漂う人彷徨う人 (2)とまどい 「あれ?開かない。」 放課後、勢い込んで学生会室のドアに手を掛けて、ガチガチとノブを回しながら、首をかしげた。 「もういつもなら来てる時間だよなあ?」 王様はともかく、中嶋は大抵この時間にはここに居る。 色々含むところは多いけど、仕事は真面目にやるし、正確で早い。 私生活に目をつぶれば、副会長として申し分のない人間なのだと思う。 「どうしたんだろ?」 どうしようか・・と途方にくれていたら、背後から能天気な声が聞こえてきた。 「あれ?どうしたん?」 「あ・・。鍵が掛かってて。」 「ああ、留守やからなあ。二人とも。」 「え?」 「明後日まで出張や。」 「あ。」 そうだった。忘れてた。 「急ぎなん?」 「いや、ちょっと・・・啓太のことで・・・。」 「啓太?そういやさっき裏庭でぼぉ〜としとったで?具合悪いんとちゃうん?俺が呼んでも返事もしいひんかったし。 雷さんゴロゴロしとったし大丈夫か?思ってたとこなんや。」 「・・・ありがと行って見る。これお礼。情報料。」 財布から食券を取り出し手渡しながら、気が急いていた。 やっぱり啓太おかしいんだ。俺の思いすごしじゃない。 「まいど。またなんぞ仕事あったら頼むで〜。」 能天気な声を背中に聞きながら走り出す。 啓太?何を悩んでるんだ?俺にも言えないことなのか? ++++++++++ ゴロゴロと空が鳴っていた。 「・・・啓太?」 今にも泣き出しそうな空の下啓太はぼんやりとベンチに座っていた。 「・・・啓太?どうした?」 背後に立って、そっと声を掛けると啓太はびくりと肩を震わせて振り返った。 「ごめん、おどろかせた?」 「・・え?・・・・あ、えと・・・・か、和希?」 きょとりとした顔で、なんだか不思議なものでもみるような顔で啓太は俺を見上げる。 「どうした?啓太。」 「え・・・?あ・・・・ううん。」 「お腹空いた?・・・・あ、やば。降ってきた。」 ポツリポツリと大きな雨のしずくが当たり始め、あわてて啓太の腕を引く。 「ほら、濡れるよ。早く中に行こう。」 「え、うん。」 のろのろと立ち上がる啓太を待っているうちに、見る間に雨脚が強くなる。遠くで空が一瞬光り、雷の落ちる音がし始めた。 「うわっ。」 「落ちたなあ・・・。」 ってそんな事のんきに言ってる場合じゃない。早く建物の中に入らないとびしょぬれになってしまう。 「啓太、ほら急いで。」 「うん・・・。」 返事をしながら、啓太は走ろうとしない。 「啓太。」 「和希・・・・雨に当たるのって気持ち良いね。」 「へ?」 「ほら・・・・なんだか面白い。」 両腕をひろげ、くるくると回りだす。 「啓太。」 「へへへ。映画であったよね。こうやってずぶ濡れになって雨の中で踊るの。歌いながら。一度やってみたかったんだ。」 「おいおい。」 「傘をさして空を飛ぶとか・・ね。あこがれなかった?」 「さあね。あったかもね。」 テレビや映画のワンシーンにあこがれたことなんか一度もなかった。 でも、啓太がそう言うなら、空想の中で俺も同じ思いを共有したかった。幼い啓太とともに空を飛ぶ。傘を持って。雨に濡れて歌う啓太と一緒に。 「実際に出来るわけないのに、やってみたかった。傘を片手にもって風に乗って空を飛ぶんだ。どこまでも飛べる。自由に。」 「啓太?」 「雨に濡れて、遊ぶのも夢だった。」 そう言って笑いながら、啓太は両腕を広げる。 土砂降りの雨。そんな場合じゃないのに、早く雨宿りしなきゃ(ってしても無駄なくらいずぶ濡れだったけど)いけないのに、俺は啓太に見とれていた。 雨に濡れた夏服。しずくが落ちるほどに濡れた髪。張り付くシャツが体のラインをあらわにして俺を誘う。 「和希?」 きょとんとした瞳。俺を友達だと、親友だと信じきった瞳が見つめる。 「帰ろう啓太。」 「え?和希?」 手首をつかみ走り出す。 「え?待ってよ。」 パシャパシャと水溜りも気にせずに走り出す。 「和希!」 諦めるなんて無理だ。こんなにもこんなにも啓太を好きなのに。 諦めるなんて無理。どうしようもないくらいに啓太が好きなんだ。 「・・・え?」 立ち止まり立ち尽くす。我慢なんかできない。もう無理。 「啓太?」 「和希?」 抱きしめてもいいよな?キスしてそうして・・・。 「どうしたの?急に立ち止まって。」 きょとんと見つめる瞳。その頬に触れ見つめる。 「和希?」 「けい・・た。」 どうしよう、キスしたい。どうしよう、抱きしめたい。 どうしようどうしようどうしよう。 「かず・・・あ。」 「え?し、篠宮さん。」 啓太の声に振り返ると篠宮さんが呆れた顔をして立っていた。 ++++++++++ 「何それ。」 食堂に行ったら啓太が啓太が真っ赤な顔をして座っていた。 「これ?」 「雑炊?」 