陽だまりの恋人たち ver.和希 |
自分はじつは無能だ。と、時折、和希は思う。『若手ナンバーワンの実力』だの『史上最強の御曹司』だのと経済誌などで持ち上げられたりしてはいるが、その実、要領も悪いし人使いもうまくない。今年の6月末からはグループ内のネットバンクの会社を任されるようになりはしたが、これはグループ創始者の三代目だからであって、自力で企画から考え、資金集めに走り回った結果ではない。資金の融資にシビアな昨今、『鈴菱』の名をしょっていなければ、門前払いであっという間に終わっていたはずだ。 12月も終わりに近づいたとある火曜日。自分の要領の悪さを持て余しながら帰ってきた和希は、上着も脱がずにベッドに突っ伏した。ついに宴会シーズンに突入してしまったのだ。本人の好むと好まざるとにかかわらず、どこかの誰かが『交流』という名のもとに企画した宴会に出席しなければならない、和希にとっては悪夢のようなシーズンの到来である。今日は仕事が忙しかったこともあり、適当にお茶を濁して帰るつもりだったのが、悪いことにベル製薬のメインバンクの銀行の頭取につかまってしまった。そして後見人を気取る頭取に多くの人間に引き会わされ、そのたびにいちいち酒を飲まされていたのだった。 宴会中はなんとか笑顔を貼りつけていた和希だったが、帰りの車の中で酔いが一気に回ったらしい。部屋にたどり着くなりベッドに倒れこんだ、という訳だ。かろうじてネクタイはエレベーターの中でゆるめてあったものの、コートは左腕にかかったままだし、右手の先にはアタッシェケースが転がっている。梅干し入りの温かい昆布茶を手に寝室へやってきた成瀬はドアのところで立ち止まり、聞こえていなさそうなのを幸い、盛大なため息をついた。 「和希……。こんなの君のファンが見たら卒倒するよ?」 見目のいい御曹司は人気投票でいつも上位にいるのだ。ついこの間発売された某女性誌正月号の『初夢企画・ワーキングガール100人が選ぶ玉の輿に乗りたい経営者ベスト5』にも選ばれていた。あれに掲載された一分の隙もない写真しか知らない人が今の和希を見れば、「ウソぉ!」と叫ぶか、あるいは「ワタシが癒してあげた〜い♪」と言って抱きしめるか。 「どっちもパスだな。……ほら和希、起きて」 「……んー……」 「昆布茶が冷めるよ。ちゃんと梅干しも入れてあるよ」 「…………んー……」 「和希……。寝るの?」 「…………」 「はぁ……」 今度はそっと息を吐いた成瀬は和希の服を脱がせにかかった。こうなってしまうともう和希を起こすのは無理だということを、成瀬は今までの経験からいやというほど学んでいたのだ。抱き起すと、顔を背けたくなるくらい酒臭かった。 12月は本当に忙しい月だ。なんでたかだか1年が終わるというだけで宴会をしないといけないのか。どうせ歳があらたまるとすぐに新年会だの賀詞交歓会だのがあるというのに。しかも目先を変えただけの同じような料理が、何故か普段より2割ほど高くなるのだ。価格は需要と供給のバランスで決まるというが、これはただのぼったくりだ。それを分かっていてなお、わざわざこの時季に宴会をする輩が和希には信じられない。どうせ交際費で落とすんだろう? まがりなりにも経営者を標榜するならそのあたり、もっとシビアになれ、ってんだ。 毎年のように繰り返すこの愚痴を、今年の和希はただの1度も口に出さなかった。社長の座に納まって5か月と少し。金融業界は今までの製薬業界とは違い、どうも勝手が違った。まず空気感が違う。厚生労働省の職員と大蔵省・金融庁の職員は、同じ霞が関の国家公務員とは思えないくらい違い、その違いが業界各社にいきわたるころには、あからさまな違いとなって空気感を変えているのだ。製薬業界の『あれ』は金融業界の『あれ』と同じではないし、業界ごとに『常識』も変わる。さらには業界の人間関係がまだもうひとつ掴みきれていなかった。もちろん和希だって経営陣に名を連ねているので各銀行の頭取の名前くらいは知っているし、そのうちの何人かとは面識もある。