たった一人いなくなっただけで、こんなにも違うものなのか。と、この9ヵ月、俺は何度思ったことだろう。今だってそうだ。クリスマスの陽気な馬鹿騒ぎは、ヒートアップしこそすれ収まる気配はどこにもなかった。 篠宮さんが3月で卒業してからというもの、学生寮はパラダイスと化していた。生真面目な性格そのままに、みんながルールを守ってこそ自治が保たれるとしていた篠宮さんと違い、新しく寮長になった成瀬さんは、要所を締めるだけであとは完全な自己責任としたのだ。 それでもまだ4月頃は新入生の眼もあるから、そこそこは秩序らしきものも見え隠れしていたような気がする。それがだんだんなし崩し的に崩れていって……、GW明けにはほとんど野放し状態になっていた。いつだったか和希と冗談で「この状況を篠宮さんが見たら、ショックのあまり切腹するんじゃないか」って言ったことがあったけど、あながち笑い飛ばしてもいられない。「学生会長にも責任の一端はある」なんてことになったらと思うと……。うう。胃が痛くなりそうだ。理事長の和希がこの状況を楽しんでくれているのがせめてもの救いといえば言えるけど。 ところがそんなパラダイス状態の学生寮でも、新入生にとったら「寮長さんが厳しくて怖い」のだそうだ。それを聞いた2・3年生はその場にいた1年生全員がうんうんと頷くのを見て、まさに開いた口がふさがらなくなってしまったのだった。 まあ確かに成瀬さんって、駄目と決めたことは絶対に駄目だし、それをにっこり笑って穏やかな口調で言うものだから、かえって怖いところはある。 今日のパーティだって、こっそりお酒を紛れこませようとしていた不埒な輩が事前に摘発されていた。去年でさえ篠宮さんの眼をかいくぐったお酒が出回っていたことと考え合わせると、成瀬さんってやっぱり怖いのかもしれない。 それはさておき。クリスマスパーティは学生会と寮との合同企画だ。といっても俺がするのは最初の挨拶だけ。おしまいの挨拶は寮長である成瀬さんの役目だし、企画そのものは有志による実行委員会がたてて運営している。で、どこでどうなってこうなったのか分かんないんだけど、とにかく今年は仮装パーティということになったのだった。 最初に企画書を見たとき、こんなの会計部が予算を出さないよ、と思っていたら、意外にもすんなりと通ったのでびっくりした。……たぶん七条さんがなんとかしてくれたんだろうけどね。あの人、ああいうの好きそうだし。正式決定した後は手芸部が総力をあげて衣装の注文を受け付けてみたりして、近年にない盛り上がりをみせていた。 でも仮装パーティってどんな格好をすればいいんだろう。オハナシとしてはよく聞くことばなんだけど、悲しいかな俺は、出席したこともなければ見たことさえもないのだ。和希に相談しようにも注文を一杯抱えていて、それでなくても忙しい和希にそんなこと、口にできそうもない。そうするうちにもどんどんどんどん時間は過ぎていくし……。で、困ってしまっていたところに七条さんが声をかけてきてくれたのだった。 「伊藤くん。パーティの仮装は決まりましたか?」 「いいえ。実はまだなんです。和希に相談しようと思ったんですけど、あれを見てたら言い出しにくくって」 俺たちの目線の向こうを、腕一杯に布地を抱えこんだ和希がよろよろしながら歩いていた。こんなに近くにいる俺に気づかないなんて、はっきり言ってありえない。和希は相当以上に疲れてるみたいだ。そんな和希を見送りながら、七条さんが思い出したようにいった。 「ああ……。そういえばサーバー棟の会議室でも裁断をしていましたね」 「やっぱり和希、そんなに忙し……って。あれ? 七条さん?」 「はい?」 「それってもしかして……、のぞいたってこと……ですか?」 「さあ……、どうでしょうか?」 くすっと笑って誤魔化されちゃったけど俺は確信した。七条さんはサーバー棟の防犯カメラにアクセスしたに違いない。 和希が本気になれば、いくら七条さんといえども防犯カメラにアクセスするのは難しいのだそうだ。