迷 路〜思い違い・七条&和希サイド〜


                    (1)

「失礼します。」
 突然の来訪者に、西園寺の美しい眉がピクリと反応した。
「おや、理事長。あなたに報告しなければならない、書類は今のところありませんよ?一体何の御用です?」
「・・・七条は?どうした?」
 いつもの、啓太に見せる学生の顔ではない。いまここに居る男は、鈴菱和希そのものだった。
「ふん、いつもそういう顔をしていたら、成瀬にまとわりつかれなくて、よろしいんじゃないですか?」
 ピリピリとした空気をまとわり付かせ、無遠慮にソファーに座る和希に、西園寺は冷たい視線を送りながら、言葉を吐いた。
「・・・なにが言いたい?俺は喧嘩を売りに来てるわけじゃないぞ。」
 そう言いながら、和希は敵意剥き出しの視線を西園寺に向け足を組みかえる。
「くす。臣は海野先生の手伝いで生物室に行っています。そうですね、あと一時間は戻らないでしょう。」
 美しい薔薇には棘がある、それは、西園寺にぴたりと当てはまる。本来、啓太のことがなければ絶対に仲良くしたくない、という双方の思惑通り、その言葉には、棘があった。
「そうか。」
 安堵の溜息をつく和希に、西園寺は不思議そうな視線を送る。
「臣に用事ではなかったんですか?」
 昨日の今日だ、てっきり和希は七条に言いがかりを付けに来たのだと、西園寺は思っていたのだ、だから最初から敵意を見せた。
 それなのに、違うのだろうか?
「そうだな、いなくて助かったというべきか、なんというか・・・だな。」
「・・話の内容は、啓太に関係するという事で間違いないのでしょう?」
「それ以外何があるというんだ?」
 昨日、啓太は和希を連れて、会計部にわざわざ言い訳をしに来たのだ。
『課題が溜まっているので、しばらくここには来られません。』嘘をつくのが苦手というより、隠し事がまったく出来ない啓太は、必死にそう言ってそして俯いてしまった。だから、一緒に来た和希も、話を聞かされた西園寺も、その嘘に騙された振りをするしかなかった。
「本当に課題が進んでいないのか?」
 言い訳の『課題』の量は、和希が見た限り、数学と英語のテキストが一冊ずつ。確かにこの学園であまり優秀とは言えない成績の啓太にとっては、膨大な量の課題と言えなくはないのだが、だからと言ってそれで、恋人と逢う時間を全て削らなくてはいけない、などと悲壮に思うほどの量ではなかった。
「いや、昨日かなり必死にやっていた、あのまま頑張りさえすれば、提出期限前にちゃんと終わるだろうね。」
 分からないところは、和希に聞いて、それなりのペースで問題を片付けていたし、あのまま進めば、ちゃんと提出期限前には出来上がるだろうと和希は思っていた。
「・・・じゃあ、やっぱり、臣になにか。」
 嘘だろうとは分かっていた、だが、実際そうだと聞くと、幼馴染の反応が容易に想像が付くだけに、西園寺は頭を抱えずにはいられない。
 昨日、啓太からの伝言を伝えただけで、七条は今まで観たことも無いくらいに激しく動揺していたのだ。これ以上下手な情報を与えてしまったら、どんな暴走を始めるか、分かったものじゃない。
「・・・さあ、詳しくは解らない。ただ酷く落ち込んでいた。」
 和希は昨夜の啓太の様子を思い出し、無意識に深く息をついた。
 啓太は回りに心配されるのをとても嫌うので、本当はあんなふうに弱音を吐いたりしない子なのに、なのに、昨夜は違っていた。
『和希、俺ってなにかとりえってあるのかな?』
 しょんぼりとうなだれて、今にも泣きそうにそう聞いてきたのだ。
「落ち込む?」
「そう、学園での立場とか、そういう事で悩んでいるようだった。それが落ち込みの理由の一つだという事だけは分かったんだけどね。ただそれだけが理由じゃないらしい。」
 些細な事の積み重ね、それで落込んでしまったのではないだろうか、それは昨日和希が出した結論だった。
「立場ね、確かに微妙ではある。」
 理事長の権限で、啓太を学園に招いた。一芸に秀でたものだけを選抜し集めた学園。その中で、啓太の立場は微妙で、確かに何故ここにいられるのか?と言われると、はっきりした答えは出せない。
「確かに啓太は、勉強もなにもとりえはない普通の生徒だが。でも、それを今更悩んでどうする?」
