さくら ひらひら |
ベル・リバティスクールの入学許可通知、所謂「プラチナカード」が届いたとき。最初に口から出たのは「へえ〜」だった。ベル・リバティスクールのことはもちろん知ってはいたけれど、ほとんど都市伝説みたいなものだと思っていたからだ。本当にあったんだ。そう思ってちょっと驚いた。次に言ったのが「ま、当然だな」だった。優秀な人間を集める学校が本当にあるのだとしたら、俺を入学させないで誰を入れるっていうんだ? 天才少年詩人の呼び声高い俺を入れないで。 ま、学校側だって何か目玉商品も必要な訳だしな。俺が入学してやったら格も上がるってもんだろう。それによく考えてみたら、俺ほどの人間がフツーの公立高校なんてのも笑える話だ。わざわざプラチナカードを送ってきたんだから入ってやってもいいかもしれない。 すごい、すごいと言うクラスメイト達に、俺はことさらのように無関心を装ってそんなふうに言った。俺ってなんてクールですごいんだろうと思いながら。 だけど学校見学に来たとき、ほかの連中から感じたのは、よくわからない圧迫感だった。みんな俺と同じ中学3年生で、多少の差はあれ同じような背丈で体重で、自分では大人の顔をしているつもりでも在校生と比べたらやっぱり中学生にしか見えない顔をしている。なのに妙に気圧されてしまう何かがあるのだ。プラチナカードを受け取った瞬間からほかの連中を見下していた俺はなんだかちょっと焦ってしまった。そうして手当たり次第に聞き出した周囲の経歴は、どれもこれもきらびやかなものばかりだった。 ロシアにバレエ留学をしていたり ―― こいつには『日本語がうまく話せない』という最高のオマケまでついていた ―― 、父親の仕事の都合でアメリカに住んでいたときに出た映画でアカデミー賞の助演男優賞に2年連続でノミネートされてたり ―― その映画に出る前は、日本でも放送されてるアメリカの人気ドラマにレギュラー出演していたらしい ―― 、新しい彗星をみつけて自分の名前をつけていたり ―― 子供会から観測会に行ったやつだ…… ―― 。その他いろいろ。並べ立てるのも面倒なくらいみんななにかに優秀だった。そして。天才少年詩人だったはずの俺はその中にすっかり埋没してしまっていた。 そんな中、親ともはぐれて学食で提供されてるコーラを飲んでたら、ひとり地味っぽい奴を見つけた。やっぱりひとりで、レモンティーをすすりながらぼんやりと座っている。なんだかちょっとほっとして話しかけてみた。 「ひとり?」 「……姉ちゃんは中学の同級生だったって人と見学に回ってる。両親は……どっかにいるんじゃないかな」 「俺んとこも。親の方が熱心に見て回っててさ。なんか……じゃあ俺はもういいかな、って」 「入学したら好きなだけ見れるしな」 ふたりで顔を見合わせて笑った。声をたてずに笑うところまで似ていて、こいつとは仲良くなれそうだと思った。 それが幻想だとわかったのは入寮の日。学園島に向かうバスの中でだった。そういえばまだ名前も知らないあいつを見かけて隣に座った。でも奴は気づかない感じで、窓の外を眺めながら何かをぶつぶつつぶやいている。つまらないから右折するときにわざとぶつかってやった。 「ごめっ!」 「……いや、大丈夫……」 「あれ? 君、見学会の時の……」 「? ああ、君か。久しぶり、ってことになるのかな」 「なるんじゃない? それよりごめん。何か考えてたんだろ? 口の中で何かしゃべってた」 「かまわないよ。16年前の竜王戦の棋譜をたどってただけだから」 「16年前?」 「1年ずつ遡ってるんだ」 「いやいやいや。ってかさ。棋譜ってあれだろ、将棋の差し手を記録してるやつ。それをたどるって、何も見ずに? まさか暗記してるとか?」 「してるよ?」 「……うそ。どのくらい?」 「記録があるだけ」 マジかよ、と思った。こいつだってあのきらびやかな連中のお仲間だったわけだ。地味に見せておいて。手ひどく裏切られた気がして、それから話しかけるのをやめた。奴は気にしたふうもなかった。たぶん16年前に戻っていったんだろう。 急にバスの中の色が変わった気がした。俺以外のホンモノには、まるでスポットライトが当たっているみたいに明るく光って見える。ニセモノの俺は光が避けているように暗いのに。この入学は間違ってたんだ。俺にはBL学園に入る資格はなかったんだ。今まで見ないフリしてきたものを目の前に突き付けられた気分だった。 金髪の寮長さんから渡されたカードキィで部屋のドアを開ける。真っ先に目に入ったのは真っさらの制服だった。赤いジャケットが目を引いた。でも袖を通してみる気にはなれなかった。この派手な色合いはきらびやかな連中にだけ許されるような気がしたのだ。青いネクタイまでがよそよそしかった。 ことの発端は小6の夏休みだった。担任の宿題の出し方がユニークで、課題図書の読書感想文を書くか詩を20編書くか選べたのだ。俺も母ももちろん詩の方を選んだ。俺は読みたくもない本を読まなくていいから。大学時代に本屋でバイトしていた母は課題図書というシステムに疑問を持っていたから。理由は違うがふたりの思惑はきっちり一致し、課題図書を買うはずだった金でサッカーチームのTシャツを買ってもらった。 