空を見上げて





 色とりどりのゼリービーンズを炭酸水で流し込みながら、処理されていく数字をぼんやりとながめていた。
 ゴクリゴクリと炭酸水を飲み下し、無意識にポテトチップスの袋の封を開くとパリパリと食べ始める。
 塩味のきついそれと甘い甘いゼリービーンズ、そして炭酸水、郁が見たら顔をしかめて部屋を出ていきそうな組み合わせを僕は日常的に口にする。
 それは食の 好みというよりもはや癖といった類のものだと思う。
 煙草を吸う人間が手元にライターがないと落ち着かないように、僕は近くにこれらがないと落ち着けない。
 パソコンとこれらの食べ物。
 郁に言わせれば毒を食べているようなものらしいけれど、それが僕には精神安定剤がわりなのだからしかたがない。
 有名なお店の腕の良い職人が作ったケーキも、教育熱心な母親達が顔をしかめそうなジャンクフードも僕にとっては同じなのだ。
 ただあるから口にする。そして無いと落ち着かない。ただそれだけなのだ。
「・・・。」
 データー処理終了を告げる画面に切り替わり、小さなトノサマがひょこひょことディスプレイの中を動き回る。
「ふう。完了。」
 ノートパソコンの電源を落とし、温くなった炭酸水を飲み干し、チップスの袋を片付けると窓を開ける。
「雨になりそうですね。」
 もうすぐ大嫌いな梅雨になる。
 毎日毎日雨が降り、どこもかしこもジメジメとしているこの季節はいつまでたっても好きになれない。
「どうせなら一気に真夏になってくれたらいいのに・・。」
 その方がいっそすっきりする。天気のせいでなんだか気持ちが滅入るのだ。
「なんでこんなに・・。」
 気分が晴れないのだろう。
 何か忘れ物をしているような気分。なにか大事なことを見落としているような感覚がして落ち着かない。
「・・・イライラしますね。」
 どんよりとした空を見上げながらつぶやく。
 星の見えない空。どんよりとした雲が月の光を隠していた。
 この感覚はなんなのだろう。なぜこんなに・・・イライラしているのだろう?
「僕らしくありませんね。こんなの。」
 気分を変えようと、窓を閉めエアコンのスイッチを入れる。そうして冷蔵庫の扉に手をのばすと青い炭酸水の缶を取り出しプルトップを開けた。
「らしく・・ないですよね。」
 ゴクリと喉を鳴らし、炭酸水を飲み込んでいく。
 クーラーの冷気も、キツイ炭酸の刺激もイライラを沈めてはくれそうに無くて僕は少し途方にくれてしまう。
「明日・・・もう今日でしたね・・・。」
 ベッドに入ったものの眠れなくて、急ぎでもなんでもない海野先生の資料を作り始めたのだった。
 胸が騒ぐ。
 心と体のバランスが上手く取れていないような感覚に襲われながらも、キーボードに触れれば気持ちは変化するもので、気がつけば無心にデーターを打ち込み、作業を終えていた。
「海野先生のお手伝いも終了しましたし、今週はこれで暇になるでしょうし・・・。」
 頭の中で、会計部の仕事をシュミレーションする。
 学生会のあの二人がサボりさえしなければ、今月はかなり楽に仕事が進むはずなのだ。まあ、あの会長がサボらないはずは無いだろけど、前回、散々文句を言ったから、あの嫌味な眼鏡が今回くらいはなんとかするでしょうし・・・。無理なら無理でこちらが、攻撃する為の材料を提供してくれた事になりますからどっちにころんでも、悪い話じゃないですよね。
「あの会長も、サボり癖さえなければマシなのにねえ。」
 それさえなければ、郁だってもう少し態度を変えてくれるでしょうに。あの人、そういう計算はまるで出来ないタイプなんでしょうね。
「郁が期待してるって何故気がつかないんでしょうね、あの人。」
 ため息をつきながら、でもその方が良いと思ってしまう。
 郁にふさわしい人間じゃない。人が良いのは認めるが、乱暴で、粗雑すぎる。繊細な郁が傍においていい人間じゃない。