「それはそうだが・・・。ただ、悩みの元を考えているうちに、そういうどうでもいい事まで、悩みだした・・・ということだろうな。」
「ふむ。本当の原因は違うところにあると。」
「たぶんね。自分の立場とか能力とか、そんなのは悩みのおまけみたいなものだと思うんだ、はっきりそうだとは言えないけれどね。」
「・・・やっぱり臣が何か言ったのかな?」
「七条は、啓太に対しては、ありえないくらいに優しいし、心を傾けている。だから、七条が何か困らせるような事を言ったとか、悲しませてたとは思えないのだけれどね。」
「でも、臣が居ない事を、喜んでいたようだった。」
「確かに。」
 確かに、七条の不在を啓太は喜んでいた・・というより居なくてホッとしているように二人には見えた。
「理事長?」
「なんだ。」
「あなたは、何を望んでいる?啓太のどのような幸せを。」
 これはいい機会だと云って、啓太を自分のものにしようと思っているんじゃないのか?それならそうとこっちにも考えがある。一旦は収めた棘を,西園寺は再び言葉に含め、和希を見つめる。
「・・・啓太の幸せ。そうだな。形はどうでもいい。相手もね。」
 けれど返って来たのは予想外の答えだった。
「自分自身じゃないから?自分を選ばないなら、どうでもいい?」
「そこまで愚かじゃない。俺は今、啓太を恋人として欲しいとは思ってなどいない、過去は確かにそうだった。でも、今は違う。」
「?」
「俺にとって、啓太は良心だ。疲れた心と身体を癒すオアシスであり、嵐の海をさまよう船の、一条の光のようなもの。俺にとって必要なのは、啓太が俺の傍に居る事ではなく、啓太がいつも笑っていられるという事それだけだ。」
「ふうん?」
「だから、啓太を傷つけるものは許さない。」
「臣は、啓太を傷つけたいとは思っていない。」
「だが、あいつは不安定だ。自分自身が思っているよりももっともっと不安定で、それ故に啓太を・・・まあ、それも啓太が選んだ事だから、仕方がないとはいえるけれど。でも、それでも心配なんだ。」
「・・・気苦労が耐えないな。保護者としては。」
 嫌味とも、同情ともとれる言葉を和希は笑って受け止める。
 親ばかだと思う。啓太は自分でちゃんと考えられる人間だというのに、それでも心配なのだ。莫迦なことをしている自覚はあるのだ。でも・・。
「どうせ親ばかだよ。笑いたいなら笑えばいい。だけど俺は、啓太を傷つける人間を許さない。啓太はもう大人だ。大人として、七条を選んでそしてこの学園にとどまる事を選んだ。そんな事は十分理解しているつもりだ。俺は啓太を恋人にしたいわけじゃない。俺はただ守りたい。啓太の笑顔を、ただそれだけだ。」
 心配なのだ。あの優しい天使のような子供を、傷つけたくない。
 だから、愚かだと思っていても、心配してしまうのだ。啓太の保護者として。
「そうか。」
「・・・。」
「で?私に何を依頼したいと?」
「七条が暴走しないように、下手な情報を与えないで頂きたい。」
「暴走?ああ、解った。」
「それと。」
「なんだ?」
「中嶋が、啓太に近づかないように、協力して欲しい。」
「中嶋?」
「ああ、あいつは啓太に興味を持っている。七条が傍にいないと知れば、すぐに手段を講じてくるだろう。」
「それは・・・確かにそうだが、でもだからと言って啓太がその誘いにすぐに乗るとは限らないだろう?」
「いま、啓太はとても不安定だ。しかも七条が近くにいない、中嶋の毒牙にかかるのは、とても簡単な状況だ。中嶋も啓太にだけは優しいからな。本人が意識しているかどうかは分からないが。それに、啓太が落込んでいるのをほっておく人間じゃない。どんなささいなチャンスも利用する男だ。」
「なるほど。それは私にとっても本意ではないな。」
「頼めるかな?」
「了解した。」
「・・・・ああ、それともう一つ。」
「なんだ?」
「啓太が、君を頼っても、あまり優しくしないで欲しい。」
「どうして?」
「七条がらみのことで、君のアドバイスを貰って解決してしまって、自分が考える事を止めてしまうのは、啓太のためにはならないからね。」
「ほお?甘やかすばかりの保護者と思っていたが?」
「・・・可愛い子に旅をさせよ、というタイプですよ。俺は。だからこの学園に呼んだ。啓太の未来のためにね。・・・でも今はそれが良かったのか、悪かったのか、それすら俺自身にもわからない。」
 自嘲気味に、溜息をつくと、和希は立ち上がる。
