バレンタインの忘れ物 |
とんでもないときにとんでもないことを思いついてしまった。逆にいえばこんな「真っ最中」だからこそ、思いついちゃったんだろうけど……。 ああっ。駄目だ。気になりだしたらどんどん気になってきちゃった。どうしよう。こんなことしてたら、絶対、七条さんにばれちゃうよ。困った……。 BL学園の二月はバレンタインに始まりバレンタインに終わる――。 外部の人にこれをいうと、いくらなんでも大げさすぎるといわれるかもしれないし、逆にいかにもありそうだといわれるかもしれない。しかしまったくの掛け値なし。本当にそうだったのだ。 それは二月に入ってすぐのこと。寮のロビーに、どこから探してきたものか、洗濯機の空き箱が置かれたところから始まった。箱の横っ腹には「2年 テニス部 成瀬由紀彦」と書いた紙が貼ってある。二、三日後には普通サイズのダンボールもいくつか増えていた。やはりそれぞれに学年と名前が書かれている。そしてちょうどその頃、寮長の篠宮さんから、一年生を数人ずつに分けた当番表が掲示板に張り出されたのだった。 要するにダンボールの箱は「バレンタイン用特設郵便受け」で、俺たち一年生はその仕分け要員というわけだ。しかしチョコレートの仕分けくらい……と侮っていてはいけない。 なにしろ俺にさえ、前の学校の子やら友人の妹やら従姉妹たちが送ってきて、合計すれば十個近くになったくらいなのだ。露出度が高く見た目のいい成瀬さんが洗濯機の空き箱を用意したって、不思議でもなんでもない。篠宮さんや岩井さん、それに俊介なんかもかなり届いていたようだし、西園寺さん宛のは横文字でかかれたものが多かったように思う。このあたりの記憶が曖昧なのは、数が多すぎて機械的に仕分けをしていったからだ。ひとり平均十個届いたとしても千五百個。実際にはそれ以上になるから……。ああ、考えるのよそ。当然のことながらひとつも届かない和希が神様に思えた。 そして一年生総動員で仕分けをした十三、十四の両日が過ぎて、ようやくいつもの日々に戻れるのかと思っていたら、今度は「バレンタイン特別補習」というのが待ち構えていたのだった。バレンタインで浮かれた一年生を引き戻してやろうという、先生方の有難い(?)お心遣い、らしい。 これが土日が午後から。平日は夜八時から教室に集まり、毎日一科目のプリントを一枚配られ、教科書ノート参考書、何を見てもいいから全問正解するまで帰れないという、超ハードなものだった。何でも持ち込み可というのは、それだけ内容も難しいということだ。当然、誰かに教えてもらうというのもご法度だ。脳裏に何度、西園寺さんや七条さんの顔がよぎったかわからなかった。 七条さんはともかく西園寺さんは絶対、聞いても教えてなんかくれないだろうけど。 ようやくの思いですべてを終わらせ、よろよろになって会計室のドアをノックしたのは、なんと三週間ぶりのことだった。西園寺さんや七条さんとちゃんと会うのも、西園寺さんの誕生日に三人で食事に行って以来、一週間ぶりのことになる。 「お疲れさま。伊藤くん。大変だったでしょう?」 去年の経験者、七条さんのことばには、経験者にしかわからない感慨がこめられていた。 「ええ。もう俺、アタマが爆発寸前です……」 「臣。啓太にも紅茶を入れてやれ。こっちはまだ終わってないんだからな。リフレッシュしたら、もう一働きしてもらわなくちゃならん」 「はい郁」 まだ終わってないって何だろう。そう思いつつも、座り心地のいいソファに、俺はすっかり落ち着いてしまっていた。 「はい、伊藤くん。熱いから気をつけてくださいね」 「有難うございます。……ああ、なんだかこのアップルティーの香りが懐かしいです」 「それはそれは。よかったらチョコレートもありますよ。郁のところに届いたものですが、ご存知のとおり郁は甘いものを食べないので……。だから遠慮なくどうぞ」 「うわあっ。おいしそう」 シンプルな小さい白い箱に、いろんな形をしたチョコレートがぎっしり詰まっていた。ひとつ取って口に入れると、噛むたびにほろ苦い甘さが広がっていく。今まで俺が知っていたチョコレートは何だったんだろう。そんなふうに思えてしまうくらいおいしいチョコレートだった。 「……こんなおいしいチョコレート、初めて食べました」 「それはベルギーから届いたものなんですが、甘すぎないところがいいでしょう?」 「はい」 「それでいてビターともいいがたい。ちょっと不思議な甘さですよね」 俺と七条さんはちょうど半分ずつそのチョコレートを食べた。箱が空になり、二杯目のアップルティーも空になったとき。西園寺さんがおもむろに「では始めるか」といった。 始める? そういえばさっき「こっちはまだ終わってない」とかって、西園寺さんがいってたっけ。 そんなことを思いながらふたりの後について、隣の会計部会議室に足を踏み入れると、そこは……。会議用の長テーブルに広げられたチョコレートの山、山、山。