話したい事が山ほどあるのに 







 溜息をついて、ドアを開けた。
「あ。」
 灯りの点いていない部屋。くるりと振り向いたのは啓太だった。 
「・・・・和希?」
 久しぶりに寮に帰ってきた。仕事のトラブルで三週間も日本を離れていたのだ。
「啓太?」
 思いがけないその姿に、俺は間の抜けた声で名前を呼んだ。
「おかえり!!和希!」
 驚きながら、ドアを閉め、鍵をかける。
「・・・・。」
 駆け寄る啓太を抱き締め、唇を重ねた。
「どうして?」
「え?」
「部屋。どうしてここに?」
 寮に帰ってすぐ啓太の部屋に向った。
 消灯にはまだ少し間があったから、点呼は終わってる時間だし、篠宮さんに挨拶だけして、俺は啓太の部屋に向った。
 なのに、啓太は部屋にいなくて俺はちょっと呆然としてしまったんだ。もう部屋にいなきゃいけない時間。 それなのにどうして部屋に居ない?
 俺が居ない三週間の間になにかあった?
 うろうろと、寮中のいたるところを捜し歩いた。
 食堂、娯楽室。洗濯場。屋上。電気の消えたそれらの場所を探しても啓太は何処にもいなかった。
 どこにいるんだよ。なんでいないんだよ。
 携帯に電話してみようかと、ポケットに手を伸ばして思い立つ。
 誰かの部屋にいるのかもしれない。
 誰かの傍にいるのかもしれない。
 俺以外の誰かの人間に抱かれてるのかもしれない。
 そんな筈はないのに、それでも悪い考えは頭から消えない。
 悪い癖だった。啓太のことになると冷静になれないのだ。
 悪い考えばかりが頭の中をグルグルと回ってしまうのだ。
 啓太以外の声を聞くのが恐くて、俺は電話をする事が出来ず、そして、さらに嫌な事ばかり考えながら、とりあえず荷物を置こうと自分の部屋に戻ったのだ。
 なのに、ドアを開くと啓太が居た。パジャマを着て、部屋の明かりも点けずに、窓辺に立って空を見ていた。幻みたいに。
「和希?」
 甘えたように名前を呼ぶ啓太を、ぎゅっと抱き締めそして告白。
「啓太。俺、もう限界。」
 声を聞きたいと思っていた。一言で良い。声を聞きたい。
 話したいことが沢山あるんだ。聞きたい事も沢山ある。ずっと離れていたんだから、沢山沢山話をしよう。
 そう思ってた。本当に・・・そう思っていたんだ。
 声を聞きたい。啓太の声が・・・。
 啓太の声で名前を呼んで欲しい。
 ねえ、啓太。声を聞きたくて堪らなかった。ずっとずっと、声を聞きたい。それだけを思っていたんだ。
「か?和希?」
 抱き締めた啓太の細い腰。甘い髪の香り。柔らかい唇の感触、それら全てが、甘く甘く俺を誘う。
 話したいことがあるのに、沢山沢山あるのに、なのに、離れていた長い間に、俺の心に住み着いてしまった淋しがり屋の悪魔が、それを埋める為の行為をしようと囁きかけた。
「啓太。」
 ベッドに抱き上げ。身体を重ねる。
 悪魔の誘いはいつも甘い。
 啓太の気持ちも考えず、俺は簡単に行動を起こした。
「和希、重い!!」
 悪魔の誘いはどんどんエスカレートする。
 俺は啓太の抗議を無視して、唇を重ねた。
「ん。」
 じたばたと、身体の下で啓太が暴れてる。
 だけど、そんな事も全て綺麗に無視して、慣れた手つきでパジャマを脱がせてしまう。
 ビクンと震える身体を、なおも暴れる手足を無理矢理押さえつけると首筋に唇をつけ、自分自身を啓太の太ももにこすりつけながら、甘い香りを吸い込むと、もう自分を理性で止める事何か出来はしなかった。
 唇を貪る様に味わい、細い腰を抱き締める。
 自分自身も裸になり、そうして啓太を抱き締める。
 思うままに啓太を愛撫し、そして啓太の中に入り込んではてた。
「・・・・かず・・き。」
 啓太の怯えた様な声に、我に返った時にはもう遅かった。
「啓太。」
「・・。」
 大きな瞳が涙で溢れそうになっていた。
「けい・・?」
 身体を離し、そっと頬に指先を触れさせたら、ビクリと身体を震わせてしまった。
「啓太?ごめん。」
 怯えさせてしまったのだと、やっと気が付いた。
「和希・・・・なんで?どうしてそんなに怖い顔してるんだよ。」
「怖い?」
「怖い・・・・知らない人みたいだった。」
 それで怯えたのか・・・。
「俺逃げたりしないよ。分かってるだろうけど、俺和希のだよ。」
「うん。ごめん。」
 それでも疑ってしまった。姿が見えないだけで、他の誰かと居るのだと思ってしまった。
「限界・・・だったんだ。」
 啓太が傍に居ない。時差がありすぎて、忙しすぎて電話さえ出来なかった。
「限界?」
「うん。」
 メールのやり取り、それは頻繁に行われた。


