無題 5 〜拍手用ノートより〜


               
 空が高くなった。
 入道雲が消え鱗雲が青い空に現れ始めた。
 秋が来ているのだと気が付いた。
「‥‥。」
 ボンヤリと窓の外を見つめため息をつく。
 夏休みが終わったばかりでやらなければいけない事は沢山あった。
「臣。」
「はい。」
 不機嫌そうに僕の名を呼ぶからゆっくりと郁に近づいた。
「大丈夫か?」
「何のことですか?」
 作り笑顔を浮かべ首を傾げる。
 郁の言いたいことは分かっていた。
「‥‥分かった。お前がそのつもりならもう何も聞かない。」
 僕の顔を睨むように見た後郁はため息をついて言った。
「ありがとうございます。」
 にこりと笑い頭を下げてそして郁を見つめる。
「‥平気です。元に戻っただけなのですから。」
「臣。」
 そう元に戻っただけ。
 郁だけが大切で、僕の世界には郁とその他それしかなかった。
 元に戻っただけ。なのに心の中にぽっかりと穴があいてしまった。
 どんなことをしても埋まらない大きな穴があいてしまった。
「‥申し訳ありません。先に失礼してもいいでしょうか?」
「‥わかった。」
 無表情に郁が頷く。
「‥申し訳ありません。」
 頭を下げ部屋を出る。
 早くひとりになりたかった。
「‥啓太。」
 たぶん今僕はとても情けない顔をしていると思う。
 今だけじゃない。ずっとずっと情けない顔をしているのだと思う。
 啓太が学園から消え、僕は空気が抜けてしぼんでしまった風船の様だった。
 誰からも顧みられる事もなく部屋の隅に転がって忘れ去られた風船。
 どんどん空気が抜けてそして最後にはぺしゃんこに潰れてしまう。
 それが僕だった。
「啓太‥今日は誕生日‥僕の誕生日なんですよ。
 もう忘れてしまいましたか?」
 去年の誕生日は啓太が祝ってくれた。
 ケーキを作って僕のもとへ走ってきてくれた。
 おめでとうを言うために、一生懸命走って来てくれた。
「啓太。‥あなたの顔が見たい。一言でいいから声を聞かせてください。」
 ずっとお祝いさせてくださいね。そう言ってあの日啓太は笑った。
 一年後こんな事になるなんて思ってなかった。
 叶わない約束をあの頃の僕達は当然の様に信じていた。
 幸せは永遠に続くのだと信じていた。
「啓太‥会いたい。あなたに会いたい。」
 涙が頬を伝う。
 寮までの道をひとり歩く事すら悲しかった。
 隣に啓太が居ない。そう思うことが悲しかった。
「なにもいらない。啓太、あなたが傍に居てくれるなら他に何もいらない。
 あの時僕はどうして振り返らなかったのでしょうね。
 あの時振り返ってあなたを抱き締めていたら、そうすれば‥。」
 じっと両手を見つめる。
 抱き締めれば良かった。
 心が離れた事を知っていてもそれでも啓太を止めるべきだった。
 恥もプライドも投げ捨ててすがり付けば良かった。
「なにもいらない。啓太以外なにも望まない。」
 啓太を苦しめたくなかった。
 だから振り返らなかった。
 けれど本当はすがりついて止める勇気が無かった。
 はっきりと拒絶されることが恐かった。
 本当は恐かった。
「‥‥。」
 乱暴に涙を拭いて歩きだす。
 一人歩く道は遠い。
「‥‥啓太。」
 ふらふらと夢遊病者のように歩きながら寮に辿り着く。
 惰性で手紙を受け取り部屋のドアをあけながら差出人の名前を確認する。
「‥‥名前が書いてない。」
 けれど見覚えのある筆跡に指先が震えた。
「まさか。」
 震える指先で封をあけ中身を取り出す。
 出てきたのは一枚のカードだった。
「‥啓太。覚えていてくれたんですね。
 まだ僕を気に掛けて‥。」
 涙があふれた。
 ぺたりと床に座り込み声をあげて泣いた。
「お誕生日おめでとうございます。」
 たったそれだけが書かれたカードを胸に抱いて僕は泣き続けた。



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(拍手用ノート)から。
ノートの余白に姉のコメントがついていました。
(七条さんごめんね−!最後にはちゃんと幸せにするから。啓太くんもちゃんと戻ってくるからもう少し
ひとりで頑張って(T_T))

幸せにするって書いていたのに最後の話は書けないままだったので心残りだっただろうなと思います。
七啓は残っているのが全部悲しい話なので打つのが辛いです。





いずみんから一言

1年前。私の誕生日をお祝いしてくれたのは貴女なのに。
どうして今年はいないんでしょうね? 
七条クンの悲しみを見つめながらまたそんなことを思っている。
駄々をこねる子供のように、言ってもしかたのないことを何度くりかえした
だろうか。そして何度くりかえせば心は納得するのだろうか。


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