誕生日にはおねだりを




 ああ、今日は11月19日なのに。
 と、俺は今日何度目かにそう思い、そして何度目かのため息をつく。咎める人のいない日のため息は、大きく、そして際限がない。ひとりでは広すぎる部屋のどこかに吸い込まれていってしまうからだろうか。俺のため息に応えるかのように、すでに真冬を思わせる風が窓をかすめた。それで何となく気になって窓に歩み寄ってみる。夜も10時をまわり、カーテンの向こうはすでに真っ暗だ。だからガラスが鏡になって何も見えないと思っていたのに。通りをはさんだ向こうの建物の灯りが意外なくらい近くに見えて、俺はため息ではない温かい息をほっと吐いた。
「窓の灯りはごちそうなんだぜ。特に冬のはな」
 たとえ他所の家の灯りでも、そこにあるってだけで安心できる。
 そう言ったのは王様だった。和希からも似たようなことを言われた気がする。本当にそうだと思ったとたん、ふたり分の人影が右から左に横切っていって、俺は反射的にカーテンを引いていた。のぞき見が知られると思ったからじゃない。羨ましくて羨ましくて仕方がなくなりそうだったからだ。他所の灯りはごちそうなんかじゃない。望んでも手に入らないもの。羨望と嫉妬と諦めが形になったものだ。
 去年の今日は茨城にいて、誕生日のプレゼントにボジョレー・ヌーボーを買いに行こうとしたら、中嶋さんもついてきてくれた。真夜中で誰もいない道をふたりで歩くのは楽しかった。特に何を話すわけでもない。でも中嶋さんが俺のために一緒に歩いてくれるのが、本当にうれしかったんだよ。
 なのに今年はいないなんて。俺がこの日をどんなに大事にしてるかくらい、中嶋さんだって知ってるはず。自分の誕生日よりも大事なんだよ? そう思ったら中嶋さんを恨んでしまいそうになった。とんでもない逆恨みだってことは、もちろん分かってる。でも春なら普通にやり過ごせても、冬には無理なことだってあるんだよ。だって寒いときに独りでいるのはつらいから。それが恋人の誕生日ならなおさらに。
 中嶋さんは昨日からこの広大な大陸の反対側。マリナーズで有名なシアトルから200キロほど離れたワシントン州の小さな街にいる。戻ってくるのは24日になってからだ。それを望んだのは中嶋さん。間接的にでもそれを実現させたのは他ならない俺自身だ。だから誕生日にお祝いができなくても不満に思ったりしちゃいけない。そもそも中嶋さんは『誕生日』なんていう単語に意味を見つけられない人なんだから。俺の誕生日を祝ってくれるのは俺がそれを喜ぶからで、それ以上の意味はない。たぶん今日だって22回目の誕生日だなんて、気がついてもいないのに違いない。だから帰ってきてからお祝いしたって全然かまわない。そう自分に言いきかせ続けてもなお、ため息はくちびるをついて出る。

 11月19日といえば日本ではようやく秋の気配が深まる頃なのに、ここボストンの郊外ではずいぶん冬が早い。ちょっと風が冷たいなと思ったら、あっという間に秋が過ぎて冬になっていた。空は灰色で雲が低くてそして厚くて。でも石でできた街並に色づいた葉はとてもよく似合った。その葉も先を争うようにして落ちていってしまっているけれど。葉の色づく速さに岩井さんの筆の速さが重なって、俺は軽いホームシックに襲われたのだった。まあ……、中嶋さんがいない今になって思うと、何でそんなことくらいで感傷的になったのか、そっちの方が不思議ではある。
 このあいだ和希からきたメールによると、今年の日本はいつにも増して秋が遅いらしい。山はともかく街中では紅葉の具合がまばらで、ヘタをしたら赤くならずに落ち葉になってしまうかもしれないそうだ。今年は残暑がいつまでも続いてたっていうから、きっとその影響なんだろう。
「まだそんなに寒くないのは確かに楽だけど、街路樹が色づいてないのはつまらないもんだな。山の中まで紅葉を楽しみに行けない身には、ホント、風情がない」
 和希はそんなふうに書いていたけれど。
 俺にとって『山』というのは、やっぱりマンションのベッドルームから見えるあの山だ。中嶋さんとあのマンションで過ごしはじめてからというもの、俺はあの山に見守ってもらってきたように思えるのだ。中嶋さんとの生活は、どんなにがんばっても甘いものにはなりえない。それはもとより承知のことだ。だって『幸せ』と『甘さ』はイコールではないのだから。甘い生活が欲しければ、誰か女の子と暮らせばいい。家族と決別してくる必要だってない。だけど辛い時だってあるのだ。大学に入って数は減ったとはいえ、きついことばを投げつけられることは今でもあるし、中嶋さんの望むレベルになれない自分が情けなくて苦しくて仕方なくなることだってある。
 そんなある日。気がついたら山がそこにいてくれていた。なぐさめてくれる訳じゃなくて、ただ変わらずそこにいてくれる存在。はじめてあの部屋で過ごした次の朝。ベッドの中から窓の向こうを見た時のあの幸福感を、俺は今でも忘れられずにいる。
 幸せが当たり前になってしまって気づけなくなっているのは、なんて贅沢で、そしてもったいないんだろう。
 だけど今日の俺には、中嶋さんがいてくれないこの不満を、贅沢な悩みと思える余裕はない。
 
