みんなで無礼講 ! |
気持ちよさそうに啓太が寝息をたてていた。ちらっとその寝顔に視線を落とした中嶋はふっと片頬を緩めると、啓太が飲み残したコップを取り上げた。こっそりと持ちこんでいたブランデーのミニボトルは、数本あったはずだが、とっくの昔に全部が空になっていた。 「よく寝ているようだな」 「ああ。他愛ないものだ」 啓太のコップを空にした中嶋が、篠宮が差し出した日本酒を受けながら苦笑した。丹羽と中嶋と篠宮と。三人の恒例行事だった新年会に中嶋が啓太を呼んだ。ところがアルコールに免疫のなかったらしい啓太は完全に酔っ払ってしまい、とんでもない告白をした挙句にぶっ倒れて寝てしまったのだった。ただ篠宮も中嶋も実に真面目に酔っているので、丹羽ひとりが被害を被っているといっていい。中嶋につづいて酒を差し出した篠宮に、ビール派の丹羽も今度は受けた。これ以上、素面ではいられないというのが本音だったろう。 「たったあれだけの酒でこれだ。もう酒は絶対に厳禁だ」 「そうか? 結構飲んでたんじゃねぇのか? 篠宮が何度も注ぎ足してたぜ?」 「おまえはどこを見てるんだ。最初は半分だったし、啓太が空にする前に酒を足していた」 「あ゛? そうか?」 篠宮が黙って一升瓶を丹羽の方へ押しやった。なるほど、まだ下から15センチ程度残っていた。丹羽たち三人が飲んだ量を考えれば、啓太が実際に飲んだのはコップ1杯がやっとだったろう。 「なるほど。これじゃいかんわ」 「だろう? これから先、俺が見ている前で酒を飲もうとしたら、断固阻止してやる」 「おお、こわ」 「俺も伊藤がこんなに弱いとは思わなかった。勧めて悪かったな」 「かまわん。今わかって、かえって良かったかもしれんしな」 気のない素振りをする中嶋に、コップを机に戻した篠宮がくすくす笑いはじめた。 「それにしてもよくなついたものだな」 「小型犬を飼っているみたいなものだ。ちょっと頭を撫でてやると、後ろから走ってついてくる」 「違う」 篠宮は押えきれない笑いをごまかすように、鍋の火を強くして雑炊を作り始めた。 「おまえのことを言ってるんだ。よくもそこまで伊藤になついたものだ」 「俺が? 啓太に?」 「おまえは俺たちにさえ越えさせない一線を持っている。いや。その一線を振りかざしながら他人と付き合っている、と言った方がいいか」 「おい……。えらい言われようだな」 「そうか? おまえってそういうとこあるぜ?」 「なんだ。おまえまで……。まあいいさ。そういうことにしておいてやろう。で? その一線がどうしたというんだ」 「伊藤に対してはその一線を、かなりうしろに下げている、と、俺は思う。最初は伊藤がその一線を踏み越えたのかと思っていたんだが……。捨て子騒ぎのあとで思い直したんだ。あれは伊藤が踏み越えたんじゃない。もともとラインが遠かったんだ」 「まあ啓太相手じゃなあ。多かれ少なかれ、みんなそんなとこあるけどな。郁ちゃんや岩井だってそうだろう。ただ、おまえの場合はその一線ってやつが、思いっきり前に設定されてたから。ちょいとほかより目立ってるってわけだ」 鍋に入れたとき玉子がほどよく半熟状態になった。篠宮が手際よく三人分を取り分けた。 「しかし、よくもそこまで伊藤になついたものだ」 「まだ言ってるのか。くだらんことを言ってないで、さっさと食ったらどうだ」 「ちょっと不思議に思っただけだ。おまえほど遊び歩いていたやつが、伊藤とくっついたとたんに落ち着いてしまった。伊藤のどこがそんなに良かったのかと思っているのは、俺だけではないはずだ」 中嶋はほんのしばらくの間、箸を置いて考えていたが、やがて日本酒の入ったコップを取り上げた。 「一言で言えば感度の良さだな。俺のことを印象付ける意味合いもあって、最初ちょっと小当たりに手を出してみたんだが、呆れるくらいに感じまくってくれた。それでいて女との経験さえないと言う。アンバランスな感じがおもしろくて、二度目にはもう少し楽しませてもらった。俺の手にすっぽりとおさまる小ぶりの尻の形が気に入ったし、手触りも良かった。それに何より、あの表情(かお)と声だ。期待しているくせに怯えたような顔をして。なおかついい声で泣く。どちらか片方だけでも、それだけで達きそうになってしまうくらいだ。この俺がだぞ? それで次のときには抱こうと思ったわけだ。まあ思ったより手がかかるが、期待以上だったと言っていい」 「つまりは肌が合うわけだな」 「ああ……。そう言われればそうかもしれん。考えたこともなかったが」 「それにしても……」 言いかけて篠宮が「ぷっ」と笑った。今夜の篠宮はいつになくよく笑う。どうやらかなり酔っているようだ。もっとも、それは中嶋も同じであるが。