独り言。  



 お盆休みで帰省していた。
 たった三日間の休み。明日はもう東京に戻る。短い夏休みだった。
 田舎を出てから初めてお盆休みの帰省なんてものをした。
 電車が混むし、休みが少ないから・・といつもは帰らずにいたのに、なぜだか今年だけは帰ろうか・・・そんな気になったのだ。
「達也?電話だよ。」
 畳の上でごろごろと暇をもてあましていた俺は、その声でのろりと身体を起こした。
「ん?はい。変わりました。」
『達也君?』
 知らない声だった、いや、違う。なんだか懐かしい声。
「え?」
『突然ごめんなさいね。あのね、仙川幸一の母です。』
「え?ええ?あ、ごぶさたしています。」
 電話だというのに、俺はぺこりと頭を下げた。
『あの、突然で申し訳ないのだけれど、家に来てもらえないかと思って。』
「え?」
『幸一が帰ってきたの。』
「す、すぐに行きます。」
 返事を待たず、電話を切ると俺は家を飛び出した。
 幸一!
 自転車を使うとか、おやじの車借りるとか、そんな事考えつきさえしなかった。
「はあ、はあ。」
 サイズの合わない、父親のサンダルを突っかけた足で、俺は全力疾走していた。
 自転車だと15分。歩けば30分以上かかる距離を、俺は夢中で走った。
 ジリジリと日差しが照りつける。緑が多い田舎の土地でも、アスファルトの道路の上は、焼きすぎたフライパンみたいに暑くて、俺は倒れそうになりながら、それでも走った。
 幸一!幸一が帰ってきた。
 夢かと思った。もう逢えないと思っていた。
 幸一。
 逢いたかった。ずっと、ずっと逢いたかった。
「お、おばさん。こう・・はあ、はあ・・・幸一は?」
 息を切らせてドアを開ける。
「ありがと、来てくれて。まだ誰にも知らせてないの。幸一・・・きっと達也君に一番最初に逢いたかったんじゃないかなあ?って・・・そうおも・・・思って。」
「おばさん?」
 ふいに、線香の香りが鼻に付いた。
「おばさん?幸一は?幸一はどこ?」
 帰ってきた。
 確かにおばさんはそう言った。
 帰ってきた。
 なのにおばさんは、逢いたかったんじゃないかなあ?って言った。
 逢いたいって言ってるではなく・・・だ。
「ね、幸一は?幸一元気なんだよね?」
 元気なら、何故自分で電話をよこさない?
 元気なら、何故・・・・・。
「あのね、幸一はね・・・。」
「え?」
 線香の香りが鼻について、俺は気分が悪くなった。
「・・・。」
「幸一は、樹海で見つかったの。」
「え?」
「樹海でね、年に一回。地元の人たちがボランティアで捜索をしてくれるんですって、でも広いから全部って訳には行かなくてね、今年は運よく幸一が居たところを探してくれたみたい。でもね、見つかったけど、でも、なにもね、身元を判別できるものが無くて、唯一、眼鏡のケースにね、光視堂さんの電話番号と名前が入ってて、それでわかったの。幸一だって。」
「おばさん?」
 何を言っているのだろう?身元を判別する?それは一体・・・。
「さっき受け取って帰ってきたの。これから役場にもいかないといけない・・。」
「おばさん?言ってる事がわからないよ。」
「あのね、樹海でね、自殺してた。」
 自殺してた。
 確かにそう聞いたのに、俺はその意味が理解できなかった。
「え?」
「ふふ、今年帰ってきてくれるのはね、夢に見たからわかったの。」
「夢?」
「うん、お盆の頃になるとね、幸一の夢をみるの。毎年七日。」
「7日?」
「そう、七日の朝。でも幸一は、ドアから決して中に入ろうとしないの。『お帰り幸一。待ってたんだよ。』そう言って手を引こうとするのに、手にもさわれないの。」
「・・・・。」
「だけどね、今年は違ったの。ドアを開けたら幸一が立っていて『お母さんただいまやっと帰ってこれたよ。中に入っても良い?』って聞くの。だから『勿論だよ。ここはお前の家なんだから。』ってそう言ったら。『ありがとう。俺ね、ここの家の子に生まれて嬉しかったよ。父さんと母さんの子供で嬉しかったよ。・・・・それだけは本当だから覚えていて欲しいんだ。』ってそう言ってね。靴を脱いで家の中に入ってきたの。」
