【おつかい りたーんず】




5月30日、都内の某高級マンションの1室に住む伊藤啓太君は
今年4歳になったばかりの男の子です。
今日はこの啓太君に2度目のある試練が訪れようとしています。

男の子らしいおもちゃが雑然と置いてある部屋で、啓太君は
一緒に住む叔父の中嶋英明さんと
なにやらお話しをしてます。

「ヒデ君、今日はどこかにお出かけするの?」
小さなお顔をこてんと傾げた啓太君が不思議そうに
聞くのも無理はありません。
朝、パジャマを着替えようとした啓太君にヒデ君が
渡したお洋服は特別な日にしか着ないタキシード。
白いシャツと紺色の半ズボン、赤いサスペンダーをつけた
啓太君は今はヒデ君に赤いリボンタイをつけてもらっています。
床に膝をつきタイを結んでいるヒデ君がチラリと視線を上げ言いました。
「この間行ったカフェを覚えているか?」
「かふぇ?」
「ケーキを食べて女の人に色々聞かれただろう?」
「う〜ん…あ、まきちゃんだ!」
眉間にしわを寄せ難しそうな顔をしていた啓太君、
閃いたのかパッと顔を上げニッコリ。
「そうだ、そのまきちゃんの店が出来て今日で1年だそうだ」
「ふ〜んそっか」
タイを結び終えたヒデ君、立ち上がり全体のバランスを見ると
満足そうな笑みを口元に浮かべ
壁にかけてある上着を取り啓太君に着せます。
ちょいちょいと手櫛で茶色い柔らかな前髪を整えると
小さな体を抱き上げリビングへと連れて行きます。
「啓太もおめでとうを言いに行くだろう?」
「うん!ヒデ君も行くの?」
ソファに啓太君を座らせると自分も隣に座り啓太君の
小さなもみじのようなお手々を握ります。
「ああ、だがどうしても抜けられない用事があって
啓太とは一緒に行けないんだ。
啓太ひとりで行けるか?」
「うん!啓太一人でも行けるもん」
元気に大きく頷く様子を見て更にヒデ君は言いました。
「途中で花も買えるか?『予約した伊藤です』ってちゃんと言うんだぞ」
「よやくしたいとうです」
「ああ、そうだ。じゃあこれが金で…道は分るか?」
小さなリュックを背負わせながら何処と無く心配そうな
ヒデ君をよそに啓太君はニコニコ満開の笑顔。
「おうち出てがーっと行ってきゅーっと曲がるとおはなやさんがあるの。
そんでまたがーっと行って道路渡って
きゅーするとまきちゃんのお店なの」
「そうだ、えらいぞ。車に気をつけ行けよ、
知らない人にもついて行くなよ」
「は〜い」

マンションのエントランスでヒデ君に見送られ
啓太君は元気に旅立ちました。
青い空にのんびり流れる雲と、海野先生お手製の小型
カメラを持ちこっそりと後をつける岩井さんを従えて…


さて先ずはお花屋さんです。
お花屋さんはマンションを出て右に真直ぐ進みます、
いつもヒデ君と行く公園の手前を曲がるとすぐに見えてきます。
お歌を歌いながら歩く啓太君、あれれ?曲がる場所を
間違えて公園の中に入ってしまいました。
そのままブランコへと向かうその足元に白い猫が擦り寄ります。
『ぶにゃぁう』
「あ、とのさま!」
不思議に思い足元を見る啓太君。そこにかわいいと言うよりは
味のある顔立ちの猫を見つけるとうれしそうに抱き上げます。
顔見知りのその猫はヒデ君が哲君への嫌がらせにたまに
つれてくる猫ちゃんで、啓太君ともとっても仲良し。
「とのさまもおつかい来る?」
小さく首をかしげながら聞くと返事をするかのように
トノサマは尻尾を一振り。
それを見てそっと地面に下ろすと啓太君が行こうとした
進行方向とは逆に歩き出します。
「あっ!啓太道ちがうよ〜」
やっと気づいた啓太君、言いながら慌ててトノサマに
ついて公園の外へ出ます。

