エプロンの悪夢










 前期試験の最後の答案用紙を提出して、俺は電車で3つ離れた駅前にあるハンバーガーショップに直行した。中高生がだべりに来るにはまだ少し時間が早いらしく、探すまでもなく2階の一角に陣取った連中と合流した。
「よう」
「丹羽! 待ってたぞ」
「悪ィ。ここらって初めてなもんでよ。バイク置くのに手間取っちまった」
「あ、いや。俺らが待つのはかまわないんだ。変な誘いかたしちまっただろ? 来てくれなかったらどうしようかと思ってただけだから」
 そう。俺は今日、「絶対誰にも言わずに必ずひとりで来てくれ」と言われていたのだった。確かに意味深な誘い方ではあったが、実は俺には奴らの思惑の見当がついていて、そしてそれは集まったメンツを見た瞬間に確信に変わっていた。俺の前に情けなそうなツラを並べているのは、8月の終わりに中嶋のマンションに押しかけたあげく、酔いつぶれて ―― 前半戦はともかく、後半戦は多分にヒデが意図的に酔わせた気がしないでもないが ―― そのまま一晩泊まっちまった連中なのだった。
「どうした。啓太に礼でもしようとして、中嶋にはたきおとされたか」
 これは中嶋と啓太を知っていればすぐに出る結論なんだが、中嶋の執着の凄さをしらない連中には、さながら俺がシャーロック・ホームズにでもなったかのように見えるらしかった。ちょっとばかりボーゼンとした顔つきをしている。だがそこは、やはりというか未来の法曹界を背負って立とうってえ連中だ。数瞬の後には態勢を立て直していた。まさに高速再起動というやつだ。
「さすがだな、丹羽。そこまで分かってくれていると話が早い」
 そう言って連中はほっと息を吐いた。

 あの朝。完全に二日酔い状態で目を覚した俺たちが最初に目にしたもの。それは冷たく冷やしたミネラルウォーターのボトルとグラスだった。あの水の美味かったことといったら! まさに甘露。あんな美味い水を飲んだのははじめてだってぇくらい美味かった。だが酔っ払いの俺たちが、それを啓太の気遣いと知るにはもう少し時間が必要だった。
「あ、起きて来られたんですね? 汗かいて気持ち悪いでしょ? Tシャツと下着と用意してありますから、シャワー浴びて下さいね。あ、タオルはここで、歯ブラシはここに置いてますから。王様の分もちゃんと用意しときましたよ。お姉さんたち何時までいるかわかんないですもんね。あ……ごめんなさい。使い捨てのカミソリ買って来るの忘れちゃった。ごめんなさい。気にならないなら俺の電気シェーバー使って下さい」
 そんな可愛いことを言いながら先に立って歩く啓太を、この時点で可愛いと認識できた奴はひとりもいなかったはずだ。
 あーっ、ちくしょう。酔っ払いってのはなんてもったいないことをするんだろうな? 
 その頃の俺らときたら、まるで地獄を見てきたゾンビみたいなひどい顔 ―― いや、中身もなんだが ―― で、啓太のあとをついて歩くのが精一杯だった。まああとから起きてきたヒデの野郎もそん中に含まれるのが、そこはかとない救いであった訳なんだけど。ヒデと付き合いだして4年。ここまでひどい奴のツラを見たのははじめてだった。
 まあな。寝室の方でヒデが起きた気配がしたとたんに、俺たちをほっぽらかして走っていっちまったのは、一晩泊めてもらった宿泊料と思っておくさ。ドアのむこうから聞こえてきた「あん! もう。そんなお酒臭いのに。駄目ですっ、てば。あ、や……ん」なんてえ、何が「駄目」なんだか何が「や」なんだかって、啓太の甘ったるい声は余計だったけどな。
 何にしろ寝室から5分程度で出てきてくれたのは、俺たちにとって幸いだった。朝っぱらからおっぱじめられてみろ。それこそ目もあてられねえぜ。
 ヒデの野郎は繊細なんだが、そういうところは気にする男じゃない。だからアルコール飛ばしの一発に及ばなかったのは、単に啓太が酒臭さを嫌がったからに違いない。
 母親について歩くカルガモよろしく啓太の指示に従ってシャワーを浴びてきた俺たちは、冷たい水を飲みながらしばらくリビングでぼーっとしたあと、今度は見事なまでのタイミングで出された梅干と鮭のおかゆ ―― トッピングされた三つ葉と焼き海苔の風味が絶品だったぜ ―― をご馳走になって、中嶋家を退去した。胃にも心にも優しかったあの味は、そのまま啓太の印象となったのだった。

