割れたカップ 最近のヒデは、ちょっと変わってきたと思う。 どこがどうとか、はっきりとは言えないが、兎に角変わってきた。 「ただいま戻りました。あれ?王様!!」 「よ、啓太。」 「珍しいですね。仕事がそんなに溜まってないのに王様がいるなんて。」 赤い頬をして、息を弾ませながら、そんな事を言うから、俺は一気に上機嫌になっちまう。 「なんだよ、なんだよ。俺だってたまには真面目に仕事に来るんだぜ?」 「え?あはは、そうですよね。すみませんでした。王様。」 「ま、いいけどさ。」 ヒデを怒らす前に、大人しくしとかないとな、うん。 「啓太。」 ほらほら、帝王の声がとんがってやがる。恐いね。あいつは。 「はい!!中嶋さん。」 慌てて啓太がパーティションの中に走っていく。 「ちゃんと書類は届けてきたのか?」 「はい。」 「・・・・そうか。じゃ、コーヒー。」 「はい。中嶋さん。」 嬉しそうな声だよな、まったく。あいつも、ご苦労様ぐらい言えばいいものを。 「王様もコーヒー如何ですが?」 「サンキュ。」 「じゃ、すぐに入れますね。」 にっこり。あれ?ほっぺたまだ赤いぞ?よっぽど急いで走ってきたのか? よく篠宮に見つからなかったな。 「ええと・・・・あ!!」 簡易キッチンに消えたとたん、ガシャンと何かが割れる音がした。 「啓太?」 どうしたんだ? 慌ててキッチンを覗き込むと、ぺたりと床に座り込み。割れたカップを見つめている啓太が居た。 グリーンの大きなチェック柄にひまわりの絵がついたマグカップ、これって。 「大丈夫か?怪我は?」 「大丈夫です。ちょっと転んで・・・。」 しょんぼりとしてる。可哀想に。 「あ〜あ、見事に割れたな。」 啓太のお気に入り、妹さんが入寮する時にくれたという、マグカップ。 「・・・・。」 「・・・落込むなって。」 しょんぼりとうつむいてしまった啓太をなぐさめようと、それだけを口にする。 「朋子に謝らなきゃ。折角お小遣い貯めて買ってくれたのに。」 なのに、帰ってきたのは、今にも泣きそうな声だったから、俺は心底焦ってしまう。 ・・・お、俺じゃないぞ?啓太が泣きそうなのは・・・ヒデ誤解するなよ。 確か、めちゃくちゃ兄弟仲が良いんだよな、啓太の家って。 [『朋子だと思って、これいつも使ってね。』そう言ってくれたんです!] って、前に嬉しそうに言ってたもな。 「不注意で割っちゃうなんて、ドジですね。俺って。」 「全くだな。」 いつのまにか、傍に来ていたヒデに、煙草を咥えながら冷ややかにそんな事を言われて、啓太は益々しょんぼりしてしまった。 「中嶋さんすみません。コーヒーすぐに入れますから。」 なのに、無理矢理笑顔を作って、けなげにそんな事まで言い出しちまう。 おいおい、落込んでたんだろ?いいんだぞ、気なんか使わなくて。 泣くんじゃないか?大丈夫か?啓太。なんか、慰めの言葉を、ええと。 「お前は全く不注意すぎる。」 俺がこんなに焦ってるっていうのに、なのに!なのに!!ヒデはさらに、こんな事を言って追い討ちをかけるんだ。そういう奴だよ。お前は。 「はい、すみません。」 ほら〜!!さっきよりさらに輪をかけて落込んじまったよ。全くヒデの奴。 啓太に容赦なさすぎだよ。可哀想じゃないか。 「・・・ええと、中嶋さんと、王様のカップ。」 お盆の上に、二つのカップ。そっか、この部屋、予備のカップが無いんだよな。 「・・・・・啓太?お前の・・。」 「え?・・・あ・・。」 「・・・・ちっ。哲ちゃん、ペン。」 ペン?なんだ?ん?何だよヒデ、自分用のカップ持って。・・・ははん? 「OK。・・・・ほ〜らよ。」 悪いけど、俺もだてにお前と三年近く付き合っちゃあいないんだよ。ヒデ。 嫌味タップリに、笑いながら、油性マジックを手渡すと、ヒデは苦々しい顔をしたまま、カップをくるりとひっくり返し、キュキュッと音を立てて何かを書いた。 「ほら。」 「え?」 カップを手渡された啓太は、呆然とそれを見ている。 「お前のだ。」 「え?ええ?」 カップの底をじっと見て、赤かった顔が、さらにさらに赤くなる。 「え、で、でも。な、中嶋さんのが・・・。」 あ〜あ、しょげてたのが、一気に元気になってるよ、全く。啓太の薬は何よりもこいつなのか?気に入らねえなあ。全くよぉ。 「俺は、こっちがあるから良い。」 そう言うと、ヒデは棚の中の湯呑みを取ると、お盆にゴトンと乗せる。 「え、でもそれお湯呑みですよ。日本茶用に・・・。」 「別に何で飲んでも味なんぞ変わらん。」 「・・・そりゃそうですけど。でもぉ。」 「俺が湯呑みでコーヒーを飲むのが気に入らないなら、俺用の新しいのをお前が買ってくればいいだけの事だ。」 