087 ファイト一発




 山の中腹から深い渓谷に向って、突き出すように組まれた櫓。下からは、いっそ気持ちいいとさえ感じられる風が、音をたてて吹き上がってくる。その風が撫でる足首に結ばれた特殊ロープの感触。遮るものが何ひとつなく、視界の端から端まで広がる、青い青い大空。背後では緑の濃い樹々がさわさわと葉を揺らす ―― 。
 自分の置かれた状況に、あまりにもそぐわない美しすぎる風景を、丹羽はひとつため息をついて振り仰いだ。まぶしすぎる太陽が燦々と輝いていた。

『期日までにバヌアツ共和国に入り、外務大臣を表敬訪問する。以降は大臣の指示に従うこと』
 BL学園独特の個別修学旅行で、丹羽に与えられた課題はこのようなものだった。無味乾燥なNASAで組織を見学する中嶋や、中国の奥地で仏像を見学してくる篠宮に比べればまるで天国。観光客ずれしていないマイナーなリゾートは、丹羽にとってこれ以上ない骨休めだった。旅行にあてられた期間は充分に余裕があったので、パラオで遊んだ丹羽は、日焼けした顔でバヌアツに入ったのだった。
 さっそく訪問した外務大臣は、快く丹羽を迎え入れてくれた。若い頃、鈴菱の奨学金でアメリカの大学に行ったという大臣は、にこやかに笑いながらこれからの予定を口にした。それは丹羽に「成人の儀式」をする、というものだった。今夜は歓迎とお祝いを兼ねたパーティも予定されているという。
 いくら南洋の儀式とはいえ、鼻に穴をあけたり割礼や刺青をしたりなどはするまい。そう考えた丹羽は「成人の儀式」に何の不安もなく臨んだのだった。ところが……。

「なんだってこんなとこでバンジー・ジャンプなんかしなきゃならねえんだ?」
 儀式用に、特別高く設営されたジャンプ台の上に立たされた丹羽は、わが身の不運を呪った。丹羽は別に現地の若者ではないのだから、飛び降りなくても許されるだろう。修学旅行から逃げ出したと言われることもないはずである。だが逃げるのは丹羽の中の「男」の部分が許さなかった。
 うしろには見届け役やら音楽隊やらが並んでいて、大声で理事長を罵ることさえできない。それさえできれば、うんと気が楽になるだろうに。
 振り仰いだ空はあくまで青く、これに吸いこまれるのもまた一興か。
 それで踏ん切りをつけた丹羽は、台一杯までうしろに下がった。音楽隊が、奏でるリズムを早いものに変える。そこで二、三度、軽くジャンプした丹羽は、全速力で踏切り位置まで走った。
「ファイト! いっぱぁーつ !!」
 大きなはずの丹羽の身体が、雲ひとつない空に小さくとけこんだ。





いずみんから一言。

王様の「謎の修学旅行」解明編です。
新婚旅行シリーズ3を受けての話なので、まだお読みでない方は「?」だったかも。
ぜひこちらもお読み下さいということで。←さりげなく営業活動(苦笑)
バヌアツの成人の儀式はバンジー・ジャンプの原型だそうです。
王様を知り尽くした理事長ならではの旅行先だと思うのですが。
さて。如何だったでしょうか。


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