「あのとき、ちゃんとお礼を伝えられなかったことを心苦しく思っている」
「しかもTシャツやなんかは啓太くんの小遣いから出してくれたそうじゃないか。せめてその分だけでも返させてもらいたかったんだが……」
 いくら中嶋と知り合いだといったって、呼ばれもしないのに飲みに押しかけたあげく、酔いつぶれて泊めてもらうほど親しくはない。ましてやその同居人にすぎない高校生に着替えを買ってもらって、黙ってもらっておいていいはずなど絶対にない。それくらい中嶋だってわからねえ訳じゃないだろうに。相手が啓太となると駄目なんだよなあ、ホントに。今回だって、金や商品券を託けようとして断られ、じゃあカッターシャツでも買うからそれをと言ったところで、見事なまでにその話し合いは打ち切られてしまったらしい。
 どうせヒデのこった。「あれが自分の小遣いをどう使おうが勝手だ」とか「あれが好きでしたことだ。礼など言うに及ばん」とか言ったんだろう。カッターシャツに至っては「必要ない」の一言で切って捨てたに決まってるんだ。ああ、もう。目に浮かぶぜ。まったくよ。そこまで警戒するかね? 啓太の視界に入ろうとする男はみんな、啓太につく虫だと信じて疑わないんだ。男に目が向く男なんて少数派にすぎねえんだぞ? それより以前に、啓太の眼はおまえにしか向いてねーだろ、ってんだよ。……悔しいけどよ。
 でまあ俺は「とにかく啓太に礼をしておきたい」というやつらの頼みを聞くことにした。しょっちゅう啓太の手料理をご馳走になってる俺だって、あのときの礼は別にしておかなきゃとは思ってたから、ちょうどいいと言えばちょうどいいタイミングでもあった訳だ。それに、俺なら中嶋と啓太のことも良く知ってるからな。あの嫉妬のかたまりみたいなヒデが、他の男が買ったカッターシャツを啓太の身につけさせないくらい熟知してるともさ。
「分かった。俺から適当にやっといていいか?」
「ああ。もちろんだ、任せるよ」
 そんな経緯があって安易な気持ちでやつらから金を預かった俺だったが、このあとすぐ、その考えが甘かったことを思い知る羽目になる。

「啓太」と言われてまず思い浮かぶのがあの笑顔。癒しのオーラを撒き散らしながら笑いかけてくれる極上の笑顔だ。そして次点がエプロンだったりする。何の飾りもないシンプルな空色のエプロンを、家事をするときには必ず着ているのだ。メシ時を狙っておしかける俺ならではの発想かも知れねえが。おっと。これは自慢だぜ。あのヒデがこんなことを許しているのはごく限られた人間だけなんだからな。
 だから礼をしようとしてまず思いついたのがエプロンだった、って訳だ。いくら他の男が買ったものを身につけさせないったってよ、服の上からひっかけるエプロンにまで目くじらはたてんだろう。啓太にしたって洗い換えは多い方がいいだろうし、たまには違うデザインのを着れば気分も変って家事が捗るかもしれないしな。
 しかし今までの人生でそんなものを買おうと思ったことがなかった俺は、まず「エプロンって何屋に売ってるんだ?」ってえ情けない事実に直面した。このときほどデパートって存在に感謝したことはなかったね。さすがは百貨店。ちゃんと売場があるんだぜ。案内所で教えられた場所に行き、シーツやらタオルやらの一角に吊るされたエプロンを見つけたとき、マジで感動があったぐらいだ。
 いくら俺だって場違いなトコに足を踏み入れたって自覚はある。平日の昼間っていう時間も悪かったと思う。見事なまでに店員のおねえさんたちの不審な視線を集中させてしまった俺は、とっとと買ってこの場を退散するべく、エプロン売り場に分け入った。
 ま。認識が甘かったんだよな。エプロンってえと啓太が使ってるようなシンプルなやつしかアタマに浮かばなかったんだよ。だからとっかえひっかえしてはどれが啓太に似合うか考えてた俺は、何気なく引っ張り出したエプロンを見て、思わずその場で固まってしまった。
 いや……。なんつーか、その、だな。ひらひらフリルのエプロンだったわけだよ。それ。
 え!? それのどこで固まるのか、って? いや。だからよ。あーいうのってばAV用だと思ってたわけで……。ああ、もう! はっきり言やいいんだろっ! 俺はそん時までフリルのエプロンは「裸エプロン用」だと思ってたんだ! 分ったか! くそっ。
 だってしゃーねーだろ? オフクロはエプロンなんて使わねーし。調理実習はかっぽう着みたいのだったし。喫茶店で見かけたって思い出したのは、もうずーっとあとになってからだったんだよ。そん時はこう……。啓太がそれで裸エプロンしてる姿がみょーなリアルさで目に浮かんじまって。どうすることもできなかったんだ。
 我ながら情けねえとは思うんだがよ、全力でエプロン売り場をあとにしてたってわけだ。
 俺も男だ。裸エプロンが嫌いなわけじゃない。っていうか、むしろ好きだ。だけどあんなモノがごくごくフツーにデパートなんぞで売られてるなんてよ。……誤算だった。不意討ちみたいなもんさ。
 ついでに言やあ、俺のために着てくれるんだったら買って帰ってたと思うぜ? 鼻血出しながらでもその場に踏みとどまってたさ。けどヒデの野郎が喜ぶだけだと思ったら買えねーだろ。俺らは啓太に礼がしたいんであって、ヒデを喜ばしたいんじゃないからな。
 それやこれやでエプロン案はみごとに玉砕した。