詩はいい。マスを1行埋め尽くさなくても改行できる。テキトーに書いてテキトーに改行して、それっぽい長さになったら終わり。また次の詩を書きはじめる。気をつけたのは似たようなものにならないことだけ。長さもテーマもばらばらにするのは結構難しかった。ゲームの風景を書き、テレビの内容書き、マンガ読んで書く。ってな感じで書いた17個目の詩が市内の小学生の文集に載った。すっかり気をよくした担任は3個めのを推敲して全国作文コンクールの詩歌部門に応募するよう言ってきた。テレビのアニメを見ながら書いたものでいいのか? と思いながら応募したら大賞は逃がしたけど文部大臣賞をもらった。俺本人より、親と教師がコーフンしていた。 何もなければそこで終わっていた。傍目には勝ち組に見えるだろう俺が、天下のBL学園の寮の部屋の隅で、挫折感に打ちのめされて膝をかかえていることもなかったはずだ。だけど運命は俺を放っておいてはくれなかった。某有名作曲家が、新聞に載ったその詩に曲をつけたいと言ってきたのだ。親と教師は一も二もなく了承した。ここまでが小学校の時の話。中1のとき、その曲が翌年の全国合唱コンクールの課題曲に使われることが決まった。小学生が書いた詩ということでまたまた周囲が騒ぎだし、だんだん俺もその気になってきた。俺ってやっぱ天才? と思いはじめたのだ。それに拍車をかけるように、とあるメジャー系月刊文芸誌が有名写真家とのコラボ企画を立ち上げた。俺の書いた詩にその写真をつけるというものだ。お試しみたいな感じで一度やってみたら意外なくらい反響があった。はじめて『ファンレター』というのをもらったのもこのときだ。一度きりの特集だったはずの企画は隔月になり、すぐ毎月の連載になった。 このあたりで真面目になっておけばよかったのに、俺は相も変わらずアニメのオープニングやエンディングの映像を基にした言葉の垂れ流しをやっていた。だってそれでもそのコーナーは超のつく人気コーナーとなったんだから。雑誌の売り上げが増えたと言って、去年の春休みはご褒美プラス夏の特集号企画で家族全員でハワイに行かせてもらった。ここで詩を書き、写真家が写真を撮る、というものだ。わざとらしくビーチサイドで海や雲やトロピカルドリンクの様子なんかをメモする写真が雑誌にも載ったけど、実際に書いた詩はレンタルしてきた昔の海洋ものアニメを見て作っておいたものだ。それをちょこちょこっと現地でハワイ風にアレンジしたけどね。だって俺は天才だから、たかだか文芸誌程度に載せるなら遊びの片手間で十分なのだった。 そして。コンクールの課題曲になった歌は中学の音楽の教科書に採用されることとなり、文芸誌に載った詩のひとつは小学校の国語の教科書に使われることが決定した。ちょうど教科書が改訂される時期だったのが不運だったんだと、今はそう思う。……もちろんその時はこれっぽっちも不運だなんて思ったりしなかったわけだけれども。最初の詩集ももうじき店頭に並ぶ。行け行けどんどん。そこのけそこのけ俺様が通る。見事な勘違い天狗の出来上がりだった。 馬鹿な俺は国語の勉強をまともにしなくなった。もともと国語なんて勉強してたわけじゃないけど、一夜漬けさえしなくなった。当然テストの結果は悲惨なものだ。でも国語の教師に呼び出された俺は「先生に文学がわかるとは思えませんけど? そんなに俺に指導したいんなら詩でも小説でも書いてみたらいいんじゃないですか」と言い放ち、話も聞かずにその場を後にしたりした。親にも同様だ。「誰のおかげでハワイに行けたと思ってるん?」だの「印税が入ったら俺、お父さんの収入越えちゃうかもな」だの。薄っぺらい人間だけが持てる尊大さはメッキの重ね塗りでどんどん大きくなっていっていた。 正直、学園の見学会に来たとき、俺よりすごい奴はいないと思っていた。ちょっと名前を言えば「もしかしてあの後藤くんか?」とかって反応があると思っていたんだ。学校の廊下や通学路で「ほら、あいつだよ。雑誌で詩の連載してる後藤卓也って。今度教科書にも載るんだってよ」「すっごーい。なんか尊敬しちゃいそう」などと言われていたみたいに。でも違ってた。「何でこの学校に選ばれたか」なんて自分の口から喋っているのは俺だけだった。俺が何者かわかっても誰も驚いてくれなかったし、尊敬のまなざしでも見てくれなかった。「何でこの学校に選ばれたのか」って聞いて回ってるのも俺だけだった。みんな本物で自分に自信があるからわざわざ「僕は何をする人です」とアピールなんかもしないし、ほかの人と比べて「やっぱ俺の方がすごいじゃん」なんて確認する必要もなかったのだ。あの時感じた不思議な威圧感は、本物だけが持てるオーラみたいなものだったんだ。ボス部屋へ行くルートを詩っぽく 『僕は進む 扉を開いて』 なんて書いてる俺にはあるはずもなかった。高くなりすぎていただけに、天狗の鼻は簡単に折れた。残ってた鼻もついさっき粉々になってしまった。ホンモノの中に混じってしまったニセモノは、これからどうなるんだろう……。 その時だった。何かかすかな音が聞こえた。廊下の方じゃない。この部屋の中だ。あ、まただ。弱々しく何かをひっかくような音だ。