今までにだって何度も「今日はできませんね」って言ったのを聞いたことがある。MVP戦のとき簡単にアクセスできたのは、和希がガードを下げてくれていたからだ。だから裁断をしている姿がのぞけたっていうのは、見られてもかまわない程度のことだったって言えるのかもしれないけど……。でもやっぱりのぞきは良くないと思う。っていうか、のぞかれたら俺だって嫌だ。それが漫画を読んでるとか勉強してるとかにかかわらず。 そんなことを考えてるのが顔に出たのかもしれない。七条さんが俺を宥めるように言った。 「でもそれは、僕がお願いした伊藤くんの衣装だったんです。遠藤くんってお得意は編物でしょう? 洋裁はどうかなって思うと、気になって気になって……」 「えっ!? 俺の……、衣装、ですか?」 「そうです。僕からのクリスマスプレゼントに、って思って、実はパーティの企画が内定した段階で遠藤くんにお願いしていたんですよ」 「えーっ!? そんなの俺、ぜんっぜん知りませんでした。和希だって何も言ってくれないし」 ああ、誤魔化されてる。と思いながらも、修行の足りない俺は驚きを隠すことなどできなかった。だって俺の知らないところで、こっそり事態が進んでたんだよ? なんだかなあって感じしない? それでなくてももっと早く教えてくれてたら、何を着ていこうかなんて悩まなくてすんだのに。 「だってこれはプレゼントですから。早く教えてしまったらおもしろくないじゃありませんか」 「それは確かにそうかもしれませんけど……」 「そう言ってもらえてほっとしました。伊藤くんの衣装は僕の仮装と同じ企画で考えたものですから、お好みに合わなくても着てくださいね?」 「はい。それはもう。……でも七条さん?」 「なんですか。伊藤くん」 「もし俺がもう決めてしまってたら、せっかく作った衣装が無駄になるとか考えなかったんですか?」 「ええ。考えませんでしたよ。伊藤くんが迷っていることくらい、僕にはちゃんとわかりますから」 そう言ってふわっと笑った七条さんは、俺のくちびるに触れるだけの小さなキスをしたのだった。 そうやってできてきたのが、俺が今着ているこれ。「猫耳メイド服」だ。結構リアルな猫の耳をつけ、黒のふんわりしたワンピースに白のエプロンがついている。ついでに言えば襟と袖口も白のレースだ。これに黒のスリムジーンズと黒のソックス、そして和希から借りたドレス・スーツ用の革靴を履けば仮装の出来上がりだ。スカートに取り付けられた猫の尻尾が、背中のあたりから張られたテグスで、動くたびにびみょーに揺れた。 本当はスカートの下に黒のタイツをはくようになってたんだけど、それだけは嫌だと抵抗して黒のスリムジーンズをはくことで妥協してもらったのだ。スカートの腰周りを仕立て直さなければならなくなった和希には申し訳ないとは思ったものの、いきなりのタイツとスカートだけは、いくら七条さんのプレゼントだってごめんこうむる。っていうか、七条さんの衣装と合わせてあるんじゃなかったら、これだって着なかったよ? なのに七条さんときたら「僕の出番はまだですからね。伊藤くんは挨拶もあることですし、遠藤くんと先に行っていて下さい」なんて電話をよこしてきただけで、エスコートにも現れなかったんだ。和希と一緒なんて意味がない。だってこれは七条さんと一緒の企画なんだから、単品だとただの笑いものだ。それに何より、七条さんがいてくれないのは寂しいよ。やっぱり。 そう思いながらF1レーサー姿の和希とパーティ会場に入った俺は、会場に足を踏み入れたとたん、みんなから取り囲まれていた。 「ハニーっ!! すごいよ、可愛いよ。ああ、もう、仮装パーティでよかったぁ。文句ナシにハニーが今夜のナンバーワンだねっ」 …… これは烏帽子・直垂姿、平安貴族の成瀬さんだ。 「ふん。猫耳か。丹羽がいたらさぞかしおもしろい見世物が見られただろうに。残念だな」 …… これはマイペース。