 それでもまだ俺には余裕があった。世の中にはこれだけモノがあふれかえってるんだ。啓太の礼のひとつやふたつ、すぐに見つかるってな。ところがそれが甘かった。裸エプロンの印象がよほど強かったんだろうな。何を見ても「ヒデが喜ぶ」としか思えねえんだよ。
 部屋の中にヒーリング音楽と共にオーロラを映し出す簡易プロジェクタを買おうとしたら、ラブホの演出か? って思っちまうし。んじゃ逆に外で、と思ってテーマパークの情報を検索していたら、ジェットコースターでヒデの野郎にしがみつく啓太の姿やら観覧車でふたりきりになる姿やらが目に浮かんじまう。果ては雨の日に傘を見かけて相合傘。教授のネクタイ見ては目隠しか? なーんて思っちまう始末ときた。
 もー買い物なんてできねー! と半ば音を上げつつも、なんとかエプロンのショックから立ち直った俺は、ステーキ肉を物色しに出かけた。なかなかいい案だって思わねえか? これ。
 いくらヒデんちがリッチな生活してるったって毎日ステーキ食ってるわけじゃないしな。それにこれだったら料理っつったって焼くだけだしよ。啓太に手をかけさせる、ってほどでもないはずだ。中嶋ときたら、自分はやれ「インスタントは使うな」だの「レトルトなどもってのほか」だの言って啓太に手間ひまかけさせてるくせに、他人がかけさせるのを極端なまでに嫌うんだよ。けどこれなら条件はクリアしてるだろ? だから啓太が帰ってきたらすぐに買いに行けるように、見繕いにいったってわけだ。
 礼をするのにスーパーの肉では寂しすぎる。たんまりとは言えないがそれなりに予算もある。そして俺は再び例のデパートに行き、地下の食料品売り場にあった肉屋のショーケースをのぞきこんだ。
 俺は今まで「牛肉」っちゃ「牛肉」としか認識がなかった。せいぜいがステーキ肉かそれ以外って程度だ。だからはじめて見る肉屋の陳列はマジでおもしろかった。しゃぶしゃぶ用とすき焼き用が別モノだって知ってたか? こま切れと切り落としだって違うんだよ。網焼き用と鉄板焼き用なんて同じにしか見えねえぜ。そして値段は100g800円から4000円まで7種類あった。いつもスーパーで買ってるような200いくらかなんてえやつは、さすがに売ってないんだなあ。
「何をお探しでしょうか」
 ショーケースの前で腕組んでいろいろ感心してたら、店屋のオヤジに声かけられた。エプロン売り場と違って俺にもちょいと余裕がある。だから安心して相談に乗ってもらうことができた。
「あのー。こないだ、みんなで新婚さんの家で酔いつぶれちまって……。で、詫びというか礼というか、そういうのをしようってことになったんです」
「ははあ……。なるほど。ご予算はいかほどでしょう」
「1万5千円くらいかな。ステーキ肉にしようかと思うんだが……」
「そうですねえ……。4千円のを180gでカットすればそんなものでしょうが……。ただ、ふつうのご家庭ではそこまでするのもちょっとねえ。それよりは2千円程度の焼肉用かしゃぶしゃぶ用を700くらいされた方が、たくさん食べられるし、残っても他の料理になりますよ」
「なるほど」
 さすがはプロ。聞いたときには素直にそう思ったんだよ。だがここで、あの「裸エプロンの悪夢」が蘇った。ふたりで仲良く鍋なりロースターなりをはさんで向かい合ってる姿が目に浮かんじまったんだよ。

