住みついた猫を飼おうと思う 〜お題 10〜



「せんせ〜?」
 何度インターフォンを鳴らしても、先生の返事が無くて、なのに玄関の鍵は無用心に開いてるから、俺は恐る恐る家の中に入ったんだ。
 先生の住む家は結構古くて、玄関もドアじゃなく木枠の引き戸だったりする。これが結構重い。
 古い塀に囲まれた家。インターフォンと言うより呼び鈴って言ったほうが良い感じの古い作り。
 黒光りした木の廊下を、スリッパを鳴らしてパタパタと歩く。なのに先生がいるだろうと目指した二階の部屋に住人の姿はなくて、描きかけの絵だけが留守番してた。
「ちぇ、相変わらずいい色だしちゃってさ。」
 今描いているのはこの間行方不明になってた時に見つけたという山奥の沼。
 夏休みに何の連絡もなく、ふいっといなくなったと思ったら、一週間後に痩せて帰ってきたんだ。
 俺がすっげぇ心配してたのにさ。笑って「お土産」ってくれたのは東京駅に売られてる卵型のお菓子だったりするし、ふざけんな莫迦って感じだよ。心配するだけ損って感じ。
 それにしても、いい色だよなああ・・。
 木の間から差し込む光とか・・・沼の水の色の変化とか・・・描きかけの絵だってのに惹きこまれてしまう。いつまでも眺めていたくなってしまう。
「・・・あ。」
 思わずキャンバスに触れそうになって、慌てて手を引っ込める。
「そ、それより先生・・・。」
 あいつどこに行ったんだ?
「せん・・・あれ?なんだ?」
 話し声?外?近いぞ・・?
「せん・・・あ。」
 締め切ったカーテンを開け、窓から外をのぞくと、裏庭に先生の姿を発見した。
「あんなとこに・・。」
 あれじゃ、いくらインターフォンを鳴らしたって気がつくわけがないよ。
 急な階段を下りてスリッパをパタパタ鳴らして、裏庭に続く廊下を歩く。
「せんせ〜。」
 呼びつけておいて、買い物まで頼んでおいてなにやってんだか、あの人。
 どうも最近の先生は、自分勝手って言うか、なんて言うか・・だ。
「せん・・あ?」
 背中丸めてなにやってんだ?
「よう、祐。」
「ようじゃないよ。」
 縁側に座り込む先生の隣にしゃがんで顔を覗き込もうとして見慣れないものに視線を奪われた。
「猫?」
「そ。」
「飼ったの?」
「いや、勝手にココに住み着いてるんだ。」
「ここ?」
「そ、あの紫陽花の木の下あたりが好きらしいぞ。猫缶買ってきてくれたか?」
「好きらしいって・・・。」
 それで猫缶・・?おいおい。
「ずいぶん人に慣れてんだね。ソイツ。」
「そうだな。元は飼い猫だったのかもな。家の中にも入ってくるし、雨の日は外に出ないぞ。」
「そうなんだ・・・・って?それなに?」
「それって?」
「それだよ。なにそれ、動物虐待じゃないの?」
 猫の片方の耳に、青い星型のピアスがついていた。
「おいおい。物騒だなあ。」
「おいおいってさあ。」
「これは違うんだよ。これは避妊した猫の印。」
「え?」
「こいつ野良だろ?でさ、このあたりの猫好きおばさんが、この先の土手の所で野良猫に餌やってんだよ。」
「って?駅のとこの?」
「そ。こいつがそこに居る奴かは知らんけど、これをつけたのはたぶんその人だな。このあたりの獣医はそれつけるらしいぞ。」
「なんで?」
「だから、避妊した猫の印だって。手術した後、付けられるんだよ。」
「それって・・。」
「してるかどうかなんて、すぐには分からないからな、見分けるためだろ?」
「どうしてそんなこと・・・。」
「どうしって?ああ、避妊手術のことか?」
「うん。子供増やせなくなっちゃうじゃないか。」
「あのなあ。」
「そんなの・・・いいの?飼い猫じゃないなら、そんな事するのって・・。」
 なんか違うと思う。だって生き物は皆子孫を残すために生きてるんだぞ?違うのか?
「あのさ、それが良いとは思ってないだろうよ。あの人たちも。でもな、野良猫が増えれば保健所に連れて行かれて即処分されるんだぞ?餌がもらえなければ弱い子猫はすぐに死んじまう。こいつらだって、餌や寝るところがいつもあるとは言えない。病気だって怪我だってする。」
「それは・・・。」
 それはそうだけど・・・。