★     ☆     ★

トノサマをお供に加えなんとか正しい道に戻ったご一行。
今度こそお花屋さんにたどり着きました。
お花屋さんのドアは自動ドアなので小さな啓太君も
苦労することなくドアが開きます。
トノサマを外で待たせ啓太君はお店に入ります。
色とりどりに咲き誇るお花がいっぱいのお店に入り
教えてもらったようにちゃんと言えるでしょうか…
「こんにちは〜!」
元気に挨拶をすると奥からちょっとぽっちゃりタイプ
の笑顔が素敵なおばちゃんが現れました。
「はい、こんにちは。僕おつかい?」
「うん、啓太一人で来たんだよ!」
得意げに胸を張って言う啓太君に視線を合わせたおばちゃんは
偉いねぇと言って頭を撫でてくれました。
「何が欲しいの?」
そう聞くおばちゃんに啓太君は更に元気に言いました。
「まきちゃんのおはなください!」
おやおや、啓太君。ヒデ君に教えられた通り言えませんでした。
おばちゃんはきょとんとした顔をして
「まきちゃんのお花…?予約がしてあるのかしら…」
予約を確認しようとおばちゃんが立ち上がるとそこに大きな人影が…
ビックリして視線を上げるとそれはニッコリ笑顔の七条さんでした。
啓太君に気づかれないよう唇に人差し指をあて
おばちゃんを黙らせた七条さん。
背後に隠していた右手を出すとスケッチブックをおばちゃんに示します。
そこには綺麗な大きな字で『予約した伊藤です』と書かれていました。
全てを悟ったおばちゃんは啓太君に待っててねと言い残すと
お店の奥へと入って行きました。
そしておばちゃんが戻ってくるとその手にはやや小さめの、
子供が持つにはちょうど良い大きさの花束。
リュックの中にヒデ君が入れてくれたお金で代金を払うと
きらきらしたお目々でお花を受け取る啓太君。
青を基調とした花束は啓太君にとても似合っていて、
おばちゃんは予約の電話を入れたヒデ君が
とてもこの子を愛しているなと感じるのです。
「おばちゃん、ありがとう!」
いつの間にか姿を消した七条さんに気がつかないまま
おばちゃんに見送られ啓太君は再びトノサマと共に旅立ちました。

★     ☆     ★

お花屋さんを出て住宅街を真直ぐに進みます。
しばらく行くと大きな通りに出ました、すると啓太君は
歩行者用の青信号が点滅していることに気がつきます。
「あ!青がピカピカしてる!急がなきゃ」
そう叫ぶと慌てて走り出します。でも小さな啓太君は
早く走れず途中で信号が変わってしまうに違いありません。
そんなことにも気がつかず今まさに啓太君が
横断歩道に足を踏み入れる瞬間、
横から伸びてきた手が啓太君の肩を掴みます。
ピタリと足を止められきょとんとするお顔についた
お耳に穏やかな声が聞こえてきます。
「飛び出したら危ないよ?お兄さんと一緒に次の信号で渡ろうね」
啓太君が声のほうを向くとキャップの中に金色の髪を
入れサングラスをかけた成瀬さんです。
でも啓太君はそれがいつも遊んでくれる人とは気がつかず、
言われたことに対して素直に頷きます。
「さあ、行こうね」
端から見たらちょっぴり怪しい風貌のお兄さんに手を
繋いでもらい大きな道路を渡ります。
渡りきった所で成瀬さんは啓太君の頭をなでて去っていこうとします、
啓太君は慌てて成瀬さんのお手々をギュッと握り
「お兄さんありがとうございました」
ペコリとお辞儀をするのです。その成長した姿を見て
サングラスの下に思わず涙を浮かべる成瀬さん。
啓太君が手を振りながら去って行く姿をいつまでも見送っていました。

さてさて、まきちゃんのお店目指して更に真直ぐ進み
ます。…と思ったら
「いぬさんこんにちは〜ワンワン!」
何と啓太君道沿いにあるおうちに飼われている大きな
ワンちゃんにご挨拶をしています。
傍らに花束を置き、門の隙間から手を伸ばしワンちゃんの頭を撫でてあげます。
『ぶにゃぁあう』
トノサマの声にハッとなった啓太君。目的を思い出し
ワンちゃんに別れを告げて先へ進みます。
でも待って!啓太君、花束忘れてるよ。
全然気がつかない啓太君、でも大丈夫。
「君、忘れ物だ」
後ろから花束を持って追いかけてきたお兄さんが居ました。
ストレートの髪をワックスで無造作ヘアにし
ツーポイントの眼鏡を掛けた篠宮さんです。
もちろん啓太君は篠宮さんに気がつきません。
「あ、まきちゃんのお花!忘れちゃった」
急いで受け取るときちんとお礼を言ってしっかり花束
を抱えて篠宮さんとお別れしました。

