漂う人彷徨う人



(1)始まり


「二番線に回送電車が参ります。どなた様もご乗車にはなれませんのでご注意ください。」
 そのアナウンスが流れた後の事を、俺はよく覚えていない。
 ホームに滑り込んできたのは、灯りの点いていない電車。
 人気のない薄暗い車内ってなんか変な感じだなあって俺は中を覗き込んだんだ。そしたら目が合った。
 
 誰と?

 わからない。だけど、その目があまりにも寂しそうで、悲しそうでだから、だから俺は・・・・。

+++++++++

「山麓の二人
 二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
 険しく八月の頭上の空に目をみはり
 裾野とほく靡いて波うち
 芒ぼうぼうと人をうづめる・・・・」

 高村光太郎の詩を啓太が低い声で読んでいた。
 昼休み明けの国語の時間は、なんだかお腹がいっぱいで、のんびりとしていて、啓太の優しい声が子守唄のように聞こえてきてしまうなあ・・
 なんて思いながら、隣に立つ啓太の横顔を見つめていたんだ。

「意識を襲う宿命の鬼にさらはれて
 のがれる途無き魂との別離
 その不可抗力の予感」

「・・・・?」
  でも、教科書を見つめながら、少し背中を丸めて読む啓太の横顔が、なんだがとても寂しそうで、何かあったのかな?と考えてしまう。
 可愛い可愛い俺の啓太が選んだ相手は、どういう訳か俺ではなくて、この学園の恐怖の大王、学生会副会長の中嶋だったりするから、ひそかに啓太の苦労は耐えない。
 啓太とは、考え方も感性も何もかも違う相手。
 生まれて初めて付き合う相手としてはちょっとハードなんじゃないかって思う位、中嶋の性格は屈折してるし扱いづらい。俺を選ばなくてもいいから、せめてもう少し相手を選んで欲しかった・・というのが、俺の本当の気持ちだったりするのだけど、当の本人は、これが不思議な位に毎日幸せそうなのだ。
『俺はね、中嶋さんのものなんだ。ずうっと。』なんて言って笑うのだ。へへへなんて幸せそうに。
 それがなんだかちょっと悔しい。
 俺がその相手になりたかった。啓太の隣にいつもいるのは俺でありたかった。啓太が中嶋のものなんだって納得するのは、理不尽すぎて気持ちがついていかないんだ。
 啓太は可愛い。可愛くて素直でやさしい。それがあんな悪の帝王。大魔神の中嶋なんかに好き勝手されてるのかと思うと、俺は泣くに泣けない。いつか絶対気持ちを変えてやる。
『応援してるからね、啓太』なんてことを言いながら、本当はそんなことを考えていたんだ。

