無題 1 〜拍手用ノートより〜


               
 小さな花が咲いていた。
 寮から学園へと続く道、小さな花が咲いていた。
 赤い花、白い花。
 風に吹かれ花びらを揺らす。
「可愛い花ですね。昨日あんなに雨が降ってたのにこんなに元気に咲いてるなんて‥凄いなあ。」
 伊藤君が言うまで僕はその存在に気が付きもしなかったから、しゃがみこんで花びらにそっと触れる指先を僕はぼんやりと見つめるだけだった。
「ね?綺麗。」
 だから振り向き笑うその顔に僕は頷くだけだった。
 無邪気な笑顔、それを向けられる度僕は不思議な気持ちになってしまう。
 くすぐったいような落ち着かないようなそんな不思議な気持ちになってしまう。
「‥伊藤君はいつも僕に新しいものを見せてくれるのですね。」
 伊藤君の隣にしゃがみこんで小さな花を見つめる。
 赤い花、白い花。
 道端に咲く小さな命。
「え?」
「あなたが今隣に居なければ、僕はこの花に気付くこともなく通り過ぎたでしょう。
小さな花が、雨に負けずこうして咲いていた事など気が付きもせずに通り過ぎていた。
「ね、伊藤君。」
「はい‥?」
「あなたはいつも僕に気付かせてくれる。
 世界はとても美しいもので出来ているということを。」
 道端に咲く小さな花。
 空に浮かぶ白い雲。
 青い青い空。
 伊藤君が傍にいて僕は初めて気が付いた。
 世界はなんて綺麗なもので出来ていたのだろう。
 なんて鮮やかな色で世界は出来ていたのだろう。

 美しい世界。
 
 さりげなくいつもそこにある美しく優しい物達。
 僕は今まで何も見てはいなかった。
 空はただの空。
 いつも当たり前にそこにある物。
 感動も何もなく、いつも見上げればそこにある物だった。
「‥‥七条さんがどうしてそう言ってくれるのか分からないけど、俺の好きなものを 七条さんが気に入ってくれて、好きだって言ってくれたら凄く嬉しいし、七条さんが好きなものを俺が同じように好きになれたら、やっぱり凄く嬉しいと思います。」
 微笑む顔につられて僕も笑顔になりながら、そっと花びらに触れる。
「好きですよ。伊藤君の事が。」
 小さな花。薔薇のような華やかさは無いけれど‥それでも健気で可愛い花だとそう思う。
「え?」
「友達になれて良かったと本当に思います。
 あなたと知り合えて良かったとね。」
 本当にそう思う。知り合えて良かったと心からそう思う。
「‥友達‥そうですね、俺もそう思います。七条さんと‥その、友達になれて‥良かった。」
 友達になれて良かった。
 知り合えて良かった。
 あなたの好きなものを僕も好きになりたい。
 僕の好きなものをあなたにも好きになって欲しい。
「良かったと本当に‥そう思います‥と、友達‥へへ。」
「伊藤君?」
 友達になれて良かった。素直にそう思うのに、なのに何かが心にひっかかる。
 なにかが違うと心の奥が否定する。
「‥‥俺‥か、和希と約束してたんだ!
 七条さんごめんなさい。俺、先に帰ります!」
「伊藤君?」
「失礼します!」
 走りだす後ろ姿を茫然と見送り、そして俯いて花を見た。
「友達‥郁以外の人間の存在に僕は戸惑ってるだけなんですよね?」
 そよと吹く風に花びらが揺れる。
 走り去る姿に心が揺れる。
「‥‥伊藤君。」
 あなたがいないと世界は急に色褪せて見える気がする。
 不思議だけれどおかしいけれど、なぜかそんな気がする。

 戸惑いが、この気持ちが恋なのだと、まだ僕は気が付いていなかった。







いずみんから一言

七啓の連作の最初のお話。
(この作品はもしかしたら連作からは外れているかもしれないの
だが、これをイントロにもってくるとちょうど収まりがいいのです)
幸せな風景はこのあと一転する。できれば最後まで続けてお読み
下さい。

最初にこれを読んだのは、みのりさまが旅立たれてまだ1ヶ月くらい
しか経っていない頃で、会社の昼休みに読んでぽろぽろ泣いた。
こんなに悲しい七啓を書くなんて、と。
平静に読めている今、それから4ヶ月の時間を感じている。

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