Eternal Daybreak



 8月14日
 約束の時間は午後10時。

 学生は夏休みでも俺に休みなどあるはずも無く、今日も朝からサーバー棟に籠もっていた。
 恋人の誕生日にまで仕事に遮られるのはもう御免。
 俺の時は出張に邪魔されたおかげで、その後とんでもない事になってしまったからね。
 わかる?
 俺だって普通にそういうイベントを過ごしてみたいもんなんだよ。
 なんて言ったら、啓太なんかは笑ったりするんだろうな。



「誕生日?」
「何か欲しいものありますか?」

 出張から帰った日にした喧嘩。
 3日間かけての仲直りの後。
 やらなきゃならない仕事を全部忘れて、サイズの合わない指輪を手に、彼の部屋に泊まった。
 迎えた朝はいつも通りで、俺が先に目を覚ます事は無かった。
 目を開けた俺の髪を梳きながら、とんでもなく嬉しそうな顔を見せる。

「そりゃ決まってるだろ」
「……それ以外で」
「以外?」
「以外です」

 哲也さんは両腕を頭に敷いて天井を眺めた。
 そうだなぁ…と何度か口にする。
 暫く考えた後、俺の顔を見て笑った。

「和希が一緒に居てくれりゃそれでいいぜ」

 それじゃ答えになってないと反論したけど、融通が効かないって言うか、物欲がないって言うか…
 らしいと言えばらしいけどね。
 仕事がどうなるかまだわからなかったけど、とりあえず、夜には時間は空けられるだろうから。
 14日の午後10時、寮に戻る約束だけを交わした。





「竜也さん?」
『よう、坊ちゃんは今日も仕事か?』
「当然ですよ、それよりどうしたんですか?いきなり電話なんか…」
『今夜一緒に飲まねぇかと思ってな?』
「今夜ですか?竜也さんには会いたいですけど…今夜は10時には戻らないと…」
『嬉しい事言ってくれるねぇ…1時間でもどうだ?』

 1時間か…
 仕事はこの調子だと夕方には切りを付けられるだろう。
 約束は夜10時。
 竜也さんに会うのも久しぶりだし…

「じゃあ少しだけでもよければ…」
『時間が空いたら実家に帰ってこい』
「じっ、実家ですか!?」
『ああ、社長に呼ばれたんでな、待ってるぞ』
「あ、ちょっと!竜也さんっ!」

 返事も待たずに切れた電話。
 なんで実家なんか…先に言ってくれればいいのに…

 断れなくなった約束。
 たとえ10時に間に合ったとしても、それまでに出会っていたのが竜也さんだと知ったら…

 考えただけでも息が詰りそうだ。

 でもよく考えたら。
 あの哲也さんが竜也さんと一緒に行動することはありえない…
 絶対一緒に来るはずない。
 そんな高をくくって安堵した俺が馬鹿だったと言うか…

 それが、この後とんでもない事になるとは思わなかったよ。





 どのくらい帰ってなかっただろうか。
 久しぶりの実家は思った以上に緊張する。
 戻った俺に向かって父さんは「久しぶりだな」と声をかけてきた。
 嫌いじゃないよ?
 普通の家庭みたく休日に遊んだりしたわけじゃないから、どこか距離があるだけ。
 ただ、今日は竜也さんが来てくれるって言うだけで、その緊張も少しはほぐれるだろうな。

 来客を知らせる呼び鈴が鳴ったのは夕方6時を過ぎた頃だった。
 門を開けて来訪したであろう待ち人を家が迎え入れた。
 俺はまだ夏の夕方の明るい光が射し込んでくる玄関のドアを開けて竜也さんの顔を見た途端、言葉を失った。

「よう、坊ちゃん自らお出迎えとは嬉しいねぇ」
「竜也さ…ん…と………」

 来るはずのない…

「ウチの馬鹿息子を無理矢理引っ張ってきてやったぞ」

 随分と不貞腐れた哲也さんの顔。
 竜也さんの右手は彼の左腕をガッシリと掴んでいた。

「な、なんで…?」
「一緒に連れて行けってな…」
「なっ、何言ってんだよ!無理矢理引っ張ってきたくせに!!」

 無理矢理?
 引っ張られた?

