059 卒業式




 ベッドが軽くたわんだ。
 俺を起こさないように、そっと抜け出していったあの人が、手早く衣服を身につけているのがわかる。
 そんなに急がなくてもいいのに。もうこれで最後なんだから。貴方がこのベッドに戻ってくることはないのだから。お願いです。もっとゆっくり服を着てください。貴方がたてる衣擦れの音を、もっと俺に聞かせてください。
 でもそんなこと、口に出して言うことなんてできやしない。振り向いて貴方の姿を追うこともできない。だってそんなことをしたら、いかないでと泣いてすがってしまうのがわかっている。だから俺は壁の方を向いたまま、こうして寝たふりをつづけるしかない。
 俺が一晩中、一睡もできなかったことくらい、今、寝たふりをしていることくらい、ちゃんとわかっていますよね? 俺だって貴方が寝ていなかったこと、ちゃんと知ってるんだから。
 だからふたりとも、そんなことなんてまるで気づいていないかのように、こうして最後の儀式をつづける。
 俺の髪にそっと指が触れ、耳の下にくちびるが押しあてられた。髪から離れたと思った指が、今度は乱れてもいない俺の布団をなおす。ぎゅっと布団を押し付けてくる力の強さを、俺への思いの強さだと自惚れてみてもいいですか……? 
 それでもドアは開いて。そして一瞬の間のあと ―― 閉まる音がした。
 全身を耳にして聞いていた、遠ざかっていく足音がついに聞こえなくなったとき。身体中から息を吐き出した俺は、のろのろと寝返りをうって、つい先刻まであの人がいたシーツに顔を押しつけた。ほんの少し残されたあの人のぬくもり。頬に感じるだけではもったいなくて、掌でそっとシーツを撫でてみる。ああ、暖かかいな。まだ。
 そう思ったとたん、熱いものが一気に胸にこみあげてきた。
 もういいですよね。今まで我慢したんだから。少しくらい泣いたって。
 少しだけと思うのに、涙があとからあとから流れてきて、せっかくあの人が残してくれたぬくもりを消してしまう。
 ごめんなさい。俺やっぱり、今日はこの部屋から出られそうにありません。
 せっかくの門出に大泣きしてしまいそうだから。そんなことして貴方を困らせてしまうのが嫌だから。
 だからこのまま、ここで見送らせてください。

  ―― 卒業おめでとうございます。……さん。本当に有難うございました ――





いずみんから一言。

「……」の部分にはお好きな名前を入れてお読みください。
和希と海野先生以外ならなんとかいけるようにがんばってみたのですが(汗)。
これからも啓太との関係がつづくにしても、やっぱり卒業式ってのはひとつの区切りだと思うのです。
本人たちの意思に関係なく、その日からいなくなっちゃうわけですから。
中啓で書いた「残り香」が同じモチーフになってしまったので、迷った結果、こっちを残しました。
伊住のお題って中啓が多いもんで、ちょっと違った方がいいかな、と。

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