 中嶋さんには、ずっと前から尊敬していた弁護士さんがいる。インド系アメリカ人のその人は、渉外弁護士を目指す人なら知らない人はいないくらい有名な人らしい。かなり前に現役を引退いたその人の著書は、原書にもかかわらず寮の部屋の本棚にも何冊かあった。その後大学に入って一気に数を増やし、1冊を除くその全部が今、この部屋の中にある。
 俺はその人の本を読む中嶋さんがとても好きだ。デスクで文献を読んでいるほど堅苦しくもなく、ベッドやソファに寝転がって読んでいるペーパーバックほどくだけてもいない。リビングの端のお気に入りのチェアにゆったりと腰をおろし、スローなジャズを流しながら読むその姿はとても幸せそうで、声をかけることすら躊躇われてしまうくらいだ。そんな時、俺は邪魔をしないように、部屋にこもってドアを閉めるのだった。あの風景の中に俺がいないのは残念だったけど、あの風景を守れるのが俺だけだと思ったら、それはそれで幸せな時間が過ごせるのだから。
 だけど俺は馬鹿だから、それをずっと、本当にこのあいだまで、ミステリーだと思ってたんだよ。だけど仕方がないだろう? いくらその世界では神様みたいな人だって、全然知らなければただのおじさんなんだもの。何千万部も売り上げているコミックスの作者を中嶋さんが知らないのと同じことだと思うのに。すごく笑われてしまって、俺は少し拗ねてみせた。
「だってタイトルはどれも『 The case of 』ではじまってるし。裏表紙に『 lawyer 』『 court 』
『 client 』って単語が書いてあったら、間違えたって仕方ないじゃないですか」
「ほう? 俺に口ごたえをするようになったか」
「えっ?」
 両手で口をおさえてももう遅い。焦っても慌てても。というより焦れば焦るほど、慌てれば慌てるほど、中嶋さんのくちびるの端は吊りあがり、獲物を追い詰めた黒豹のような雰囲気を纏わせていった。
 中嶋さんと長く暮らしてきて分かったことがある。それは「豹を思わせるときは楽しんでいる」っていうこと。獲物を追い詰めていたぶって楽しんでいるときの猫みたいなものだ。本当に怒っているときの中嶋さんは猫ではなく鷹になる。猛禽類がくちばしで必殺の一撃を加えて離脱する鋭さで、相手を完膚なきまでに叩きのめすのだ。俺はそこまでされたことはないが、絶対零度みたいな眼やことばを投げつけられたことはある。
 あのときは幸いにもそんな眼を向けられたりしなかったけど。かわりに豹につかまったガゼルみたいにさんざん玩ばれたあげく、美味しく頂かれてしまったのだった。