仮装なんて端からする気もない西園寺さん。 「伊藤さん。すみません、あの……。僕と一緒に写真とってもらえませんか?」 そして1年生のこのことばをきっかけに、仮装パーティはいつの間にか撮影会に変わってしまったのだった。 嫌といっても駄目だといっても誰も聞く耳を持ってくれなかった撮影会が一段落したので、俺はよろよろしながら和希のところまで行った。オープニングの挨拶をしなかったことに今更のように気がついたけど、パーティは勝手に始まっていた。 「お疲れさん。ほら、料理確保しといたぞ」 「サンキュ」 和希は真ん中にポテトサラダを盛り上げ、その周囲にローストビーフだのスモークチキンだのを飾りつけた皿を手渡してくれた。食欲旺盛な高校生がこれだけいれば、たっぷりすぎるくらいあった料理もあらかたなくなっている。和希が確保してくれていなかったら俺は残り物ばかりを食べなきゃならないところだった。心の中で和希に感謝しつつ、まずはダイエット・コークを一気飲みしてから、ポテトサラダにとりかかる。半分くらい平らげたとき、俊介がスタンドマイクをオンにした。 「あーあー。本日は晴天なり。……よし、入っとるな。……えーと、みんなちょっと聞いてんか」 その声に、喋っていた者も食べていた者も、みんなが今していることをやめて俊介の方を見た。俊介は片手に封筒のようなものを持っていた。 「えーと、これはな。今朝方、俺のメールボックスに入っとった封筒や。二重になっとって外の封筒には食券3枚と、こっちの封筒の中身を7時半になったら読むように、っちゅうメモが入っとった」 誰からともなく、時計に眼をやっていた。たとえ相手を見ていなくても、食券3枚の契約は成立していたのだろう。時間は7時半を1分くらい回ったところだった。俊介が手に持った封筒を破いて開けた。 「ええかあ、読むでぇ。『今夜。その会場にある宝物を頂戴しに行きます。――― L 』 以上や」 なんだあ、それ。などということばが行き交う中で、最初に反応したのは寮長である成瀬さんだった。真剣な顔をして俊介のところに歩み寄ったかと思うと、俊介が受け取ったというメッセージを確認した。 「誰か、ここに貴重品もちこんでるかな?」 ゼンマイ人形よろしく、全員がブンブンと首を横に振る。 「自分では貴重品だと思ってないけど、実は……、っていうのもないかい?」 重ねて問いかける成瀬さんのことばに、今度はみんな首を縦に振った。 「わかった。いたずらっぽいから、とりあえずパーティは続けよう。会場の設営した実行委員会の諸君は、申し訳ないけど確認作業を頼むよ」 学生会長である俺も手伝わなきゃ……と思って皿を置きかけると、のんびり口調で和希が止めた。 「別にさあ、こんなところに盗まれるようなものなんてないよ。手伝うのはいいけど、まずはその料理をたいらげてからにすれば?」 「それもそうだな。でも和希は気をつけた方がいいぞ。誘拐ってこともあるんだから」 和希は気のなさそうに肩をすくめた。この数分後。俺は自分のことばの正しさを知ることになる。―― そう。まったく違った形で。 俊介が手紙を読み上げてから一時中断されていたパーティが再開された。実行委員会がすべてのテーブル及び参加者全員をチェックしたけど何も出なかったからだ。でも俺は自分で言った「誘拐」ということばが気になって、和希の傍から離れないように気をつけていた。和希ひとりで何億もの価値のある人間なんだから、ボディガードがドアの陰にいたっておかしくもなんともない。護身術さえ身についていない俺なんてただの足手まといかもしれないけど、でも周囲に気を配ることくらいはできるはずだ。そう思うと離れることなんてできなかったのだ。 舞台では1年生が恒例の余興をはじめていた。数人ずつのグループで出てきて、バンド演奏しながら歌を歌ったりするのだ。やんやの喝采をあびたコミカル系のバンドが終わって、しっとりブルースを聴かせる、ホントに高1か? とツッコミを入れたくなるバンドが演奏しはじめたときだった。