迷惑な介護人

  啓太が高熱を出した。どうやら風邪をこじらせたらしい。
 彼もそうなのだが、普段人一倍元気な人間ほどちょっと重い病気にかかると情けないものである。これがもし病気慣れしている岩井のようなタイプなら、『熱が出たな』くらいで何時もと同じようにする・・・、失礼、彼の場合近くに篠宮がいるのでここに例として上げるのには相応しくありませんでした。(謝)
 反対に以前丹羽が高熱を出した時は、本人が『もうだめだ』 だの『死ぬ』だのと大騒ぎをした。結局見舞いに来た親友から『死ぬのなら、学生会の仕事を片付けてからにしろ』という言葉と、憧れの人からの『そうか。それは清々するな』という暖かい励ましをもらっただけで終わったのだが、啓太の場合はそうはいかない。何せ彼の側にはあの男がいるのだから。

 という訳で(どういう訳だ?)、啓太は熱のせいで頬をほんのり赤く染め、頭がぼんやりしているせいか何時もより潤んだ目で、ベットから側に立っている中嶋を見上げていた。
「あの、中嶋さん。俺なら大丈夫ですから、授業に出てください。ちゃんとおとなしく寝てますから」
 普通なら恋人に心配をかけまいとする健気さが感じられるはずのこの台詞だが、どうした訳かそう言うニュアンスは彼の言葉から感じられなかった。それはそうであろう。どう考えても相手が中嶋では、側にいない方が早く病気が治るに決まっている。だが当の中嶋と言えば、その言葉に返事もせず黙って突っ立ったままだった。
(どうしよう?俺の考えていることがばれちゃって、怒ってるのかな?)
 さっきからそう考えて不安になっていた啓太だったが、その考えは半分は当たっていた。しかし中嶋がさっきから黙っている理由は、他にあったのだ。

 最初は自分を追い払おうとしている啓太に腹が立って、このまま寂しいと泣きついてくるまで放置プレイを楽しんでやろう かとも思った。しかし俗に『目病み女に風邪引き男』は色っぽいと言われているが、今の啓太がまさにそれだったのだ。普段は決して表には出さないが『これでもか』と言うくらい啓太に惚れている中嶋にとって、今の彼の色香は反則技だった。もしこのまま授業に出たとしてもこの顔がちらついて、とても勉学に励む騒ぎではあるまい。
(よし決めた。俺を邪魔者扱いした罰だ)
 自分の望みどおりの結論が出たのを他人のせいにする、得意の論理を頭の中で処理し終えた彼は薄い笑みを浮かべた。
「遠慮するな。俺が看病してやるよ、付っきりでな」
「ええ〜〜〜〜〜っ!!」
 驚きの表情を浮かべてこちらを見つめている啓太に、中嶋は気分を悪くしたようだ。
「何だ?俺に看病されるのが嫌なのか」
「いえ、・・・そんな事はないんです・・・けど・・・」
「けど、何だ?」
 看病するといった口の側から、さらに熱を上げるように患者を精神的に追い詰めるとは、中嶋にしか出来ない芸当と言える だろう。

「あの、ごめんなさい。実は俺さっき授業に出てくださいって言ったのは、中嶋さんに迷惑をかけたくなのが理由じゃないんです。一人でおとなしく寝てた方が、早く病気が治ると思ったから・・・」
「ほう、そんな事を自白するとはいい度胸だ。熱があるからという理由は通用しないぞ。元気になったらたっぷりお仕置きをしてやる。楽しみにしておけ」
 解っていた事と言えども、第三者から見て明らかに中嶋の自業自得であると言えども、啓太の口から言われるのはまた別の事らしい。中嶋の体からは、物凄い勢いで真っ黒はオーラが噴出し始めた。しかし当事者(又はお仕置きされる人)の啓太は 、それにひるむ事なく話しを続けた。
「・・・だって熱が下がらなかったら、中嶋さんずっと俺のこと抱いてくれないでしょ?」
 先にも書いたが、風邪のせいで啓太は何時もよりかなり色っぽい。その上に、こんな台詞をはいて恥ずかしさの為に目を潤ませているのである。中嶋の周りを覆っていた真っ黒なオーラは、一瞬にして卑猥なピンクへと色を変えた。

「だから俺、早く病気を治したくて。でも中嶋さんがずっと側にいてくれるんなら、このままでもいいかなって」
 えへと、恥ずかしそうな笑顔を浮かべる啓太を中嶋は無表情で眺めていた。まあそれは表面だけで、ご機嫌はとっくに直っていたのだが。その証拠に次に彼から吐かれた言葉は、普段では考えられないものだった。
「薬を飲むにしても、何か腹に入れておかないとな。朝から何も食べていないんだろう、何か食いたいものはないか?」
 中嶋の問いかけにしばらく考え込んでいた啓太だったが、熱のある頭でろくなものを思いつくはずもない。
「えと・・・、アイスクリームが食べたいです?」
「アイスクリームだと?」
 ガキでもあるまいしと思ったが、中嶋は黙ってジャケットを羽織ると財布を手にとった。