大蔵省や金融庁の人物相関図も把握はしている。だが和希のそれは、どれもただの知識だった。 生きた人間がいればその世界も生きている。本やネットの知識でしか知らなかった土地へ行ってみれば、風の香りに驚くこともあるだろう。見たこともなかった食材が意外に口に合うかもしれない。ガイドブック片手に裏通りにある穴場の店に行こうとして道に迷い、路地の入口に置いた椅子に日がな一日座っている老婆に道を教えてもらうなんていう経験は、ネットの検索では決して得られないものだ。さらに旅行で訪れるのと住んでみるのとではまた違ったものが見えてきたりもする。何度か通っているうちに、道を聞いた裏通りの老婆がじつは……と知って冷やりとする場合だってある。こればっかりは教えてもらって何とかなるものではない。かける時間を惜しむ者には得られない何かはどこの世界にも少なからず存在するのだ。和希は今、金融業界における裏通りの老婆を知ろうとしていた。知ったからと言ってその彼だか彼女だかとコンタクトを取る予定は今のところないが、知らずにいるという選択肢は和希にはなかった。知っていて使わないのと、知らなくて使いようがないのとでは天と地以上の差があるからだ。知らずにいたことで起きるかもしれない損失の可能性は徹底的に排除しておかなければならない。パーティで拾う会話の断片は、路地を探る貴重な指針だった。 そんなわけで業界の集まりに出席する機会の増えた和希だったが、仕事の量は減らないどころか去年よりかなり増えていた。慣れない仕事が多いのに、適当に流すことのできない和希がいちいちきっちり目を通しているからである。分からないところを分かるまで……などということをやっていたら、時間などいくらあっても足りるはずがないのはわかっている。でも誰かに丸投げするという選択肢もまだもてない。ないない尽くしで突っ走るものだからこうしてパーティから戻るたび、ぱったりとベッドに倒れこむことになる。自分の学習能力のなさにうんざりするのも一瞬のこと。3秒もすれば夢の中だった。 和希は夢の中にいた。 そこは明るくて温かかった。温かくて、とてもいい香りがしている。 ひたひたと温かく心地よい湯に、裸の素肌をどっぷりと浸しているようなこの感覚。 温かい何かに背を預けて手と足を投げ出してみる。 ちゃぷ、ちゃっぷ。 無造作で無防備。なのに護られているのが分かる。 母親の胎内にいたとき、もしかしたらこんな感じだったのかもしれないと思う。 そのくらいここでは安心できる。 ずっとこうしていたい。 護られたい。癒されたい。 だって疲れているから。 ちゃぷ、ちゃっぷ。 『おまえは三代目で経営者の身内だから、人の3倍は努力しないと、誰からも認めてもらえないぞ』 そう言った父の声が聞こえる。 『かわいそうに。親と祖父が社長と会長だから、いくら努力してもコネがあるからって言われるんだわ』 これは祖母だ。祖母はことあるごとに、口癖のようにそう言っていた。和希のことを無条件に愛してくれたあの女性は、かわいい孫が正当な評価をされていないのが不満なのだ。だからいつもこんなふうに抱きしめては髪をすいてくれた。そう、こんなふうに……。 「って、成瀬さん!? あんた何やってんですかぁっ!」 「何って、お風呂。正確には朝風呂?」 動きにくいのをむりやり身体を捻じ曲げてみると、うしろから和希を抱きしめたまま、成瀬が満面の笑みを浮かべていた。いい香りがするはずだ。入浴剤なのかボディソープなのかは不明なものであたり一面が泡だらけになっている。しかもピンクのにごり湯ときた。驚きすぎて「何じゃ、こりゃー!」と叫ぶことさえ忘れてしまった和希の耳元に、ちゃぷんと重い水音がした。 「『朝風呂?』じゃないでしょうが! 俺はベッドでぬくぬくと寝てるはずなのに」 「うん。寝てたね」 「だったら……」 と言いかけた和希の口は成瀬と目が合ったとたんに噤まれた。満面の笑みの中で、成瀬の目だけが笑っていなかったのだ。成瀬の目は真剣に和希の目をじっと見つめている。居たたまれなくなって和希はそっと前を向いた。