♪ あめあめふれふれ ♪




  バスの窓についた水滴は一瞬の間をおいてふたつになり、さらに一瞬後、みっつになった。そして「降ってきたな」と思った頃には一気に増え、すでに雨粒は窓を洗うほどになっている。とても降りはじめとは思えないくらいの雨量だ。
 あと5分で良かったのに、と思う。バス停に着いてマンションのエントランスに入るまで。あとたった5分だったのだ。そうすれば濡れずにすんだのに。バス停からだとどんなにがんばって走っても、俺の足なら1分はかかる。1分は長い。こんな雨だと思いっきりのずぶ濡れになってしまうじゃないか。この服、一昨年の誕生日に中嶋さんにもらったものなのに。
 ああ……。ついてない。今日の天気は「昼から雨」。朝のニュースで聞いて、俺だってちゃんとそのつもりにしてたんだ。
 なのに。家を出ようとしたら、お隣の奥さんが養鶏場直送のうみたて玉子をお裾分けに来てくれたものだから、お礼を言ったり冷蔵庫に入れに行ったりたりしてる間に遅くなってしまって。慌てて走って家を出て、傘を忘れてきたことに気づいたのは、なんとバスを下りるときだった……。
 もちろん、傘を買う機会ならいくらでもあった。コンビニだってあるし、大学の生協にだっておいてある。値段だって見た。来る中嶋さんの誕生日 + クリスマスプレゼントに向けて資金の積立てをしている俺としては、1円だって無駄遣いはできないのだから。そしたらいかにもなしょぼいビニール傘がコンビニで500円。何度かは使えそうなジャンプ傘が800円もした。ここで「意外に高いな」と思って大学生協に回ったのが、すべての敗因だった。生協の傘は300円だったけど、こっちはもう「勘弁してくださいっ(汗)」って言いたくなるような傘ばっかりだったのだ。女の子用(?)だけしか残ってなかったみたいで、ピンク地に白のハートが飛び散ってたり、透明かと思ったら結んだリボンの絵がでっかくついてたり……。いくら緊急避難的に使うものとはいえ、あんなのさして歩くのは何かの罰ゲームだよ(汗)。しかも中嶋さんって変なとこ目敏いから、隠しててもとっとと見つけちゃって、それをネタにからかわれるのに違いないんだ。
 という訳で生協の傘はボツ決定! 慌てて買わなくてもまだ何とかもってるし、この分だと家まで大丈夫かもしれないだろ? 学内にいるうちに降ってきたら誰かに傘を借りて、西の通用口前にあるコンビニに走る。降りはじめる前に駅にたどり着けたら、あとは売店で買うなり何なりできる。なーに。俺は必要以上に運がいいんだ。家に帰るまで降ってこない可能性の方が高いに決まってる。何とかなる! 信じろ、自分! 
 根拠のない思い込みは、でも願った通りの展開になった。今にも降ってきそうな空はぎりぎりのところで持ち堪えてくれて、大学最寄り駅に着いた時も私鉄に乗り換えた時も、そしてバス停でバスを待ってた時も雨は落ちてこず、俺は自分の運の良さに安心しきって座っていたのだ。……ほんの2分ほど前までは。雨の流れる窓を前に、一気に気分が萎むのが分かる。俺の運の良さはどこに行っちまったもんだか(タメイキ)。
 バスがマンションの前にさしかかる。あー。ここで停めてくれたらうれしいのに。と想いながら降車ボタンを押した、まさにその瞬間。心臓がトクンとひとつ鳴った。バス待ちの客と間違われないように、停留所から少し離れて立っているのは……。
「中嶋さん……!」
 定期を提示するのももどかしく転げ落ちるようにバスの外に飛び出す。と、勢い余った俺を抱きとめて、中嶋さんが俺を傘の中に入れてくれた。アタマの上の方から「何をそんなに慌てている」と声がした。
「すべって転んでも起こしてやらんぞ」
 声が呆れてて、ついでに顔も呆れてるけど、でも機嫌はすごくいいみたいだ。だって支えてくれた瞬間のまま、中嶋さんの腕は俺の腰のあたりを抱いてくれているから。機嫌が普通かそれ以下の場合、いともあっさり手を離してしまうんだよ。中嶋さんって言う人は。しっかりと抱いていてくれる手の感触に、バスの中でついたタメイキはとりあえずチャラになった。
「でもどうして……」
「うん? 講義の都合で珍しく早く帰ったら、玄関先に傘が放り出してあった。おまえの方の終わる時間は分ってるから、だいたいこんなバスだろうとアタリをつけていた時間に雨が降ってきたから迎えに来てやった。以上、何か質問は?」
 黙って首を横に振る。中嶋さんが傘をもって迎えに来てくれるなんて。しかも相合傘だよ、相合傘! あまりに幸せすぎて、次から次から幸せがこみ上げてきて、顔が笑っちゃって。もう声にならない。
「なければいい。……帰るぞ」
「はぁい!」
「こら。もっと寄れ。濡れるだろう」
「はぁい!」
 エントランスまではどんなにゆっくり歩いても2分ちょっとくらいしかない。ましてや足の速い中嶋さんと一緒だともっと早く着いてしまう。あまりにも短すぎるその距離を、俺は幸福感をかみしめながら歩いたのだった。







いずみんから一言。

♪ 雨あめ降れふれ中嶋さんがぁ〜 蛇の目でお迎えうれしいな。
  ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ らんらんらん ♪

と鼻歌を歌いながら読んでください(笑)。
書いていた間のタイトルは「相対性理論の雨」。
1分を長く感じたかと思ったら、2分をあっという間だと思う。
それはまさに相対性理論なのではないか、と。
いやもう、鬱陶しいくらいらぶらぶなふたりでした(爆)。



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