あかいみー約束番外編−





 くるくると皮を剥いて、ほいっと白い手に持たせると、ケイタは嬉しそうにシャリシャリとその実を齧りだした。
「次は俺の。」
 くるくる、くるくる調子よく自分のも剥いて、がぶりと齧りつく。
 天気の良い日は屋上に昇って、ぬくぬくと日差しを浴びながらのんびり過ごす。それが俺とケイタの日常だった。
 トレイには小さなポットとマグカップ。皿の上にはケイタの好きなチョコチップ入りのクッキーが数枚。
 トントントンと階段を登り、午後のお茶をのんびりと啜る。
 傍らにはクロとマロンも一緒。ケイタ用の小さな毛布も用意して、ぬくぬくと昼寝する。
「甘酸っぱくて美味しいですね。」
 シャリシャリと齧りながら、ケイタが笑う。
 苺に林檎にお菓子、ケイタはそんな物ばかりを喜んで口にする。
『子供味覚だなあ?』とからかうと、ぷっと頬を膨らませるのが可愛くて、俺はついついからかいすぎてしまう。
「ああ‥紅玉は酸味が強いからなあ‥。」
「紅玉って言うの?」
「なんだ?知らないで買ってきたのか?」
 テーブルの上にごろごろと並べられていた「真紅の宝石」の意味の名を持つ林檎。こんなに買ってジャムにでもするのか?と思いながら、トレイに乗せてポットと一緒に屋上に持ってきた。
「貰ったんですよ、先生に。
 さっき中嶋さんが下から持ってきたんです。」
「ふうん?」
 林檎を抱えて帰るヒデか‥似合わね−−っ!
 その姿を想像して吹き出すと、ケイタはきょとんとして俺を見ていた。
「王様?」
「にゃあん?」
 クロまで一緒にきょとんと俺を見ている。
「なんでもねえよ、林檎が喉につまったんだ。」
 誤魔化すように咳をしながら、少し冷めてしまった紅茶を啜る。
「大丈夫ですか?」
「ああ。」
「良かった。‥ふふふ。」
 良かった、と言いながら、ケイタがふふふと笑うから、
「なんだよ?何が楽しいんだ?」
 とケイタの頭をコツリと叩く。
「林檎が喉に詰まるなんて、王様白雪姫みたいですね。」
「白雪姫?ああ、そういや白雪姫は毒の林檎で倒れるんだったな。
ケイタ良く知ってたな?」
「はい。海野先生にDVD見せて貰ったんです。
海野先生にいつも色々見せて貰うんですよ。
綺麗な物語も沢山教えて貰ったんです。
それでね、王様なのに白雪姫みたいってなんだか可笑しいなあって。」
 ふふふと笑い、ケイタはシャリシャリと林檎を齧る。
「姫なあ‥?」
 そういや、学園の文化祭でやったっけ‥。
 ん?あれはシンデレラだったか?
「白雪姫なあ?」
 お伽話にケチつけるつもりはねえけど、あの姫さんは莫迦だよなあ‥。
 継母にだまされて、飾り紐で絞められて、毒の櫛に倒れて、毒林檎を喉に詰まらせて‥。
 箱入りの世間知らずと言えば聞こえはいいが、学習能力のねえ莫迦とも言えるよな?
「王様が白雪姫なら、王子様は中嶋さんですね!」
「へ?っごほっ!!ごほごほ!!」
 シャリ、と林檎を齧ったとたん、ケイタに変な事を言われ、俺は思い切り咳き込んだ。
「王様大丈夫ですか?はい、お茶です。」
「ゴクゴクゴクッ!
あ−苦しかった。ケイタ?お前変な事言うなよ。」
 冷めた茶でなんとか流し込み、ほっと息をつく。