「なのに、郁はどこかあの人に期待してる・・・。どうしてか・・・。」
『私は誰にも期待しない。だから幸福でいられる。臣?それが正しいとお前も思うだろう?』
 自分自身に厳しい分、他人にも同じものを要求するのは郁の悪い癖なのだと思う。
 郁のような完璧な人間が他にいるはずがないのだから、それを望むのは無理なのだ。
 学園の女王様。麗しい女王様。
 郁はそんな事を望んだわけでは無いけれど、郁の周りはいつだって、華やかで麗しい人間が取り巻いていた。
 郁は完璧で、そして綺麗だった。始めて出逢ったあの日から、ずっと変わらずにそうだった。
「郁に近づこうなんて身の程知らずなんですよ。」
 傍に居ていい人間は、自分だけだ。
 僕だけが傍にいて良い人間なのだ。
 僕なら郁の役に立てる。郁の好みの紅茶を入れることも、気持ちを理解することも、僕なら出来る。
 僕に必要なのは郁だけなのだから、僕は郁の為なら何だって出来るのだ。
 だから、僕は郁の傍に居ていい。僕だけがそれを許されるのだ。
「なのに・・・なぜ心がこんなに騒ぐのでしょう?」
 郁が大切だと思う度、郁だけが僕に必要なのだと思うたび、心が騒ぐ。
 影がちらつく。
 郁への思いは、恋ではないともう今は分かっている。お互いそうだとわかっている。
 ただ必要なのだ。
 恋ではなく。愛情でもない。あるのは崇拝の心。郁の傍に居て役に立ちたいというそれだけの思い。
 友達は必要じゃなかった。ずっとずっとそうだった。
 僕にあるのは、郁が傍に居る世界と、そうじゃない世界。ただそれだけ。
 郁が傍に居なければ、僕にとっての世界は崩壊しているのと同じ。光を失ったのと同じ。
 だから、郁以外の人間に興味を抱くなんて事あるはずがなかった。
 だって僕は郁以外の人間を必要としていないから。
 後はすべてその他だ。郁は僕の世界を照らす光なのだ。始めて出逢った、あの幼い日からずっとそうなのだ。
「僕が必要なのは、郁だけ・・。」
 ゴクリと炭酸水を飲み込み。ゼリービーンズを口に放り込む。
 甘い甘い塊を噛み砕き、炭酸水で流し込む。
「そのはずなのに・・・。」
 なのに、どうしてか僕はあの子を無視できない。
 平凡な転校生だとしか思わなかった。何故この学園に来れたのか首を捻りたくなるほど、平凡で凡庸な少年だと思っていた。
 MVP戦のパートナーに選ばれて、行動を共にしている間もずっと疑問だった。
 なぜ、僕はこんなつまらない子に時間を割いているのだろう?
 郁の傍に居るはずの時間。それを削ってまで何故この平凡な少年の傍にいるのだろう?
 何故?
 彼と共に街に出て、目的もなくただ歩くだけの行為を楽しいなんて思っているのだろう?
 わからない、何故?
 疑うことを知らない瞳。純粋な眼差しを曇らせたくない。悲しませたくない・・なんてどうして思ってしまったのだろう?
 疑問を解決することが出来ないまま、彼は勝利をものにして、そうして僕達は友達になった。
 郁以外の始めての友達。
「・・・・。」
 郁以外はいらない、そう思っていたけれど、例外が居てもいいのかもしれないと思った。
 だって彼は僕を慕ってくれるのだから。だから例外が居てもいい。
 そう認めてしまえば、彼の隣で友達で居ることはとても居心地のいいことだった。
 郁の傍に居るときとは違う、居心地の良さ。
 郁の傍に居るときとは違う、なんとも言えない幸せな時間。
『七条さん、一緒にご飯食べませんか?』
『七条さん、数学でねどうしても分からないところがあるんです。見てもらえませんか?』
『七条さんって凄い。どうしてそんなに早く指が動くんですか?』
 大きな瞳が僕を見つめるのが心地よかった。
 一緒の時間を過ごすのが楽しくてしかたがなかった。
 楽しくて楽しくてすぐに時間が過ぎてしまう。だから、手を振って別れる事が寂しかった。


