺もそのための努力は惜しまないつもりだ。でも茶華道どころか、日舞に三味線……。どうやら先は長すぎるみたいだ。
「それはいいけど。何か弾けるようになった?」
「うーん。なんとかカッコのつくのは都都逸(どどいつ)くらいかな」
「都都逸……ってどんなの?」
 どどいつといわれて、もうひとつイメージできないのが、俺の素養のなさなんだろうなあ。こういうときにそれを痛感する。
「そうだな……。啓手相手ならこんなのはどうかな」
 和希は座りなおすと撥を取り上げた。
『ついておいでよこの提灯に。消して暗うはさせはせぬ』
 けっして苦労はさせはせぬ――。
 悪戯っぽく笑う和希に俺も笑いを返すと、そのくちびるにキスをした。





いずみんから一言。

都都逸の節のお分かりにならない方は、おじいちゃんおばあちゃんにお尋ねください(笑)。
 文中の都都逸は捨丸師匠(だったか?)がラジオでやっていたものなんですが、とても気に
入ったものなので使わせていただきました。
 でも都都逸で三味線って、どのくらい弾くんだろう……?

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