そして啓太は誘われなかった |
3限目の講義が終わって、俺たち4人はぷらぷらと教室棟Vに向かって歩いていた。4時限目はとにかく女の子が多い! ってだけで選んだ「地学T(鉱石学)」別名「宝石学」だ。毎週1個ずつ宝石を取り上げるというのでたしかに女の子は多いけど、俺たちがいつもいる教室棟Tからはちょっと距離がある。今はいいけど天気の悪い日には移動が面倒に感じるかもしれない。 今日はショートカットというか教室棟の裏手を歩いているので、このあたりは新入生の姿もなく、なんとなく歩きやすい。表の(あるいはメインの?)道は新入生でごちゃごちゃしていて、歩きにくいこと甚だしいのだ。「田舎者でございます」という看板を首から下げてるみたいにおどおどした表情で歩いてる奴。ようやくできた顔見知りから一歩も離れたくないとばかりに10人以上のかたまりとなって歩いてくる連中。そして、入学してまだたった2週間だというのに、学校のことなら何でも分かっちゃった顔して歩いてる奴ら。どれも通行の邪魔でしかないんですけどー?ってな。まあ入りたてはそんなもんだよ。うんうん。俺らも去年はきっとああだったんだよ。そうそう。そんなことを喋りながら俺たちは、新入生の姿のないルートを通っていた訳だ。表を通って新入生に邪魔され、ロコツに舌打ちしながら冷たい目で見下す輩もいるよ? だけど俺たちはそういうキャラじゃない。俺たちは心優しい穏健派なんだ。 そうするうちに話題は、今夜の焼き肉食べ放題の話になっていっていた。「バイトしてる高級焼肉店で貸し切りの予約がキャンセルになった」と、M大に行った筒井の先輩から連絡が入ったのは、ほんの1時間ほど前だ。 「来てくれたら飲み放題つき7980円のコースを3千円にしてくれるってよ」 いくらビンボー学生の俺たちだって、逆さに振りゃあ3千円くらいは出てくるさ。バイトだってそうと決まれば必死で都合をつけるし。という訳で有難く行かせてもらうことになったのだった。 「俺はまずミノかなあ」 「ミノってよ、食べ放題なんだせ。まずは特上ロースいけよ」 「ああそうか。じゃあ上ミノ」 「って、どんだけミノ好きなんだよ。俺はトントロ?」 「いいなあ。塩タンも追加でー」 「もしもーし。そこのダンナ方。カルビ忘れてやしませんかね」 「おおっ!カルビ……o(≧∇≦)o_♪♪」 おそらく大学入学して以来じゃないかっていう腹一杯の焼き肉 ―― しかも高級 ―― にみんなが浮かれまくっていた時。筒井が不意に「あっ、イトウだ」と言った。 「イトウ?イトウってどんな肉?」 「魚の?」 「馬鹿。イトウなんて魚屋にもあるかよ。そうじゃなくて伊藤。伊藤啓太」 伊藤啓太。その名前は俺たちの胸のうちに何ともいえない感覚 ―― 苦いのか甘酸っぱいのか羨ましいのか腹立たしいのか殴ってやりたいのかわからない感覚 ―― のカタマリみたいなものを作ってしまう名前でもあった。だが本人は至っていい奴。いつも控え目で、みんなのうしろでにこにこしてるだけだ。出身がBL学園だからか、たまーにぶっ飛んだ発言をかましてくれたり、バックやブレーンがすごかったりするけど、もう慣れた。BMWやフェラーリの送迎を見慣れてしまえば、ベンツが来たって「今日は地味だな」って感覚になる。まあ……さすがに「チケットもらったから」って見に行った岩井卓人の個展で、伊藤の絵が何枚もあったときには驚いたけどな。絵についてた説明文によると『このモデルと出会わなければ、画家・岩井も存在しなかったであろう』だとよ。岩井画伯本人はたまたまいない時間だったんだけど、伊藤に気がついた画商の人が飛んできて挨拶してるって、もうホント笑ってるしかない。 いろいろレベルが違う奴だが、違いすぎてかえって気にならなくなった。今では伊藤は、地元に帰ったときのネタ提供者と化しているのだが、ぶっ飛びすぎて誰も真に受けてくれないのが残念なところだ。けど一緒に岩井卓人の個展に行った古橋は新しくカノジョになってくれそうな女の子を誘うとき、必ず伊藤と一緒に行った美術館→喫茶店をコースにするんだそうだ。美術館で会った画商の人に連れていってもらった、如何にも芸術家御用達!一般人には入りにくい雰囲気の店にすいすいと入っていくだけで、女の子は尊敬の目で見てくれるらしい。 「あ、ここ?ダチが岩井卓人のモデルやっててさ。一緒に個展見にきたときに画商の人に連れてきてもらったんだ」 って、よく聞きゃー自分は全然すごくない。初デートだから相手をだまくらかせているだけだ。それが証拠に、古橋のデートは必ず二度目でぽしゃっている。 それはさておき。そんな伊藤が、何故かよろよろ ――いや。へろへろ、かも―― と歩いてくる。いつもの通りのさりげなく金のかかった服装が、皮肉なことに中身のよれよれ具合を強調してしまっていた。 