 話がそれた。
 えーっと。そうそう。そのインド系アメリカ人の弁護士さんだ。名前が読めないってのは、こういうときに面倒だ。まったく他所のことばをアルファベットに置き換えるわけだから無理があるのは当然のこと。でもそれで『H』やら『L』やら『D』やらが複雑怪奇な場所にはまりこんでしまっていては、俺には発音の見当もつかないのだ。名前になじみがないから余計なんだろうけどね。
 で、引退したその弁護士さんは、今はカナダとの国境に近いワシントン州の小さな街で本を書いて暮らしているらしい。それが分かったのが、例の美味しく頂かれちゃったあのときだ。あれで途切れてしまった話のつづきをベッドの中でしてくれた中嶋さんは、最後にこう付け加えた。「頼みがあるんだが聞いてくれるか」と。
 驚いた。中嶋さんが俺に頼み事をしてくれるなんて。しかも日本にいるならともかく、お荷物にしかなっていないこのボストンの地で、だ。これはもうきくしかない。出汁巻きが食べたいと言われれば俺にできる最高の出汁巻きを作るし、車の掃除をしてほしいといわれれば、中も外もぴかぴかに磨き上げて見せる。でも中嶋さんのお願いはそんなことではなかった。その弁護士さんの短期集中講義の申し込みをして欲しい、というのだ。
「自宅近くの大学で数年に一度、短期集中の特別講義をしてるらしいんだが……。おまえがいるとやっぱり違うな。今年がちょうどその年にあたるそうなんだ。これを逃すと次は受けられるかどうかわからない。いや。次があるかどうかもわからないんだ。申し込み多数の場合は抽選になるから、ぜひおまえに申し込みをしてもらいたい」
「そんな大事なもの……。俺なんかが申し込んじゃっていいんですか」
「おまえでないと抽選に受からないだろうよ」
「………………分かりました」
 そう言って身体を起こした俺に、中嶋さんは明日でいいと言ったけれど。何故かすぐにやっとかなきゃいけないみたいな気がして、そのまますぐに申し込むことにした。裸のまま中嶋さんのデスクの椅子に正座してネットを立ち上げていたら、中嶋さんがうしろから毛布で包んでくれて、そして肩越しにマウスを操作しはじめた。中嶋さんの髪や息遣いが耳のあたりに触れ、その都度、息をのんで身体をこわばらせてしまう馬鹿な俺。ノートパソコンのファンがうなって、横にあったメモがひらひらと揺らいでいる。こんな横向きじゃなく、上に向いて風があがってくればいいのに。そうしたら赤くなった顔も、吐き出された熱気の所為にできるのに。
 申し込み画面が呼び出されて、そこからは俺が入力した。名前と生年月日とメアドだけだけど、失敗したらいけないと思ったらすごく緊張した。何度も何度も間違いがないか確認し、最後に中嶋さんにも見てもらってから送信ボタンを押す。送信ボタンを押すのにこんなにどきどきしたのは、退学を撤回してもらうメールを理事長に送ったとき以来だった。

 今になって考えると、あの日はお仕置きでなかったことがよく分かる。だってお仕置きのあとでパソコンのところまで歩いて行こうと思えるはずがないのだから。身体の痛みとかよりも精神面に与えられたダメージは、何倍何十倍にもなって俺を疲れさせてしまうのだ。大抵は腕も上げられないくらいに。だからといってあれを『優しさ』と言えるほど人間ができてる訳じゃないけれど。でも中嶋さんなりの気づかいだったことは確かだと思う。
 渡米してからというもの、勉強に追われていた上に慣れない環境が逃げ場をなくし、俺は精神的にかなり追い詰められていた。講義の間中は気が張っている所為かなんとかなるのに、休み時間になったとたん英語が話せなくなったりもした。話しかけられてもうまく返事ができないでいるのを、無視してると取られて教室内で孤立してしまったことが悪循環に拍車をかける。それは意外なところにまで影響しているらしく、食事がのどを通らなかったり、中嶋さんの求めにうまく応じられなくなってしまっていたりした。
 でもそれは程度の差こそあれ、中嶋さんも同じだったらしい。いつもの中嶋さんだったらそんな俺を放っておいたりしないからだ。中嶋さんは見てないようでいて、いつも俺のことを気にかけてくれているのだ。かと言って親みたいにうるさいほどではなく、目の端っこあたりにとりあえず入れておいて危なくなったら手を出す、みたいな感じで。
 そんな中嶋さんが、だよ。自分の腕に身を任せられない、任せようと気持ちは焦るのに身体がいうことを聞いてくれない俺を、2ヶ月も放っておくと思う? 思うようにできない俺に、苛立ったりしないかわりに時間をかけてもくれなかった。申し訳なさによけい身体を固くしてしまっていると、「駄目か。じゃあ今日はいい。気にするな」と言ってはくれていたけれど。これを何回も繰り返したってのが、そもそもありえない話なのだ。
 だからあんなふうな時間を過ごせたのは、この部屋に引っ越した最初の夜以来はじめてのことだった。あのお仕置きがなければ、まだ駄目だったのに違いない。たとえいつもより短い時間だったとしても、ちゃんとできたのが本当にうれしくて。俺はようやく自己嫌悪から解放されたのだった。