「さてと、仕事だ。」
「相変わらず、忙しいな。よくそれで身体が持つな。」
「好きでしている事だからね。」
「ほお?その好きでやっていることに、恋愛は入らないのか?」
「何が言いたい?」
「ふん、青少年法を気にするあまり、思い人に手が出せない。あわれな大人をからかっているだけだ。」
「青少年法ね。そんなもの、啓太を好きになったとき無視する事に決めた。」
「成瀬はいい人間だと思うぞ?お前がどんな人間だろうと、あいつは変わったりしないだろう?啓太と同じだ。」
「・・・・関係ないですよ。どんな人間だろうと。鈴菱和希に恋愛は必要なものではありませんから。」
「ふん、じゃあ遠藤和希としてすればいいだけだろう?」
「それは、もっと無理です。・・・・・それじゃ。」
 学生の顔に戻り遠藤和希として、部屋を出て行く男を、西園寺は深い深い溜息とともに送り出した。
「あいつ、多重人格なんじゃないのか?」
 鈴菱和希、遠藤和希。それぞれ、全く違う顔を持っている。
 話し方も、考え方も、行動パターンさえ違う。
「屈折してるのは、あいつだけじゃないにしろ、やっかいな人間ばかりに好かれるな、啓太。それもお前の運の一つなのか?」
 その中に、自分も入っている自覚はあるにせよ、そう言ってしまうのは、西園寺の人の良さかもしれない。
「啓太?一体何を悩んでいる。」
 大切な可愛い後輩を思い、西園寺は深く溜息をついた。

    (思い違いの、七条さんが啓太君の部屋に来るまでの一週間の話です。
     なんだか思っていたより、七条さんが落込んでいてどうしようか、という
     感じですが・・・。ちょっと長くなるのですが、お付き合い頂けると嬉しいです。)



                    (2)


「はあ。」
「あれ〜、七條君何を悩んでるの?」
 暢気な声が、教室に響く。
「いえ、別に。」
「ふうん?そういえば、今日は伊藤君一緒じゃないんだね。」
「課題がたまってるそうですよ。」
 笑顔が引きつりながら、なんとか返事を返す。
 啓太が昨日から傍にいない、それだけで七条は、気が狂いそうになっていた。
「へえ。大変だね。じゃ、僕の授業の課題は、もう少し後にだそうかな。」
「・・・いいんですか?」
「うん。七條君が、伊藤君とデートできなくなると、こっちを手伝ってくれなくなっちゃうからね。」
 にっこりと、そんな事を言う海野に、七条は苦笑いを返す。
「伊藤君は、可愛いよね。」
「そうですね。」
「僕もああいう、恋人が欲しいなあ。ね、トノサマ。」
「ぶにゃん。」
 大きな猫を、ひざに抱きながら、海野はレポート用紙をチェックする。
「ああ、そういえば、トノサマ昼間、伊藤君とランチしたんだよね。」
「本当ですか?」
「うん、中庭で、伊藤君一人でお弁当食べてたんだって。ね、トノサマ。」
「ぶにゃ。にゃおおん。(そうそう、お弁当クレタ。あいつ食欲ないんだってさ。俺ちょっと心配だった。)」
「食欲がない?伊藤君が?」
「ぶにゃぶにゃ(そうそう、元気なかった。いつもみたいに笑わないから、俺、心配だった。お前はなんであいつの近くにいない?)」
 遠慮の無いトノサマの質問に、
「それは・・・課題の邪魔をしたら申し訳ないから。」
 と自分に言い聞かせるように返事をするしか出来なかった。
「ぶにゃーん?なぉぉん・・うな?(ふん?あいつはもてるぞ?分かってるか?一人にしとくと他の人間がよってくるぞ?例えば、眼鏡のあいつとか)」
「・・・・。」
「トノサマ言い過ぎだよ。ごめんね七條君。」
「いいえ。いいんですよ。海野先生。」
 そういいながら、七条のいつものような流れるような、タイピングがぴたりと止まっている事に、海野もトノサマも気が付いていた。
「トノサマ?もっと役に立つ事話さなかったの?」
 慌てて海野がトノサマに助け舟を求める。
 どんな事にも動じない人間である七条の、唯一の弱点が啓太であることを、嫌というほど海野は教え込まれてきたのだ。
「ブニャ。ニャオオン(そうだなあ、なんかウザイとか言ってたな。)」
「ウザイ?」
「にゃあ、にゃおん。(後は知らん)」
(約束だからな、これ以上話せないんだ。啓太が自分がそう思われてるじゃないかって不安になってる・・なんて七条には知られたくないっていうんだから、仕方ないだろ?)