酔っているのでなければ啓太とのことをあんなに長く喋る男では絶対にないからだ。笑いながら篠宮は全員のコップに酒を足した。 「なんだ? 途中でやめんなよ。かえって気になるじゃねえか」 「放っておけ、丹羽。今日の篠宮はおかしい。ここにいるのは篠宮じゃないと思っておいたほうがいい」 「いや、失敬した。中嶋の手にすっぽりとおさまる小ぶりの尻ということで、ちょっとあることを思い出しただけだ」 「はあん?」 「まずだ。ふたりともちょっと手を見せてくれ」 「手?」 「そうだ。さっさとみせろ」 「なんだなんだ。手相でも見てくれるってか?」 「まあそんなようなものだ」 ほれ、と言って丹羽がまず両手をさしだした。その手を取った篠宮が、手相を見るように眺めた。そして何度か指を触っていたかと思うと、人差し指と薬指の長さを比較して手を離した。ついで中嶋の方に向き直った篠宮は、全く同じように指の長さを比較した。 「なるほどな」 「こら。もったいぶんなってよ」 ひとり納得した顔をする篠宮に丹羽がいらついた声を出した。篠宮は小さくコホンと言ってから言葉をつづけた。 「Hox遺伝子というのを知っているか」 「フォックス遺伝子?」 「違う。ホックスだ。大文字のHと小文字のoにx」 「知らねえな」 「俺も知らん」 「つまりだ。遺伝子というのはそれぞれ役割があるわけだが、Hox遺伝子ではその役割をパートで考える」 「どういうことだ」 「普通の遺伝子情報として、髪の毛を作る遺伝子は髪の毛しか作らない。眼を作る遺伝子は眼を、鼻を作る遺伝子は鼻を作る」 「まあ、そりゃあたりまえだわな。足に鼻がついていたら怖い」 「そうだ。だがHox遺伝子ではそれが少し違う。体幹部、つまり胴体から始まって端へ向かうというパートで役割を持っているんだ」 「もう少し簡単に言ってくれ」 「つまりだ」 篠宮はふたりを見渡してふっと笑った。 「末端を担当するのは同じ遺伝子だということだ」 「はあ?」 「なるほど。それで指をみたわけか」 「そういうことだ」 篠宮と顔を見合わせた中嶋が喉の奥で笑った。意味がわからず、拗ねたようにそっぽを向いた丹羽に、宥めるように中嶋が言った。 「わからん奴だな。指は腕の末端だろう。じゃあ胴体の末端はなんだ? 頭だ足だなんてボケるなよ」 「……もしかして俺の大事な……?」 「そういうことだ。指を見ればご子息の予想がつく、ということだ。今、おまえたちのを見せてもらったところ、まさにぴったりと表していた」 「3年も一緒に風呂に入ってるんだ。バレバレだな」 今度は三人がそろって笑った。大声ではなかったが、いかにも「酔っ払っています」という笑い方だった。丹羽はともかく、篠宮も中嶋もおよそ「笑い声」とは無縁の存在だった。もし運の悪い下級生がドアを開けてしまったら、正月早々の悪夢にしばらくうなされてしまったかもしれなかった。 だが運のいい下級生である啓太はそんな騒ぎも知らぬげに寝息を立てたままである。と、丹羽が啓太の左手を掴みあげた。ほんの少し回ってきた酔いにへらへら笑いながら、自分の手と重ねて大きさを比べる。当然というか何というか、丹羽の手の方がふた回りほど大きかった。もちろん指も長い。篠宮が耐えきれないように笑いだした。つられるように笑いながら、中嶋が丹羽を咎めた。 「こらこら。人のものに何をする」 「いいじゃねえか。減るもんじゃなし」 「よくない。啓太が傷つくだろう」 「ということは伊藤のものも、指がきちんと表している、ということだな」 「そんなこと、俺の口からはとても言えん。まあ成長期に入ったばかりだから、ということにしておいてやってくれ」 「ほほう。なるほど」 意味ありげな顔で丹羽が返してきた啓太の左手を、中嶋が丁寧にカーディガンの下に戻した。啓太は安心したような声で小さく「うん……」と洩らした。 「ところでさっき、指の長さを比べてただろ? えーっと、薬指と人差し指か。あれは何だったんだ?」 「あ? ああ、あれか」 すっかり忘れていた顔をして篠宮が頷いた。 「さっきのHox遺伝子のつづきだ。結論だけ言えば、薬指の方が人差し指より長いと男っぽくなるそうだ。男っぽく多分に攻撃的だ。丹羽は薬指の方がかなり長いな。中嶋も丹羽ほどではないが長い方だ。遺伝子はちゃんと仕事をしているということだな」 へえ? と言って、丹羽はまたしても啓太の左手を掴み出した。今度は中嶋も啓太の右手を持ち上げた。ふたりから遊ばれているのも知らず、啓太は幸せそうな寝息を立てたままだった。 「人のものを触るなと言っただろう」 「って、おまえだってやってるじゃないか」 「俺のものを俺が触って何が悪い」 「何がおまえのものだ。この手は啓太のものだろう」 「啓太の身体は髪の毛一本まで俺のものだ。