見回した先にドアがあった。立って行って開けたとたん、うっとなった。ひどい臭いがする。天下のBL学園だっていうのに寮の部屋でこれは何だ? 開けたところは洗面所。その奥にバスタブ。文句を言いに行くのは寮長さんでいいんだろうか。教えてもらった部屋番号は忘れちゃったけど『寮のしおり』に書いてあるって言ってたよな、などと思いながら恐る恐る覗いてみたら……、バスタブの中に猫がいた。どこから入り込んだのか知らないけど、どこかの時点で閉じ込められたんだろう。すごく弱っていたけど、まずは水を飲ませてみたらちょっと元気が出てきた。あまりにも汚くて洗ってやっていたら、うもれていた首輪に気がついた。名前がついてる。トノサマか。え? じゃ、こいつ。もしかしてミケの雄なのか? ミケの雄ってすごい値段がついてたはず。何百万とか。うひゃ〜っと思わず見直してる俺の腕をすり抜けたトノサマは、置きっぱなしにしていた紙袋の方によろよろと歩きはじめた。新幹線の中で食べようと思っていた唐揚げサンドがそのままになっていた。 「何? これ食べたいの?」 「……にゃー……」 唐揚げサンドを食べているトノサマを見ていたら突然、何かが胸にぎゅっとこみあげてきた。ここには誰もいない。お父さんも、お母さんも。今日からひとりだ。友達もきっとできない。だって俺だけがニセモノだから。本物は相手になんかしてくれるはずがない。トノサマ。俺にはおまえだけだ。おまえしかここにいてくれないんだな……。おまえ、俺と一緒にいてくれる……? 春だ。啓太がBL学園にきてはじめての春だ。波がはじく陽光はきらきらと、しかしやわらかくきらめき、海を渡ってくる風はまだ冷たいけれども心地いい。学園内は男子校に似合わず花の咲く樹があちこちに植えられていて、卒業式を彩った緋寒桜のかわりに、今は木蓮がぽってりと咲き誇っている。 新聞の桜便りは満開が増えてきているが、学園のソメイヨシノはようやく七分咲きになってきたところだ。それはたぶん吹き抜けていく潮風にあたっている所為なのだろうが、『入学式に満開になるように調整されている』という俗説の方が広く信じられている。 ところで春休みというのは宿題もなく、普通の高校生にとってはいちばんのんびりできる休みであるが、BL学園では違う。皆、何かに秀でていて、それをさらに伸ばせるようここに入学してきたのだ。よほど特殊なものでない限り自宅にいるより環境が整っている学園に、春休みも残って自己研鑽に励んでいる。……まあそれは表向きで、親に顔を見せるために帰省するほど殊勝な心がけをした男子高校生が多くないだけの話で、気の合う仲間と旅行に行ったりしているようだ。 特殊な例外である西園寺が親の名代を務めに帰省し、石川の家に風を通すために七条も同行した。ひとりになってしまう啓太もそれに合わせて実家へ戻ったが、3人ともわずか数日で学園に戻ってきた。そう。新入生を迎え入れなければならない学生会執行部はのんびりしているヒマはないのだ。 翌々日に新入生の入寮日が迫った今日は第2回の受入れ準備委員会である。学生会長の啓太と会計部のふたり、そして寮長になった成瀬が出席していた。今年度から学生会に入ってくれるはずの数人は、全日本強化合宿だったり親戚の法事だったりで欠席となったため、啓太の提案で今日の会議は会計室で行われることになった。これはまだ七条にさえ打ち明けていないが、学生会長に就任はしたものの、啓太にとってまだ学生会室は『他所のお宅』みたいな感じがして仕方がないのだ。その点、ほぼ毎日入り浸っていた会計室はとても安心して落ち着ける場所だった。 「やあ、ハニー。新・学生会長、あらためてよろしく」 「成瀬さんこそ。新・寮長さんよろしくお願いします」 紅茶の準備をしながら聞いていた七条が口元だけ小さく笑った。成瀬と啓太は学生会長と寮長に就任以来、その挨拶を何度となく繰り返しているのだ。七条が耳にした数だけでも両手では足りないくらいだったので、きっとふたりの間では何十回と繰り返されているのに違いない。だがふたりともその都度大真面目な顔をしていて、周囲の人間は気づいても茶化したり笑ったりできない。和希には表情を変えないというビジネスモードの裏技があるし、西園寺はなんとも思っていないのか真面目な顔で聞いていられるが七条には無理だった。愛する啓太のかわいい言動にはどうしたって笑みをおさえることなどできないのだ。 「成瀬……。寮長として皆の規範を示すなら、その金髪をどうかしないか」 「駄目だよ。黒髪になったら僕じゃなくなってしまうからね。それに、それを言うなら西園寺だって巻き毛をやめたらどうだい? もう襟足を狙ってくる会長は卒業しちゃったよ?」 そこでわずかに生じた『間』は、寂しさと懐かしさと不安感を足して3で割ったものだったかもしれない。丹羽哲也という存在がいかに大きかったか、彼が卒業してまだわずかひと月だというのに、在校生の誰もが折にふれ思い知らされている。まったく認めてはいないが西園寺もそのひとりだった。 「ふふふ。ここは成瀬くんと郁の痛み分けといったところですね。さあ、おいしく紅茶が入りましたよ」 「わあ、いい香りですね。俺、手伝います」 「駄目ですよ。