 トノサマが心の中でそんな事を言っていたのも知らず、七条は一瞬で死人のような顔色へと変化した。
「・・・・・ウザイ・・・。」
 それは、・・もしかして、僕をウザイと思ってるのだろうか・・・。
 七条の顔面が、珍しく青白くなっているのを、海野はすっかり見逃していた。
「へえ、伊藤君でもそういう風に、誰かを思うこと、あるんだ。」
「にゃおん(俺に言ってたわけじゃないぜ?ま、世間話としてしてただけだ、別に誰かを特定して言ってたわけじゃないからな。)」
(もしかして、俺、不味い事言ったか?でも可愛い啓太が絶対に言わないでくれって言った事なんだから、俺これ以上は口が裂けても言えないぞ。)トノサマが内心慌てている事も知らず、
「トノサマにじゃないと思うけど、まあ、伊藤君はもてるから、いやだって思うこともあるのかもね。」
 などと、海野が追い討ちをかけるような発言をしてしまったから、七条の顔色は益々悪くなってしまう。
 嫌だって思うこともある。それって、それって・・・・。
「先生?」
「ん?」
「今日は、ちょっと用事を思い出したので、また明日でもいいですか?」
「ああ、もちろんいいよ。じゃ、明日よろしくね。」
 青白い顔の七条に、海野は引きつった笑顔を浮かべうなずく。
 もしかして、トノサマものすご〜く不味い事を言っちゃったってたり・・しないよねえ?その想像が当たっていないように・・・と海野は心の中で、祈るしかなかった。 
「はい。」
 にっこりと、嘘の笑顔を貼り付けてうなずきながら、七条は部屋を後にした。
 頭の中に、大きな鐘の音が、鳴り響いているようだった。
「啓太・・・僕を、そんな風に思ってたんですか?」
 だから、距離をおきたくて、会計部に来なくなってしまったのですか?
 恐ろしい事だと思う。だけど・・・・もしも本当にそうだとしたら、どうしたらいいのだろう。
 何処をどう歩いたのか、よく分からないまま、七条は会計部室にもどると、固まった笑顔を貼り付けたままドアを開けた。
「ただいまもどりました。」
「臣・・・・・。早かったな。」
 昨日以上の、硬直した笑顔の七条を見つめ、西園寺は今日何度目か分からない溜息をついた。
「ええ、海野先生の都合で、明日になりました。」
「ふうん?」
「・・・郁?」
「なんだ?」
「伊藤君は、何時になったら、ここに来てくれるんでしょうね。」
「さあな。」
 そんな事分かるものなら、自分に教えて欲しい位だ。
 シクシクと痛み出した胃を無意識に抑えながら、平静を装い西園寺は返事をするぐらいしか、方法を思いつかなかった。
「冷たいですね。伊藤君が来なくて、淋しくないのですか?」
「淋しいもなにも、来ないといってきたのは、昨日だぞ?一日や二日で終わる課題なら、ちゃんとそう言うだろう?」
 課題、課題なのだ、他の理由なんかない、ある分けない。このバカップルに、悩みなんかあるものか・・・。自分自身にそう言い聞かせ、西園寺はなんとか落込んだ七条を浮上させようと努力していた。
「確かに、しばらく来られないって言っていたのでしたね。」
「そうだ。」
「淋しいです。」
「そうは言っても。啓太にとっては、平均点をとるのだって、大変な事なのだから、仕方ないだろう?」
「それはそうですけど。」
 確かに、啓太にとって、テストで平均点をとるのさえ、困難な事ではあった。
「お前が邪魔をして、啓太に余計な苦労をかけるなんて事は、恋人として、避けないといけない事だろう?少しは我慢するんだな。」
「・・・そうですね。」
「・・・そう落ち込むな、啓太だって一日も早くお前に逢いたいと思っているだろうし、だからがんばって課題を早く片付けて、また何時もの様に、ここに元気な顔を見せに来るさ。」
 本当にそうあって欲しい。こんなに盛大に落込んで、鬱陶しい七条を傍に置くくらいなら、バカップルの惚気に当てられていたほうが、百倍ましだ。神だろうが仏だろうが何でもいいから、兎に角早くこの状態を何とかしてくれ。
 痛む胃を抑えながら、西園寺は本気で祈っていた。
「そうですね。」
 そういいながら、七条は親友の優しい言葉を素直に聞き入れられずにいた。