おいおい、それって啓太にお前のお古を使わせて、自分には新品を買ってこいって事かよ。 「はい。じゃあ、そうします。中嶋さん。ありがとうございます。」 だから、どうしてそこで啓太はそんなに嬉しそうになるかなあ。まったく、お前がそんなだから、ヒデがこんなに・・・・あれ? 「おい、ヒデ。」 「なんだ?」 「それ、ヒデのなのか?」 最近なぞだった、一つだけある湯呑み茶碗。 いつの間にか、急須と日本茶までそろってて、だけど、俺は二人がそれを飲んでいるのを見たことが無かった。 「お前、日本茶なんか飲むんだっけ?」 「さあな。それより啓太。」 「はい。」 「ここはいいから、お前はもう寮に帰れ。」 「え?ど、どうしてですか?あの、ちゃんと片付けますから!」 「おいおい、ヒデ。」 「俺の言う事が聞けないのか?」 うわ、こいつなんでこんなに機嫌悪いんだ? 「中嶋さん怒ってるんですか?俺がコーヒーも満足に居られないから・・。」 「莫迦、そうじゃない。お前、本当に自覚が無いのか?」 「え?」 「・・・たく、だから莫迦だというんだ。」 なんだよ、どんどん機嫌が悪くなって・・・おい。 「なんだよヒデ。莫迦って。」 「・・・熱。」 「え?」 「熱があるから、そんなにフラフラしてるんだろ?赤い顔して、自己管理くらいキチンと出来ないのか?お前は。」 「え?熱・・・?啓太、熱あるのか?」 それで、そんなに赤い顔なのか? 「カップは、哲ちゃんが片付けるから、お前はもう帰れ、いいな。」 そうか、機嫌が悪いんじゃないのか。ったく、こいつ本当に素直じゃないよな。 「でも。」 「啓太、後は俺がやっておくから、大人しく帰れよ。な。ちゃんと、お前のカップはここにこうして入れておくから。」 ちらりとカップの底を覗く。啓太とマジックで大きく書いてある。 「じゃあ、すみません王様。お願いします。」 ぺこりと頭を下げて、確かにいつもよりフラフラとした足取りで、啓太は鞄を抱え、帰っていった。 「ふん。全く。」 ぼそりと吐いて、ヒデはパーティションの向こうに消えていく。 おいおい、本当に俺だけにやらせるつもりかよ。いいけどさ。 床に散らばったカップの破片を片付けて、自分のカップとヒデの湯呑みにコーヒーを入れる。 「ほらよ、ヒデ。」 茶碗を手渡すと、ヒデの機嫌は良くなるどころか、更に悪くなっているように見えた。 「ん。」 湯呑み茶碗のコーヒーを、不機嫌丸出しに飲みながら、ヒデは書類を片付けていく。こいつがここで日本茶ねえ?なんでまた急に。 「なんだ?」 「いいや。」 こいつやっぱり変わったよな。 そして、こいつを変えたのは、啓太だよな。 前は他人の体調に気を使う奴じゃなかった。道端で人が倒れてようが、妊婦が産気づいてようが完全無視しそうな奴だったのにさ。 ちょっとは優しい人間になってきたって事か?ん?ヒデ。 「後で啓太の部屋に行ってやれよ?」 「ふん。」 素直じゃねえなあ、心配なくせに。あ〜からかいてえ。 「ふふん、カップの底に名前なんて、お前らしくも無いよなあ?」 そうでもないのか?啓太に関しちゃこいつはただのバカップルの片割れだし。 「・・・・なあ?哲ちゃん?」 「ん?」 「寮で、猫を飼うって案はどうだ?食堂の鼠よけにさ。」 「な、なんで?」 「さあな、今突然そんな気分になった。」 にやりと笑って、そんな事を言う。 前言撤回、こいつは全然変わっちゃいねえ。 「悪かった。」 こんな子供じみた仕返しに、素直に謝る俺も俺だけど。だけど。 こいつはやる。俺がもし、そんな話を他の奴らに言おうものなら、絶対にやる。 「ふん。」 啓太、どうせこいつを変えるなら、きっちり最後まで変えてくれよ。 人畜無害の帝王にさ。・・・まあ無理だってのは分かるけど。 後日、啓太は一体どこで見つけたのか、自分のとは色違いのカップを、ヒデに買ってきて、俺に色々と惚気てくれたりしたんだけれど、不思議な事に、俺はあの後、ヒデが湯呑み茶碗を使っているところを、ただの一度も見る事はなかった。 買い置きの日本茶は、確実に減っているのに。何故なんだ? ささいな不思議が、俺の中で納得に変わるのは、卒業後の話だった。 なんてことはない、日常でした。 中嶋さんがくれるなら、たとえ飴一個でも、啓太君は大喜びするでしょう。 まあ、カップを使うたびに、へへへと幸せに浸る啓太君も可愛いかな? と思って、そのカップを貰う理由を考えてみた訳です。 |
いずみんから一言 |
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