「・・・・。」
「目が覚めて、思った。幸一帰ってくるんだなって。そう思ったから、覚悟決めたの。」
「覚悟。」
 覚悟なんて、俺は決められない。
「ねえ、達也君中に入って。」
「はい。」
 靴を脱いで、家の奥へと入る。
 古い田舎の家。元は大きな農家だったという幸一の家。
「・・・・。」
 仏間に通されて、俺はその衝撃にギュッと目を瞑ってしまった。
「幸一。達也君が来てくれたよ。」
「・・・・。」
「達也君?幸一にお線香上げてくれる?」
「・・・・・幸一なんですか?本当に?」
 小さな白い布でくるまれた箱があった。
 幸一の先祖の写真がぐるりと囲む薄暗い仏間の、花や供物に囲まれた仏壇の中の、小さな小さな箱。
「幸一・・・・。」
 へたりと畳みに座り込む。
「幸一・・・なんで?」
 仏壇の前に置かれた小さなテーブルの上に、見覚えのあるリュックが乗っていた。
 俺が幸一の誕生日に上げたやつだ。薄汚れてて、変色してるけどわかる。幸一が居なくなった年に、それも幸一の部屋から消えたんだから。
「これ、これがねあったの。」
 遺留品。目の前に置かれた現実だった。
 恐るおそる、それらを手に取ってみる。
 眼鏡のケース。俺とお揃いだった財布。薬が入っていたらしい小さな瓶。ミネラルのボトル。歪んでしまった眼鏡。さびてしまったキーホルダー。あとは・・古ぼけた写真が二枚があったけど、色が悪くなりすぎて何が写っているのかさえよく分からなくなっていた。
「眼鏡のケースにね番号が振ってあるんですって。それが眼鏡を作った時のカルテの番号なんですって。だから分かったの。」
「そんな・・・。」
「大樹に抱かれるように、幸一は居たんですって。」
「・・・。」
「あの子は・・・・几帳面で優しい子だった。」
 涙が流れた。
「いなくなる前の日に、自分の部屋を片付けて、手紙も何もかも処分して。覚悟を決めて出て行ってしまったのよね。それが分かっていたけど、納得できなくてね。」
「・・・こう・・・。」
「八年かかった・・達也君大人になったんだね。」
 その言葉に小さく首を振る。
「ね、幸一にお線香上げてくれる?」
「・・・・・こういち・・・・・。」
 居なくなったのは18の夏だった。夏休みが後3日で終わるって日の朝、おばさんから電話が掛かってきた。『幸一がいないの。家に帰ってこないの』って・・・。
 あの日から、いくら待っても、幸一は帰ってこなかった。
 俺は、幸一が居ない町にいるのがつらくて、東京の大学を受験して、そして逃げ出した。
「達也君?」
「・・・なんでだよ。・・・幸一・・・なんでだよ。」
 あの時も思った。なんで置いていったんだよ。なんで、俺を一人にしたんだよ。
 毎晩毎晩、哀しくて哀しくて泣きながら眠った。
「死ぬなんて・・・俺・・・・俺傍に居たのに、いつだ・・・て・・・お前の傍にいたのに・・・幸一・・・。」
 白い箱を抱き締める。硬い軽い箱。その感触が俺を冷静にさせた。
「達也君。」
「・・・・ごめんなさい。俺・・・・。」
「いいのよ。達也君。あなただけが幸一の友達だったんだから。幸一にだって分かってた筈なのよ。達也君が傍に居てくれてるって事。」
 だけど幸一は俺を置いていなくなった。
 それは多分俺のせいなのだ。幸一の気持ちに答えてあげられなかった俺のせい。
 友達だった。大切だった。いつも一緒に居た。
 箱を元に戻して、線香に火を点ける。
「・・・幸一・・・。」
 居なくなって気が付いた。幸一を好きだったことに。
 本当にちゃんと好きだったことに、居なくなってから初めて気が付いた。
「幸一。」
 苛められっ子だった幸一を庇って、そうして傍にいるだけだと思っていた。
 傍にいれば気が付くんだ、幸一がちょとのんびりした性格で、でもとっても優しくて良い奴だって事。だけど子供だった俺達は、自分達ののスピードに付いて来れない幸一を、群れの中から排除しようとした。