「りゅ、竜也さん?」
「まぁいいじゃねぇか…細かいことは気にするな!」

 なんて竜也さん…笑ってるけど、哲也さんの顔はどう見ても怖い…

 そりゃそうだよな…
 哲也さんにとって最悪な状況が重なっていることくらいわかる。
 まずは、殴りたいほど嫌ってた学園の上役の自宅へ連れてこられた事。
 仕事だと言って寮を出た俺がここに居る事。
 その理由が、竜也さんに会う為だと言う事。
 表情から全てを物語っているようだった。

「と、とりあえず中へどうぞ…」

 言い訳も言い分も家の中に入ってからだ。
 ここで押し問答なんかしたら、勘のいい竜也さんの事だ、何か不審に思うだろう。
 俺だって、理事長と生徒会長が付き合ってるなんて知られるわけにはいかない。
 ここは哲也さんがどう思おうと、俺に課せられた指名は…営業スマイルのみだな。
 慣れてるからいいけどね。

「俺は帰るぜ!」
「え、と…哲……丹羽君!」

 思わず出掛けたファーストネームを飲み込んだ所為で、余計に彼の顔が強張った。
 でも仕方が無い。
 わかりますよね?
 でもアイコンタクトが通用してないのか…とんでもない顔でこっちを見るんだ。

「竜也さん、先に入っててください」
「そうか?悪いな…おい、馬鹿息子!坊ちゃんの手ぇ焼かすなよ」

 一言多いですよ!!

 玄関のドアを閉め、外で顔を向き合わせると、哲也さんは、ふいと、その顔を背けた。

「竜也さんと一緒なんて…一体どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるか!ったくあのクソ親父…来る場所がココだってんなら絶対来なかったのによ」
「来る場所?」

 訊く所によると。
 夏休み中に毎年一日だけ帰省するところ、今年は俺が寮にずっと残っていたせいで今の今まで帰らなかった。
 今日は約束をしていたから、自宅に拘束される時間も限られていて帰省も丁度いいだろうって。
 でも、運が悪かったのは竜也さんが非番だった事。
 誕生日前祝いに美味い酒を飲ませてやろうと誘われ、当然断ったものの、これを逃したら一生飲めないぞ、と言われ、しぶしぶ…いや、無理矢理連れてこられた、と言う話だった。
 掴まれた腕はどうにもこうにも放せず、タクシーに乗った時点で諦めたところ、到着した場所が俺の実家で、呼び鈴を鳴らすまでに、主に哲也さんだけがゴネただけのひと悶着があり、この住宅街で騒げば恥をかくだけだと窘められ、気を抜いた一瞬に扉が開いたらしい。

「俺、帰るぜ」
「どうして?」
「和希の実家で酒なんか飲めるか!」
「別にいいじゃないですか」
「あのなぁ…わかってんのか?」
「何が?」

 夕暮れの太陽を背にした身体でついた溜息は俺の髪を掠めそうなほど大きなものだった。
 罰の悪そうな顔。
 言いたい事はなんとなくわかる。

「ったく…つーか、なんで和希こそこんな所に居るんだよ、仕事はどうした?」
「終わってから来たんですよ」
「もしかして俺との約束より先にあのアイツと約束でもしてたんじゃねーだろうな?」
「馬鹿な事を言わないでください、竜也さんには今日の午後に電話をもらったんですよ。久しぶりだったし…10時までには寮に帰るつもりだったんですから…それともなんですか?俺が貴方との約束を破るとでも思ったんですか?」
「そ、そういうつもりじゃねーけど…」
「俺だって今更寮へ帰るなんて言えませんよ。それより、こんな場所で押し問答してる方が怪しまれますよ?今は理事長と生徒会長なんですから」

 それを言うな!と怒った顔が、今度は拗ねた様子に変わった。

「時間がくればちゃんと寮へ戻りますよ」
「和希一人でかよ?」
「そんなわけないでしょう」

 ドアを開けて、拗ねた彼を半強制的に家の中に押し込んだ。





 なんと言うか…
 哲也さんの表情は竜也さんとは正反対で、今までに見た事が無いほどの強張りようで。
 どう気を遣うべきかさえ悩んでしまう。
 父の顔を見るや否や…視線があっちこっちに泳いでいたからね。
 竜也さんは慣れている分、そんな息子の様子にこれまたニヤニヤした笑いを浮かべて楽しんでいるようだった。
 それがまた哲也さんを苛つかせるばかりで、正直、今すぐにでも学園へ帰ってしまいたくなる。
 え?
 今、二人で帰ったらそれこそマズくないかって?
 俺、一人で帰るんだよ。
 実は一番逃げ出したいのは俺なんだよな。