 ウザイんだって・・。海野が言った一言が、どうしても頭から離れない。
 ウザイ・・それは一体誰の事を言っていたんでしょう。僕のことなのでしょうか・・・。ウザイ・・・ウザイって思っていたんでしょうか。
 笑顔を作る事もできず、七条はただ肩を落とすしかなかった。
「郁?」
「なんだ?」
「・・・伊藤君はどうしてあんなに皆に好かれてしまうんでしょうね。」
「・・・なんだ?今更。」
「時々考えるんです。伊藤君が、僕だけにしか見えない人間ならいいのにって。」
「・・・お前は、本当に極端だな。」
 西園寺が溜息をつき、幼馴染を見つめる。
 大きな身体を、小さくしょげかえらせ、七条は今にも泣き出しそうに、幼馴染で、啓太以外の唯一の自分の理解者だと信じている、男に救いを求めていた。
「少なくとも、お前たち二人がそろえば、お互いしか見えてないのだから、そ
れでいいじゃないか。それ以上を望むのは、欲張りだ。」
 +++++『他の人間にはどう思われてもいい、郁だけが、僕のすべてです。』
 そう宣言し、言葉通り生きてきた幼馴染の昔の姿を思い出し、西園寺は再び、深い深い溜息をついた。
「・・・・。」
「啓太が望むのは、お前だ。それだけで満足できないのか?恋人として、啓太はお前を望んでいる。それで十分じゃないのか?」
「・・・・それでも不安なんです。」
「・・・ふん?お前は困った人間だな?臣。」
「え?」
「それを言う相手は、私ではないはずだろう?私に幾ら不安だと訴えても、これ以上の位置を臣に与える事などできはしない。だいたい、お前自身そんな事を望んではいまい?」
「それは・・・そうですね。」
 不安だからと言って、それを親友に解決して欲しいとは、七条自身思ってはいなかった。身体がばらばらになるような不安。それを解決できるのは、啓太以外にいない。それは七条自身が一番よく理解していた。
「郁。伊藤君は僕の傍にいる事が嫌になったんでしょうか?」
 トノサマにウザイと言っていたらしいんです、郁、啓太は僕自身に対してそれを言っていたのでしょうか?
 その質問に、郁なら笑って否定してくれるだろう、だけどその言葉を、七条はとうとう口に出すことは出来なかった。
「さあな。」
「・・・。」
「でも、啓太はとても正直な人間だ。」
「はい。」
「だから、もしも、本当に臣の傍にいられないと思って、ここに来なくなったのなら、はっきり、もう来ないと言うだろう。けれど、あの子は、しばらく来られない。そういっただけだ。だから、臣。」
「はい。」
「しばらく様子を見ていいのではないのか?」
「様子を?」
「そうだ、啓太は実際成績が良いほうではないのだし、我々には簡単に見える課題でも、啓太自身には、大きな問題なのかもしれない。臣の取り越し苦労という可能性だってあるのだぞ?」
「取り越し苦労?」
「そうだ、啓太は今、本当にお前の傍に早く来たくて、必死に課題を仕上げている最中なのかもしれないだろう?」
「・・・そうですね。」
「せめて、一週間様子を見て、それでも啓太が何も連絡をよこさないようなら、臣から行動を起こす。それでも遅くはないのではないか?」
「一週間?」
「そう、せめて週末、金曜日の夜まで。様子を見る。どうだ?」
「そうですね。・・・課題の邪魔をしたら申し訳ないですし。そうします。」
 不承不承。
 自分自身に納得を付けさせ、七条は幼馴染に笑顔でうなずいて見せた。
「臣?辛いだろうが・・・。」
「いいえ、ありがとうございます。郁。僕のどうしようもない愚痴を聞いてくださって、本当に、申し訳ありません。」
「いいや。啓太がかわいいのは私も同じだからな。」
「・・・郁がいてくれてよかったです。」
「ふん。じゃ、お茶でもいれてもらおうか?」
         

   (なんだか暗い展開になってますが、トノサマが頑固に約束を守ったりしなければ、
    話はこじれなかった、とも云うそんなお話ですね。)




                    (3)

「ふう。」
 会計部室を出て、そのままサーバー棟に向かうべく、和希は校舎を出た。
「あれ?ハニー!」
「・・・げ・・・・成瀬さん。」