ばたんという音がして、観音開きになった会場のドアが開いた。そこにいたほぼ全員が、しかし何気なくといった感じでそっちを見た。タキシードの上にマントをはおり、シルクハットを被った男が立っている。ご丁寧にもモノクルをはめているので怪盗ルパンであることは間違いない。誰だ、あれ? という声が囁かれたが、俺には一目でわかった。―― 七条さんだった。 会場内をぐるっと見回した七条さんは俺を見つけたらしく、まっすぐこっちにやってきた。それを見た西園寺さんが、やってられないとばかりに小さくため息をついた。 「お待たせしました。伊藤くん」 「……七条さん?」 迂闊だったというかなんと言うか、今の今まで、俺は七条さんがまだ来ていないのに気づいていなかった。会場に入るなり撮影会になっちゃったり、犯行予告? が出されたりしてたのが原因なんだけど。 ちょっと間抜けな俺ににっこり笑いかけると、七条さんは俺の手を取って言った。 「さあ、行きましょうか」 「えっ!? 行くってどこへ……? それにパーティは?」 「うふっ。そのための犯行予告じゃありませんか」 俺の周りにいた人間。和希を除く7〜8人が、あっという顔をした。もちろん俺も。和希が驚かなかったのは、こんな衣装を作ったときに七条さんから何の仮装だか聞かされていたからだろう。そうだ。そう言われればわかる。この仮装は「怪盗ルパンにさらわれる猫耳メイド」なのだった。 「なるほどなあ。そういうことかいな。種明かししてもろたら、ぜーんぶの辻褄が合いよるなあ」 「それにしても七条。犯行予告はちょっとやりすぎだよ。その衣装はとっても似合ってるけどね」 「ごめんなさい。ちょっと悪戯がすぎましたね」 俊介や成瀬さんのことばに軽く返しておいて、七条さんは改めて俺の腰を抱いた。 「じゃあ確かに宝物は頂きましたよ」 「はいはい、どうぞ。遠慮のう持っていきや〜」 「どうぞって何だよ、みんな !? パーティは? ちょっ、ちょっと待って……」 ……そうして俺は、あれよあれよという間に七条さんの部屋にお持ち帰りされてしまったのだった。 「ごめんなさい、伊藤くん」 ドアを閉めるなり七条さんは俺に謝ってくれた。閉めてもなおパーティの馬鹿騒ぎは、かすかにだけど聞こえてくる。 「明日から家に帰ってしまうでしょう? せっかくの最後の夜なのに、パーティに出てるなんてちょっともったいない気がしてしまったんですよ。でも伊藤くんはパーティを楽しみにしているようだったし。それで伊藤くんはパーティを楽しめて、しかも途中であやしまれずに中座できる方法がないかって考えたんです」 あまりにも悪戯っぽい顔をしているものだから、俺はもう何も言えなくなってしまっていた。パーティは確かに楽しいけど、あと2ヶ月とちょっとで卒業してしまう七条さんと少しでも一緒にいたいのも事実だったからだ。俺は七条さんの頭からシルクハットを取り、モノクルを外した。綺麗な紫色の瞳がそこにあった。 「もういいです。……臣さん」 「啓太くん?」 「……さらわれたメイドは、このあとどうなるんですか?」 「そうですね……。きっと、こんなふうに……」 七条さんは俺をそっと抱き寄せてくれた。どちらからともなく顔が寄せられ、くちびるが重ねられる。階下の馬鹿騒ぎは、もうルパンと猫耳メイドの耳には入らなくなっていた。 |
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〜 A promise of an angel 麻耶さま 〜 麻耶さまの絵チャログから攫ってきた(笑)啓太くんです。 このお話をイメージして描いて下さったとのこと。 字書き冥利につきるってもんです(喜幸嬉)。 麻耶さま、どうも有難うございました! |
いずみんから一言 |
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