それを承諾ととったのか、成瀬が和希の髪を洗いはじめた。ラケットを握りボールを扱う成瀬の指はけっしてやわらかくはない。だが髪を洗ってくれる成瀬の指はとても心地よかった。 ―― ま、そんなことは知ってるけどさ。 ベッドの中を知ってるからね。と、胸の中だけで独りごちた和希は、ゆったりと成瀬の胸に背を預けた。こういう状態にあるとわかってしまえば拒絶するなど無意味だ。 「でも何でお風呂なんです? たしかに昨夜は入りそびれましたけど……」 「そう。疲れてたんだよね。だから考えたんだよ。君を1分でも長く寝かせてあげるにはどうすればいいのかな、って」 「1分でも……、ですか」 「そう。7時50分に家を出るとして、その前にお風呂に入るとすると、起きるのは?」 「6時50分」 「即答だね。でもそれだとお風呂じゃなくてシャワーだろ? 疲れはとれないよ。でもこうしたら 10分は長く寝られて、お風呂も半分終わってる。……さ、流すからちょっと下むいて」 頭を少し前に傾けた和希の髪にシャワーがかかる。垂れた髪の先からぽとぽととシャンプーが流れ落ちてはお湯の中に落ちていく。上目遣いにしばらく眺めてから目を閉じた。成瀬の言うとおりだった。和希は疲れている。裸にされてお風呂に入れられただけでなく、うしろから抱き取られて体を洗われても目が覚めないくらいに。でもこうしていると体中にまとわりついていた疲れがが、少しずつはぎとられていくのがわかる。本当に、成瀬さんの言う通りなんだ。そう思う和希の口から、ほうっと、深い息が漏れた。 「今夜は名古屋だっけ?」 食卓に置いた土鍋からおかゆをよそいながら成瀬が聞いた。茶碗に軽く七分目。上に細かくほぐした焼き鮭と青葱をのせてからごま油をひとたらしする。器に触れてもかちかちと耳障りな音を立てない木製のスプーンを添えたら、中華風おかゆのできあがりである。宴会が多くなると胃が疲れるだろうと、成瀬はよく朝粥を作る。同じようなものだと飽きるから、こうしてバリエーションをつけるのだ。 「そう。浜松で提携予定の会社を視察して、夜は名古屋の商工会議所のメンバーと会食。そのまま宿泊して明朝一番で某自動車の社長と青少年育成基金の件で会談。それから……」 「……もういいよ……。東京に帰ってくる予定だけ教えて?」 「明後日の朝ですね。早朝の便で名古屋に帰国する会長を出迎えて、そのまま一緒に戻ってきますから」 「おつかれさま。じゃあ明後日のランチを一緒にしよう。天気もいいし、あったかいらしいから。 ……大丈夫だよね?」 「お昼の予定はなかったと思いますけど……。出社したら秘書に確認させます」 「うん。メールでいいから」 わかったと言うかわりに、和希は黙って茶碗を差し出した。今度は鮭ではなく炒り卵がのせられていた。ボタンひとつでお湯はりのできる風呂はともかく、朝早くから土鍋でおかゆを炊いたり鮭を焼いたり炒り卵を作ったり。成瀬は手間のかかることを平気でやってのける。そうだ。青葱も刻んでいる。三つ葉じゃないのはごま油の香りと合わないからだろうか。 「にしても、君。金融業だけでも大変なのに青少年育成基金って……。ちょっと手を広げすぎなんじゃない?」 「貴方がそれを言うんですか」 「うん?」 にっこりと笑んだ顔のまま首をかしげた成瀬を、スプーンを止めた和希が上目遣いに見上げる。 「学園の運営資金の一部はそこから出てるんですけど?」 成瀬の笑みが微妙に凍りついた。 約束の時間から約6分遅れて外へ出ると、成瀬のクルマが玄関前に停まっていた。ホテルで見た天気予報では暖かいと言っていたが、所詮は冬の天気である。気温はともかく風が冷たく、和希はわずかな距離で思わず震えた。ビジネスマンというのは会社に着いてしまえばコートを着ない人種なのである。急ぎ足でクルマに近寄った和希は、成瀬の手振りに気づいて後部座席に乗り込んだ。とたんに温かい空気に包まれる。ほっと息を吐きながら、和希は車の中を見回した。テニスプレイヤーの成瀬は車にいろんなものが積んである。