 よりにもよって一番見つかりたくない相手に、かなり不利な状況で遭遇してしまう自分自身の運命を、和希は真剣に恨んでしまいたくなる。
「えっと・・・。」
 慌てて、でも不自然にならないように、ポケットの中で、携帯のメールを作り送信すると和希は、凍りついた笑顔をなんとか解凍しようと努力し始めた。
「成瀬さん。あの・・。」
 なんでよりにもよって、ここで逢うかな・・。ああそれよりも、啓太・・・どうして今ここに居てくれないんだ・・・。
 自分が、啓太に内緒の行動をしていたくせに、身勝手にも和希は、一人部屋に篭って落込んでいるであろう親友に恨みの念を送ってしまう。
「どうしたの?一人?今日授業出てなかったよね?」
 にこやかに、見とれてしまう位の鮮やかな笑顔で、成瀬は和希の前まで来ると、じっと顔を覗き込むから、和希はどうしたらいいのか途方にくれながら、
「ええ。少し調子が悪くて。」
 とだけ、なんとか答える。
 落ち着こう、落ち着こう。
 必死に平静を装い、息をつく。最近和希は、成瀬の前でうまく遠藤和希の顔を作れなくなってきていた。
「え?もう平気なの?」
「ええ、ちょっと提出物があって、それだけ出しに・・。」
 しどろもどろの答えが不自然でないわけが無い、だけど、他に言いようが無いのだから仕方が無い。
「ふうん?そうなんだ大変だったね、でも、こんなところで逢えるなんて、和希との運命を感じるね。」
 にっこりと、とろけるような笑顔で、成瀬は和希に笑いかける。
「・・・運命?俺にはそうは思えませんけど?」
 啓太が見たこともないような冷たい顔で、和希は成瀬を見つめていた。
「ええ?運命感じるだろ?ほら?・・僕たちの手は、こんなに互いを求めあっているのに・・・どうして君にはわからないの?」
 優しく、両手で、成瀬は和希の右手を包み込む。
「解りたくもないからじゃないですか?」
 乱暴に手を払いのけ、和希は、成瀬を睨みつけた。
「ハニー。」
「それは啓太に向かって言う言葉でしょ?相手が違います。」
 どんどん鼓動が早くなる、成瀬にそれを知られたくない。
「それは啓太もハニーだけど。君もだよ。」
「・・・そういうのを軽薄っていうんです。」
 泣きたくなる。どうしてこんな、心にも無い事を自分は言っているのだろう。自分の心に嘘をついて、和希は、成瀬を睨み続けた。
「・・・・。」
「俺、悪いですけど、軽薄な人間を好きになんてなれません。運命なんて軽々しく口にされるのも迷惑です。成瀬さん軽すぎます。俺はあなたの心を信用する事何か永久に出来ません。」
 心にも無いきつい事を言った。もう・・・きっと本当に嫌われた。
 和希は、ぎゅっと目をつぶり、そうしてうつむいた。
「・・・軽く見える?」
「見えます。すごく。」
 うつむいたまま、和希は、成瀬の顔を見ようとはしない。
「おかしいな、こんなに心をこめてるのに。」
 自分でも驚くほどの、悲しそうな声で、成瀬は和希に問いかけた。
「成瀬さんは、人気があるくせに、なにもこんな辺鄙な学園で、恋人を調達する必要は無いでしょ?啓太も俺も迷惑してるんです。」
 どうして、こんなに頑ななのだろう。いつも、いつも遠藤は僕に対して壁を作って接しようとしてる気がする。
 和希に気が付かれないよう、こっそりと溜息を付きながら、成瀬は言葉を続けた。こんどは意識して、強気な声で。
「啓太はそりゃあ僕にくどかれたらさ、七条がいるし、迷惑かもしれないけど、君はフリーでしょ?それでも迷惑?僕は、いつだって、啓太じゃなく、遠藤和希、君を口説いてるつもりなんだけど。」
 和希の言葉に、傷ついても、決して本人には分からないように、成瀬はわざと明るく、強気な声でそう言うと、肩にそっと触れた。
「迷惑です。俺、迷惑です。俺の大切なのは啓太だけだから。」
 泣きそうな声だ。遠藤がこんな声で話すのをもう何度聞いただろう。
 ゴクゴクたまにある、二人だけのこんな時間に、成瀬は何度も和希のこの声を聞き、そして哀しい気持ちになっっていた。
 どうしたら、いいのだろう。悲しませたくなど無いのに。
 成瀬は途方にくれながら、和希をただ見つめているしかできなかった。
「和希?」
「迷惑です。」
