薔薇と王様 2


               
 小人達は哲也にいつまでも館に居て欲しいと思っていました。
 そうしたら郁はきっととても嬉しいでしょう。
「そうか、嬉しいのか・・・そうか。」
 頷きながら郁は自分はどうなのだろうと考えてしまいました。
「郁様も嬉しいですか?哲也様に会えるのは嬉しいですか?哲也様を好きですか?」
「さあな。わからない。」
 それが郁の答えでした。
 哲也と一緒に居る時楽しいのは確かです。
 哲也は頭が良くて話がとても面白いのです。
 でも、郁は素直に嬉しいと言う事が出来ませんでした。
 傍に居れば楽しい時間を過ごせます。
 年に一度、たった七日間だけですが、哲也に会うことは郁の楽しみになっていました。
 けれど、会うたびに心がいらだつのです。
 国の話を聞くたびに心がざわつくのです。
 理由も分からずに叫びたくなるのです。
「私は哲也を好いては居ない。
 あいつは人で弱い生き物だ。たった数十年生きただけで死んでしまう儚い生き物だから哀れに思って助けただけなのだ。」
 それは郁の本心でした。
 自分の為ではなく、残る子供の為に生きたいと願う心が哀れだったから、それが理由でした。。
「では仲間に、そうすれば儚い生き物などではなくなります。郁様と共にずっとずっと・・。」
「仲間?あれは人間だ。」
「でも。」
「それでは意味がない。この地で長く生きてもあの男にはなんの意味も無い。そう思わないのか。」
「どうしてですか?」
「あの男にとって、生きるということは国を治めるということだ。民の為に生きる。それがあの男の命を支えている。」
 小人達へ諭すように言いながら、郁は自分の心にもそう言い含めていました。
「それでは郁様は?郁様は寂しくないのですか?哲也様を郁様だけは救えるのに。なのに、郁様はみすみす哲也様を・・・。」
 小人達はぽろぽろと涙をこぼし始めました。
 もうすぐ命の火が消える哲也を思い。それを見送らなくてはならない郁を思い、涙を流し続けました。
「意味なんかいらないです。人ではなくなっても、夜の闇の中でしか生きられなくても。それでも、それでも・・。」
 ぽろぽろぽろぽろ。小人達は涙を流し続けることしか出来ませんでした。