 おはよう。お休み。ご飯食べた?


 当たり前の挨拶も毎日のように届いた。
 たった一言のメール。
 まるで目の前にいるかのように。


 愛してるよ。和希。


 たったそれだけの言葉に、俺は嬉しくなってしまうのだ。
 溜まっていくストレスは、啓太のメールを読むだけで解消されてしまうのだから、我ながら単純なものだと思っていた。
 だけど、
 パソコンを開けるたびに、新しいメールが啓太から届く。
 声は聞けないのに、触れることは出来ないのに、メールだけが俺の元へと届く。
 抱き締めたくて、啓太に触れたくて・・・なのに、届くのは、メールだけ・・・それに耐え切れなくなっていたのだ。
「限界だった。啓太が居ないって事に・・。声が聞きたくて、啓太に触れたくて・・・俺狂いそうだった。」


 話したいことが沢山あるよ。和希・・・。今日もメール長くなっちゃうぞ?覚悟して読んでよ。


 啓太が寝る前に送ってくるメールは、いつもとっても長かった。
「啓太切れ。俺、限界だったんだ。ごめん。」
 啓太のメールには沢山の日常が書いてあった。
 それはとても楽しそうな日常だった。
 海野先生の手伝いをしたこと。小テストの成績がちょっとだけ良かった事。トノサマに唐揚げを盗られたこと。
 どんな些細な事も、啓太はメールに書いてきた。
 俺が傍に居なくても平気みたいだ。
 前にそう言って啓太を悲しませたくせに、俺はまたそんな事を考えていた。俺が居ない場所で啓太は笑ってる。
 俺が傍に居ても居なくても、啓太にとってなんの問題も無いんだって思った。
「俺が切れたの?」
「うん。」
 だけど、その言葉は啓太には言わない。
 もう二度と言わない。そう心に誓った。
 啓太を悲しませる言葉だと理解したから。
 ちゃんと啓太は俺を必要としてる。俺に近づこうとしてる。
 それが良く分かったから。
 啓太は俺が居なくても平気なんだ・・・なんて思うのは、もう止め様と、心に誓ったのだ。
 だけど・・・。
「啓太が居ないと、俺駄目なんだ。」 
 本当に、駄目なんだ。
 心の中に不安が押し寄せてしまうんだ。
「駄目?」
 いつの間にか、啓太は俺の頭を抱き寄せるようにしていた。
 啓太の胸の上で、啓太の心臓の音を聞きながら、俺は啓太に告白を続けた。
 包み隠さずに言うんだ。全部。
 子供みたいだと呆れられても良い。莫迦みたいだと笑われても良い。格好悪いのは分かっている。
 啓太に怯えられたままでいるよりも、笑われたほうが、その方が百倍マシだ。
「淋しくて堪らなくなる。
 心に穴が開いたみたいになるんだ。
 なにか忘れ物をしたみたいで落ち着かないんだ。
 啓太に逢いたくて逢いたくて、メールを読むたびに帰りたくなってさ、傍に居たくてたまらなくなるんだ。
 仕事も何もかも放り出して啓太の傍に帰りたくて堪らなかった。
 声を聞きたくて、胸が苦しかった。
 啓太が眠ってる時間だって分かってても電話して声を聞きたくなって、それで、それで俺・・逢いたくて・・・だから・・
 啓太の声を聞いたとたん、抱き締めたとたんに何も考えられなくなってしまったんだ。俺、本当は話したいことが沢山あって・・・聞いて欲しい事沢山あって、啓太からメールが届くのをどれだけ何時も楽しみにしてたか・・とか。そんな話しをしたかったのに・・なのに・・・何も考えられなくて・・・。」
「そっか。」
 俺の告白を、啓太は黙って聞いていた。
 細い指で俺の髪を撫ぜながら、ただ黙って聞いてくれていた。
「子供みたいだろ?俺。」
「うん。子供みたい。和希大人なのになあ。」
「ごめん。呆れた?」
「呆れる?なんで?」
「だって。」
 いい大人が子供みたいだって、俺自身思うんだけど。
 いいや、子供以下だろ?思いを募らせて、啓太の気持ちを無視して抱いたんだから。怯えさせて、自分の気持ちだけ優先させた。
 嫌われたって文句言えない、なのに、
「俺和希に大好きって言われただけじゃない?違う?」
 なのに啓太はそう言って笑うんだ。
「え?だって俺さっき無理矢理・・。」
「俺別に怒ってないよ。和希が無理矢理って言うか、突然盛り上って押し倒してくるのなんて、いつもの事じゃない?何を今更。」
 カラカラと笑い、そうして俺の頭をぎゅっと抱き締めて、また笑う。その笑い声に嘘も怯えも無い事を感じて俺はほっとした。