★     ☆     ★

てくてくてくてく
大きなお花を抱えた啓太君、意気揚々と歩きます。
まきちゃんのお店まであと少しです。
さあ一気に行きましょ う…と思ったら。
啓太君、急に道の端にしゃがみ込んでしまいました。
どうしたんでしょう?具合でも悪いのかな…
久しぶりに太陽の光を浴びてよれよれになった岩井さ んと、
その岩井さんを自転車で運んでいた滝君も
心配そうに啓太君を見ています。
「啓太の奴、どうしたんやろ」
「…心配ない…あれを見ろ」
眉を顰めカメラのレンズ越しに見ていた岩井さんは
啓太君の前にあるものを見つけました。
岩井さんの指差す先を見た滝君は安心したように脱力します。
「なんやぁ〜タンポポかいな」
そう、啓太君が一心不乱に見ていたのは白い綿毛のタンポポです。
指先でつついてみたりしながら一生懸命眺めています。
ところが、そんな啓太君の小さな背中に忍び寄る怪しい影!
啓太君が危ない!
岩井さんと滝君に緊張が走ります。
下卑た笑いを浮かべる男の手が啓太君に伸びたその時、
逞しい手が男の手首を掴みます。
「王様やんか!」
「…丹羽…間に合ったか…」
突如現れた哲君に男は路地裏へと引きずり込まれます。
ドカッ
バキッ
ゴキッ
聞こえてくる音にカメラ組二人の顔が引きつります。
「ま、まあ、あの男も王様でラッキーやったな。
中嶋さんが相手やったら半殺しじゃきかへんし」
「………」
「おっと、啓太が動き出した。行くで岩井さん」
タンポポの観察に飽きた啓太君が再び歩き出すのを見て慌てて出発しました。
てくてくてくてく
さあ、まきちゃんのお店が見えてきました。
「あ、まきちゃんのお店だ!」
嬉しさのあまり走り出した啓太君。
とうとうお店に到着です!
背伸びをしてドアを開けると大きな声で言いました。
「まきちゃん、啓太きたよ!」
お店の中には数名のお客とアルバイトの店員さん。
そしてトレーを持ったまきちゃんがびっくり顔で啓太君を見ています。
「え、え、啓太君?!」
戸惑いながらもトレーを小脇に挟んで
駆け寄ってきた啓太君に視線を合わせます。
「まきちゃんあのね啓太ひとりでこれたよ、お花もねひとりでかえたよ」
得意げにまきちゃんを見つめる啓太君。
水色の大きな瞳はきらきらと輝いています。
頬だってピンク色に輝いています。
「まきちゃんのお花くださいって、ちゃんといえたよ」
はいっと差し出されたお花を見てまきちゃんが顔を上げると、
啓太君の背後にはいつの間にか
ヒデ君や篠宮 さんと言った面々が勢揃いしていました。
「まきちゃんのお店が1才になったからおめでとうなの!」
お花を受け取りながら事情を察したまきちゃんは
啓太君の栗色の髪を撫でながら
「ありがとう、啓太君。ひとりで来るなんて凄いね」
まきちゃんに褒められて啓太君とっても嬉しそう。
思いがけないプレゼントに感動するまきちゃんの視界には、
グレーの見るからにオーダーメイドのスーツを着た爽やか好青年風の男が
地面に膝をつきがっくりと項垂れる姿が映っていた。
「…間に合わなかった…」
爽やか好青年風の男、和君のそんな悲痛な言葉を
抜けるような青空とトノサマだけが聞いていた…

END


★     ☆     ★


( まきちゃんのエンディング )


梅雨も明けたある暑い日のことです。
鼻の頭に元気な汗をいっぱい浮かべた啓太くんが、
カフェのドアを開けて飛びこんできました。
「まきちゃーん。啓太きたよー!」
「いらっしゃい啓太くん。中嶋さまもいらっしゃいませ」
お気に入りの席に走っていく啓太くんを
子供用の椅子をもったアルバイトのおねえさんが追いかけます。
「あのねー、昨日いい子でおるすばんをしたから
ひでくんからのごほうびなの」
「そうなの。えらかったわねえ」
注文をとりに来たまきちゃんが硬く絞ってきたおしぼりを渡すと
ひでくんはそれで啓太くんの顔や首筋を拭いてあげました。
「じゃあ啓太くんは 『 まきちゃん特製 プリンサンデー 』 かな?」
「うんっ !! 」
「メロンものせましょうね」
「わーい。メロンだ。メロンだ」
実は啓太くんはまだ小さくて、
ふつうの大きさのパフェが食べられないのです。
だからここのカフェで、少し小さめのサンデーを作ってもらうのが、
啓太くんにはとても楽しみなのでした。
「中嶋さまは? いつものホットコーヒーになさいますか?
それともアイスコーヒーでしょうか?」
「いや。いつものブレンドで」
かしこまりましたと言って引き返そうとしたまきちゃんは、
啓太くんが何かをじっと見ているのに気がつきました。
「どうしたの? 啓太くん、何を見てるの?」
「あのねえ、まきちゃん。あれはまきちゃんのお花なの?」
ひでくんとまきちゃんがたどった視線の先には、
1周年に啓太くんがプレゼントしてくれた青いお花の花束が
今はドライフラワーになって飾られていました。
「そうよ。あのままだったらお花は枯れちゃうでしょう?」
「うん」
「でもね、ああやってドライフラワーにしておくと
いつまでも置いておけるのよ」
「ふうん」
「せっかく啓太くんがプレゼントしてくれたんだもの。
ずっとずっと、飾っておくわね」
まだ小さい啓太くんに、
まきちゃんの言ったことはよく分からなかったけれど
でも褒めてもらっているのだということは、ちゃんと分かりました。
うれしそうに笑う啓太くんの頭を、まきちゃんがなでてくれました。
ひでくんも「よかったな」と言ってくれました。
啓太くんはいつまでもにこにこ笑っていました。


そうしてまきちゃんの言葉どおり
そのドライフラワーはずっとずっと
お店のいちばんいい場所に飾りつづけられたのでした。



                  〜 あなたのななめ45° ブー子 さま 〜
                 



いずみんから一言。

ブー子さま 有難うございます!!
ちびがラブリーです。このかわいらしさは、もはや犯罪です!
あまりにもうれしかったので、ついついうしろをつなげてしまいました(汗)
ぶち壊しですね、まったく……。


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