ラケットのような長さのあるものはさすがにバゲッジルームに移したらしいが、毛布や底面積の広い手提げの紙袋などが置いたままになっている。何気なく中を覗こうとした和希は、「何時までオッケーかな」という成瀬の声にあわてて紙袋から手を放した。 「1時半には戻りたいところですけど、2時くらいまでなら大丈夫ですよ。遠出なんですか?」 「全然? むしろ近すぎるくらい。だからちゃちゃっと、そこのお弁当食べちゃって?」 「お弁当ですか!?」 ランチと言われて出てきたのにお弁当とはどういうことだろう。と、和希はちょっと驚いた。まあ確かに、どこの店でと言われた訳ではなかったが。これはお弁当だったのかと紙袋を開けて、和希は小ぶりの重箱を取り出した。中には噛み切らなくていい、文字通りの一口サイズに造られた料理とおにぎりがぎっしりと詰められていた。しかも鰤の照り焼きやチキンの香草パン粉焼きなどは小さく切ってから、タレなりパン粉なりにつけて焼いてある。小さく握ったおにぎりもだが、相当の時間と手間のかかったお弁当だった。 「取り皿とかは用意してないんだ。好きなものを適当にどうぞ。お茶はタヌキのマグボトルに玄米茶を入れてあるから」 「タヌキ? ……ああ、これですか。こっちのウサギのボトルは?」 「それはあとのお楽しみ。さ、急いで食べて」 どうやら成瀬は和希をどこかへ連れて行こうとしているらしい。あるいは誰かに会わせようとしているか。正直なところ、めんどくさいと思わずにいられなかった。会長と同行だったので新幹線の中でも気が休まらなかったのだ。成瀬と会うのが嫌だったわけではない。それだけは絶対にない。それに、成瀬が自分のためにならないことをするはずがないとも思っている。でも、食事に行くなら気分転換にもなるからいいが、ただ出かけるのは億劫だった。人に会うならもっと億劫だった。だがそんな思いを顔に出せるはずもなく、うつむき加減でタヌキのマグボトルを開けた。玄米茶の香りがふわりと立ち上る。和希はあまり玄米茶を飲んだことはなかったが、香ばしい香りと味は、マグボトルに合っているように感じた。 成瀬が言った通り、目的地は近かった。いくつかの交差点を越え、角を3つばかり曲がったところで、とあるビルの敷地に乗り入れる。走った時間は10分もなかったろう。タコに切ったウインナーをつまみあげたまま和希が窓の外に目を遣ると、そこはよく知られたスポーツ用品のビルだった。1Fがショップでその上が本社と関連子会社の事務所。最上階の9、10Fがアスレチックジムになっている。成瀬とつきあっていると自然にそういう方面にも目が行くのでその程度の知識は和希にもあったが、自分がそのビルに足を踏み入れるとは思ったこともなかった。ビルの裏手でクルマから降りた成瀬はエレベーターのボタンを押してから戻ってきた。 「ここさ、ビルの途中階に駐車場があるんだよ」 「あんまりない構造ですね」 「ゼロじゃないけどね」 中のインジケーターを見ると8階と9階に駐車場があるらしい。成瀬は9階でエレベーターから降りた。ここはジム専用になっているらしく、係員から駐車券をもらって指示された方へと進む。建物に近いあたりは、当然のことながら会員用のスペースなのだろう。奥へ進みながら見ていると、平日の昼間にも関わらず、少なくない数のクルマが並んでいた。比較的値段の高い車が多いのは、こんな地価の高い場所にあるジムの会員だからだろうか。蛍光灯がついていてなお薄暗い中で、進行方向左側つきあたりのあたりだけが明るかった。向こう側のビルの背が低く、段差の分だけできた空間から陽光が降り注いでいるのだ。中が薄暗い所為か、冬のやわやわとした光でさえまぶしく感じられる。天国を思い浮かべる人が多そうな光景にもかかわらず、そこに停められたクルマは、和希に光に集まる蛾を思わせた。 「とっておきの場所を確保するのに、ちょっとだけ苦労したよ」 「とっておき、ですか?」 「そ。クルマ乗り換えるから、ちょっと待って」 VISITORと書かれたスペースにちんまりとクルマを止めた成瀬は、和希に「そこの毛布、持って降りて」と声をかけた。 