 弱いものを苛めて追い出そうとする、それが嫌で、俺だけが幸一の側についた。
 卑怯な事するのが嫌なんだ、そう自分に理由をつけていたけど、本当は幸一がどんどん笑わなくなってきたのが嫌なだけだった。とやっぱり後になって気が付いた。
 俺が傍にいることで、幸一がまた前のように笑うようになったのが嬉しくて、だから俺は気が付かなかったんだ。幸一が悩んでいたことに・・・。
「ありがとうね、達也君。」
「いえ・・。」
「お葬式は・・・お坊さんを呼ぶだけにするから・・・だから・・・。」
「はい。」
 頭を下げて、そして俺は幸一の家を出た。
 トボトボと一人あるく。
 長い道。
 『何か形見分けに持って言って』と通された幸一の部屋は何も変わっていなかった。
「幸一・・・・。」
 橋を渡ろうとして、川原に向かう。
 コンクリートで固められた地面に座り。ぼんやりと手の中の物を見つめた。
「お前ばかだよ。」
 居なくなる前の日。たった一度だけ、幸一とキスした。ふざけてキスした。
 軽く触れるだけのキスだった。
『・・・達也?ごめん。』
『なんだよ?』
『あのさ・・・・達也、俺嬉しかったよ。達也が何時も俺の傍に居てくれた事。』
『はん、居るさ友達だからな。』
『うん。ありがとう。』
『ばーか、礼なんて言うなよ。当たり前だろ?』
『当たり前、そうだね。うん。』
 幸一が泣きそうだったから、俺は何も言えなくなって、ただ肩を抱き締めるしか出来なかった。抱き締めて何度も何度も髪を撫ぜるしか出来なかった。
『俺、達也と逢えてよかった。』
 そう言って笑って、そして次の日幸一は姿を消したのだ。
 俺は莫迦だったから、幸一が何に悩んでるのか気が付かなかった。
 居なくなってから色々と考えただけだ。
「お前、俺を呼ぶならちゃんと夢に出てこいよ。」
 なんとなく帰ろうと思った。面倒だけど今年は帰ろうと思った。
 幸一が呼んだのだと、箱の前で思った。
「俺は長生きするからな、お前が幾ら待っても俺、中々そっちに行かないからな。」
 空が赤く染まり始めていた。
「幸一・・・。」
 大樹に抱かれるように、幸一は居たという。
 大きな大きな古い樹に抱かれるようにして、幸一は逝ったのだ。
「幸一・・・っ。」
 一人逝った大切な人を想って、俺はただ涙を流す事しかできなかった。

                                      Fin
                                                    05.08.14

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         暗い話を書いてしまいました。
         お盆なのでね。
         思い出してあげるのも供養の一つだと昔聞いた事があります。
         思い出せるようになる事が供養なんだってさ。
         でもそう言われて、はいそうですかとは、人間なかなか上手くいかないものですが。
        
         以前、おまけの部屋というものを作っていたのですが、今回リニューアルに伴ってそれを
         撤去してしまったので、オリジナル部屋に持ってきてみました。








いずみんから一言

取り込みをしながらずっと我慢してたのに。本当に我慢したのに。
最後のコメントで大泣きしてしまった。
「でもそう言われて、はいそうですかとは、人間なかなか上手くいかないものですが」
分かってんだったら私には要求しないでよね。
「泣いて悲しむのは供養じゃないからね?」って言われても泣いてるし
「思い出せるようになるのが供養」と言われても思い出さない。

いつも一緒にいるから、私は「思い出して」いないよ。
話しかけたらいつもそこにいてくれるから、だから私は思い出さない。
……供養してねーな。私。

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