「・・・・わたしもうぢき駄目になる
 涙にぬれた・・・。」

 突然啓太が黙り込んでしまった。
 読めない文字でもあるのかな?なんてのんきに俺は啓太の顔を覗き込み、そして慌ててしまう。
「啓太?」
「・・・伊藤どうした?」
「・・・・・っ。」
「啓太?どうした?大丈夫か?」
 慌てて俺は啓太に声を掛ける。
「・・・啓太?」
 教科書を見つめながら、啓太は涙を流していたのだ。
  大きな瞳を見開いたまま。ぽろぽろと涙を流していたのだ・・。
「啓太?大丈夫?啓太。」
 驚きを隠せずに、啓太の名を繰り返し呼んでいると、国語教師が慌てた様子で近寄ってきた。
「伊藤君?どうしたんだい?気分でも・・。」
「・・・たくなかった。」
「え?」
「伊藤君?」
 今なんて言った?・・・・なかった。何?
「・・・・・・・・。」
 そんな場合じゃないのに、途方にくれた子供のように、立ち尽くしたまま涙を流し続ける啓太の顔が綺麗で、俺は見とれていた。
 抱きしめて、その髪を撫ぜてあげたい。そんな場合じゃないのに思ってしまう。大切な宝物。啓太。
 君の涙を舌で掬い取り、癖のある柔らかい髪を撫ぜながら慰める。
 何も怖がることなどない。悲しむことなどない。俺が居るから。
 だけど、授業中の教室でそんなことが出来るはずもなく、俺は理性を保つことに必死だった。
 俺は啓太の友達だ。啓太の恋人は中嶋。不本意でもそうなんだ。
 啓太は知らない。俺がまだ啓太を好きだってこと。だから警戒させちゃいけない。演じなければ。やさしい友人を。唯一の理解者を。
「啓太。大丈夫?保健室行く?」
 立ち上がり、啓太の肩に手を置いてささやく。
「・・・・・・・なのに・・・なのに・・・どうして・・・。」
 小さな声で、啓太は何かをつぶやき続けている。
 隣に立つ俺に気づく様子もなく、自分の考えに没頭している。
「啓太!」
 様子の異常さにやっと気がつき、大声を上げてしまった。
「ひっ。」
 びくり、体を震わせて、そうして啓太は初めて俺を見た。
「和希?」
「啓太?大丈夫?」
 今まで泣いていたなんて嘘だったとでも言うように啓太はきょとんと瞳を見開いて、俺を見ていた。
「大丈夫?え?」
「啓太。」
「伊藤君?」
「あれ?俺・・・泣いてた?」
「伊藤君?どうしたんだい?何か・・・。」
 不審そうに、興味本位に見つめる教師の瞳に、俺は啓太の腕を引いて歩き出した。
「遠藤君?」
「啓太を保健室に連れて行きます。今朝からずっと調子悪かったんです。いいですよね?」
「か、和希?」
 反対なんかさせない。俺の啓太をそんな目でみる人間に、質問する権利さえ与えてなんかやらない。
「具合悪いのか?」
「ええ。行こう啓太。」
「和希?俺・・・。」
 返事を待たずに教室のドアを開け、啓太を引きずるように廊下に出てしまう。
「和希?」
 戸惑う啓太の手を引いて歩き出す。
「あの・・・和希。痛い。腕痛いってば。」
「あ、ごめん。」
 その言葉に我に返ったときには、もう保健室の前まで来ていた。
「少し休んだほうがいいよ。」
「うん・・・でも。俺平気だよ?」
「いいから。なんか顔色悪いよ?気がついてないだけで、体調崩しかけてるのかもしれないから。」
「そうかな?・・・・じゃあそうする。ありがと和希。」
 にこりと笑う啓太の顔に、少し違和感を感じながら、保健室のドアを開けると、保険医は留守だった。
「伊藤啓太。頭痛・・と。」
「うそつきだなあ。」
「いいから。ほら寝た寝た。」
「うん。」
 上着を脱いでハンガーに掛けると、啓太はのそのそとベッドにもぐりこんで、不思議な目で俺を見つめていた。
「なに?」
「ううん。」
「一人が寂しいなら先生が戻るまで傍に居ようか?」
 冗談めかして言いうと啓太はコクリとうなずいた。
「寂しいの?」
「なんか、保健室の匂い嫌なんだ。」
「どうして?」
「・・・・・・わからない。なんか落ち着かない。」
 小さな子供みたいな顔をして言う啓太に苦笑しながら、俺は椅子を引き寄せてベッドの脇に座ると前髪に触れた。
「ん?」
「少し寝たほうがいい。傍にいるから。」
「・・・・眠くない。」
「添い寝しようか?」
「和希?」
「ふふ、嘘だよ。そんなのばれたら大変だしね。」
 あの独占欲の塊が、騒ぎ出すに決まってる。
「ばれる?」
「中嶋さん。あの人啓太のことに色々うるさいからね。」
「中嶋さん・・・・そう・・・だね。」
 反応が変だ。やっぱり元気ない原因はあの人なんだろうか?
 涙の理由も?
「啓太?ね、何か悩みでもあるの?」
「ないよ。ない。」
 即答。
「そう・・・でももしも一人で苦しいときは俺を思い出してよね。俺はお前の友達なんだから。親友・・・だろ?」
「・・・・親友。うん。ありがとう。・・・俺、やっぱり少し寝るね。」
 ふにゃりと笑い。そして毛布を頭からすっぽりとかぶってしまう。
「啓太。お休み傍に居るからね。」
 そう言うと、毛布の塊がうなずくように動いた。
 やっぱり中嶋と何かあったんだ。俺に心配掛けまいとして、啓太普通に振舞おうとしているんだ。
 俺がなんとかしなければ、啓太を守らなきゃ。
「・・・・・もう遅い。後悔したって・・・もう遅い・・・いつだってそうだ。気がつくのはいつも最後。もう間に合わないのに・・・。」
 毛布に包まって、啓太がそう言ったのを、俺は自分の考えに夢中で聞き逃していた。
 もう遅い。啓太が何に対して言ったのか、俺は気がつきもしなかった。





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