 顔をあげ、きっぱりとそう言うと和希はダメ押しとばかりに言葉を続けた。
「俺は、啓太が好きなんです。啓太以外は必要じゃないんです。」
 必要なのは、あなただ。そう言いたい。
 和希の瞳は、成瀬を見つめていた。
「・・・でも、啓太は今、七条のものだろう?」
「それでもいい。・・・・・あなたには解らない。どれだけ大切に思ってるか。それが報われる日が来なくていい。ただ笑ってる顔が見られれば、それで。」
 告白する事なんか出来るはずがない、だから啓太の名を借りて。大切だと、言ってしまおう。
「つらいよ。そんなの。」
「いいんです。それでも・・・・俺は好きなんです。一生・・・一生このまま思いを抱えて、それで平気です。だって俺は・・。」
 鈴菱を継ぐ者だから。その言葉は心の中にしまいこむ。
「そんなの哀しすぎるだろ?」
「哀しくない。成瀬さん間違ってます。報われるだけが恋じゃないですよ?」
「え?」
「その人が、幸せにしてるのを傍にいて、見ていられる。それだって幸せなんです。たとえ、その人と生きていくのが自分じゃなくても。俺はその人の、支えの一つになれるなら、俺はそれで満足なんです。」
「・・・・。」
「だから、邪魔しないでください。俺の生活に入ってこないで。」
「僕はそんなに邪魔かな?」
「邪魔です。」
「・・・・こんなに君を愛してるのに?」
「求めていない愛情なんか、押し付けられても迷惑なだけです。」
「和希。」
 どうしてこんなに頑ななのだろう。瞳に涙を浮かべてまで、拒絶する。
 成瀬は、途方にくれ和希を見つめた。
「和希?」
 それでも、なんとか言葉を捜そうと、頑なな心を何とかしようと、成瀬が口を開いた時、たくさんの書類を抱え、男が近づいてくるのが見えた。
「あ、君ちょっといいかな?」
「はい?」
「すまないけど、これを運ぶのを手伝ってもらえないかな?」
「え?」
 突然の申し出に、和希はきょとんと首を傾げてしまう。
「あの・・・?あなた・・・どなたです?」
 なんとなく見覚えのある人間に、成瀬は記憶を探る。だれだっけ?
「一人で大丈夫だと思ったんだか、重くてね、頼めるかな?」
 成瀬の質問には答えずに、男はにっこりと和希に視線を向ける。
「いいですよ。どちらまで行かれるんですか?」
 これ幸いと、和希は男に近寄り、書類の束を受け取る。
「サーバー棟まで。遠いけどいいかな?」
「ええ、勿論。」
「じゃ、僕も。」
 あわてて成瀬が名乗りを上げると、男は穏やかな口調で、でもきっぱりと拒絶した。
「ひとり手伝ってくれれば大丈夫だよ。ありがとう。」
「・・・。」
「じゃ、行きましょうか。」
「和希?」
「成瀬さん、失礼します。」
 ぺこりと頭を下げ、書類の束を抱え持ち、和希はさっさと歩き出した。
「すまなかったな。」
 成瀬が諦めて歩いていってしまったのを確認すると、和希は溜息をつき、低く言葉を吐いた。
「いえ、遅くなりました。」
「いや。」
 成瀬に見つかって、その後サーバー棟まで疑われずに来られる自信がなく、和希は、メールで救助を依頼したのだ。
「ふう。二重生活は疲れるね。」
「お好きでされてるんでしょうに。」
 くすくすと笑いながら言う秘書を軽く睨みつつ、和希も苦笑し答える。
「まあね。」
 サーバー棟の中に入ると、和希はとたんに、鈴菱和希の顔になる。
「和希様?そういえば体育祭のことなのですが。」
「体育祭?」
「ええ、来週末の会議で、アンケートの集計をとり、賞品を決めるそうです。」
「ふうん?」
「楽しそうですね。体育祭。」
「まあね、啓太は喜んでるけどね。」
「その日は、仕事も入れてございませんし。和希様も参加できそうですよ?」
「あのね、この年で、十代の人間に混ざってああいうものに出るってどれだけ大変か解ってる?ちっとも楽しくないから。」
「和希様は運動神経がよろしいですから、大丈夫ですよ。」
「そんな嫌味言ってると、来賓参加で、お前も走らせるぞ。」
「・・・それは困りますね。」
「ったく。困りたくないなら、見合いも断りをいれてくれる?」
「お断りになるんですか?」
「・・・あのねえ、今これ以上忙しくしたくないの。見合いして、即断るなんて出来ないだろ?」