 もっともっと傍にいたいのに。


 その思いはどんどん強くなっている。
 可愛い友達。可愛い後輩。
 大切なのは郁、ただそれだけ。伊藤君は可愛い僕の後輩で、友達。
 なのに、それだけでは嫌なのだと思うようになった。
 彼の隣には、いつも年齢詐称の同級生、遠藤和希という邪魔者がいて親友の顔をしていばっているのだ。
 なんでも知っている顔をして、そうして傍で笑っている。
 それが許せないと思うようになった。
 伊藤君を一番理解しているのは、僕じゃなきゃいけない。
 彼の笑顔が一番輝くのは、僕の傍に居るときじゃなきゃいけない。
 僕の傍で彼が笑う。甘えた声で名前を呼ぶ。
 傍に居ていいのは僕なのだ。
「彼の親友は僕です。」
 ごくりと炭酸水を飲み干し、窓の外を見ると絹糸の様な雨が降り出していた。
 音もなく降る雨。
 音もなく、静かに、だけど確実に地面を濡らして行く雨。
「・・・イライラしますね。」
 どうせ降るなら、嵐になればいい。
 音を立てて、雷を鳴らして、嵐のように降ればいい。
「彼の親友は、僕です・・・・だけど・・・。」
 親友。友達。
 だけど、その言葉が、その立場が嫌だ。
 どうしてか分からない。だけど嫌だ。
 彼が友達になってからも、大切なのは郁だというのに。僕の世界の光は変わらずに郁だというのに。
 なのに、心が騒ぐ。
 僕の心の中が騒ぐ。
 親友じゃ嫌だ。友達じゃ嫌だ。
 訳も分からず、そう思う。
 大切なのは、郁だ。
 伊藤君はただの例外。例外の友達。
 それで良いはずだった。
 なのに、なのに我慢できない。イライラするのだ、彼を思うたび。
 彼が僕以外の人間と笑いあってるのが我慢できない。
 彼が僕以外の人間を頼るのが我慢できない。
 この意味はなんだ?
 郁への思いとは違うもの。
 この気持ちはどう処理したら良い?
「嵐になれば良いのに。」
 絹糸のような雨。音を立てずに降る雨。
 雨のせいで気持ちが塞ぐのだ。雨のせいで気持ちがイライラと落ち着かなくなるのだ。
「大切なのは郁です。僕は郁だけが大切なんです。」
 そう思うのに、それは違うと叫ぶ声がする。
「郁だけが・・・。」
 嵐になれば良いと思う。
 この心のイライラをすべて吹き飛ばすくらいの風を友に、音を立てて雨が降れば良い。 


 そうしてこの気持ちをすべて洗い流して欲しい。


 この思いは気づいてはいけないもの。伊藤君の方が大切だなんて思うはずがない。
 郁より、彼の傍に居たいなんて、僕が思うはずがない。
「大切なのは郁なんです。そうでなきゃいけないんです。」
 だって郁は僕の光だったのだから。あの幼い日の出逢いからずっと郁だけが僕の世界に居たのだから。
「なのに、それなのに・・・。」
 傍に居たい、彼の傍に居たい。
「郁、僕はどうしてしまったんでしょう?僕は・・・。」
 途方にくれて空を見上げる。
 雨はやみそうにない。
 どんよりとした厚い雲が、暗い雲が月の光を隠して、そして雨を降らせていた。
「どうしたらいいんですか?郁・・・教えてください。」
 眠ることも出来ずに僕はただ空を見上げていた。


『認めてしまえば楽になるよ。』

 
 ささやく声を必死に無視して、僕は郁に助けを求める。
「郁・・・僕を助けて。」
 どうしたら良いのか分からない。こんな気持ちは知らない。


 嵐になればいい。
 この思いを吹き飛ばす風を友に、世界が崩壊する程の雨が降ればいい。
 そうしたら楽になれるのに。
 そうしたら・・・・。


 傍に居たい。愛しくてたまらない。だから傍に居たい。


 認めれば楽になる、そう囁く声に耳をふさぎ僕は空を見上げ祈る。
 嵐にしてください。僕の心を洗い流す強い雨を降らせてください。
 だけど、祈りながら、気がついていた。


 この思いは、恋なのだと・・・本当はもう気がついていたのだ。
                                   Fin



「あなたがそばにいれば」のちょっとだけ前の話って感じでしょうか?
まだ、啓太くんを好きだと気づいていない(というかそれが認められない)七条さんです。
ゼリービーンズを食べる七条さんって絵的にどうなんでしょう?と思いつつ書いてみたんですが・・。有りですか?どうでしょう?





いずみんから一言

雨の日には空を見上げることにしましょう。
きっとこれを書いたとき、みのりさまもそうしたのだろうから。
雨の落ちてくる空を見ながら、何を思ったのでしょう。
少しでいい。貴女の思った何かに触れたい。


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