 未成年にアルコールを勧めるのはよくないけど、親、しかも警察官の監視下で文句を言うものなどありはしない。
 俺だって今日は止める勇気もない。
 ここで子供扱いなんかしたらきっと後で怒るに決まってる。

 時折、父に学園の話を振られては、しどろもどろに答える様子に、また竜也さんが無責任なツッコミを入れては哲也さんを不機嫌にさせる。
 俺は…フォローを入れながらも笑うしかなかった。

 次から次へと進むアルコールの種類の多さ。
 日本酒、ビール、ワイン…
 竜也さんが面白がって焼酎や水割りまで飲ませたもんだからさ。
 さすがに俺もそれは…と竜也さんを制止するのに必死だった。
 一応俺だって生徒を守らないといけない管理職なんだからさ。
 ちょっと飲み過ぎなんじゃないかと哲也さんに声をかけた時には既に遅かった。
 ろれつの回らない口が俺に向かってこう言ったんだ。

「飲まなきゃやってられねぇっての」

 父に聞こえたかどうかわからないが。
 誰の目にも明らかなのは、彼がしっかり酔っていると言うこと。
 目も据わってて、頭はフラフラしてて。
 よくそこにどっかりと座ってられるもんだと感心したほどだよ。

 こんなに弱かったっけ?

 その酔っ払いがふいに席を立ったかと思うと、フラフラとドアへ向かって歩き出した。

「どこへ行く…」
「あー?トイレだよ…」
「場所…」
「いい」

 初めて来た家の間取りなんか知らないだろうに…
 ドアを閉めた哲也さんの後ろを追いかけるようにドアノブに手を掛けた。
 と、その時だった。
 突然、悲鳴のような大声と床に何かが叩きつけられた音が耳に入った。
 慌てて廊下へ出ると、そこには倒れている哲也さんが居て、その横で何食わぬ顔をして鳥肌の立った腕に顔を擦り付ける飼い猫の姿があった。

「あ…忘れてた!」

 猫嫌いの彼。
 実はこの猫、かつて竜也さんに預かってもらったウチの猫で、まだ子供だった哲也さんは酷い目にあったらしい。
 覚えているのかいないのか…
 それ以来猫全般ダメになってしまった為に、猫の顔を見せて確認する術はない。

「どうした?坊ちゃん」
「あー…コイツの事、すっかり忘れてて…」

 後から顔を出した竜也さんは、息子の不甲斐ない姿に呆れて笑う。

「しょうがねぇヤツだなぁ…昔はよく遊んだはずなんだが」
「遊んだ…じゃなくて、いじめたんじゃないですか?」
「いいかげん弱点は克服するべきだろう?」
「竜也さん、今日の…猫克服の為にわざと、じゃないですよね?」
「俺がそんな意地悪するとでも思ってるのかい?」
「わかりませんよ、竜也さんは息子に一番厳しくて一番甘いですからね」

 大人になっちまったなぁ…と竜也さんは目を細めて俺の頭を撫でた。
 俺は昔の懐かしさを思い出して、これが少し嬉しかったけど、今はそんな甘えに酔っている場合ではない。
 さぁ、どうやってこの気絶した人を移動させるか、だ。

 先に飼い猫を別の部屋に押し込んでおいて、力の抜けた哲也さんの腕を自分の肩に回す。
 すると、その腕を竜也さんが取ってこう言った。

「坊ちゃんには無理だな、さてと…情けねえ馬鹿息子を連れて帰るとするか…」
「もう、ですか?まだ時間はあまり経ってませんよ?」
「ここに置いておくわけにもいかないだろう?」
「こんなに早く帰ったら父も残念がりますよ、俺に任せてください」

 そうかい?、と一笑して、手にした腕を肩に回すと軽々と持ち上げた。
 ゲストルームを案内しようとしたが、いつ起きるかわからないのを待ち続けるのも俺としては困りもので…と言うのは表向きの理由だったけど、とりあえず、自室へ運んでもらう様に頼むと、竜也さんは、そんな贅沢はさせちゃいけねえ…って笑った。
 贅沢かどうか…は疑問が残るが、なんとか押し切って部屋へ運んでもらった。
 この光景…哲也さんが知ったら…きっと怒るだろうな。