 だけど、今の言葉って・・それってあんまりじゃないか?
「ってそれは冗談だけど。別に怒ってないよ。ちょっと和希の顔が怖かっただけ。」
「ごめん。」
 そんなに怖い顔してたのかな?
「和希って本当にちゃんと大人なんだなって思っただけ。」
「え?」
「ああ、でも仕事してる時の顔ってあんな風な時あるもんなあ、そっかあれ怖い顔じゃなかったんだ。ああ、さっきちゃんと気づけばよかった。俺やっぱり莫迦だあ。」
「・・・俺、仕事中怖い顔してる?」
 仕事場で啓太待たせるのやめようかな・・。
「違うってば、そうじゃないよ。」
「じゃあ、なんだよ。」
 のそのそと身体を上へ移動させ、啓太の顔を覗き込む。
「真剣な顔。へへへ、言った事無かったよな?和希。」
「え?」
「和希が素直に気持ちを話してくれたから、俺も秘密を一つ和希に教えるよ。」
「秘密?」
「うん、俺ね和希の仕事してる時の顔好きなんだ。
 すごく格好良くってさ、大好き。見とれるくらい好き。」
「俺の顔が?」
 格好いい?啓太にそんな事言われた事ないぞ。
「うん、仕事してる時の和希って、すっごく格好良いよ。」
「・・・本当にそう思ってる?」
「うん。思ってる。教室に居る時の、ボケボケな和希の事も好きだよ。勿論大好き。でもね、仕事してる時の顔ってめちゃくちゃに格好いいって思ってたんだ。ずっと。」
 やばい、顔が赤くなってるかも・・。
「なんで言ってくれないんだよ。」
「言えるかこんな恥ずかしい事。」
「啓太俺のこと好き?」
「大好き。」
「俺も。」
「相思相愛良かったね、和希。安心した?」
「なんだよそれ。」
「だ〜って和希のことだから、どうせまた『俺なんか居なくたって・・・』とか思ってウジウジしてたんだろ?」
 ギクリ。
「そ、そんな事ないよ。」
「本当かな?」
「ホントホント。」
 ああ、いつも嫌になるくらいに鈍いのに、どうしてこういう時だけ鋭い事言うかなあ?
 あ、話題変えよう、ええと?
 ごろりと啓太の隣に寝転んで、顔を覗き込みながら聞いてみる。
「そ、そういえば啓太どうしてこの部屋にいたんだ?」
「え?ああ、ええと・・。」
「なんで赤くなる?」
「へへへ。お風呂入ってこようかな。汗かいちゃった。」
「啓太?」
 慌てて身体をおこして逃げようとするから、背中から抱き締めてしまう。なんだよ。隠すような事してたのか?
「啓太?ねえ。」
 耳たぶを甘噛みしながら、抱き締める腕に力を込めると啓太はふにゃりと力を抜いた。
「あー!もう。言うよ言うってば。」
「なに?」
「ここで寝てたの。ずっと。」
「は?」
「和希がいないのが淋しくてここで寝てたんだよ。それだけ。」
「なんで?」
「いいだろ。もう、留守中に入って悪かったけど。他には何も触ってないから!!嫌ならもうしない。鍵も返す!」
「いいよ返さなくて。」
 慌てて言いながら、でもなんでなんだろうと首をひねる。
「淋しかったの?」
「淋しかったよ。当たり前だろ?教室に和希が居ないと凹む。」
「凹む?本当に?」
 あれれ?こんな言葉が嬉しいのか?俺?
「本当に決まってるだろ?嘘でこんな恥ずかしい事言わないよ。淋しいんだから。来るわけないって分かってたって、電話待ってたんだからな!!莫迦和希!本気で一回も電話くれなかったくせに、なに勝手に拗ねてるんだよ。もお!」
 ああ、俺莫迦って言われて嬉しいなんて。
「莫迦〜。スケベ大王!!莫迦莫迦莫迦〜!!」
「ごめん。」
「反省した?」
「した、すごくした。」
「・・・本当に?」
「ああ。」
 一人で焦って、本当に莫迦だな俺。
「じゃあ、ただいまって言ってよ。」
「え?」
「ただいま。俺ちゃんとお帰りって言ったよ?返事は?」
 言ってなかったっけ?
「・・・・ただいま。」
「ふふ、お帰り和希。逢いたかったよ。」
 にっこりと笑い、啓太が頬をすりよせてくる。
「俺も。逢いたかった。」
「ね、しよう?」
「え?」
「それとももう無理?」
 くくくっと悪戯っ子の顔をして啓太が笑う。
「無理じゃない。」
「じゃ、いっぱいしようね。」
 いっぱい?おいおい・・・。
「それでさ、明日はのんびりしよう?俺さ、和希に話したいこと、凄い沢山あるんだ。」
 細い腕が首筋に絡みつく。
「そうだな、俺も沢山あるよ。啓太に話したい事。メールじゃ全然足りなかった。」
 啓太をギュッと抱き締める。
「和希大好き。」
「啓太・・・愛してる。」