伊藤くんは学生会長なのですから会議に集中してください」 「はぁい」 いつまでもお手伝い気分でいてはいけない。啓太は改めて気を引き締めると、第1回の会議で配られていた寮の利用規則を取り上げた。これをもとに今年度はどうするかを話し合い、成瀬の提案で1か所を変更して決定稿とする。午後に予定されている理事会で承認され次第、印刷に回されることになるだろう。 入寮時の説明会の手順も確認された。部屋の割り振りはもうかなり前にできていて、一昨日には業者が各部屋に教科書や制服を納入していっている。入寮の際には間違えないようにカードキィその他を渡さなくてはいけない。図書館のカードなどは学生証で兼用できるようになっているのだから部屋の鍵も一緒にしちゃえばいいのに、と啓太はふと思った。技術的にできないのか、コストが合わないのか、単に和希が思いついていないだけなのか。これは和希が出張から帰ったときに聞いてみることにしよう。 「なんだかめんどくさいけど……。でも僕たちが入学した時にも、きっとこうやっていろいろ準備してくれてたんだろうね」 「あ、俺なんて途中入学だったから、この手間をもう1回やってもらったことになります」 「それはいいことをしましたね。あの人でなしさんにもう1度忙し……」 「ごめ〜ん!」 突然の声に皆が振り向くと、ドアを少しだけ開けて海野が顔をのぞかせていた。 「おや。海野先生ではありませんか。どうぞお入りください。お茶をお淹れしましょう」 話を途中で遮られたにもかかわらず、七条がやわらかい笑みを浮かべて席を立った。 「ううん、いい。トノサマを探してるんだ。どこかで見なかった?」 「トノサマ? そういえばここ数日見ていないな。臣、啓太。おまえたちはどうだ?」 「いいえ郁。残念ながら見ていませんね」 「俺も。見てないです」 「僕は休みの間中ずっと学園にいたけど……、確かに見てないね」 「トノサマいなくなっちゃったんですか?」 「うん……。丸2日になるんだ。お腹がすいたら帰ってくると思ってたんだけど」 「どこかで女の子でも見つけたかな」 「だといいんだけど……。やっぱり街に行っちゃったかなあ……」 邪魔してごめんね。力なくそう言って海野がドアを閉めた。数瞬おいて誰からともなくため息が漏れた。トノサマは三毛猫の雄なのだ。数百万、場合によっては1千万の単位で取引されている、三毛猫の雄。学園島にいる限りトノサマは基本的に安全だ。島内の人間なら誰もがトノサマを知っているからだ。誰かがどうこうしようとしても、ほかの誰かの目を逃れるのは難しい。だが島外に出てしまっていたら……。三毛猫の雄だと気づいた誰かに捕獲されて売り飛ばされてしまう恐れは十分以上にあった。そしてそれだけの金を払ってでも猫1匹を手に入れたいと思う輩は、どこにでもいるのだ。 「迷い猫のポスターでも作りましょうか」 「ああ、それがいいな」 「まあトノサマはかしこい子だから、今日中には帰ってくると思うけどね」 だが翌日になってもトノサマは帰ってこなかった。 新入生受入れの準備が着々と進む中、七条はトノサマ捜索のポスターを作り上げた。俊介に頼んで島の内外に貼ってもらうために食券を用意したのだが、俊介はそれを断った。どんなことでもビジネスだからと割り切る俊介には珍しいことだった。 「そんなん、俺かってトノサマ心配やもん。しょんぼりしてもうてる海野ちゃんから成功報酬でたっぷりもらうよって、これは一応、辞退っちゅうことにしとくわ」 しかしどんなにがんばって貼って回ってもひとりでやることには限界がある。時間が驚くほど速く流れていき、失踪の深刻度も比例して大きくなっていった。 「たいへん言いにくいことですが、事故に巻き込まれた可能性も捨てきれません」 なにか手がかりになるようなものはないか、暇ができればネットでそれらしい書き込みがないか探していた七条が口を開いた。 「トノサマは雄の三毛猫です。手に入れた人間はつい見せびらかしたくなると思って探しているのですが、まったく見つかりません。闇ルートで売られて表に出ていないケースももちろんありますが……」 「自動車事故か……。あるいは農薬をまかれた場所を通って、毛に着いた農薬をなめてしまったというのも考えられるな」 「利口な子なのでうまく逃げていると思いたいですね」 心配なのは誰もが同じだった。七条や啓太のように口に出してこそいないが、西園寺だって同じである。予算計画書を作成していた西園寺が思いついて、トノサマの件を耳に入れておこうと和希のスケジュールを確認しようとパソコンの画面を切り替えたとき、デスクの電話が鳴った。成瀬だった。 「ハニーはいる?」 「いや。今ちょっと数学の教科主任との折衝に行かせている」 「ああ……、例のあれね」 「毎年の恒例行事みたいなものだ。啓太ひとりでもなんとかなる。あれをあしらえないようなら、さっさと会長の座から降りた方がいい」 「あいかわらず辛辣だね。だったら帰ってきたら伝えて。入寮は僕がやるから、啓太はトノサマの捜索に専念して、って。もちろん君たちも一緒に」 「わかった」 新入生の入寮に学生会長が同席しなければならない決まりはない。