あなたが傍にいれば



 今にも雨の降りそうな、夕方の公園だった。
「郁・・・・。」
 紫陽花の花の陰で、しゃがみこみ、唯一の友達である郁を待つ。
 知らない街に来ているのだから、不安になるのは当然で、それに、今にも雨が降りそうで・・・だから、だから泣きたくなっているのだと、そう自分に言い聞かせていた。
「郁・・・どうしたんですか?どうして・・・。」
 不安は、どんどん心の中に、黒い闇を連れてくる。
 世界中で、たった一人、僕が信用してる人間。いいや、信用なんて、そんな甘い言葉じゃ片付けられない程、僕は郁に頼っている。
 郁がいればいい。もしも、今世界中が敵だとしても、郁だけが味方なら、僕はそれでいい。
 だから、郁。早くここに来て。いつもの口調で、僕の名前を呼んで。
『臣』・・・と、そうすれば、そうしてくれさえすれば、僕は安心できる。
 なにものにも負けずに、強気でいられる。
 だから、だから・・・・郁・・・・・。
「・・・・・・冷た・・・。」
 ポツリと額に冷たいものが当たる感じがして、空を見上げる。
「雨だ。」
 ポツポツと降り始めた雨に、途方にくれてしまう。
 公園に雨宿りを出来る場所はなかった。
 小さな小さな公園。あるものは、滑り台と、ジャングルジム。ブランコとそして壊れかけたシーソーだけ。トイレすらない小さな公園なのだ。
「どうしよう。」
 どんどん雨脚が強くなる。でも、ここを離れたら、きっと郁は僕の居場所が分からなくなってしまうだろう。
「郁・・・・。」
 少しでも雨に濡れないように、紫陽花の葉の影に身体を小さくして、しゃがみこみながら、涙がこぼれないように、ぎゅっと眼をつぶる。
「郁・・・・・。」
 どうして、どうして来てくれないんですか?郁。
 あなたが傍に居てくれなければ、僕は、僕は・・・。
「お兄ちゃん、傘がないの?」
「・・・え?」
 その声に驚いて眼を開けると、可愛い黄色い長靴が見えた。
「お兄ちゃん?・・・・あ、僕の言葉分かる?」
 顔を上げると、大きな瞳が愛らしい、水色の幼稚園(・・なのだろか)の制服をきた男の子が立っていた。
「分かるよ。」
 返事をしながら、考える、僕はこの子を知っている?
 名前を思い出せない、だけど・・・知っている気がする。
「良かった。ね、濡れちゃうよ。お兄ちゃん。はい。貸してあげる。」
 そういうと、男の子は、持っていた青い小さな傘を差し出した。
「大丈夫、君が濡れてしまうから。」
 そう言って傘を返そうとすると、笑って首を振る。
「じゃあ、一緒に入ろう?お兄ちゃん何処に行くの?送ってあげる。」
「ダメなんです。僕は友達を待ってるから。」