「まったく…情けねえ姿だな」

 部屋のベッドに横たえた息子の姿に呆れる竜也さんの姿は、どこか嬉しそうに見えた。

「重くなかったですか?」
「まだまだ弱ったつもりはないぞ?それより、本当にいいのかい?コイツ…」
「ええ、大丈夫ですよ」
「今夜、予定があるとか言ってなかったか?」
「あ、ああ…あれでしたら…もういいです」
「コイツも夜は予定が入ってるとか言ってやがったな…もしかして坊ちゃん、この馬鹿と約束でもしてたんじゃねえのか?」

 動揺に一瞬肩が揺れる。
 暗がりでそれほど目立ったものではなかったと…思う。

「違いますよ…」

 俺は無意識に指先で頬を掻いた。
 すると竜也さんは軽く笑って俺を見た。

「コイツの約束も10時だったな」
「そ、そうなんですか?」

 そしてまた笑う。
 バレてるわけないのに…
 動揺した心臓だけが竜也さんの前に飛び出しているようだ。

 部屋の時計の秒針が響く中、仄かな常夜灯の明かりがそれぞれの顔を浮かび上がらせていた。

「なぁ、坊ちゃん」
「はい」
「俺はコイツをつまらなねぇ男に育てたつもりはねぇんだ」
「え?」
「でも坊ちゃんに比べたら、まだまだ未熟なガキでどうしようもねえけどよ…」
「何言い…」

 ふいに向けられる竜也さんの顔が、いつになく真面目な表情で。
 俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「まぁ…宜しく頼むってところだな」
「宜しくって…当たり前じゃないですか、大事な生徒なんですから」
「…そういう意味じゃねぇんだがな」

 まあいいか、と呟いた後、竜也さんは部屋を出て行ってしまった。
 残された俺は…続ける言葉も見つからず、引き止めて訊き直す勇気も無かった。
 お互いにこれ以上訊かないのがベストだろう。

 竜也さんの背中を見送った後、俺はベッドサイドへ腰を下ろして呑気に寝息を立てる彼の顔を眺めた。
 酷い飲み方してたもんな…
 なんだっけ?
 ビールに日本酒…その他諸々…
 自棄酒みたく出された物を全部口にしてたな。
 まぁ、鈴菱酒造のアレは美味しいけどね。
 いくら強いって言ったって、楽しい酒の席じゃなきゃ悪酔いもするだろう。
 世間的に言うと「ちゃんぽん」ってヤツ?
 異なるものをごちゃまぜにするって意味だよ?
 あ、皆知ってるか…初めて聞いた時、俺は「長崎」を思い浮かべたんだけどね。
 さすがに俺もそんな飲み方はしないから、この酔い方ってのはよくわかんないけどさ。
 ただ、猫に驚いただけで引っくり返った哲也さんが、あまりにも気持ち良さそうに寝てるもんだから。
 たまには無茶するのも悪く無さそうだなって思っただけ。

 無理に起こすよりも自然に目が覚めた方がアルコールも抜けるだろう。
 その時にはきっと猫の事も忘れてる…いや、思い出しもしないだろうな。
 俺は暫くその寝姿を眺めながら時を過ごした。





 数時間後の夜10時過ぎ…
 竜也さんが部屋へ顔を出してくると、馬鹿を連れて帰るから起こせ、と言われた。
 実はあれからずっと眠りっぱなしの哲也さんで、一向に起きる気配がなかった。
 無理矢理起こそうとしたのを制止して、今夜はこのまま泊めると言い張った。
 少し酔いのまわった竜也さんは、そうかそうか、と意味深な言葉を残し、一人自宅へと帰って行った。
 竜也さんに隠し事なんかしたくないんだけど…でも…こればっかりは仕方が無いんだよね。

 約束の10時はとっくに過ぎて。
 俺は日付が変わるまで机に向かって簡単な仕事を片付けた。
 時折、寝返りを打つ姿に目を向けては、また手元に視線を戻し…の繰り返し。
 いい加減、こっちから起こしてやろうか…と二度ほど思った。