「確か教室棟の購買部に売ってたはずだ。買ってきてやるから 、おとなしく留守番してろ」 「はい。・・・ありがとうございます」
 あの中嶋が、自分のためにわざわざ買い物に行ってくれるというのだ。啓太は信じられない思いで、やっとそれだけを口に した。でも中嶋の帰りを待つ間にだんだんうれしさが込み上げてきて、にやついてしまうのをどうしようも出来ない。
(俺ってやっぱり、中嶋さんの事が好きでたまらないんだ)
 啓太は改めてそう感じていた。この程度のことでそこまで感動できる啓太が幸せなのか、それともそこまで感動させる中嶋の日頃の態度に問題があるのかはこの際置いておこう。  ちなみに啓太の為にアイスクリームを買う中嶋の様子は、たまたま授業が休講のため食堂にいた3年生によって目撃された 。その後、あの中嶋をお使いに出した1年生として、啓太は学生達から一目置かれる存在となったという。

 アイスクリームの入った袋をぶら下げ戻って来た中嶋の目に最初に飛び込んで来たのは、ベットの上でにやつきながら高熱に魘されている啓太の姿だった。
「お前、病人のくせになに器用なことをやっている?」
 めずらしく素直に賛同出来る台詞を吐いた中嶋に、啓太はもぞもぞと体を動かずとにやけた口元を隠すように顔半分を毛布の中にうずめてしまった。
「すみません。中嶋さんが俺なんかのために、わざわざ教室棟まで出掛けてアイスクリームを買って来てくれるんだと思った ら・・・」
「お前の為だから買いに行ったらどうだと言うんだ?」
 顔は不機嫌そうだが、啓太の言い回しと微妙に変わっている。この男、風邪引き啓太の色香に完全に調子を狂わされて、思わず本音を吐いているのにも気付かないでいるようだ。そしてやはりそんな中嶋の様子に、啓太もまた全く気が付いていなかった。
「何だかとってもうれしくなって・・・。それで『ああ俺って 、本当に中嶋さんの事が好きなんだなあ』って思ったら、何だかうれしくなって来たんです」

 普段なら恥ずかしがってこんな甘えん坊さんな事をなかなか口にしない啓太だが、熱のせいか今日は素直に自分の気持ちを口にした。なぜそんな事が解るかというと、中嶋にあおられ熱っぽくなると元気な時でも平気でこんな台詞を吐くからだ。
 もし他の人間がこんな台詞を吐いたら、2度と人に甘えようなんて気が起こらないようにされるところだろう。だが、相手は啓太である。今や中嶋のご機嫌は最高潮に達していた。例を上げれば、彼の周りで大勢の小さな中嶋が浴衣を着て、炭鉱節にあわせて盆踊りをしていてもおかしくないくらいだった。い かに物凄いご機嫌であるか、解っていただけたでしょうか?( 余計に解らないって!)
「なんだ?アイスクリームを買いに行かせないと、俺の事が好きだと言うのが解らなかったというのか?」
「ち・・・違いますよお!」
 泣きそうになりながら必死で首を横に振っている啓太の姿を見て、中嶋は優しい笑みを浮かべた。
「冗談だ。それより、どれにするんだ?何が食いたいのかわからなかったから、一応全種類買ってきた」

 そう言いながら、中嶋はベットの側のテーブルの上にアイスクリームを並べ始めた。病気の啓太が食べ易いように、最中タ イプではなくカップに入ったものを買ってきている。この男に も、人を思いやる気持ちがあったようだ。その気持ちの1億分の1でも丹羽に分けてやればどうだとも思うが、あり得ない話なのでここでは話を先に進めよう。
 ついでに全種類といったが、七条の好きな『ラムレーズン』 はその中に含まれていなかったということも付け加えておく。
「わあ、ありがとうございます」
 ゆっくりとベットから起き上がった啓太は、すっかり山盛りのアイスクリームに目を奪われていた。そのせいだろう。熱の為に熱くて、無意識にパジャマの襟元のボタンをはずしていたせいで、自分の胸元が露になっている事に気がつかなかったのは。
「う〜ん、迷うなあ。どれにしようかな」
 うんうん唸ってますます熱が上がりそうな啓太の様子に、中嶋は苦笑を浮かべた。
「お前調子が悪いんだろう。今は一番あっさりしているバニラにしたらどうだ?」
「はい、そうですね。そうします」

 その言葉に素直に頷いて、啓太がカップに手を伸ばそうとした時、一瞬早くバニラのカップは中嶋の手によって奪い取られてしまった。
「あ、あの?」
 自分の恋人が何をしたいのか理解できず戸惑ったようにこち らを見ている啓太に、中嶋は薄い笑みを浮かべた。
「今日は俺が看病してやると言ったろう?俺が食べさせてやるよ」
 購買部の叔母さんがつけてくれた使い捨てのスプーンを一つ取り出すと、中嶋はアイスを掬い取り啓太の口の中にそれを入れた。
「どうだ?うまいか?」
「は・・・はい。でも、なんか何時もより冷たいです」
 元々病気で高熱が出ている上に、何とあの中嶋に食べさせてもらっているのだ。啓太の体温は人類としてはあり得ない程の高温に達していた。これでは何時もより、アイスを冷たく感じるのは当然と言えるだろう。
「そうか、それはいかんな」
 何がいけないのかよく解らないが、というか当人がいけない事の塊で出来ているようなこの男は、何事か思案するように右手を自分の口元に軽く当てた。
「よし。冷たすぎると言うのなら、暖めればすむことだ」