「じゃあ、ここに居るの?」
「はい。」
「・・・・・じゃあ、一緒に居る。」
「君が濡れてしまいますよ?こんな小さな傘なのだし。」
 とても、僕と子供の二人が入れる大きさじゃない。
「大丈夫。お兄ちゃん、僕より少し大きいだけだもん。くっついて入れば入れるから、だから、はい。」
 少し大きいだけ?
「ね、立って、そのままだと濡れちゃうよ?」
「はい。」
 立ち上がる。・・・と男の子とそう目線が変わらないことに気が付いた。
「ほら、こうやってくっ付いてれば濡れないよ。ね。」
 寄り添うように、傘の中に入り、男の子が笑うけど、そんな事よりよも、自分の事で頭が一杯になっていた。
 どうして?この子と同じ・・・・僕は、一体。
「お兄ちゃん?」
「・・・ここは何処なんでしょう?」
 僕は一体何をしているの?ここで、僕は・・・。
「お兄ちゃん迷子なの?」
「いいえ、僕はここで、郁と・・・・友達と待ち合わせをしていたんです。だけど、郁は中々来てくれなくて、雨が降ってきてしまって。」
 だから、だから、僕は不安で・・・泣きたくなって・・・。
「泣かないで、お兄ちゃん。」
「泣きません、大丈夫・・・・ふふ。」
 泣かないで。そういいながら、君の方が、今にも泣きそうですよ。
「え?」
「そう言う貴方が泣きそうですよ。大丈夫。郁は必ず来てくれます。約束を忘れるような人じゃありませんから。」
「?うん、そうだね。」
 にっこりと笑う。・・・・この笑顔を良く知っている気がした。
 傍で笑っているのを見ているだけで、心の中が暖かくなる。
 抱き締めたくなる。
「お兄ちゃん?」
「え?」
 僕は、何を考えていた?
 知ってるはずなどないのに、だって、だって僕には郁だけが、すべてで・・・だから、だから・・・・。
「淋しい?お友達、きっともうすぐ来るよ。」
「ええ。」
「・・・・・大丈夫だよ。」
「え。」
 小さな手が、ぎゅっと抱き締めてくれる。
「僕が傍にいるから。大丈夫。お兄ちゃん。」
 暖かい、小さな手。にっこりと笑う・・・可愛い笑顔。
「ええ、貴方が傍にいてくれるなら、淋しくありません。」
「良かった.」
「傍に居てくれますか?」
 どうして?どうして僕は、こんなお願いをしているんだろう。
 大切なのは、ただ一人なのに、郁だけなのに。
 なのに、この小さな手を離したくない。そう、思う。
「うん、傍にいる。ずっとずっと居るよ。」
 笑う。この笑顔が好きだった。ずっとずっと好きだった。
 そうだ、思い出した。君の名前。
「ね、君の名前は、もしかして・・・・。」
「?僕の名前?僕はね、伊藤啓太。啓太だよ。」