 でも、これほど長い時間、彼の寝顔を眺めると言う貴重な経験も無駄にしたくなかったから、放置して5時間になる。
 さすがに俺も眠くなってきたなぁ…なんて思った途端、大きな欠伸が襲った。

「邪魔しますよ…」

 いつ誰に突然入られるかわからない。
 部屋に鍵を掛けて、そっとベッドの中に潜り込んだ。
 二人で寝るには十分な広さに有難く思う。

 カウントダウンは出来なかった。
 仕方が無い。
 酔って、気絶して…寝たんだから。
 6月の事を思えば残念でならないけど、まぁ、これも宿命なのかな…
 あ、まだマシか。
 目の前に居るんだからさ。
 駄々こねるような歳でもないし、哲也さんもそんな俺を望んで…るのかな?
 甘え方がよくわからないって言うかさ。
 照れくさいんだよね、そういうの。
 こうやって目を閉じててくれれば、恥ずかしげもなく何でも出来そうな気がしたり…

 ・・・・・・・・・・まぁいいか、今日はいいや、なんでも。

 目が覚めたら驚くだろうか。
 何を覚えてるだろうか。
 朝になってからの楽しみだな…なんて思いながら、目を閉じた。





 耳元に響く小さな声で目が覚めると、目の前に哲也さんの顔が飛び込んできた。

「おはよう……ございます…」
「ここ、どこだ?」

 部屋の壁から床、そして天井をぐるりと一周するように首を回してから俺の顔をじっと見つめた。

「俺の実家の俺の部屋ですけど?」
「実家?」

 覚えてない…か?

「あっ…そうだ!俺!!」
「酔って倒れたんですけど?」
「…なんか嫌なモンを見たような気が……」
「気のせいですよ、幻覚でも見たんじゃないですか?かなり酔ってたみたいですしね」

 そうか?と頭を掻きながら、どこか不に落ちない様子を見せた。
 はっきりしない方がいいですよね?
 だって、倒れた原因の一つがまだこの家の中に居るんですから。

「今、何時だ?」
「えっと…4時半です」
「俺、ずっと寝てた…とか?」
「はい、ずーっと寝てました」
「マジかよ?」
「起きた記憶、無いですよね?」

 ねえな、と苦笑いを浮かべた哲也さんに同調するように俺も笑った。

「まぁ、あんまり美味しい酒が飲めたわけじゃないですしね、悪酔いもするでしょう」
「当たり前だろ!…親父は?」
「昨日の内に帰られましたよ」
「俺、置いてか?」
「いえ、竜也さんには連れて帰るから起こせって言われました」
「じゃあなんで俺はここに居るんだよ?」
「俺が泊めると言いました」
「和希が?泊める?」
「はい」
「何で…」

 猫の事だけじゃなくて何もかも忘れたんじゃないだろうか…
 さすがにそれだと俺もちょっと悲しくなるな。

「忘れたんですか?」
「何を?」

 哲也さんの頬に指先を当てて、ゆっくりとその頬を撫でる。
 ちょっと照れた顔に嬉しくなった。

「10時に約束してましたよね?」
「あ…」
「カウントダウンしたかったんですけどね」
「あー、いや…その…」
「いいですよ?俺は…ね」

 哲也さんは、頬に触れた俺の指先を掴んで握り締め、バツの悪そうな顔をして、悪い、と謝った。
 約束した寮ではなかったし、時間も曖昧な感じで、拍子抜けしそうな気もするけど。
 15日はまだ始まったばかり。

「まだ今日は終わってませんよ」
「和希…」
「一応、ずっと一緒に居ましたよ?」
「かず…」
「哲也さん、俺が一緒に居てくれればそれでいい、って言ったじゃないですか」

 間が空いたかと思えば、どっかりと俺の上に身体を乗せて、唇を合わせてきた。
 これはもう秒単位じゃない。
 1分?2分?
 わからない。
 酸素を要求するような素振りを見せると、ようやく離れた。

 お互いの瞳の中に自分の顔を映しそうなほど近づいて額と額をくっつけると、哲也さんは何か言いたげに口を開く。
 でも、その声は言葉にならなくて。
 俺も何を言っていいのかわからなくなった。

