ちょっとだけ‥



 

 二人で暮らし始めてから、花を買う習慣が出来た。
 玄関に少し飾る為のスペースがあって、そこはずっと空間のままで何か淋しい気がしてたんだけど、なにを置いたら良いのか良く分からなかった。インテリアに凝ったことなんてなかったし、英明さんは色々飾るのが好きじゃないし。
 だから暮らし始めてしばらくはその場所はなにもないままだった。

「あ、綺麗。」
 珍しく外でご飯を食べて、二人並んで夜の町を歩いていた時のことだった。
 3月下旬の暖かい夜。俺は少しだけと飲ませてもらったワインで気持ち良く酔っていた。
 東京の繁華街は遅くまで花屋さんも開いていて、店先に飾られた紫の花に俺は見とれてしまったのだった。
「なんだ?」
「買ってください。」
「お前なあ‥。」
 嫌そうに額に皺を寄せて、英明さんはそれでもその花を買ってくれたのだ。
 両手に一杯。生けるものが無いから‥とシンプルな白い花瓶まで買ってくれた。
「いいんですか?」
「卒業祝いの代わりだ。」
「え‥?へへ、ありがとうございます。」
 花束を抱えて俺は嬉しくて笑顔になった。
 卒業した日に籍を入れて、俺は中嶋啓太になった。
 あの日もらった指輪は、俺にとっての卒業祝い。
 俺の大切な宝物なのだ。
「嬉しいです。英明さん。」
 花束を抱え、俺は頭を下げた。
「ふん。帰るぞ。」
 あっさりとそう言い捨て歩きだす背中が愛しくてたまらなかった。

 部屋に帰って、花を生けて、玄関のあの場所に飾った。ちょっとだけ淋しかった場所が華やかに彩られ、俺はとても幸せな気分になった。



 あれから、花を絶やした事がない。
 空っぽの花瓶じゃ淋しいし、他の物でその場所を埋めるのも嫌だった。
 花を飾ることを英明さんは、少女趣味だな‥と笑ったけど、止めろとは言わなかった。
 
 英明さんが花を買ってくれたのは、あの日だけだったけど、新しい花を飾るたび、俺は幸せな気持ちになる。
 あの夜と同じ幸せな気持ちになる。



「おかえりなさ‥。」
 三月初旬のある夜、英明さんを出迎えた俺はその姿に絶句した。
「ほら。」
 嫌そうに額に皺を寄せ、花束を差し出した。
「これ‥。」
 あの夜と同じ、紫色の花。
「どうして?」
 首を傾げ聞いてみた。覚えていてくれたのだろうか?もしもそうなら嬉しいんだけど。
「たまたまだ。」
 そう言いながらコートを脱ぐ背中が、本当の事を教えてくれた。
「結婚して1年たっちゃいましたね。英明さん。」
 花束をテーブルに置いて、背中に抱きついた。
「大好きです。英明さん。」
 言いながら、ぎゅっと抱きついて目を閉じた。
 幸せすぎて泣きたくなった。


いずみんから一言

以前、拍手に入っていたものを、みのりさまが旅立たれたあとに
妹のとうこさまの手によって復活されたもの。
おかげで収録することができた。
とうこさまには感謝してもしきれないくらいお世話になっている。
こういう妹を持てたみのりさまは、それだけで幸せであると思う。

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