075 秘密 |
とある土曜日の午後。 我らが中嶋英明氏は、何やらパソコンに向かって作業中です。 啓太くんは試験中で帰ってこられないし、王様も泊りがけで釣りに行ってしまいました。両親はBL学園に入学して以来没交渉で、来いと言ってもマンションには来ないでしょう。姉に至っては目の前に立ちはだかりでもしないかぎり、弟がいたことすら思い出さないのに違いありません。 ということで、誰にも邪魔をされることのない時間を確保した中嶋氏は、真剣な顔でネット検索をしていたのでした。表情から察するに、かなり難しい問題を調べているようです。何かの判例でも探しているのかもしれません。 ではちょっと彼の手元をのぞいて見ましょうか。 「牛肉のXO醤炒め」 保留。「海老マヨネーズ」 保留。「鰈の唐揚げ」 保留。……いや、却下。「ワカサギのエスカベッシュ」 プラス1点。「タンシチュー」 プラス5点。 おや? これは意外です。民法でも刑事訴訟法でもなく、料理のレシピではありませんか。夕食の献立でも考えているのでしょうか。その割に真剣すぎる表情が気になるところです。 そうして次々と美味しそうなメニューが現れては消えていく中、マウスを持つ中嶋氏の右手がついに止まりました。 「パエリア」 眉間にしわを寄せながらレシピに目を通した中嶋氏は、プリントアウトした紙をきちんとたたんで胸ポケットに入れると、車のキィを取り上げたのでした。 1時間後。高級食材で知られる某スーパーの袋を片手に戻ってきた中嶋氏は、キッチンのカウンターの上に中身をぶちまけ、レシピに従って下ごしらえを始めました。 車海老は殻をむいて背腸をとります。白身魚の切り身は丁寧に骨を取り除きました。砂をもう吐かせてあるという貝類は、塩で洗って貝殻についた汚れを取り除くだけです。カラフルなパプリカを輪切りにし、パセリは啓太くんが鉢植えで育てているものをちよっと失敬して刻みました。あとはブイヨンでスープを作ってお米を炒めれば終わり。「いい男は料理がうまくなければならない」という作者の信念の所為か(笑)、中嶋氏の手際はなかなかいいようです。 パエリアの鍋がないので今日はお米を炒めたフライパンをそのまま使うことにしました。お米を計ってから熱くした同量のスープを注ぎます。サフランを加えて下ごしらえした材料を綺麗に並べました。魚介類はちゃんと火が通らないといけないので、そのあたりもちゃんと考えなければなりません。 すべての作業をきちんとやり終えたかどうかをもう一度確認して、中嶋氏は点火しました。あとは待つだけです。中嶋氏はタイマーをセットすると、30秒後には刑事訴訟法の世界に戻っていました。 ぴよぴよぴよぴよぴよ…… 中嶋氏は最初、このひよこの鳴き声が何なのかわからず、楽しい時間を邪魔されたことに苛立ちかけました。が、啓太くんが使っているキッチンタイマーの音だと気がついて、慌てて火を止めに行きました。パエリアは少し黄色が薄かったものの、とても美味しそうに出来上がっていました。 よく冷やした白ワインにパエリアはとてもよく合いました。もう少し胡椒をきかせて、サフランはスープを作るときから加えておくと、より完璧に近いものになるでしょう。白身魚を啓太くんの好きな鶏肉に変えてもいいかもしれません。レシピに自分なりの修正を加えた中嶋氏は、プリントアウトした紙をゴミ箱に放りこんだのでした。 今度の土曜日。啓太くんを連れて帰ってくる途中で、中嶋氏はパエリアの鍋を買うことでしょう。啓太くんはきっと喜ぶに違いありません。そんな啓太くんの顔がみたくて、中嶋氏は今日もこうして秘密の努力をつづけているのでした。 |
いずみんから一言。 「あんたも苦労してるねぇ……」「惚れた弱みだ。しかたがない」 とまあ、こんな会話(笑)をしながら書いておりました。 手のかかる年下の恋人を持つとこんなもんでしょう。 ちなみに我が家ではフライパンも使わず、炊飯器で炊いてしまいます。 でもそれなりに仕上がって家のものには好評です。 お試し下さい。 追記 炊飯器パエリアは「お料理教室」でUPしてあります。 (「お料理教室」の字をクリックして下さい。ぺこり) |