ただ実際問題としてやらなければならないことが多いため、必要な人手として学生会が合同で執り行っているにすぎないのだ。成瀬がテニス部の部員を何人か連れて行けばことは足りる。成瀬の厚意を啓太は心苦しく思うだろうが、同時に喜びもするだろう。まずは学生の中でいちばんトノサマを心配している男にそれを伝えるため、西園寺は立ち上がって「臣」と声をかけた。 闇雲に探し回って見つかるものならとっくに見つかっているだろう。学生会ではすでに学内からボランティアを募って、今朝から俊介の手伝いとトノサマ捜索に出かけていた。捜索隊には学内に残っていた学生の大半が参加していた。友人からのメールやラインを見て急いで帰寮してくる者も相次ぎ、捜索隊はどんどん増えていっている。外を彼らに任せた啓太は七条と一緒に、まずは会計室のパソコンをのぞきこんだ。 「……ネットに流した『迷い猫さがしてます』にも何の反応もありませんね……」 「噂くらいは拾えるかと思ってたんですけどね」 「保険所に行ったグループからは、見つからなかったって連絡ありました」 「ああ、それはトノサマがいなくなって以来、いちばんいいニュースですね」 「見つかっていないことには変わりないですけどね。とりあえず保険所と市役所には交代で誰かが詰めてくれてるそうです」 「行き届いてますね。さすがはここの学生です。せっかくチップを埋め込んでいても、読み取れない機関は意外と多いようですから」 啓太が画面の隅の時計を見た。入寮の説明会はもう終わった頃だ。新入生は今頃各自の部屋に入ってあちこちの扉を開けてみたり、ベッドに転がってみたりしているに違いない。せっかく成瀬が面倒な入寮を引き受けてくれたというのに、ほとんど何もできていないことが申し訳なかった。登録チップにGPS機能がないのが本当に残念だった。GPSさえついていたら海野が探しに来たとき、すぐにどこにいるかがわかったろうに。 「本当に、トノサマどこに消えちゃったんだろう……。街中ポスターだらけなのに何の情報もないなんて」 「ええ。いっそ見事です。海に落ちていたりしなければいいのですけどね」 その何気ない会話に反応したのは西園寺だった。だがすぐには何も言わず、軽く片手をあげて啓太や七条を制したまま眉間にしわを寄せている。何かに気づいたもののそれが何かわからないようだ。漠然としすぎている何かの姿を求めて、頭の中の迷路をゆっくりと行きつ戻りつする。そして、ようやく答えを見つけたように顔をあげた。 「……そもそもトノサマは島を出たのか? 「……え?……」 「誰か、トノサマが島を出たのを確認した人間はいるのか?」 「だって……、海野先生が……」 「先生はあの時こう言ったんだ。『やっぱり街に行っちゃったかなあ』と」 がたんと音をたてて七条が立ち上がった。驚いた顔をしている。 「……僕としたことが、その可能性をまったく考慮していませんでした。すぐにゲートのカメラ映像を確認します」 「だったら理事長殿に連絡するんだな。あそこの防犯カメラはオンライン可されてない」 「え。どうして」 「おまえみたいにあちこち覗きまわる奴がいるからだ。おい啓太。遠藤に連絡をとれ。向こうは夜中だ。仕事はしてない。遠慮なく叩き起こせ。その間に臣はゲート付近で待機だ」 「わかりました!」 そして15分後。七条はゲートの警備室で画像の確認を開始した。物陰にひそむ不審者対策として和希がサーモグラフィーの画像も組み込んでいたため、予想していた数倍の速さで確認作業が進んだ。背後で警備員たちが「理事長は風邪を引いたみたいな声だった」と話す声が小さく聞こえた。どうやら和希は本当に叩き起こされたようだった。 トノサマはおそらくゲートから出ていない。業者などのクルマに乗って遊んでいるうちに運び出されてしまった恐れはあるが、その可能性は低いと考えられた。この情報はまず海野先生に伝えられ、次いで橋向こうで活動しているトノサマ捜索隊にももたらされた。だがよろこんでばかりもいられなかった。島内にいるにもかかわらずトノサマが帰って来ないほうが、理由としてはより深刻だからである。どこかに閉じ込められて出てこられないのか、あるいは海に落ちたのも含めて、もう生きていないのか。 西園寺は戻ってきたトノサマ捜索隊を島内に振り分ける一方で、防犯カメラ映像のチェックに野球部とボクシング部とから部員を借りてきた。動体視力のすぐれた彼らなら、茂みなどに入り込んだトノサマの見落としも少ないだろうと考えたのだ。それになにより防犯カメラは数十台もあり、啓太たちだけなら最初のトノサマの姿がチェックされるまでにうんざりするほどの時間がかかったに違いない。 「おっとー! あれ、トノサマじゃね?」 チェック開始から1時間が過ぎた頃、サーバー棟付近の映像を見ていたボクシング部員が声をあげた。 「どれ?」 「ほら、あれ。葉っぱの隙間から見えてるやつ」 だがそこに猫の姿は映っていなかった。茂みの隙間に、言われてみれば色の違う場所があり、動いているように見えるだけだ。啓太では判断がつかず、別のモニターを見ていた七条を呼んだ。長身を折り曲げるようにしてモニターをのぞきこんだ七条は、映像を進めたり戻したりしていたが、顔をあげると「トノサマですね。