058 武器




 迎えに来た車におさまって、まずは携帯電話を取り出した。メールにざっと目を通したあとは、スケジュールを読み上げる石塚の声をBGMに株価をチェックする。ビジネスに必要というよりは、すでに朝の習慣だ。買う買わないに関わらず、市場の動向は頭に入れておくのが経営者というものだからだ。値動きが分かっていれば思わぬビジネスチャンスを掴むことだってある。めったにない可能性だとしても、目の前に転がったそれを気づこうともせずにいるのはただの愚だ。少なくとも「鈴菱和希」には許されない。
 ところが俺ときたら、ここ数週間もの間、見事なまでにビジネスと無関係な会社の株を、買おうか買うまいか迷っている。
 やめておけ。と、俺の中の理性が忠告する。買うだけならいいが、それを武器にしようとするのは無様だ。そんなものを使おうとしたのが知られたら、憎まれるというよりはむしろ哀れまれるだろう。そうなると関係を修復するのは不可能だ。彼は手の届かないところにいってしまう。
 本当にそうか? 買っておく方がいいんじゃないか? と、俺の中の野心が囁く。ごく普通の常識をもって善良に生きているご両親がうんと言わなかったとき。お前は彼を諦められるのか? なりふり構わず追い求めるなら、武器はひとつでも多い方がいいではないか。権力をふりかざすのは本意ではないが、不利なのが分かっている戦いを五分に持ち込みたいのなら、多少強引でも仕方のないときだってあるのだ。
 啓太が二十歳になったら。人生のパートナーとして正式に鈴菱の家に迎えたいと、啓太のご両親に申し入れる決心をした俺。だが普通じゃない関係は俺を不安に陥れる。……啓太の父親の勤める鉄鋼会社の株を買い占めようかと思うくらいに。
 無様なのは自分がいちばんよく分かっている。そんなものにすがらなきゃいけない自分がではなく。その程度のことに数週間も迷う自分が。
 買ってどうするというのだろう。反対するご両親に向かって「じつは貴方がお勤めの会社の株を、500万株ほど持っているんですが。もちろん、これはただの手始めです」とでも言うのだろうか。それともその会社の上層部から圧力をかけるつもりか。馬鹿な。それこそ「鈴菱和希」のプライドが許さない。ロイヤル・ストレート・フラッシュは最後にさらりと出してこそ値打ちがあるのだから。
 携帯をたたんで顔をあげると、小学校らしき塀の向こうに植えられた桜の並木が、目にも鮮やかな緑の葉を広げていた。それはまるで啓太そのものだった。しなやかに伸びた枝も、若くみずみずしい葉も。後ろに流れていくそれを目で追ううち、何故か笑いがこみあげてきた。
 啓太を諦めることなんて出来ない。つまり答えは『 GO 』しかないではないか。まったく俺ときたら、それ以外の何があると思っていたのだろう?
「和希さま?」
「ああ……、悪い。スケジュールは了解した。だけど坂本氏からの接待は正直言って気が進まない。どうせまた、性懲りもなく融資の申し込みだろ? 適当に断っておいてくれ」
「かしこまりました」
「それと……。プライベートで申し訳ないんだが」
「はい」
「できるだけ目立たないよう、S鉄鋼の株を集めてもらいたい」
「……どの程度でしょうか」
 石塚のあけた一瞬の間は、俺の意図に気付いたということだろう。ならば啓太にも気取らせず、うまくやってくれるに違いない。騒がせるのは本意ではないのだ。市場を。そして何より啓太を。
「0. 5。と言いたいところだが現実的じゃないな。とりあえず動かせるのは10億だ」
「差し出がましいようですが、威嚇射撃としてなら少し弱いのでは」
「わかってるよ。もう少しは用意するけどね。鉄鋼株は個人では厳しいだろ? 向こうには橋頭保だと思わせるように、なんとか持っていくつもりだ」
「それではあちらの社長と『 立ち話 』でもできるよう、先方のスケジュールを手に入れておきましょう」
「頼む」
「ご健闘を……。ではないですね。どうぞ、ご武運を」
 そう。これは闘いだ。10億分の株を買ったところで、援護射撃にもならない程度の。だが外堀を埋めるシャベルの1本くらいにはなるだろう。啓太のためならどんな汚い手でも使ってやる。非難は俺ひとりが受け止めればいい。
 だから啓太。
 二十歳になったら受け取って欲しい。『 鈴菱 』という、新しい苗字を ―― 。





いずみんから一言。

これはお題「090 同級生」のちょうど1年後のおはなし。
コメントに書いた「ちょっと黒い和希」の方です。
どうやら和希さんは啓太の二十歳の誕生日に、入籍しようとしているようです。
彼のことだから入籍だけで済ませたりせず、派手に結婚式だの披露宴だのを
やっちまう気がしないでもないのですが、それはさておき。

入籍が「養子縁組」ではなく「婚姻」となるよう、法案が改正されていると思うのは
私だけでしょうか……(汗)。


100のお題へ戻る