「ううん。おじやだって。」 「それって違うのか?同じものだと思ってた。」 「ご飯を洗ってから作るのが雑炊。洗わないで作るのがおじや、米から炊くのがお粥なんだってさ、さっき篠宮さんに教えてもらったよ。」 「へえ?ってそれ篠宮さんが作ったのか?」 「うん。卵と葱入り。」 「なんで?」 「ええと、あんまり食欲が無いって言ったら作ってくれた。葱は体を温めるから食べたほうがいいんだってさ。」 「え?食欲無いのか?」 「そういえば篠宮さん、俺が保健室に行ったのも知ってた。寮に帰る前にいつも保健室の利用者をチェックするんだって。」 まめな人だと思っていたけど、そこまでやるのかあの人。 「ちゃんとお風呂入って温まったのか?って聞かれちゃったよ。」 「ああ、体冷えただろ?あ、それで調子悪くなった?食欲無いなんて珍しいぞ?どうしたんだ?」 「え?・・・・・なんとなく。大丈夫これは全部食べるから。折角篠宮さんが作ってくれたんだし。ちゃんと全部食べるよ。」 言いながら啓太はフーフーと息を吹きかけ冷ましてから、ゆっくりと卵色のご飯を口に運ぶ。 「あれ?」 啓太って猫舌だったっけ? 「なに?」 「いや・・。篠宮さん本当にまめだなあって。」 「優しい人だよね。」 「俺たちずぶ濡れだったって言うのに、傘に無理やり入れちゃうし。」 思い出すと可笑しくなる。 ずぶ濡れの俺たちを見つけた篠宮さんは、無理やり俺たちを自分の傘の中に入れて寮まで連れて行ってくれて、そうして入り口に待たせるとバスタオルを何枚も抱えて戻ってきたのだ。 「俺、あんな風に頭拭かれたのなんて、子供の時以来だよ。」 『ちゃんと拭かないと風邪引くぞ。』 なんて怒った様に言いながら、篠宮さんは啓太の髪をバスタオルでゴシゴシと拭いて、ついでに俺の頭も同じように拭いてくれたのだ。 『まったくお前たちはあんな雨の中何をやっていたんだ?』 その問いに俺は苦笑いで答えることしか出来なかった。 きっと篠宮さんが来なければ、啓太を抱きしめていた。細い体を抱きしめて、唇を重ねていた。 友達でもいい。啓太が俺の傍に居て、俺を受け入れてくれるのなら、それでもいい。そう思って納得していたはずなのに。 啓太が幸せなら、たとえ相手が中嶋だとしても祝福しよう。俺は啓太の一番の理解者でいられればそれでいい。 そう思っていた筈なのに、それなのに・・・。 「和希どうした?」 「え?」 「ぼんやりして。変だよ。」 「そうだね。」 誤魔化しのための笑顔がひきつる。 気持ちを隠さずに伝えて、思いのままに抱きしめたら啓太はどうするのだろう?拒絶されて終わりだろうか? 中嶋を思う気持ちは理解しているつもりだった。悔しいけれど、啓太の世界の中心は中嶋で、あいつ以外の人間が入り込む隙などどこにもない。 俺の入り込む隙はどこにもないのだ。 「あれ?伊藤君でしたか?」 聞きなれた声に振り返ると、首を傾げて立っている七条がいた。 「・・・・・・・・七条さん。」 「おかしいですね僕が大切なあなたを見間違うなんて。」 「え?あの・・・?」 「遠藤君と一緒にいるのは誰だろう?って・・・疲れが溜まっているのかもしれませんね。」 その言葉に啓太が俯いてしまう。 「どういうことですか?それ。」 「伊藤君だと気がつかなかったと云う事ですよ。入り口から二人の姿が見えたのですが・・・。」 「・・・疲れているんじゃないですか?」 「そうかも知れません。」 「・・・・・俺、部屋に帰ります。」 「啓太?」 「伊藤君?どうしたのですか?顔色が悪いですよ。」 「大丈夫です。」 作り笑いを浮かべたままトレイを抱えて立ち上がると、啓太はふらふらと歩き出した。 「啓太?」 「伊藤君、部屋まで送りましょうか?」 「平気です、平気です。俺元気ですから。」 「でも。」 「俺元気です。元気ですから!」 「でも心配だから部屋まで一緒に行くよ。」 「和希。」 「じゃあ、僕も。」 「七条さんはどうぞ食事をしてください。」 さっきの七条の言葉に気分を悪くしたわけではない、と思うけど・・どうしたのだろう。 「・・・・仕方ありませんね。伊藤君お大事に。」 肩をすくめて椅子に座ると、七条はにっこりと啓太に笑いかける。 「ありがとうございます。おやすみなさい。」 ぺこりと頭を下げて、啓太は歩き出した。 「啓太?」 「・・・大丈夫元気だから。」 「でも・・。」 「大丈夫・・・大丈夫だから・・・・だって、だって俺は・・。」 ふらふらと歩いてそして、 「啓太?」 ふらりと啓太の体が揺れて、ガシャンと食器の割れる音が響いた。 「啓太!!」 慌てて体を支えた俺の腕の中で啓太は意識を手放した。 |
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