「珍しいよな。あいついつも一講目から来てるのに」 「でもさあ、サボるにしても中途半端だよな」 「スペイン語のレポートでも出しに来たんじゃね? 教務課が掲示するの忘れてたのに締切がそのままだ、とかってブツブツ言ってたぞ」 提出期限までたった4日でスペイン語の作文A4用紙5枚っていうむちゃくちゃな話なら俺も聞いたが、伊藤がスペイン語まで取ってるとは思わなかった。そりゃー大変だ。さぞ疲れたろう。こういうときは腹一杯焼き肉食えば疲れだって取れるはずだ。焼き肉店だって客はひとりでも多い方がいいに決まってるし。 「伊藤も誘うか」 何だったらあいつの分は俺が出してもいい。そう思ってたら古橋が「あ。俺500円カンパするわ。レポートの資料とかあいつにいろいろ借りがあるしな」と言いだした。そうしたら筒井も「んじゃ俺も」と言う。そういえばあいつ、田舎の婆ちゃんが観たいっつってる歌舞伎のチケットが手に入らないって親と姉ちゃんに泣きつかれたとき、ホントにどうにもならなくて、ダメ元で伊藤に頼ったと言っていた。そのチケットがむちゃくちゃVIP席のど真ん中で、奴の父親は隣に座った経団連会長が気になって、舞台どころではなかったそうだ。せっかく俺でも名前を知ってる歌舞伎俳優の親子同時襲名披露公演に行けたってのに、もったいない話だ。 「客席入ってったら隣がスーツ姿だったから男の隣は男がいいだろうって親父が先に行ったらさ、それが経団連会長で、なんか『えっ?』って顔されたんだって。誰が来る予定の席だったんだよ、って話だよな」 「そのチケット、絶対高くついてるぞ。ってことでお前は1000円な」 「まあいいけど。お前はどうよ」 「うーん。俺も500円かな。自己負担あった方が遠慮なく食えるじゃん」 本人の意志はまったく無視。このあとの予定が決まったところで少し足を早めた俺たちは、へろへろしている伊藤の前に立った。待ってたら休み時間中に話ができそうになかったからだった。間近で見る伊藤は本当にひどくて、目の下のクマが痛々しかった。 「何か珍しいな。スペイン語のレポート疲れか?」 「レポートは土曜日にできてたよ。今日は出しにきただけ」 「それにしてはずいぶんお疲れだぜ?」 「ああ、うん。ちょっと」 「ちょっと?」 「ちょっとのつもりでえっちしてたら放してくれなくてさ。気がついたら夜明けどころかもう朝で。朝起きられなくて遅刻なんて高1のとき以来だよ」 久しぶりだったしなあ……と続けられたそれはたぶん独り言のようなもので、タメイキつきつつぼしょぼしょ話す伊藤本人は自分が何を喋っているかなんて、気もついていなかったに違いない。 いやしかし。俺たちは聞いてしまった。ほかの連中だってびみょ〜に固まっているから空耳でも幻聴でもなかったはずだ。 朝までえっち。起きられなくなるくらいにヤリまくり。しかも高1のときにはすでにそういう生活……!! 俺たちはヤツに腕枕をして寝る恋人がいることは知っている。料理をしているうしろから抱き締めて、下着に手を入れちゃったりしているのも知っている。もはやその程度で俺たちは驚かない。それどころか、きっと俺たちの想像も及ばないことだっていろいろやりまくってるんだろうと思う。 だけど今日のって次元が違わなくないか? 「そっ……、そりゃー災難だったな」 「久しぶりなら仕方ないよな」 「ってかおまえが悪いんだろ? どれだけ放っといたんだよ」 それはどう反応したらいいかわからなかった俺たちなりの、言ってみれば機械的な応答だった。 なのに! そう、なのに、だ。俺たちはそんなことばを投げてしまった自分の口を呪うことになる。あいつはこう言いやがったのだ。 「うーん、やっぱ3週間はまずかったかなあ……」 はい? さんしゅうかん? さんしゅうかんって1週間が3回の3週間ですか? 1ヶ月に1週間足りない3週間ですか? もしかして21日間のことですか ―― ? たったそれだけで「久しぶり」で「まずかった」という伊藤。 たったそれだけで朝まで放してくれないカノジョ。 いったいどんだけやねん、お前らはよっ……!! 相当な時間をかけてなんとか再起動にこぎつけた俺たちは「ま、無理だけはすんなよな」とか言って伊藤の肩を叩くと、次の教室へと走って行ったのだった。 |
いずみんから一言。 はい。「先生」「牛丼5つ、大盛りで」に続く啓太くんの学生生活シリーズ第3弾です。 啓太くんの代わりに鉱石学の女の子が誘われたかもしれません。 啓太くんはこれからもどんどん彼らにネタを提供することになるんでしょう。 そしてますます他所様からは信じてもらえないんでしょうねえ……。 |
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