 ヒデが王子?あいつがそんなタマかよ。
 絶対魔王だろ?嫌、この場合魔女か?
 どっちにしろ、王子じゃねえ事だけは確かだ‥あいつがマント翻して?白いタイツ履いて?で白馬に跨がり登場って?
 うわ−っ!!恐すぎる。
「ケイタ?頼むから恐い想像させないでくれよ。」
 鳥肌もんだぜ。想像力にも限界ってもんがあるだろ−?
 長い付き合いだし、浅からぬ関係って奴だけどさあ‥。
 王子って設定は無理があるぞ?しかもその相手が俺?‥それじゃコメディにしかなんねえよ。
「なんでですか?
中嶋さんは格好良いし、綺麗だし、絶対絶対王子様の格好似合うと思いますよ。」
「似合うかねえ?」
 だいたいあいつが王子なら、キスだけで終わんねえだろう?
 子供向けメルヘンの世界が、一気に昼メロか何かに早変わりってな?
「でも王様だったら自分でなんとかしちゃいそうですよね?」
「なんとか?」
「はい‥白雪姫みたいに命を狙われても、オーロラ姫みたいに魔女に眠らされても、王子様の助けを待ってないで解決しちゃいそうです。」
「そうだなあ‥相手がヒデだったら、おちおち寝てらんねえぜ?
絶対に『こんな簡単な仕掛けに騙されるなんて、お前の頭は飾りか?』とか言って眼鏡ギラッと光らせてさあ‥。」
 真面目な話、俺がドジ踏んでヒデに助けられるなんて事になったら、お仕置きどころの騒ぎじゃすまねえだろうさ。
「くすくす。そしていつもみたいに怒られちゃうんですね。」
「ですね?じゃすまないって。」
 苦笑いしながら煙草に火をつけ煙を吐き出す。
 こいつはヒデの本性知らねえからなあ‥。
 こいつの目には、本当に王子に見えるのかもしれねえよなあ‥。
「ふふふ、でも俺も、ただ王子様を待つお姫さまよりは、王子様と一緒に戦う人になりたいなあ。」
「ケイタ?」
「一緒に戦うんです。
ただじっと助けを待ってるだけは嫌だから。
 弱いのを理由に何もしないのは‥嫌なんです。」
 何か重大な事を決心したかのように、真剣な顔で言いながら、シャリシャリゴクンと林檎を食べ終えて、ケイタはこぽこぽとマグカップに茶を注ぐ。
「どうして嫌なんだ?」
 クロの小さな頭をぐりぐりと撫でながら、聞いてみる。
 お伽話‥と笑って茶化せない、そんな雰囲気だと気が付いた。
 俺は大雑把で色んなことに鈍いけれど、それでもケイタの言葉を笑い飛ばす気にはなれなかった。
「だって、王子様が怪我したら嫌だし‥。俺の知らないところで辛い思いしてたら嫌だし‥。
 俺王子様に悲しい思いしてほしくないんです。
俺のせいで‥あの‥。」
「ふうん?なあ?ケイタ?」
 そんな風に思ってたのか?ずっと‥。

「はい。」
 どうしたらいいんだろうな。こんな時、どうしたらいいんだ?
 半ば途方にくれながら、ケイタの髪を撫でてみる。
「ヒデはなあ、お前には綺麗な王子様って奴に見えるのかもしれねえけど、本性は帝王なんだぜ?」