彼の前足に間違いないです」と言った。学内の詳細地図に時間が書き込まれた。あとはここからたどっていけばいい。 最初の姿が確認できたので後の作業はどんどん進んだ。サーバー棟前の植え込みの中で遊んでいたトノサマは、一度姿が見えなくなったものの今度は中庭を横切る姿が確認された。学食からは10分程度で出て、しばらく花壇の手入れをする現業の職員のうしろをついて歩いていたが、そのうち何かに気づいたように逆方向へ走って行った。 「これって寮の方角じゃないか?」 「いつ?」 「4日前の……。15時38分」 「……新入生の部屋に備品が入った日だ……!」 「見慣れないクルマを見つけて、遊びに来たんでしょうかね」 そしてそれを最後にトノサマの姿はふっつりと消えたのだった。 間の悪いことに業者やら学生やらの出入りが多く、トノサマが寮に入ったという確証は得られなかった。何度も何度も人を変えて見直されたが、トノサマが寮に入る姿も寮から出る姿も見つけることはできなかった。とりあえず全校放送で海野先生の飼い猫のトノサマがいなくなったこと、見かけた人は寮長あるいは学生会まで連絡してほしいこと、等が呼びかけられたが、2時間経過した現在も何の情報も寄せられていない。プライバシーの関係で寮内はエレベーターにしかカメラがないのが、こういう場合には痛い。寮の責任者として呼ばれた成瀬に七条が向き直った。 「ぐずぐずしている時間はありません。1年生の部屋に踏み込みましょう」 「待ってくれないかな。1年の部屋だと断定はできないんじゃない?」 「確かにそうです。でも各個室以外の場所に閉じ込められているなら、もう見つかっているはずです」 「……まあね」 寮にいる可能性が高いとなった時点で、寮内を探すようテニス部員に指示を出したのは、ほかならぬ成瀬自身だった。「洗濯機の裏まで探したけど見つからなかった」という報告を聞いたのも彼だ。 「トノサマを隠している在校生がいる可能性は否定できません。でもこれだけの騒ぎになっているんです。いつまでも部屋に置いておくお馬鹿さんはいないと思います。トノサマが喋れないのを幸い、部屋の外に出してしまえば証拠隠滅できるんですからね」 「でもどうして新入生がトノサマを隠す必要があるんだい?」 「それはわかりません。雄の三毛猫だから、という以外の理由があるのかどうか、も」 「……寮以外の場所にいる可能性は?」 「防犯カメラは野球部に頼んで2度目の確認中です。トノサマを入れて運べそうな荷物をもって出た人も見つかっていません」 「……わかった」 今日学園に来たばかりでまだ入学式さえ迎えていない新入生にトノサマ隠匿の容疑をかけて部屋に踏み込む。寮長としてはもっともやりたくない仕事だろう。ここへ来る途中に見かけた、学食から走って出てくる新入生の姿が目に浮かんだ。希望に満ちてこの学園に来たというのに、入学式の前に猫を隠匿した容疑で室内を捜索されたとき、彼はどんな顔をするのだろう……。 ため息をひとつついて、それでもまだ困った表情は消しきれないまま、成瀬が立ち上がった。たかが猫1匹とはいえ、トノサマだってBL学園の大事な一員だ。トノサマが自由に歩き回れないなら、ここはBL学園とは言えないのだ。そう。断じて。 「ただし、1年の部屋に行くのは僕と海野先生のふたりだけ。念のためにもう一度放送をかけてから。で、いいかな」 もちろん誰にも異存はなかった。 ピンポロポンピンプ〜ン♪ 『学園関係者の皆様へのお願いです』 なんだか変わったチャイムが鳴ったと思ったら校内放送が始まった。何だろうと思う間もなく続けられた言葉に、俺は全身の血が下がる音を聞いた気がした。 『在校生、及び教職員の皆さんにお願いです。海野先生の猫が行方不明になりました。少し太めの三毛猫で、名前は“トノサマ”です。先生が探しておられますので、見かけた方は学生会、あるいは寮長のケータイまで連絡してください。繰り返します。海野先生の猫が行方不明になりました……』 先生の猫……、だって? まずい。としか思えなかった。こいつ、先生の猫だったのか。思わずまじまじと見遣ってしまった。トノサマはここにいる。自分の名前を呼ばれてるのがわかるのか、スピーカーのあるあたりを見上げている。どこにもやりたくなくて思わずトノサマを抱きしめた。抱き上げようと思ったのに見た目よりさらに重くって、持ち上げ損ねた。驚いたトノサマが緩んだ腕から逃げようとするのを力任せに抑え込む。ふかふかした尻尾が俺の脇腹のあたりをはたいた。 「ここにいてよ、トノサマ……。お前にまで見捨てられたら、俺……」 抱きしめられているのが嫌なのか、ここにいるのが嫌なのか。トノサマはまだもがいている。でも毛は思ったよりやわらかで体はとてもあったかくて。どうしてもトノサマを本当の持ち主に返すことなんてできないよ。 「どうしたらいてくれる? どうしたらナントカ先生のとこに帰らないって言ってくれる?」 どうしたら。どうしたら。どうしたら。 「そ、そうだ! 唐揚げ。唐揚げ好きだったよな。食べる? 食堂のおばさんに聞いてみるよ。だめだったら街に行って買ってくるから。待ってて。……いいな待ってろよ!」 