「あ、そうだ。上着も脱いどいたほうがいいかな」 「はいはい」 ランチに行くと思っていたら、クルマの中でおべんとうを食べながらの移動で、着いたところはアスレチックジムのビルだ。さらに今度は上着を脱いでクルマを乗り換える。ここまで来て四の五の言うつもりはないが、やはり面倒だと思う気持ちが先に立った。だが物わかりのいい大人の顔をしてきた自分がいちばん面倒なのだということは、和希にもよくわかっていた。 それでも成瀬に言われた通りに上着を脱ぎ、前の座席の背にひっかけて外に出る。思わず 「寒っ!」と声が出た。人目がないのを幸い、和希は毛布を肩から羽織った。少し前を歩く成瀬は寒さなど感じさせない足取りでつきあたりの陽の光の方へ向かい、アタマから突っ込んで停めてあるセルシオのドアを開けた。 「さ、急いで急いで。時間がなくなっちゃう」 「はいはい」 「今度は前に乗って」 「はいはい」 気のない返事をして和希はセルシオに乗り込んだ。 「……ぅわ……!」 フロントガラス一杯に差し込む陽で車内はまるで温室のようだ。まぶしいくらい明るく、南国のように暖かい。花の鉢のひとつもないのが不思議な気さえする。先刻までの成瀬のクルマも温かかったが、これは温かさの質が違った。温風が吹き付けてくる直截的な皮膚感覚ではなく、もっと柔らかいのに身体の芯から温まってくるような。心に気持ちのいい温かさである。 「シートをいちばん後ろまで下げて、目一杯倒して」 「下げて、倒して……それで?」 「寝るんだよ」 「寝る……ね。はいはい。……っえ!?」 和希が手にしたままだった毛布を成瀬がそっと取りあげて、和希の足元からかけていく。 「時間がなくなるよ。3分で寝られるだろう?」 「でも……」 「でももだってもなし。まあちょっと種明かしというか、白状するとね。これは啓太のパクリなんだよ」 「はぁ? 何ですか、それ」 「ほら。啓太からメールが来てたろ? 中嶋さんの誕生日に昼寝をプレゼントした、って。だから僕からも君に。パクリっていうのは自分でも情けないなあって思うけど、ハードワークが続いてる君に少しでも休んでもらえるなら、自分の気持ちなんてどうだっていい」 たしかに啓太からそんなメールが来ていた。中嶋の誕生日のランチタイム。啓太は中嶋を誘って大学のベンチで昼寝をさせたそうだ。11月も下旬のボストンではさぞや寒かったろうと思うが、啓太が膝枕をしてくれるとあれば、中嶋は気にも留めずに眠ったに違いない。 ―― それを考えたら、『温室』を用意してくれただけでも良しとしなきゃな 「とっておきの場所を確保するのにちょっとだけ苦労した」と成瀬は言っていたが、それはけっして「ちょっとだけ」ではなかったはずだ。こんないい場所を見つけ、そこに停めたクルマを貸してくれる人を探さないといけないのだから。そこまでして和希を気遣ってくれた成瀬の優しさが、今は素直にうれしいと思えた。 「……きっかり1時間です」 「1時間だけ?」 「きっかり」 「わかった。1時間だね。目覚ましにはウサギのボトルで雁が音を淹れてあげるよ。適温のお湯を入れてあるんだ」 「雁が音か……。それは美味しそうだな……」 そう呟いて和希は毛布を引き上げる。 「膝枕の方がよければしてあげるけど?」 成瀬の問いかけに、和希はもう返事をしなかった。 |
いずみんから一言。 「陽だまりの恋人たち」のコメントに書いた「オマケ」の話です。 どこが「クリスマスにでも」やねんと、自分でツッコミをいれました。 書きはじめたのは中嶋氏お誕生日話を書き終わってすぐのこと。 ところが最後のパートで、思いのほか手間取ってしまったのです(涙)。 いっそ今年の年末まで放っておこうかと思ったりしたけれど、なんとか無事、 和希をお寝んねさせることができました。 ……夏になる前で良かったよ(苦笑) |
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