ひでくんのなつやすみ |
8月。夏休みも真っ最中のとある朝。6時ちょうど。 響き渡る目覚まし時計の音と共にひでくんはむっくりとベッドから起き上がりました。小学1年生とは思えないくらい遅くまで勉強していたにもかかわらず、毎日ちゃんとこの時間に起きてくるのです。眠い目をこすりながら部屋を出ると、家の中はまだしんとしていました。お父さんもお母さんもお姉ちゃんもまだ寝ているし、住み込みのお手伝いさんが朝食の準備を始めるのにはまだ少しだけ時間があるからです。みんなを起こさないように、ひでくんはそうっと階段を下りるのでした。 でも1階に下りてしまうともう遠慮はいりません。スリッパをぱたぱた言わせてトイレに行ったひでくんは、今度は冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出すと、そのまま半分くらいを一気飲みしました。この家で牛乳なんかを飲むのはひでくんだけなので、どれだけ飲んでも気遣いなんていらないのです。でもコップに移して飲まないと叱られるので、こうやって紙パックに直接口をつけて飲めるのは、朝のこの時間だけでした。こどもはみんな ―― 大人も、かもしれませんが ―― 「してはいけない」と言われたことをするのが大好きです。誰も見ていないこの時間。ひでくんはとても楽しそうに牛乳を飲んでいました。 顔を洗って部屋に戻ったひでくんは、Tシャツとズボンに着替えると、「ラジオたいそう出席カード」と書かれた定期券くらいのカードを2枚持って家を出ました。目指すは近くの公園です。ここは大きなお家の並ぶ高級住宅街で、どの家の庭も広く、立派な植木が何本も植わっています。そこからうるさいくらいに降り注いでくる蝉時雨にちらっと目をやったひでくんでしたが、足を止めることはありませんでした。 公園にはもう、何人もの人が来ていました。ひでくんはその一番奥。机を置いて座っているおじさんのところへ行くと、ポケットからカードを2枚だしました。 「おはようございます」 「はい。おはよう。って、カード2枚?」 「……はい」 「だめだよ、ズルは。ちゃんと本人が来なくちゃ」 ひでくんは黙って頷きました。そりゃそうだよ。と、何よりひでくん自身がそう思っているからです。でもたまに黙ってハンコを押してくれるおじさんがいるので、こうして毎朝もって出るのです。 「……ごめんなさい」 そう言ってカードをひっこめようとしたときでした。何をしているのかと近づいてきたおじさんが、ひでくんを見て言いました。 「君……。中嶋先生とこのボクか?」 「ボク」という言い方が少々気に入らなかったひでくんでしたが、言わんとするところに間違いがなかったので、また黙って頷きました。 「そうかそうか。姉ちゃんの分だな。あの姉ちゃんじゃ押して帰らなきゃ怖いよな」 苦笑いをしながらそのおじさんは、もう1枚のカードにもハンコを押してくれたのでした。 ひでくんはお姉ちゃんが怖いわけではありません。ただうるさく言われるのが嫌だっただけなのですが、そんなことをこのおじさんたちに話しても分かってもらえないに違いありません。だからただ「有難う」とだけ言ったのでした。 家に帰ると、ふんわりとスープの香りがしていました。お手伝いさんが朝食の用意をはじめているのでしょう。朝顔の観察とどちらを先にしようかとちょっとだけ考えて、ひでくんは台所に入っていきました。体操をしてきて喉が渇いていたのです。 「おはようございます。英明ぼっちゃま」 「……おはようございます」 「今朝のラジオ体操は如何でしたか?」 「いつもと一緒だよ」 冷蔵庫を開けたひでくんは、また牛乳を取り出しました。でも今度は直接飲んだりなんかしません。ちゃんとコップに移して、お行儀良く飲みました。 「あのね。僕、スクランブルエッグをトーストに乗っけたの食べたい」 「はいはい。じゃあ朝顔さんの絵日記を書いて、お手手を洗ってこられたら召し上がれるようにしておきますね」 「はあい」 ラジオ体操にこそ行きませんでしたが、お姉ちゃんやお父さん、お母さんは決して朝寝坊ではありません。もう間もなく。朝食の用意が出来上がった頃には起きてくるでしょう。でもそれより早く起きてきたひでくんだけが、こうやって好きなものを作ってもらえるのでした。 長いようで短い夏休み。 ひでくんは今日もこうして毎日をとても規則正しく過ごしているのです。 |
いずみんから一言。 ホントはちゃんと書いてUPしようと思ったんですが、あまりの暑さにリタイアしました(泣)。 ボツネタ決定。ということで夏限定でのUPになります。 だからあちこちおかしいところは目を瞑ってね? 「ピヨ。」さまに差し上げた「三千世界の……」でも書いたように、中嶋家の皆さんは伊住と 違って、朝はとっても早起きで、しかも規則正しい毎日を送っておられます。 お姉ちゃんがラジオ体操に行かないのは、たぶん紫外線が嫌いだからでしょう。 無敵の中嶋氏にだって苦手なものはあるんだよ、きっと。 |
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