「え?俺‥あの‥中嶋さんの話じゃ‥。
 あの‥そうなんですか?帝王?魔王よりも強いの?」
 慌てて否定しようとして、諦めたように笑う。
「ああ、強い強い。」
 あいつの精神力は桁外れだもんな?間違ったことは言ってねえよな?
「だから、お前は安心して待ってていいんだぞ?」
 ヒデも俺も、お前に戦わせたくなんかねえんだからさ。
 守りたいんだよ。お前を。
 悲しませるものすべてから、守ってみせる。今度こそ必ず。
「ヒデがお前の王子じゃ嫌か?」
 くるりと毛布で包んで膝の上に抱いて座らせながら、顔を覗き込む。
 クロを抱いたまま、ケイタは拗ねたように俺を見つめる。
「‥嫌じゃないです。」
「ならそれでOK。なんの問題もないだろ?」
「あります!!」
「なんだよ。」
「だって、だって。」
「だって?」
「だって‥中嶋さん俺のせいで病院辞めたんでしょ?」
 え?
「誰に聞いたんだ?」
「知らない人‥海野先生の待合室でトノサマと遊んでたら‥言われたんです。」
「なんて?」
「‥人生捨ててまでお前が大事かね?莫迦な男だ‥って。
‥俺意味が分からなくて‥そしたら、中嶋さんは俺の世話するために病院を辞めたんだって。
凄く凄く優秀で、周りから期待されてた人だったのにって。」
 一体誰がそんな事を。
「俺知らなくて‥中嶋さんが‥そんな‥。」
「‥‥ケイタ?」
「俺本当に迷惑ばかり掛けてるんですね。
迷惑掛けて、心配掛けて‥俺って何の為に生きてるんだろ?」
「ケイタ?あのな?」
「俺、あの時‥あの時‥死んじゃえば良かった。そしたら迷惑掛けずにすんだのに。」
 くすんと鼻を鳴らし、クロに擦り寄りながら、つぶやく。
「ケイタ?生きてるのが辛いのか?」
「‥‥ううん。そうじゃないから辛いんです。」
「ん?」
「俺、中嶋さんと王様に守られて、幸せで‥。幸せなんです俺。
 でも俺の幸せの為に中嶋さんが無理してたり、他の人に悪く言われるのは‥悲しくて。」
 ぽとりと涙を落とし、ケイタはクロの頭を撫でる。
「ケイタ?」
「はい。」
「ヒデはなあ、他人にどう思われるか‥なんて考えて生きてた事は一度もねえんだぜ。」
 思い出す、学園であいつと出会った時の事を、ヒデと過ごした日を思い出す。
 あの頃と同じ空の下に俺達は生きてる、空はこんなに青くて、風はこんなに気持ち良くふいているのに、なのに、俺は昔ほどそれが気持ち良いとは思えなくなっている。
「え?」
「あいつはいつだって、自分の決めた事しかやらねえ。それで他の奴がどう思うかも関係ねえんだ。
昔っからそういう奴なんだよ。」
 遠いところに来てしまった。あの頃に戻りたくても戻ることは出来ない。
 あの制服を着て、なにも知らずに笑ってた頃には戻ることはもう出来ない。
「王様?」
「あいつが望んでしてる事なんだよ。お前と暮らすってのはそう言うことなんだよ。」
 挫折、自分達が夢見た道から外れた事をそう呼ぶ人間がいるなら、それでもかまわない。
 ヒデ自身が決めた事、俺が決めた事。ケイタと暮らすということはそう言うことなのだ。
「でも。」
「ヒデがそうしたいんだ。そうするって決めたのは、あいつなんだよ。
誰に強制された訳でもねえ。あいつが自分で決めたんだよ。」
「王様。」
「だから、お前は‥。」
 笑ってて欲しい。幸せだと、笑っていて欲しい。
 そう望むことさえ辛い時期さえあった。
 それでも、願わずにはいられなかった。お前の幸せを。
「一緒にいよう。ずっと、なあケイタ。
 俺達を信じろ。俺達はな、お前が大事なんだよ。何よりも大事なんだよ。」
「王様。いいの?俺‥。」
「お前だけなんだぞ?ヒデに甘えられる奴は。
 世界中探したって、あいつに甘えられる人間はいないんだからな?」
「王様も?」
「そんな気持ち悪いこと出来るか。」
「気持ち悪くないですよぉ。」
 言いながら、ケイタがくすくすと笑う。
「気持ち悪いって。俺を甘やかすヒデなんて、最悪だろ。」
 笑いながら、ケイタを抱き締めて、頬を擦り寄せる。
「だいたい、ヒデに可愛げなんてもの存在しねえしよー。」
「可愛げがなくて悪かったな。哲ちゃん?」
 ひゅるりと冷たい風が吹いた。
「え?ヒデ?」
 いつの間に?
「あ、中嶋さん。お仕事終わりですか?」
「いや、休憩だ。で?何が気持ち悪いって?」
 いつから聞いてたんだ?
「‥ほら、恐いだろ?こいつ王子って感じじゃないだろ?」
 こそりとケイタに耳打ちすると、思い切り否定された。
「中嶋さんは怒ってても格好良いです!」
 おいっ。ケイタ。そうくるのか?
「なんなんだ?」
「さあな、お前は王子さまなんだとさ。」
「くだらんな。風が出てきたな、ケイタ?寒くないのか?」
「はい。」
 こくりと頷き、ケイタはふにゃりと笑う。
「そうか、ならいい。」
 ケイタにつられて、ヒデも笑う。
 ヒデにこんな顔させられる人間は、やっぱり他にはいないよな?
「ヒデ?あんなに林檎どうするんだ?」
 悩まなくてもいいんだよ、ケイタ。俺達は今のままでいいんだ。
「さあな、じいさんがくれたんだ。ジャムにでもするさ。ケイタが使うだろう。」
「ふうん?アップルパイとか?焼き林檎とか?」
「おい?誰が作ると思ってるんだ?」
「中嶋さん。」
「ヒデ。」
 俺達の答えに、ヒデは不機嫌そうなポーズを作る。
「お前達‥。」
 ひゅるひゅると冷たい風が吹き荒ぶ屋上で、俺とケイタは笑い転げはしゃぎまわった。

 ケイタ?俺達は今のままでいいんだよ。
 ヒデとお前と俺。三人で暮らそう。ずっと、ずっと‥‥。


 桜の華の咲く季節、何かが大きく変わるなんて、そんな事を思いもせずに俺達は笑いあっていた。



(2006/05/10、11 (水、木) の日記に掲載)







いずみんから一言

妹のとうこさまも書いておられたが、みのりさまの作品には、ものを食べる
シーンがよく出てくる。
そしてそれはこの「約束」のシリーズ内では、「頻繁に」といっていいくらい
の頻度になっている。
同時にセックスのシーンも多いといえる。
こっちはみのりさまのほかの作品にはあまり見られない傾向である。
だが「食」と「性」。それはあまりに密接に「生」とつながっていて。
必死になって生を追い求めるみのりさまの姿と重なってしまう。
ここまで来るともう本当に、残された日記の数はわずかしかないのだ。


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