 さて。というほどのこともなく。1週間後には中嶋さんのところに受講証が送られてきた。倍率が25倍を超えてたそうだから、届いたときにはうれしいよりもまず一安心したものだ。あとで聞いたところによると、ハーバードで受講証を手にしたのは、なんと中嶋さんひとりだったそうだ。教授たちからでさえ羨ましがられたというから相当なものだと思う。
 受講証を打ち出して見せてくれた中嶋さんはとてもうれしそうで。一緒になって俺も喜んでいた。でも喜んだのはここまで。講義の期間を見て驚いた。まさか講義の期間が11月19日から5日間だったとは……! 
 舞い上がってた分、気がついたときの落ち込みったらなかった。前後の移動日を含めて1週間留守にするのはかまわない。けど、なんでよりによってこの日からなんだよ。20日からでも18日まででもよさそうなものなのに。こんな日に講義の設定をした弁護士さんを本気で呪ってやろうかと思ったくらいだ。
 ついていくという選択肢は端からなかった。無理を言ってついていっても受講できない俺はホテル止まり。しらない街でまだ思うように一人歩きのできない俺は、中嶋さんが講義を受けている間、観光もできずにホテルにじっとしているのがオチだ。なら学校に行ってる方がいい。俺にはまだ、サボった分を取り戻せるほどの学力はないのだ。

 じつは、あのお仕置きのあと。俺の心の中でちょっとした変化がおきていた。
 あんなにできないと悩んでいても、ちょっとしたきっかけで中嶋さんを受け入れることができたから。今できないこともホントはできるんだ。ただ、ほんのちょっときっかけが見つけられてないだけなんだ、って思えるようになったんだ。
 そう思ったとたん、ウソみたいに心が軽くなった。そして不思議なことにぼつぼつとでも英語を話せるようになり、世界が一気に広がった。友達もできたし、はじめての場所にもひとりで行ってみようと思えるようになった。この異国の地で、旅行者ではなく生活者になれるかもと、思えた瞬間だった。
 そしてもうひとつ気がついたことがある。
 他の人からしたらつまらないことかもしれないけど、俺の中ではすごくすごく大きなこと。
 それは『中嶋さんをファーストネームで呼べない理由』だった。
 前々から冗談っぽく言われていたんだ。「留学したら俺を何と呼ぶつもりだ? Mr.Nakajimaか?」ってね。確かにそれは不自然で、第三者との会話ではちゃんと「Hideaki」って言うように気をつけてはいる。でも面と向かって「英明さん」とは言えなかった。長く「中嶋さん」と呼びつづけた所為もある。でもそれ以上に、気恥ずかしいってことが大きいんだと思っていたのだ。
 恋人って、いつから名前で呼び合うんだろう。特に俺みたいに「後輩」からはじまった場合は。
 中嶋さんと出会って5年。一緒に暮らしはじめて20ヵ月。「英語でどう呼ぶのか」なんてのがただの口実だってことくらい、ずっと前から気づいていた。中嶋さんが自分を名前で呼ばせたいと思っていることを、俺はちゃんと知っていたのだ。
 知っていながら実行できずにいるのは恥ずかしいからだと勝手にそう思いこんでいた俺は、今度のことで自分の心の奥底にひそんでいた本当の、そしてむちゃくちゃ簡単な理由に気がついたのだった。
 ごちゃごちゃとアタマで考えた理由なんて関係ない。俺が中嶋さんを「英明さん」と呼べなかったのは、ただきっかけが掴めなかったからにすぎないんだ。