「全部家の中に保護してやれるならいいけどな。ペットが飼えない家だって多い。住宅事情が悪すぎるからな。特に東京は。」
「そうだね。」
「野良だった奴が飼われるのが幸せかなんて言えねえけどさ、殺されるよりはましだ。まあ、昔みたいにどこにでも野良が居て、それで共存できてた頃は良かったんだろうけどなあ。」
「うん。」
「今はそうじゃないだろ?だとしたら一匹でもそういう子を出さないようにって行動する事が、最善じゃなくても、良策って事になるだろ?」
「納得できなくても?」
「そうだよ。納得できなくても・・だ。子猫がいたら貰い手を探し回ってる。だけどそれだけじゃ追いつかない。だから手術をする。それが一番良い方法かなんてわからないけど。それがこの印なんだよ。」
 餌用なのか、プラスチックの皿に猫缶を開けて、食べさせながら先生が言うから、俺はなんだかしょんぼりとしてしまう。
「でさ、祐。」
「ん?」
「お前、猫って飼ったことあるのか?」
「ないよ。うちの親動物嫌いだもん。小さい頃外で触るのも怒られた。汚いから触るなって。」
 捨て猫を見つけて、こっそり家につれて帰ったことがあるんだ。そしたら、次の日にみつかって、そいつは保健所の人が連れて行ってしまった。母さんが連絡したんだ。俺に内緒で。
 悲しくって悲しくって、俺が拾ってさえ来なければ、あいつはもしかしたら幸せになれたかもしれないのに・・・そう思うと俺、凄く悪いことをした気がして一日中泣いていたんだ。
「ふうん。で?お前は・・?」
「俺?」
「そ。お前は、猫好きか?」
「わかんない。可愛いとは思うけど。殆ど触ったことすらないから。」
「ふうん?ま、いいか。」
「え?」
「俺さ、こいつを飼うから。」
「え?」
「だから、世話係その2はお前。」
「へ?」
「俺がその1.OK?」
 にやりと笑う。でも俺には意味が良く飲み込めない。
「だから、これはお前のもの。」
 しゃらりと手に載せられたのは、銀色の鍵が三つ。
「なにこれ?」
「玄関の鍵と、裏口の鍵。あと門の鍵。」
「え?」
 ってどういうこと?
「俺が居ないとき、お前が世話する。OK?」
「へ?」
「へ?じゃなくてさ。俺が絵を描きに出掛けたらこいつ餓死しちまうだろ?」
 しちまうだろって?
「だから、餌とか・・さ。」
「それだけ?」
 鍵ってそれだけの意味?
「せんせ?俺は猫みたいに飼ってくれないの?」
「お前は野良じゃないからな。」
 ちぇ・・・。
「だから鍵がいるんだろ?」
 え?
「そうだな。半同居って奴だな。うん。お前の居場所の鍵だ。」
 俺の居場所・・・。
 前に先生・・・そう言ってくれた。
 俺の居場所を作ってくれるって・・・。いつか作ってくれるって・・。
「半同居?・・・いいの?」
「ああ。」
 じゃあ、じゃあ・・・。
「・・・じゃあ、世話する。俺、先生のことも、猫のことも。」
「おいおい、俺の世話って・・・。」
「だって先生掃除下手糞じゃないか。」
 なんか泣きそうだ。
「ふん。それよりこいつの名前つけろよ。」
「名前?俺が付けていいの?」
「ああ、いいぞ。」
「じゃあ、じゃあ・・・え?オス?」
「そ、オス。」
「じゃあ。コタロー。」
「なんだそりゃ。」
「・・・・・俺が昔拾った猫の名前。」
「ふうん?」
 あの子は幸せに出来なかったけど。今度はちゃんと暮らす。こいつと。
「コタロー?いいか?それで。」
 抱き上げて、先生が聞くと『にゃおん』と鳴いて返事をした。
「いいってさ。良かったな祐。」
 先生が笑って言うから、俺は嬉しくなってしがみついた。
 住みついた猫と一緒に、俺の事も飼ってよ。せんせい。先生とずっとずっとここに暮らしたいよ。
 言葉の変わりに抱きついて、キスした。
「鍵なくすなよ。」
 先生は笑って頭を撫でてくれた。








みのりさまのご実家にも白いネコがいた。
14歳のおじいちゃんネコだ。
入院の直前、携帯の画像を整理したら出てきたと言って、
その写真を日記に up しておられた。
どんな気持ちで写真を整理してたんだろう、と思う。
そして。そのネコは今でも元気なんだろうかと思う。


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