そして床にもチョコレートの入ったダンボールがいくつもある。まさに「悪夢の再来」だった。 「なっ……。何なんですかあっ、これ!?」 「チョコレート・トレードシステムのなれの果てだ。学生会と分けたから、今頃はあっちでもやっているはずだが」 「はああ……」 チョコレート・トレードシステムとは御大層な名前はついているが、ようするにいらないチョコレートを持ってきて、必要としているところに届けようというシステムで、この間までは食堂の片隅を使って俊介が仕切っていた。食堂のおばちゃんや現業のおっちゃん達は、好きなだけ持って帰ってもらう。その他の教職員及び生徒は、チョコレートの大きさにかかわらず一個百円。収益はユニセフに寄付するということになっているので、隣の研究所の人たちなんかもよく買いに来ていたみたいだった。 今ここに積み上げられているのは、いってみれば売れ残りのようなもので、地元周辺の福祉施設に届けられるのだそうだ。十三日までに集まっていた分は介護福祉事務所に届けられ、十四日当日、お年寄りのところに配られたということだった。 「お年寄りはいいんですよ。糖分を制限さえされていなければ食べられますから。問題はこれから送ろうとしている児童福祉施設なんです。これがちょっと手間がかかります。伊藤くんにもがんばってもらわないと」 「何の手間がかかるんですか?」 「お酒の入ったチョコレートを子供に食べさせるわけにいかないでしょう。だからダンボールに入れる前にピックアップするんです」 「でもせっかく綺麗に包装してあるのに……」 「福祉事務所からそういってきているんだ。かまわないから開けてしまえ」 「はあ……」 作業を始めてみたら、本当に手間がかかった。リボンをはずして包装を解くだけじゃなく、箱をひっくり返して原材料をチェックしなければならないからだ。 このめんどうな作業を、西園寺さんと七条さん、たったふたりでやってたんだ。いや違う。学生会と分けたっていってたから、きっと王様や中嶋さんもやっているはずだ。それなのに俺は今まで、一年生だけが大変な思いをしていると、勝手にそう決めこんでいた。ちょっと恥ずかしい気がした。 しばらくして、お酒が入っているかどうかわからないものが結構多いことに気がついた。七条さんはときどきそんなのを開けて、口にチョコレートを放りこみながら作業をしている。俺だって甘いものは好きな方だけど、さっき食べたのでもう充分だ。っていうより、このチョコの山を見ただけで食傷気味になってしまったみたいだ。七条さんってほんっとに甘いものが好きなんだ。七条さんの誕生日、確か九月だったよな。まだ暑い頃だし、プレゼントはアイスクリームがいいかもしれないな……。 それでもなんとか作業は終わった。俺が加わったからというより、すでに大半が終わっていたからだろうけど。あとは先生の車で届けに行くだけだけど、それは西園寺さん手書きの――当然、とても美しい字の――挨拶状を出してからになるということで、今日できるのはこれで全部終わりだった。 「あたりまえだ。こちらの不要品を引取っていただくのだ。いきなり荷物を送りつけるなんて無礼なこと、できるはずがなかろう」 「そうですね」 慌てて同意をしたものの、俺はそんなこと、考えてもいなかった。今日何回目かの恥ずかしい気分になっていると、またチョコレートを口に入れながら、七条さんがこっちを向いてくすっと笑った。 二月も終わりに近づいたこの時季。学年末の試験が眼の前に来ている。この間の「バレンタイン特別補習」の結果から見ても、本当は死に物狂いで勉強してなきゃいけないんだけど。……駄目だ。 宿題をするのが精一杯。予習とまではいかなくても、せめて教科書だけは読んでおきたい。でも身体がついていかなかった。疲れすぎているせいか頭の芯は冴えているのに、手はもう鉛筆だって持ち上げたくない。電気を消すのさえ億劫になって、そのままばったりとベッドに倒れこんだ。 寝てはいなかった、と思う。ドアを叩くノックの音に気づいたとき、俺は倒れこんだときのままの姿勢で、ベッドの上にいた。七条さんだ。何の根拠もなかったのに確信した俺は、飛び起きてドアを開けた。パジャマの上にカーディガンをひっかけた七条さんが立っていた。 「こんばんは。伊藤くん。もうお休みでしたか?」 「あ、いえ。どうぞ」 「鍵をかけて、それから電気を消してもいいですか?」 「……はい」 わざわざ同意を求める七条さんのことばに、身体の奥がずきんと甘くうずいた。そうだ。俺は根拠もなく七条さんだって思ったわけじゃない。七条さんに来て欲しいって思ってたから、だからノックの主を七条さんだと思ったんだ……。 ベッドの縁に腰をかけてキスをした。しばらくぶりのキスだった。 「……どうして?」 息を継ぐ間も惜しいのに、キスとキスとの合間に、俺はそんなことを尋いていた。 「どうして俺が、七条さんに来て欲しいと思ってるって、わかったんですか?」 「伊藤くんは僕の半身ですから。