 話したいことが、沢山あるんだ。
 メールなんかじゃ全然足りない。
 啓太を抱き締めて、その頬に触れながら、話したいんだ。
 髪に触れながら声を聞きたい。啓太の声を。
 
 話したいことが沢山あるんだ、でも、その前に・・・。

 ね、啓太、その前に沢山愛し合おう。
                                       Fin

            

            ははは・・・なんでこんなに長いんでしょう?お題の話は短く書く
            つもりだったのに・・・。
            相変わらずな、和希です。もうちょっと啓太を信用しましょうね・・・。
            なんて思うけど、まあうちの和希さんはこんな感じなので仕方が
            ないのでした。







いずみんから一言

うん。話したいことはまだまだあったね。
入院してからも、っていうか、むしろ入院してからの方がいろいろ話したよね。
拍手と日記で、いろんなことを。あれやこれやと。
でもどうしても送れなかった一言に今でも悔いが残る。

―― 私は貴女の病気が何なのか気づいています ――

でも私が気づいていたことを、みのりさまは気づいておられた。
最後のお手紙でそれを知ったとき、どうしても涙が止められなかった。
それとなく気づいていることをお伝えしていたら。そうしたら。
思いっきり泣き言を言わせてあげられたかもしれない。
好きなだけ甘えさせてあげられたかもしれない。
なんでもして欲しいことをきいてあげられたのに。
悔やまれて悔やまれて。本当にどうしようもない。

貴女がどうしても自分で書くと言い張って。そしてついにもらえなかった
私の書き込みへのお返事は、いったい何を書きたかったのでしょう。
私に伝えたかったのは何?

話したいことは本当に山ほどある。

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