―― 中嶋さん、これ焼けてます(煮えてます)。
―― ああ、おまえももっと食えよ。
―― そんな……。中嶋さんこそたっぷり食べてください。
―― ふ……。馬鹿な子だ。さあ。俺が取ってやろう。皿を貸せ。
―― じゃあ中嶋さんのは俺が……。

……駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目だ。許せん! 俺らの金でいちゃいちゃするなんて絶対に許せん――!!
 俺の勝手な妄想だと言うなよ? 相手はあの馬鹿ップルなんだぞ? 俺の想像力の方がついていかねーくらいいちゃいちゃの熱々なんだ。きっと実際にはこれの何万倍何億倍もいちゃいちゃしやがるに違いない。
 そうして気づいたときには、俺はデパートからかなり離れたところを歩いていたのだった。

 2度目の失敗にとぼとぼと歩いてると、昼メシをまだ食ってなかった所為か、汚ねえ中華料理屋が目に入った。正確には美味そうな匂いに鼻が惹きつけられたってトコなんだが、そこで、そっか。ニンニクたっぷりで有名な韓国系焼肉屋に連れてく、って手もあるな。と、唐突に思いついた。ふたりで行かせりゃ行かねえだろうが、俺が引っぱってけば何とかなるだろう。
 へへへっ。ニンニク臭くってしばらくキスもできね〜ぜ。ざまみろ、ってんだ。
 これは自分的にかなり楽しい思いつきだった。だって考えてもみろよ。キスしようとしたら、引き寄せた啓太が思わず顔をそむけちまうんだぜ? うっ、てな感じでよ。笑えるだろ? ロースター挟んだいちゃいちゃだって、その結末を思えば乗り切れるってモンさ。
 楽しいものだからいくらでも段取りだって思いつく。まずはあちこちリサーチかけて、思いっきりニンニクたっぷりの店を探すだろ。適当なのが見つかったら、今度は毎日の課題を送るときに「今度メシおごるぜ」と端っこに書いておく。相手がどんな課題を作って送ったか把握しておくために、啓太に送ったものは必ずCCでお互いんとこにも送るから、これでヒデの野郎も同時に眼にすることになるだろう。この「同時に」ってのが今回のポイントだ。もしも啓太に先に送ってたりしてみろ。「浮気だ」とかって決めつけて、絶対にうんと言わねえのに違いない。そうなると啓太だって行きたいとは言えなくなるんだ。
 最初は喜んで。だけどヒデがうんと言わないから行けなくて。『王様、ごめんなさい。せっかく誘ってもらったのに、俺……。行けそうにないです……』なんてしょんぽりと、本当に申し訳なさそうな顔で言ってくる。悪いのは啓太じゃない。思いっきり心の狭すぎるヒデが全面的に悪い。分ってんなら最初からそんな風にならないように考えてやるのが男の優しさってもんだろ? だからここは同時に送らなきゃならねえってわけだ。
 それはさておき。ネットでウロウロ焼肉屋を探してたら、かなりそれっぽい店が検索リストに見つかった。
『青森産高級大蒜を贅沢に使用(当店従来品比2.2倍)』
 おお! これだよ、これ。これこそ俺の捜し求めてたモノだ。場所はここから車で30分程度。ちっとばかり遠い気がしないでもないが、タクを使えば行けない距離じゃない。メニューも豊富だし値段も手頃。クチコミ情報にも概ね好意的なものが並んでいる。
 よしよし。んじゃここに決定するべ。ぐずぐず考えてたって遅くなっちまうばっかりだしな。
 そう思いつつ、なおもサイト内をうろうろしてた俺は、とんでもない煽り文句をみつけて絶句した。
『たっぷりニンニクで精力パワーアップ!』
……ちょっと待て。それでなくても昼夜やりまくってるヒデの野郎を、これ以上絶倫にしてどーするんだ? 被害は啓太ひとりが蒙ることになるんだぞ? それじゃ礼にならんだろ。ってか、俺はヒデをニンニク臭くして啓太に嫌がらせたいんであって、燃え上がらせるために焼肉を食わせたいんじゃない。まあ……、それはそれで啓太が悦ぶかもしんねーけど、それだけは断固として見ないフリを決め込んでやる!!
 ということで。はああ……。焼肉案。みごとにボツ……。