1階の食堂まで走ったけど、今日は唐揚げは作ってないと言われた。仕方がないのでダメ元で学食に行ったらBランチがちょうど唐揚げだった。よかった。それで怪しまれるかと思いながら唐揚げだけテイクアウトしたいと言ったら、意外に簡単に紙のケースに入れてくれた。理由を聞かれたらどうしようか思ってたからほっとした。 唐揚げをもって寮に帰る途中で金髪の寮長さんとすれちがった。急いでいるみたいで、こっちを見もしなかった。いろいろラッキーだった。これでしばらくトノサマといられるような気がした。そして、今の気持ちをそのまま詩にしてみようと思った。元ネタのない詩を書こうと思ったのははじめてだった。 幕切れは馬鹿みたいに呆気なかった。二度目の放送も無視してトノサマが唐揚げを食べるのを見ていた俺は、突然のドアのノックにバスルームに追いやるなんてことは思いつかず、手近にあったパーカーをトノサマにかぶせただけでドアを開けてしまった。立っていたのは白衣を着て眼鏡をかけた小柄な上級生と金髪の寮長さん。誰だろうと思う間もなかった。その人が「すみませ〜ん」ってぽや〜んとした声を出した瞬間、飛び出したトノサマがパーカーを振り捨てて飛び出したのだ。 「あっ! トノサマだ〜」 駆け寄ったトノサマをその人がいとも簡単に抱き上げたのを見て、俺はその人が誰なのかを知った。だって俺より小さくて細っこいのにその人は、俺がどうしても抱き上げられなかったトノサマを軽々と抱いていたから。ああ、これがナントカ先生なんだって思った。そして、終わったな、とも。だって放送を無視して先生の猫を部屋に隠していたんだ。たぶん俺は退学になるんだろう。ああ。まだ入学してないから退学って言わないのか。どうでもいいや、もう。それが知れたら雑誌の方だってどうなるかわかったもんじゃない。伸びすぎた鼻と同様、ガラスでできた城はほんの一撃でこなごなに砕け散るんだ……。 「ありがと〜う!」 いきなり抱きついてこられて現実に引き戻された。俺が上級生と見間違えたナントカ先生はトノサマを襟巻みたいに首に巻いて、俺に抱きついていた。思わず押し返したら今度は両手を握ってきた。 「君がトノサマを助けてくれたんだね!」 「あ、あの、えっと……。お風呂に閉じ込められてたみたいで……」 「そうなの? トノサマ?」 「ぶにゃぁ」 「駄目じゃない。気をつけなきゃ」 「ぶにゃっ」 驚いたことにこの先生は真剣な顔でトノサマと会話をしている。たとえば家にいてのんびりしてるときだったら、犬や猫やぬいぐるみに話しかける人はいると思う。一人二役で会話をする人だっているはずだ。だけど人前でこんなのするか? 猫と真剣に会話する大人に呆れ、それを何とも思わないふうに「見つかったよ」と誰かに連絡している寮長さんに呆れた。あからさまなため息をつかなかっただけでも俺をほめてほしい……。 「トノサマが迷惑をかけた、って言ってる。ごめんね。僕からも謝ります」 「迷惑なんてそんな……」 「ううん。一杯迷惑かけてるはずだよ。成瀬くんはすぐにハウスクリーニングの人を呼んでくれる? 何日も閉じ込められてたんだ。バスルームはちょっと掃除をしたくらいでは使えない状態になってると思う。僕も後で掃除をしに来るけど、トノサマを病院に連れて行きたいから。至急で手配をお願い」 「わかりました。すぐ会計部に」 寮長さんが再度電話で話しだしたのを見て、先生が「えーっと、君は……」と言った。自分で名乗ろうとしたのに、話の間が開いたときだったのか寮長さんが「後藤くんです」と言ってしまった。 「後藤くんかあ。僕は海野。生物担当だから授業でまた会えると思うよ。一緒に楽しい学園生活をおくっていこうね」 「あっ、は、はい」 「今日は部屋のお風呂が使えないんじゃないかな。早々で悪いけど大浴場を使ってね。みんなと一緒がまだ嫌だったら……」 平気です、と言おうとしたその時だった。また例のピンポロポンピンプ〜ン♪が鳴った。 『お知らせします。トノサマは無事に見つかりました。ご協力ありがとうございました』 その瞬間。「うおーーーーっ!」「やったー!」という歓声が聞こえた。廊下の向こうから。窓の外から。上の階から。下の階から。ありとあらゆるところから。これは何。トノサマが見つかったのを喜んでるのか? トノサマってそんな有名なネコだったのか? 走ってくる足音が聞こえる。誰かが「こっちだ!」と言い、みんなこっちに向かってくる。顔が笑っている。どんどん人数が増えている。まるで人の波だ。押し寄せてきて、そしてあっという間もなく飲み込まれた。 ひらりひらりと花びらが舞い落ちてくる。伝説を裏付けるかのごとく入学式前日にきっちりと満開になった学園の桜が、海からの風にあおられるのか、1枚、また1枚と花びらを揺り落としているのだ。啓太は大きく枝を広げる木の下に入り、花びらを受け止めようと走り回っていた。 「……何をしているんだ? 啓太は」 「さあ? でも気持ちがいいんじゃないんですか? 入学式は滞りなく終了したし、トノサマも無事に見つかりましたから。ああ、あの入学式の立派な学生会長ぶりと言ったら……。あのまま永久保存してしまいたいくらいでした」 「学生会長ぶりに異論はないが……。