それが証拠に、こいつの身体で俺の手が触れていないのは眼球だけだ。お望みなら各部分の味まで教えてやろうか」 「……いや。遠慮しとく」 「今夜は無礼講だと言っただろう。つまらんことを言い合ってないで、さっさと長さを測らんか」 ふたりが啓太の手を持ったままじゃれあっているので、篠宮が本来の目的を思い出させた。篠宮は酔っていてもどこまでも真面目であった。 「……一緒、だな」 「ああ。こっちもほぼ同じだ。多少、薬指の方が長い気がせんでもないが、このくらいは誤差の範囲だ」 「そうか。では俺と同じだ。伊藤はおまえたちと違って無駄に敵を作ったりすることもあるまい」 「んなこと、いちいち遺伝子に訊かんでも、啓太見てればわかるじゃねえかよ」 啓太の手を中嶋に返した丹羽が一升瓶を取り上げ、残っていた日本酒を全部自分のコップに注いだ。そしてその半分くらいを一息に飲むと、ふうーっと大きな息をついた。 「酒臭いぞ、丹羽」 「んなもの三人ともだぜ。気にすんなって」 「おまえがそんな風に日本酒を飲むのは珍しいな」 「いや。さっきの指がアレを表す、ってのな」 「ああ?」 「郁ちゃんって指が細くて長くて綺麗じゃないか。ってことは……って思っちまったんだ」 「ふむ。西園寺はああみえて実は見事なものを持っているかもしれないな」 「うあっ!! どうするべ? 俺、明日っから郁ちゃんの指が見られねぇ」 「じゃあ顔を見てろ」 「んなことしたらよけいに嫌われちまう」 「しかたないな。西園寺が現れたら、おまえの目の前で啓太と指を絡ませてやるよ」 ぶっ、と言いかけて丹羽が手で口元を押えた。 「やめてくれよ。指と指が絡むなんて……。モロにやってるみたいなもんじゃねえかよ!!」 「だから特別におまえだけに見せてやるといってるんだ。……ほら」 啓太の手を掴んだ中嶋が、ゆっくりと丹羽に見せつけるようにしながら自分の指を絡ませた。 「う……。やめてくれって。そんな生々しいこと」 「よし。そんなに言うならやめてやる。その代わり俺の分までここを片付けると言え」 「片付けます。片付けさせていただきます。だから俺の前でそんな指を絡ませるなんてこと、しないでくれ〜っ!!」 篠宮の指図でせっせと片付けをする丹羽の姿を見ながら、中嶋は心底危なかったと思った。あんな告白を両親の前でされていたら、同棲どころか旅行さえ連れて行けなかったのだ。正月だからといって息子に酒を勧めたりしない良識ある啓太の両親に、中嶋は心からの敬意を表した。そして同時に、啓太にどんなお仕置きをしてやろうかとプランを練り始めたのだった。啓太が目覚める気配は、今のところ、ない。 |
いずみんから一言。 参考文献 竹内久美子著『遺伝子が解く! 男の指のひみつ「私が、答えます」1』 文春文庫版 今回、この本を元ネタにさせていただきました。この本によりますと動物のオスというものは「シンメトリー」なものほどデキがいいのだそうです。本来、左右対称であるはずの人間の身体でも、結構、左右で違うものですよね。理由は長くなるので書きませんが、左右が対称、つまりシンメトリーであればより強い免疫力を持っているとのこと。 で、我らが中嶋英明氏ですが、彼はシンメトリーな男だと思いませんか? ここにシンメトリーな男の特徴が列記してあるので転載します。 シンメトリーな男は @ 匂いがいい(臭くない) A 顔がいい B ケンカが強い C 筋肉質の体をしている D IQが高い E 童貞を失うのが早い F 経験した女の数が多い G 精子の数が多く質もいい そしてシンメトリーな男に対して H 女は効果的にいく I 浮気相手として女からよくご指名がかかる J 女がすぐにOKのサインを出す どうです。まるで中嶋氏のことを書いているようではありませんか !! 興味をお持ちになられたら、是非ともこの本をお買い求めください。これは本当に真面目な本なのですが、立ち読みには不向きなのです。ああ、電車の中でも読めません(笑)。この点はどうぞお含み置きくださいますよう。 最後になりましたが、この本を私に貸してくれたお稽古に来ているお嬢ちゃんにお礼を言います。しかしこんな本を貸される私っていったい……。もしかして見抜かれてる? さらに一言。 これは前サイトでのアンケート企画「新婚旅行先はどこでしょう?」の正解者にのみお送りした作品です。去年のお正月をはじめとして、ときどき闇鍋にリンクしていたのですが、あれからもう1年半も経っているので時効かと思い、通常のupに切り替えました。 すでにお読みの方もまだの方も、お楽しみいただけましたら幸いです。 ところで……。私って薬指の方が1センチくらい長いんですけど……(汗)。 |
ウインドウを閉じてお戻り下さい。 |