 で。結局、何を買ったか、ってな。横50センチほどのバーチャル水槽にした。病院とか駅とかによくあるだろ? モニタの中で熱帯魚が泳いでるやつ。これだったら世話をする必要もないし、餌を食わねえから何日も留守にしたって死ぬ心配もないしな。同じ講義をとってるやつに家電販売店の息子ってのがいて、そいつに頼んで格安で分けてもらったんだよ。仕入れたものの画像がしょぼくて全然売れなかったらしい。もともとが買い切り品だったとかで返品もできず、処分するにも金がかかり、倉庫の中では場所を取る。……って、要するにお荷物だったんだな。ま、お互いのニーズが一致した、ってわけだ。
 それをまずは俺の部屋に届けてもらい、プログラムをいじって画像のグレードをアップさせた。まあな。遠藤や七条が組んだほどじゃないけどよ、それでも元のよりはうんと見られるようになったんだぜ? そしてそれを、啓太がいるのを見計らってもって行った。
「よっ。啓太」
「あっ。王様、いらっしゃい。……なんですか、それ。重たそうですね」
 ああ。これこれ。この笑顔。と、思ったとたんに裸エプロン姿がオーバーラップしてしまったのは内緒の話だ。絶対、悟られる訳にはいかない。啓太本人にも。ヒデの野郎にも。そして俺は振り切るようにリビングの端にモニタをセットした。
「何だ、これは」
 基本的にモノが増えるのが嫌いな狭量な亭主は露骨に嫌そうな顔をしやがったが、電源入れて熱帯魚が泳ぎはじめたのを見た啓太が眼を輝かせたものだから、それ以上は何も言わずに黙ってしまった。そうか。中嶋を嫌がらせるのはこういう手もあったんだと、意外な効果にちょいと気分がよくなった。
「これはな。前に泊めてもらった連中から、啓太への礼だ」
「え? 俺?」
「ああ。あんときのお粥は美味かったぜ」
 啓太は何がなんだか分らないって顔をしていた。自分のしたことがどれだけ相手を喜ばせたかなんて、これっぽっちも考えてないんだろうなあ。それでこそ啓太だ。こいつにはこれからも変らねえでいて欲しい。俺のものにならなくってもいいからよ。ヒデのものでもいいから、ずーっとそんな顔をしていて欲しい。
「えっと、あの……。よく分んないんですけど、有難うございます。すっごく綺麗で、なんか癒されます」
 本当にうれしそうに笑いながらそう言った啓太のことばを、俺は俺の記憶力が許す限り正確に、例のメンツに伝えたのだった。

 じつはこの話にはもうひとつ、なんとも馬鹿くさい結末がある。11月も終わりに差しかかったある日のこと。啓太の手料理をご馳走になりに中嶋の部屋を訪れた俺は、水槽の画質が格段にグレードアップしていることに気がついた。魚の種類も増えているし、動きもより複雑になっている。買い換えたかと思ったりもしたのだが、よく見るとやはり違う。俺が手直ししたところがそのまま残っているから間違いない。
「あ。その熱帯魚なんですけど」
 思わず足を止めてしまった俺に、啓太が種明かしをしてくれた。
「そんなに気に入ったのならって、中嶋さんが改良してくれたんですよ」
「へえ?」
「俺、この熱帯魚、見てるの好きだから、綺麗になったのうれしくて」
 中嶋がソファで新聞や雑誌を読んだりしてるとき、啓太はいつもその足元でうずくまるように座っている。そんなとき、啓太はテレビを見ていることが多いのだが、中嶋がジャズを流していたらそういうわけにはいかない。そこで自然とこのバーチャル水槽を眺めていることが多くなり、結局は中嶋の癇に触れちまったってことらしい。ほかの男からもらったものをしょっちゅう眺めてるのが気に入らなかったんだろうよ。
 とはいうものの、あまりにも啓太が喜んじまってるもんだから「捨てろ」とも言えず、自分で手を入れることで妥協点というか、まあそういうものを探し出したって訳だ。
 そこまでするか? ってな。確かに馬鹿くせえが、やったのがヒデだと思えば微笑ましくもある。あいつにこんな可愛らしい一面があるなんて思いもしなかったぜ。それだけ啓太にベタ惚れってことなんだろう。つい笑っちまった俺は、「良かったな」と言って啓太のアタマを撫でてやったのだった。
 モニタの中では見覚えのない魚が群れをなして泳いでいる。





こっそりオマケはこちらから。
注意! アホです。苦情は聞きません。
オッケーの方のみどうぞ。









いずみんから一言

諸般の事情から9月一杯ヘタレていて、連載のつづきを書こうとしたら
たった5行で手が止まってしまった。
だからこれは、言ってみればリハビリ的に書いたもの。
うちの王様ってあてられてばっかり。
いくら見守りポジションにいるったって、気の毒な役回りが多いわ……(汗)。
 




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