「なら、事前に断るのも・・・。」
「いいんだ。話を断るだけなら。それに本人も結婚を望んじゃいないはずだ。」
「そうですか?」
「そ。だって彼女、付き合ってる人間いたはずだし。」
「ご存知なんですか?」
「双子の兄のほうを知っているってだけ。木崎光久。留学先で同級生だった。」
「千秋様はまだ二十歳前後と伺っておりますが?」
「向こうは、スキップして大学生をしてた。」
「はあ。そうですか。」
「彼の奥さんがとても可愛いんだよ。」
「ああ、昨年結婚されたんでしたね。」
「そ、なかなか素敵な結婚式だった。その時千秋さんと、その恋人にも逢っているし。いい人だよ相手、光久君の秘書を長年してる人間だ。」
「じゃあ、なんで見合いなんか・・・。」
「それは・・うちの伯母上が言い出したことだろうね。」
「え?」
「あの人、どうしても木崎とのつながりが欲しいらしいから。まあ、アメリカのマーケットに強気で参入したいなら、木崎とのつながりは欲しいところではあるけどね。」
「でも・・。」
「木崎ファミリーは、家族の結束が強い事で有名な企業だ。だから姫の望まない結婚はありえない。今回はただ気まぐれで話を受けたか何かだろう。恋人とけんかでもしたのかもね。」
「はあ。」
「だから、断っていいの。それがお互いのため。OK?」
「わかりました。」
「はあ、見合いなんて、鬱陶しいね。」
「そうですね。」
「いずれはそうして結婚しないといけないのだろうけど。」
 成瀬の顔が浮かんだ。どうしてだろう。諦めようとしてるのに、どうしても成瀬を嫌いになれない。成瀬の悲しむ顔を見たくない・・そう思ってしまう。
「・・・・相手を和希様が選ぶわけにはいかないのですか?」
「は?」
「・・・いつもお忙しくして、気の休まる時のない和希様に、愛のない結婚などして欲しくございません。たとえ鈴菱の役にたたなくても、和希様のことを一番に考える、そして和希様自身がその方の傍が一番安らげるという相手、そんな人間が傍にいてもいいのではないでしょうか?」
「お前ね。甘いよ。」
「そうですね。でも、そうして頂けたら・・と私は思っています。なによりそれが和希様の幸せだと思います。差し出がましいですが。」
「・・・ふん。鈴菱に生まれて、自分の幸せなんて考える余裕は与えられた事がない。そんなものは必要ないからね。」
「・・・・。」
「だから、今ここで学生をしてるのは我儘なんだよ。唯一の我儘。だから別に、結婚相手がどんな人間だろうと、かまわない。今、こうして自由にできているのだから。それで十分。」
「和希様。」
「そういう事で、仕事しようね。」
 机に座り、パソコンに向かう。
「・・・・。」
 恋人なんて望んではいけない。本気で望めば、相手に負担がかかる。
 啓太を望んだときは、その考えすら失念していた。それだけ、色んな事に切羽詰っていたのだと、今ならわかる。
「仕事だよ。」
「はい、和希様。」
 一礼して出て行く秘書を、横目で見ながら、和希はパソコンを操作し始めていた。やることは山のようにあるのだから、自分の事など、置いてきた成瀬の事など考える暇などない。
 忘れよう、どうしようもないのだから、忘れよう。
 和希は、自分自身にそう言い聞かせ、画面を睨みつけ続けるしかなかった。

         

     (和希が可哀想な事になっています。
      ごめんね、和希、成瀬さん。と謝りつつ書いてました。
      そして、名前だけですが、みのりのオリジナルキャラが出ています。)
          
      話はもう少し続きます。もう少しお付きあい頂けると・・・(T_T)







いずみんから一言

残念ながら未完である。
いつ頃に書かれたのかと調べてみたら、オープンして間なしに
Bまでupしてあった。
だから体調が悪くて書けなかった、ということはないと思うの
だが……。
みのりさまには唯一といっていい成和要素のある作品である。
ご遺作から見つかれば、是非、続きをupしたいと思っている。


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