あのトノサマを見つけたという新入生。あれは気をつけた方がいいぞ」 「そうですね、郁。でも伊藤くんも成瀬くんもそれくらいわかっていると思いますよ。きっとね」 別に隠すつもりもなかったこともあり、七条と西園寺の会話は啓太の耳にもちゃんと届いていたようだ。啓太は花びらをつかまえようとする手を止めると、くもりのない笑顔で振り向いた。 「それって後藤くんがトノサマを隠していたんじゃないか、ってことですよね。いいじゃないですか。そりゃあ海野先生には何時間か余計に心配かけちゃいましたけど……。でも島の外へ持ち出して売っちゃおうと思ってたわけでもなさそうだし。単に親元から離れてひとりになって、まだ友達もいなくて不安に思ってたところにトノサマが閉じ込められてて、つい手元に置いておきたくなった、ってだけだと思うから」 「……おまえは本当に、人間のいい面だけをみるな」 「俺だっていろいろ考えたんですよ。どんなに頑張っても王様みたいなカリスマ性のある会長にはなれない。じゃあどうするかなって考えて、それで思ったんです。学生会長って結局はみんなが楽しく学園生活を送れるようにするのが仕事なんじゃないかなあって。その中にはもちろん新入生だって含まれてるわけで。ここで俺が後藤くんを追求したって、みんなが嫌な思いをするだけでしょう? だけど彼のしたことをほんのちょっとでもいい方に修正できたら、嫌な思いをする人は、たぶんいなくなりますよ」 「トノサマも懐いたみたいですしね」 「そう! そうなんです。トノサマは賢い子だから、自分を売り飛ばそうとした人間に懐くはずないんですよ!」 「それで『爺』か? とんでもないあだ名をつけたものだな」 「そうですか? イニシャルの『G』とかけたつもりだったんですけど」 「……まあ、好きにするといい。学生会長はおまえだ」 呆れたように西園寺が言って軽く肩をすくめた。その仕草は七条のそれより上品で洗練されていたにもかかわらず、上品すぎた所為か、啓太の目には七条のものほど格好良くはみえなかった。 「おい。おまえが招集をかけた新入生がやってきたようだぞ」 西園寺の視線を追った啓太が振り向くと、たしかに今年の新入生がぞろぞろ歩いてくるのが見えた。 なんだかよく訳のわからないうちに俺は『トノサマを見つけて救出した功労者』になっていた。なんか懐かれたみたいで、動物病院から帰ってきたトノサマが俺を見つけると後をついて歩くようになったからかもしれない。おかげで上級生につけられたあだ名が『じい』。何だと思ったら『爺』だとよ。殿様と一緒にいるから、ってな。せめて『お庭番』くらいにしといてくれたよかったのに。そんなことをぼやいてたら、同じクラスになったやつが「じゃあ『G』にしとけば? イニシャルだろ? 海軍の捜査官みたいでかっこいいじゃん」と言って、それから俺は『G』になった。海軍の捜査官と『G』がどういう関係なのかは知らないけど、それで気がついたら俺は何となく学園の中に落ち着いてしまっていた。ニセモノだった『詩人』の俺としてじゃなく、『G』としての俺が。それはなんだかくすぐったい感じがしたけれど、同時にほっとしたような気分にさせてくれている。 今日は学生会主催のイベントと言うことで、新入生全員がゲート前の桜並木に集合した。学生会長の伊藤さんはみんな揃ってるのを確認すると「落ちてくる花びらを3枚、地面に落ちる前に受け止めてこっちに持ってきてください。ズルはなし!」と言った。当然、何を言ってるのかとみんなが口々に何かを言いはじめる。伊藤さんがはいはいといった感じで両手をあげた。 「花びらを3枚、地面に落ちる前に受け止められたら、願いが叶うんだそうです。だから受け止めた人は、君たちをこの学校に送り出してくれた人の幸せを祈ってください。みんなが今日、ここにいられるのは、その人のおかげだから」 お父さんとお母さんの顔が浮かんだ。みんなも「え〜?」とか言ってるものの、一瞬、誰かを思い浮かべたような表情がよぎるのがわかった。俺が親の顔を思い出したみたいに。その証拠に「スタート!」って声がかかったとたんに、結構真剣に走り回りはじめている。俺も負けずにいちばん枝ぶりの大きな木の下にポジションを確保した。さっさと終わらせて見物に回ってやろうと思ったのに意外に難しくて、10分たっても15分たっても誰もクリアできてない。 春の空に、子供みたいな俺たちの歓声が吸い込まれていく。俺と、クラスメイトの声だ。通りすがりの上級生まで加わってきて、みんなわいわい言いながら花びらを追っている。走り回る俺たちの鼻先で、またひとつ、ひらひらと花びらが落ちていった。 |
いずみんから一言。 なんでこんなに時間がかかったのか本人にもわからない。 なんとか終わってくれてほっとした。 ラストの花びらを3枚受け止めると願いがかなうという件は、 桜の季節にNさまから調達した日記のコメントによる。 あれを読んだ瞬間からラストはこれにしようと思い、 タイトルも「さくら ひらひら」に決まった。 Nさま。どうも有難うございました。 |
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