 くっつけた額が離れると、今度は頬に唇を寄せてくる。
 肌を滑り始めた舌は首筋を辿った。

「あの、ちょっと…ここでは…」
「ダメか?」
「当たり前ですよ、どこだと思ってるんですか」

 哲也さんは残念そうな顔をしながら俺の顔を覗きこんだ。
 そんな顔しても無理なものは無理なんですよ。

「哲也さん…」
「んー?」
「帰りましょうか」
「どこへ?」
「寮に、です」
「そりゃ帰るに決まってるだろ?」
「今からですよ?」
「今から?…って、電車なんかまだ…それに俺、実家にバイク置いてるぜ?」
「ええ、だから…」

 始発までの1時間。
 駅を辿りながら歩いて、最初の電車に乗って哲也さんの家にバイクを取りに行く…と伝えた。
 こんな早朝に家出するみたいに出て行ってしまうのはマズくないか?と訊かれたけど、そんなものはメモ一枚あれば十分だ。

「バイク、乗せてくれますよね?」
「そりゃ別に構わねぇけどよ…」
「何ですか?」
「今すぐ帰ったら、なんつーか………その、ヤるために帰るみたいじゃねぇか?」

 和希、そういうの…好きじゃないだろ?と俺の機嫌でも伺うかのように言われた。
 確かにあからさまにってのも困るんだけどさ。
 折角の誕生日だから、かな…

「そのつもり…なんですけど……嫌ですか?」

 あ、すごい…哲也さんの顔。
 びっくりするくらい真っ赤だ。

「嫌ってわけじゃねぇけど…」
「けど…?」
「そんな事言ったら…今日一日、服着る暇なんかないぜ?」
「…いいですよ」

 返事の代わりなのかどうか…また唇を塞がれて…
 唇が離れるまでの間、俺は両腕を哲也さんの首の後ろへ回した。





 まだ夜の余韻を残したような冷たい空気と、雲の隙間から金色の朝の光を射し込んだ空の下。
 最初の駅を目指して歩いた。
 人目が無いわけじゃないから、手を繋ぐなんて事はできないけれど。
 時々、触れるお互いの指先にくすぐったさを覚えて。
 少し離れて歩いてみるものの、気付けばまた肩が触れるほど近づいていた。


 あ、言い忘れた…

 いつ言おう…

 寮に帰ってからでいいかな?

 でも帰った途端、速攻で押し倒されそうだな…

 今しか無いな。

 うん、今しか無い。



 ……もう一度言いそうだけど。



「哲也さん」
「なんだよ?」
「誕生日…おめでとうございます」

 輝かしい朝陽を背に、また一つ、彼の魅力を見たような…
 昨日の酔っ払いは差し引くとして。
 随分と嬉しそうな表情を、今まで以上に愛おしく思った。

 この年の今日の朝を。
 俺は一生忘れることはないだろう。




END



あとがき
王様誕生日に今度は和希視点でございました(笑)
…いや、もう開き直る!だって和希ん時は王様視点で書いたんだもん。
誕生日って祝ってもらう側の心情って結構こそばいと言いますか…(こそばいって関西弁?えーと、くすぐったい、かな?)
祝う側の方が楽しいじゃないですかね?(そんなん私だけ…いい、もういいの。開き直ったの!)
今回は続きはありません。
寮に帰ってから服を着る暇がなさそうですから…揉めてる時間もないでしょう(笑)
好きにいちゃついてください。なんてたって王様、貴方の誕生日なんですからね。
プレゼントは俺で…なんてベタ〜な事は言いません(←書いたやん)
約束どおり寮に居れば、和希から素敵な腕時計くらい貰えたでしょう。
え?そんな予定があったんですか?はい、ありました。出さなかったけどね。
甘くもなく、ベタベタでもなく、和希もちっとも可愛くなくて…色々と後悔の嵐です。が、まーいいや、とにかくですよ。

Bon Anniversaire!

2007.8.15


↓↓↓

伊住さまからの妄想劇場をコチラからどうぞv







いずみんから一言。

このラストシーンがすごくすごく好きなのです。
真夏の早朝。ふたりして歩く、その後姿が目に見えるようで。
それどころか、朝の白っぽい空気までが見えるようなので。
サイトを閉鎖されると知って、こちらに飾らせてもらえるよう、お願いしたのでした。
美和さま。ご快諾、有難うございました♪


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