++++++++++



 風が吹いている。
「・・・・・ん・・・・ここは・・?」
「あ、起こしちゃいましたか?ごめんなさい。」
 この声・・・あれ?
「伊藤君?」
「はい。」
 ああそうか、夕べ眠れなくて、東屋で少しまどろんでいたのでしたね。・・・・でも、どうして僕は伊藤君の肩を借りていたんでしょう?
 来た時は確かに一人だったというのに。
 でも・・・。
「・・・・そうか、夢を見ていたんですね。僕は。」
 小さな、小さな可愛い手。あれは夢だったんですね。
 では、もうあの小さな伊藤君に逢う事はもう出来ないのですね。
 なんだか、少し淋しい気がしますね。
「夢?ですか?」
 きょとんと大きな瞳を見開いて、可愛く小首を傾けて聞くから、つい笑ってしまう。
「・・・俺、おかしなこと言いましたか?」
「いいえ。」
 夢の中と同じ、貴方は、いつだって可愛くて、そして愛しい存在なのですね、伊藤君。
「それより・・・・どうして僕は伊藤君に手を握られているのでしょう?」
「え?あ・・・・こ、これは・・・・あの、その・・・。」
「伊藤君?」
「あの、西園寺さんが、七条さんがいないから探してきて欲しいって、それで俺・・・ここに・・・・そしたら、七条さんが眠ってたから、眼を覚ますまで待っていようかなって。」
 それで、隣に座った伊藤君の肩にいつの間にか、もたれて眠っていた・・・そういうわけですね?
「で?」
「あの、その・・・・偶然、七条さんの手に触ったら、あの・・・凄く冷たくて、だから・・・温め・・・・あの・・・・俺、戻ります!」
 慌てて手を離し、立ち上がろうとする、その腕をそっとつかんで、僕は彼の泣きそうな瞳を見つめる。
「どうして泣きそうなんですか?伊藤君?」
「だって、だってごめんなさい。俺・・・・。」
「どうして、謝るんですか?」
「だって、ごめんなさい。」
 俯いてしまうから、そっと腕を引き寄せ、抱き締めてしまう。
「七条さん!!」
「ね、伊藤君、聞いてください。」
 夢占い・・・あれは、僕の心の世界・・・・郁しかいらない、欲しくない、だけど、郁が傍に居なければ、僕は一人ぼっちで雨に濡れて震えているしか出来ない。
 郁の居ない、あの夢の中で、最後に僕が求めたのは、郁では無かった。小さな手、暖かい手・・・・離したくない。そう思ったのは・・・。
「え?」
「・・・・夢の中で、雨に濡れた僕に傘を差しかけてくれた人がいたんです。その人は、僕が一人で淋しくないように、傍に居るって約束してくれたんです。」
 離したくない、あの小さな手を。
 ただ唯一の存在だった郁、だけど、だけど・・・・。
「あの・・・それ・・は・・?」
「ねえ、伊藤君。僕はとても淋しいんです。」
 はっきりと分かる、今傍にいて欲しいのは、伊藤君、あなただって。
「え?」
「・・・・・伊藤君・・・・だから傍に居てください。」
 夢の中の、あの子の様に、誓ってください。
 ずっと傍に居ると。
「ずるいです。」
「え?」
「こんな風に、抱き締めて・・・そんな事言うなんて、七条さんはずるいです。七条さんには西園寺さんがいるのに、なのに・・・。」
 大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれる。
「伊藤君?」
「俺が、本当にずっと傍になんかいたら、困るくせに。」
「伊藤君?」
 後から後から、涙が零れ落ちていくから、そっと唇をよせ、涙を・・。
「ん・・・。」
「泣かないで下さい。あなたの涙を見ると哀しくなってしまいます。」
「どうして・・・。」
 行為に驚いてしまったのか、耳たぶまで赤く染め、潤んだ瞳で僕を見つめているから、そっと抱き締めた腕に力をこめる。
「伊藤君、何故だか分かりますか?」
「・・・・わかりません・・・・わかりません!!」
「あなたを愛しているからです。伊藤君。」
「そん・・・・。」
「愛しています。伊藤君。だから傍にいてください。」
 ずっとずっと傍に。
「俺で・・・いいんですか?」
「はい。」
「俺、頭悪いし、何も出来ないですよ。とりえなんか、運がいいって事だけだし、西園寺さんみたいに綺麗でもないし・・・。」
「でも、伊藤君がいいんです。伊藤君じゃなきゃダメなんです。傍にいてください、僕の傍に。こんなお願いは迷惑でしょうか?」
 抱き締めた腕の中、伊藤君の細い腕が、僕の背中に回される。
「ダメじゃありません。俺、俺も七条さんが好きです。」
「伊藤君・・・。」
「好きです・・・。」
 背中に回された腕が温かかった。
 このぬくもりが欲しかったのだ。たぶん、ずっと。



 この手を離さない。ずっと、ずっと。
 貴方が傍にいれば、きっと何も恐くない。
 だから・・・傍に居て下さいね。伊藤君。



「愛しています。伊藤君。ずっと傍に居てください。」

 

 

                             Fin


          七条さん告白シーンを書いていて少し照れてしまいました。
          他のCPはベストエンディングからの設定なんですが、七啓のみ
          グッドエンディングので書いてます。(親鳥・・の方ですね)
          啓太君、初々しい・・・とはちょっと違うような感じ・・・乙女?
          幼稚園児の啓太君、可愛いでしょうね。





いずみんから一言

幼稚園児の啓太くんは本当に可愛いだろうなと思う。
「癒し」ということばがある。
七条クンにとって啓太は「癒し」の存在なのだろう。
癒されている感覚が、夢の中で幼稚園児の姿をとったのだと思う。
西園寺さんでは絶対に得られないものだ。


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