 アイスクリームを温める?意味が解らずきょとんとする啓太が見つめる中、中嶋はスプーンで再びアイスを掬い取るとそれを自分の口の中に放り込んだ。そしていきなり啓太を抱き寄せると唇を重ねた。
「ふ・・・うっ・・・」
 中嶋とのキスの味は、いつも苦い味がする。おそらく中嶋が吸う煙草のせいなのだろう。しかし今日はアイスクリームのせいで、甘くてとてもいい香りが啓太の鼻をついた。そしてわずかに冷たさを残すそれは、自分の口の中に入り込んだ中嶋の舌 を伝ってのどの奥へと流し込まれてくる。
 ゆっくりと口付けは解かれたが、中嶋の顔はまだ啓太と鼻先が触れるくらいの場所にあった。
「どうだ?今度は冷たすぎる事はなかったろう?」
 口の端をわずかに上げ冷たい笑みを浮かべながらも、その目は啓太が視線を逸らせないほど熱く見つめている。この男、相手が病人だと言うのに、完全にお仕置きモードに入ってしまっ たようだ。
 啓太も啓太で、それが解っているというのにうっとりとした目で自分の恋人を見上げ、言ってはいけない言葉を口に出した 。
「はい。あったかくて、すごく美味しかったです」
「そうか。なら沢山食べさせてやろう」

 そして何度もアイスクリームは、中嶋の口から啓太ののどへと流し込まれた。何度も何度も、回数を重ねる事に口付けの時間は長くなっていった。
 やがて手に持っていたカップが空になるとそれを乱暴に床に放り投げ、中嶋は当然のように啓太のはだけた胸元に唇を落と した。
「ひゃっ・・・」
 啓太の口から、思わず驚きの声がもれた。さっきまでアイスクリームを口に運んでいた男の唇は、何時もよりひんやりと冷 たかった。だがそれも最初だけで、やがて啓太のそれが写ったかのように熱を帯びてきた。
「中嶋さん!だ・・・駄目です」
「ほう。お前は俺にお使いまでさせておいて、見返りを与えないつもりか?」
『だから最初に断ったじゃないか!』
  などと、啓太に言えるはずもない。言えればそもそも、この2人が出来上がったりする事もなかったろう。
 まあ、言ったところでそれで納得するような男でもないが・・・。

「だって、風邪がうつっちゃいますよ」
 啓太にしてはちゃんと理由が言えているだが、着ていたパジャマをすっかり脱がされ、ベットに仰向けになった体の上に中嶋にのしかかられてしまっているこの状況では、説得力の無い事この上ない。案の定、中嶋は哀れな子羊の必死の説得にも余裕の笑みを浮かべただけだった。
「安心しろ。その時は、お前に看病をしてもらうだけだ。・・・たっぷりとな」
(そんなのって、ないよ〜〜〜〜!!)
 啓太の心の叫びは誰にも届く事はなかった。ただ部屋にはベットの軋む音と、ぴちゃぴちゃと湿った音の間に途切れ途切れに啓太のあえぐ声が聞こえるだけだった。
 そしてテーブルの上では、山積みになったアイスクリームが手をつけられる事もなく溶けてしまっていた。


 数日後、啓太の恐れていた通り今度は中嶋が風邪をひいた。 彼の場合こじらせるような可愛げがある訳ではなかったのだが 、啓太が付っきりの看病を命じられたのは言うまでもない。
 そして嫌な予感に怯える彼の耳に、最も恐れていた言葉が飛 び込んでくる事となった。
「・・・啓太。アイスクリームが食べたい」







いずみんから一言。

前サイトこるぬこぴあの管理人・みみずくの作品。
たしか40000打記念か何かのフリー企画だった。
みみずくの没後、これを飾っているサイトさまにコンタクトを取ったのだが
お返事がいただけず困っていたところ、「みずのおしろ」の
風上水面さまが送って下さった大量の打出しの中から見つかった。
風上さま。あの節は本当に有難うございました。
おかげさまで彼女の生きた証を残すことが出来ました。
……まあ、みみずく自身はこれっぽっちも思いを残したりしてないでしょうが(苦笑)。

そしてバナーは、閉鎖して尚リンクページに名前を残して下さっていた
「Teal Blue」の須崎桜乃さまからご提供いただいた。
まだサイトの形もできていないのに、ドットをひとつずつ打って
バナーを作ったみみずくの顔が思い出されます。
こちらも合わせてお礼を申し上げます。

★ みみずくの書いた「マスターの独り言」という作品を探しています。
どなたかお持ちの方は是非ともご連絡をお願いします ★



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