 だから中嶋さんの誕生日は、きっかけとしては最高のシチュエーションになるはずだった。ベッドに入った中嶋さんにキスをして、「お誕生日おめでとうございます」って言って、それでそのあとに「英明さん」ってつける。ちょっとくらい気恥ずかしかったとしても、そのあと比べものにならないくらいの恥ずかしさに覆い尽くされてしまうから、きっとうまくできるはずだったのだ。なのに弁護士さんに邪魔されてしまった。
 どうせ帰ってきてからお祝いするんだから、そのときに言えばいいと思うかもしれない。だけど1週間もたってからなんて気が抜けちゃってできそうもなかった。少なくとも俺には無理だ。気持ちの仕切り直しは意外に難しいものなんだよ。
 内心でフテてしまった俺とは違い、中嶋さんはとても楽しそうに講義を受けるための予習をしていた。そして見てしまったんだ。その弁護士さんの著書を1冊、中嶋さんが大事そうに荷物に入れたのを。あんな少年みたいな表情をした中嶋さんを、俺ははじめて見た。
 うれしかったんだろうなあ、中嶋さん。伝説になっちゃった人に会えて、しかも講義まで受けられるんだから。だとしたら俺は、最高の誕生日プレゼントをあげられたのかもしれない。だったらまあいいか。「英明さん」をプレゼントするのは来年でも。
 そうしてほっと出てきたのはため息ではなく、ふんわりとした笑みだった。俺がどう思ったって中嶋さんが帰ってくるわけじゃない。中嶋さんが悲しい思いをしているのならともかく、今はとても楽しんでいるのだ。だったら留守を利用して俺も楽しめばいいと、気分を上方修正してみる。そうだ。和希に電話でもしてみよう。このところメールばっかりで、和希の声を聞くのは久しぶりだ。
 そう思って電話をとろうとした瞬間。まるで見ていたかのように中嶋さんからの電話が鳴って、俺は思わず飛び上がってしまった。
「ははははいっ」
『うん? どうかしたのか?』
「なっ、なんでもないです。えーっと、そう。ちょうど中嶋さんのことを思ってたから、びっくりしただけ」
『ふうん? まあいい。ちゃんと学校は行ったのか』
「はい。行きました。戸締りだってしてますよ」
『もう一度確認だ。ドアの鍵は?』
 同じことを昨日も聞かれた俺は、声を出さないように笑いながらドアに行って鍵とチェーンを確認した。言われるままに窓も全部確認する。続いて出てくるのが「ひとりで大丈夫か? 危ないようなら丹羽を呼ぶぞ」だ。コロンビア大にいってる王様は確かにちょくちょく遊びに来るけど。こんなことでいちいちニューヨークから呼びつけられたらたまらないだろうに。だけどあれもこれも、きっと中嶋さんが留守の間の『夜毎の儀式』になるのに違いない。
 王様を断り、すべてのチェックを終わってもとの部屋の戻って、そしてようやく話ができた。
「どうでした? 講義は」
『ああ。思った以上にレベルが高くて驚いた。とてもイレギュラーな講義とは思えない』
「へえ……。よかったですねぇ」
 本当によかった。俺にとって1年でいちばん大事な中嶋さんの誕生日をお祝いを先延ばしにしてまでゲットした講義なんだ。これがそこそこのものだったら目も当てられない。中嶋さんだけじゃなく俺自身のためにも、本当によかったと心の底からそう思った。
『ああ……。おまえのおかげだ。帰ったらなんでも聞いてやるぞからな。ご褒美は何がいいか考えておけよ』
「…………うん」
 あれは中嶋さんと付き合いはじめて間もないことだった。捨て子騒ぎに巻き込まれた中嶋さんの無実を証明しようとした俺に、中嶋さんは同じことを言ってくれた。あのときのおねだりを思い出して、それから流れた時間の長さを思った。あのときも普通じゃ恥ずかしくて口にできないことを「おねだり」という形で実行に移したんじゃなかったか?
 そう思ったとたん、電流のような何かが身体中を走った。「英明さん」をプレゼントする? それって思い上がりじゃないのか? 俺が「呼んであげる」んじゃなく「呼ばせてもらう」んだろ? だったらお願いしなきゃいけない。それも今すぐ。
『じゃあな。遅くなるからそろそろ切るぞ』
「あっ! ちょっと待って」
『うん? どうした。イチローグッズでも土産に欲しいんだったら……』
「違いますっ!」
『じゃあ何だ』
「おねだりですっ!」
『ずいぶん早いな。まあ、言ってみろ』
「中嶋さんのこと、英明さんって呼ばせてくださいっ!」
 言ってしまった勢いで。というか返す刀で、って勢いで指が勝手に動き、ホールドボタンを押していた。耳にツーツー音が聞こえてきてようやく通話が切れていることに気がつき、電話をテーブルの上に投げ出した。顔が赤くなっているのが分かる。胸がどうしようもないくらいにどきどきしている。返事さえもらってないのにあんな切り方をして、中嶋さんがどう思ったか考える余裕なんてあるはずもない。アタマの中は「言っちゃった。言っちゃった」と、ただその一言だけがぐるぐる駆け巡っている。
 
 そして数瞬。
 まだ息も整わない俺の目の前で、もう一度電話が鳴ったのだった。







いずみんから一言。

なんか……。メリハリのない話ですね (^_^;)
ま、それはいつもの話かもしれませんが。
けいたんがあまりにもぐるぐるしてるので、書いていた間中ファイルにつけた
名前は「誕生日ぐるぐる」でした。
啓太のモノローグで書くと、いつもぐるぐるしてしまいます。
でもひとりでいるといろんなことを考えちゃうんだよ。きっとね。


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