044 マスターベーション




 高速を下りて一般道に入る。最初の赤信号で停まったとき、中嶋英明は前を向いたまま、視線だけを助手席に向けた。伊藤啓太はじっと窓の外を見たまま振り向きもしない。話しかけても、短い返事がぽつりと返ってくるだけだ。それがもう何時間もつづいていた。啓太のそんな姿に、中嶋は苛立ちを隠せなくなってきていた。
 自分に会いたくなかったのだろうかと思う。成瀬でも遠藤でも好きに抱いてもらえばいいと言った己の言葉が、嫌でも頭をよぎる。いや。それでは校門で自分を見つけたときの、啓太のあの輝くような笑顔の説明がつかない。あの笑顔には一点の曇りもなかった。本当にうれしそうに車に乗りこんできたのだ。それが走り始めて少しした頃から口数が少なくなり、高速道路に上がったときにはもう窓を向いてしまっていた。大学に入学以来何かと忙しくて、三週間近くも啓太をほったらかしにしていた。車に乗りこんでから、だんだん腹が立ってきたのだろうか。それにしても数時間以上そんな態度をつづけられる啓太ではなかったはずだ。それとも……。
「どうした。ずいぶんおとなしいじゃないか」
 中嶋の言葉には隠しきれない険があった。だが啓太はそれさえ気づいた様子がなかった。
「何故こっちを見ようとしない」
「……すみません……」
「謝るのか? 啓太は俺に何か謝らなきゃいけないようなことでもしたのか?」
「何もしてませんよ!!」
 弾かれたように啓太が振り向いた。その眼の端に涙がたまっていたのを、中嶋は見逃さなかった。
「そんなこと。……するはず、ないじゃないですか」
「じゃあ何だ。おまえがしなくても、誰かにされたのか」
 信号が青に変わり、中嶋はゆっくりと車を発進させた。運転中でよかったと思った。部屋にいたら啓太に何をしたかわからない。啓太は膝に置いた手を見つめていた。
「違います。……俺、今……。中嶋さんの顔を見る余裕がないんです……」
「どういうことだ」
「今中嶋さんの顔を見たら、俺……。抱きついてしまいそうで。運転中なのに、今すぐここでしてって、言ってしまいそうで……。こんなすぐ近くに中嶋さんはいるのに、お預けだなんて。こんなの、拷問です……」
「啓太……?」
「だって最後に会ってから、もう三週間じゃないですか。俺もう……」
 中嶋が喉の奥で笑った。知らないうちに入っていた力が、身体中から抜けていくようだ。
「夜中にひとりで楽しむのにも飽きたということか」
「そんなこと。しません」
「何故だ。以前俺が放っておいたとき、自分でしてたじゃないか」
「駄目なんです……。自分でやろうとしても、全然よくないんです。やりかけても、あ、違うって思っちゃって。やっぱり中嶋さんでないと、俺……」
 力なく首を振る啓太の頭を、中嶋が伸ばした右手でくしゃっと撫でた。
「あと10分だ。……待てるな?」
 中嶋の足が思いっきりアクセルを踏んだ。





いずみんから一言。

ヒデが乗っているのはBMWです。だもんで啓太くんが右側にいます。
学生だから3シリーズくらいかな。クーペで色はブラックサファイア。
伊住はBMWってあんまり好きじゃないんですが、他のに乗っているヒデが想像できなかったのでした。



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