わからない方がどうかしていますよ」 「……嘘」 「伊藤くんに嘘はつきませんよ」 俺は七条さんのカーディガンを掴みしめながら、七条さんを引き寄せた。くちびるを合わせたまま、七条さんの長い指が俺のボタンをはずしにかかる。 「じゃあ俺が今考えてること。わかります……?」 「もう待てない。……違いますか?」 「違いま……せん」 いうなり俺は、ベッドに倒れこんだ。七条さんのカーディガンを掴んだままで。 ……気がついてしまったのは、やっぱり頭の芯が冴えていたからだろう。そうじゃないと説明がつかないよ。だって七条さんはいつもより、こんなに激しいのに。俺だってそんな七条さんがうれしくて、精一杯応えようとしてるのに。だけど、だけど……。 やっぱり、重い……!! 七条さんって背は高いし胸なんてすっごく厚いし、俺よりはるかに体重は重かったんだけど。 でも。でもぉ……っ!! 何なんだよ、この重さはぁっ!? もしかして久しぶりすぎて、俺が七条さんの体重を忘れちゃってたせい? うわあっ。だったら困るよ。ただでさえ若葉マークなのに。七条さんに「下手になった」って思われちゃったら、俺、いったいどうすればいいんだろう……? 「……伊藤くん?」 駄目だよ、ちゃんと集中しないと。せっかく七条さんがしてくれてるんだから。こんな「真っ最中」に何考えてるんだよ、俺……。 「伊藤くん。どうかしましたか?」 七条さんに肩をゆすられて、俺は一気に七条さんの腕の中に引き戻されていた。眼をむけると心配そうにのぞきこんでいる七条さんと眼が合った。……ああ。七条さんに気づかれちゃったよ。どうしよう……? 「大丈夫ですか、伊藤くん。ちょっと激しくしすぎましたか?」 「いっいえ、そのっ。そんなことないです。激しいの、うれしいですっ!!」 「そうですか? なんだかいつもと違いますよ?」 「え!? あの、それは……」 「それは?」 「それは、その……」 いきなり七条さんが俺を抱きしめてきた。俺の耳元に顔を寄せ、低くした声を直接耳に送り込んでくる。 「……僕は悲しいです。しばらく抱いてあげられなかっただけで、伊藤くんが僕に隠し事をするようになってしまっていただなんて……」 「ちっ、違いますっ!!」 慌てた俺は上半身を起こそうとして七条さんに阻まれ、またすぐに沈みこんだ。 「どう違うんですか?」 「えっと、あの、その……。七条さんが、重い、んです……」 「え!?」 「前よりちょっと、っていうか、とっても、っていうか……。重くって……。すみません……」 室内が静まり返ってしまった。七条さんは何かを考えこんでいるみたいだ。身体がべったり密着してる状態で、この沈黙はちょっと怖かった。やがて七条さんが軽くため息をついた。 「ばれてしまいましたか。激しくしていればわからないだろうと思っていたんですけどね」 「ばれた……って? えっと……」 「最近、伊藤くんを抱いてあげられなかったでしょう。だからストレスがたまってしまって、僕はつい眼の前にあるチョコレートを食べていました」 俺の脳裏に今日の会議室での七条さんの姿がよみがえってきた。七条さん、確かにずっとチョコレートを食べつづけていた……。 「だから太ってしまったんです」 「……ああ、それで……」 「バレンタインのちょっとした忘れ物というわけですね」 どこが「ちょっとした」なんだよ。ちょっとじゃないよ、これ。もう、七条さんてば。ああ。 こうしてる間も、やっぱり重い……。 「理由がわかったんですから、伊藤くんも協力してくださいね」 協力って? といおうとした俺は、突然行為を再開した七条さんに黙らされてしまった。七条さんは俺の胸の突起を甘噛みして、さらに舌先で先端だけを刺激する。俺の声は喘ぎ声に変換されてくちびるから漏れだした。 「こうして激しくやっていれば、カロリーもたっぷり消費するでしょう? ……今日は伊藤くんがお疲れのようですから一度にしておきますが、明日からは毎日三回。それをとりあえず二週間くらい続けてみましょうか。そうしたらちょっとくらい、体重も元に戻っていますよ。それから……、そう。口寂しくなったときにチョコレートを食べないように、いつもそばにいてくださいね。チョコレートなんかより伊藤くんのキスの方がずっと甘いんですから……」 再び浮かされ始めた俺は、七条さんの声を聞きながら心に誓っていた。 七条さんの誕生日にアイスクリームなんて、絶対に絶対にあげないぞ ―― !! |
いずみんから一言 あ〜。啓太くんの学年末試験はどうなるんでしょうか(笑)。 それはそうと彼らが会計室で食べていたベルギー製のチョコレートは、実は 伊住が去年もらったもの。会社の男の子が「美味しい」といって、ほとんど 食い尽くしてしまいました。くれた方、ごめんなさいです。 といっても、こんなサイト見てもいないでしょうが(爆)。 |
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