045 穴があったら入りたい




「あーっ。気持ちいい……!」
 あんまり久しぶりだったので思わず声が出た。大浴場はやっぱり気持ちがいい。
「おまえそれ、いったいどこのオヤジのセリフだよ」
「だって最近、部屋の風呂ばっかりだったんだもん」
 和希に笑われながらも湯船の中で長々と身体を伸ばした俺は、たっぷりのお湯の感触を思う存分楽しんだ。部屋にあるユニットバスは確かに便利で有難い設備ではあるけれど、お湯の中で身体を伸ばす醍醐味は得られないんだ。中嶋さんとの関係は甘いものは少なくて、いろいろ大変なことの方が多い。もとよりそれは承知のはずだったけど。まさかお風呂までとは考えてなかったんだよなあ……(タメイキ)。
 中嶋さんは場所はどうでもいいらしくて、思いたったときにその場所で俺を抱く。屋上だったり中庭だったり学生会室だったり。まあ、ホントにいろいろ。でもそんなときはさすがに時間をかけないからお風呂は大丈夫。ぶっちゃけて言うと今日もそうだ。
 問題はたとえ1時間でも中嶋さんの部屋で過ごしたときだ。中嶋さんの舌とくちびるが全身を這い、俺を快楽の渦に引きずりこんでいく。その吐息までがうれしくて、つい「もっと」とおねだりしてしまうんだけど。翌朝の陽の光のもとで俺は、中嶋さんの所有のしるしを全身に見ることになる。
 これでもう5日連続、俺は中嶋さんのベッドに泊まっていない。そのおかげで身体中に散った跡も目立たなくなり、こうして大浴場に来られた、って訳だ。ゆったりしたお湯につかると気分までゆったりしてくるのが分かる。和希に何と言って笑われようと心行くまで楽しんだ俺は、身体を洗いにお湯から出た。和希と並んでアタマを洗いはじめた俺に「よぉ」と声をかけてきたのは、同じクラスの田中だ。
「1こ向こうの駅に新しい回転寿司ができたんだけど行かん? このあたりでとれた魚がウリなんだってさ」
「いいよ?」
「遠藤も」
「うん」
 中学のときに文学賞を取りまくった田中は今は小説よりも食の評論家として有名で、雑誌に連載も持っている。クラスメートと一緒に行くとただの高校生に見えるから、警戒されないのがいいらしい。そんなことを話しながらアタマを洗い終わった俺は、続けて体も洗いはじめた。

 まず首筋。ここは中嶋さんが必ずと言っていいくらい顔を埋めてくるところだから念入りに洗わないと。それから耳。これはもうかたちにそって舌が這いまくるから、きっちりと洗っとかなくっちゃ。あー。そうそう。うなじも好きだよな、あの人。上半身は言うまでもなく。胸も背中も洗いますとも。あの濃厚で執拗な愛撫はミリ単位だから、こっちもミリ単位で洗わないと。大事な部分はそっと包みこむように。中嶋さんに開発されて、ずいぶん敏感になっちゃってるからなあ……。ここは中嶋さんの口に直接入るから、特に念入りに。周囲も忘れないように洗いながら後ろにいく。ちゃんと洗いたいのに自分では見えないのがネックだ。洗っても洗っても十分とは思えなくて、つい二度三度と洗ってしまう。そして足。太股の内側とか好きだよな。俺を這うくちびるがだんだん下りていって、いよいよか……って思ったら、たいていは内腿に行っちゃうんだよ。で、俺が焦れて動いたりすると、足の間からにやっとした顔を見せるんだ。自分の足の間から他人の顔が見えるって、むちゃくちゃ恥ずかしいんだぞ! ……まぁ、力んで言うようなことじゃないけどさ。それから忘れちゃいけない足の指。こんなところまで口に入れるから……。
「何か……。伊藤って、ずいぶん丁寧に洗うんだな?」
「そう?」
「足の指の間まで洗うんだ?」
「うん。中嶋さんが1本ずつ舐めてくれるだろ? だからちゃんと洗っとかな……き、ゃ……。あれ?」
 ふと気がつくと音がなくなっていた。それでなくても音の響く大浴場に、10人近い学生が入っているというのに。顔を上げてみると、洗い場に残ってるのは俺ひとり。湯船の中にいた全員が壁際まで退いてしまっている。その中で和希が真っ赤になったり蒼くなったり、見事なまでのリトマス試験紙状態だ。
「和希?」
「ばっ、馬鹿。啓太おまえ」
「俺?」
 俺が何だって言うんだろう。俺はただ身体を洗ってただけだ……、ぞ……? 記憶の再生より先に身体が反応し、背中を冷たい汗が伝い落ちていく。何だよ、この汗。なんだかすごく嫌な予感……。何だ。何があった。何を言った。焦れば焦るほど分からなくなってくる。泡のへたれてくる感触に、意識はそっちに向いたまま。手だけがシャワーを取り上げ、身体を流しはじめる。そして。何気なく身体を伝っていくお湯に目を落とした瞬間。お湯と一緒に血が引いていく気がした。そう言えば俺、さっき足の指を洗ってた。中嶋さんがこんなとこまで口に入れるから、ちゃんと洗わなきゃ……、って……。
「……太。おい、啓太?」
 何分くらいそうしていただろう。和希の声に我に返り、慌ててシャワーを止める。思わず涙目になっていたのは、シャワーの飛沫にまぎれてわからなかったかもしれない。
「……和希」
「うん」
「俺もしかして、声に出してた……?」
 返事はなかった。でも和希の、何とも言えない気の毒そうな顔がすべてを物語っていた……。

『穴があったら入りたい』 という。それはつまり 『穴がないから入れない』 っていう意味でもあるわけで。ことばの真の意味を身をもって思い知った俺は、その代償として、馬鹿面を晒し続けたのだった……(涙)。





いずみんから一言。

@お風呂ネタ A中嶋と七条は出さない 
というセンで中啓と七啓を同時に書いていたら、中啓の方が先にできました。
ええ。恐ろしいですよ。穴がないから入れないのは(笑)。
今回の被害者は和希さんですね。不憫です(笑)。


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