××××××

「よ。久しぶり。元気だったか?」
 ある晩郁が目覚めると、暖炉の前で哲也が小人達と酒を飲んでいました。
「来たのか?元気そうだな。」
 眼を細め、郁は哲也を見つめました。
 日焼けした顔は嬉しそうに郁を見つめています。
「元気だぜ。俺はいつでも元気だ。あんたのお陰で風邪ひとつひかねえ。」
「ふん。どういう意味だ?」
「この首飾りから、あんたの力を感じる。これは森を抜ける為だけのものじゃねえよな?」
 魔力を持たない人間が、単身森を抜けるには魔の力を封じ込めた道具が必要でした。
 ですから郁は哲也がつけていた首飾りに自分の力を注ぎ、守りとしたのです。
 魔の森を通る時のため。そして人間の敵から身を守るためにその力を使っていたのです。
「勘違いするな。それは魔の森でお前を守るだけにすぎない。」
「確かにそれはそうだけどよ。ここに来るときだけ森は俺のために道をつくる。
 人の侵入を拒む魔の森が、人の国からここまでのまっすぐな道を作り俺をここへ導いてくれる。だけど。」
「そうだ、それだけのための道具だ。他に意味は無い。それにこれの役目ももうすぐ終わる。」
 お前が大事にしているその指輪のような意味は何も無い。
 心の声を郁は言葉にはしませんでした。
「終わり・・?そうか。もう最後なんだな。」
「ああ。最後だ。」
 哲也の顔に死の影が見えました。
 人としての生が終わろうとしているのだと、郁には分かりました。
 力を注ぎ生きられる時間はあとたった一年。
 哲也を仲間にしなければ、来年の今頃、哲也の体は人としての生を終え土に還ってしまいます。
 けれど、終わらずにすむ方法がある事を郁は哲也に教えようとはしませんでした。
「死ぬのは怖いか?」
「いいや。」
 首を振り答える哲也の顔は静かでした。
 恐れも悲しみもない瞳で、ただじっと郁を見つめそして再び口を開きました。
「またあんたに会えた。それだけで今はいい。残りの時間を考えるのはそれからでいい。」
 哲也はグラスを捧げるように持ちながら笑いました。
「あんたに会えて嬉しいよ。郁ちゃん。」
「その呼び方は止めろと何度も言ってるだろう。」
「ちぇ。」
「ほら、はじめるぞ。小人達は下がりなさい。」
「え?ああ。頼む。」
 小人達が部屋から出て行くのを見届けてから、哲也はグラスをテーブルに置くと目を閉じました。
「・・・酒臭い。」
「悪いな。あんたが起きてくるまで暇だったんだよ。」
 哲也の前に立ち、郁はそっと両手を哲也の首へ絡ませると唇を近づけました。
 哲也の首筋に噛み付いて、まだ温かい血を啜り、それを力に変えて哲也の体に注ぎ込むのです。
 血の匂いと哲也の体温は郁の心を乱しました。
 ざわざわと肌が粟立ち、我を忘れてしまいそうになるのです。
 力を注ぎ終わった時、冷たく青白いはずの郁の頬は紅く染まっていました。
 それは、哲也だけが見ることを許された誰も知らない郁の顔でした。
「ふふふ。」
「なんだ。」
 郁は幾分疲れたような顔で哲也を見つめました。
「変な気持ちだな。毎回。あんたを抱いてる気がする。」
「くだらないな。」
「悪い。でもよ。あんたには悪いが俺はそう思うのが嫌じゃねえんだ。」
 言いながら哲也は郁の体を抱きしめました。
「よせ。」
「なあ、このまま少しの間あんたを抱きしめていてもいいか?」
「どうして?」
 腰に回された哲也の腕の存在の大きさに戸惑いながら郁は聞きました。
「さあな。そうしたいと思ったそれだけだ。」
「哲也?」
 郁の返事を待たず、哲也は郁の体に自分の頬を摺り寄せ眼を閉じました。
「あんたに会いたかった。時々無性に会いたくて森へ馬を走らせる夢を見る。」
「愚かだな。」
「そうだな。森は道を開かねえ。俺はあきらめて城へ戻る。そんな夢を見るんだ。」  笑いながらも哲也は郁の体を離そうとはしませんでした。
「人はそんなに愚かなのか?」
 哲也の体温を感じながら、郁は瞳を閉じました。
 愚かな人間。だからこそ愛しい。愛しいけれど、消えていく存在。
「ああ、愚かだぜ。だからこそ楽しい。
 国が栄えていくのを見るだけで嬉しくなる。俺の民達が希望を感じ始めてるのがわかるんだよ。少しずつ国が豊かになっている。まだまだ問題は多いが、それでも皆明日に希望を持って生きていけるようになってきたんだ。
 あんたのお陰さ。」
「そんな事はない。私の力など・・・。」
 ざわざわと心がざわめき始めるのを郁は感じていました。
「お前の力の源は、民の存在。そしてお前の妻と子供。私の力などではない。」
 心のざわめく理由が何なのか、郁は理解しました。
「郁?」
「力を注いだばかりだ、お前はもう休んだほうが良い。」
 哲也の視線から避けるように体を離すと郁はふるりと髪を振りました。
「平気だ。眠る必要なんか・・。」
「駄目だ。私は少し出かけてくる。お前が目覚める頃に戻る。」
 ばさりとマントを翻し郁は蝙蝠に変化しました。
「郁ちゃん!」
 窓から飛び立とうとする郁を哲也は呼び止めました。
「花を。東の国の薔薇の苗を持ってきたんだ。白い花が咲く。それを植えてもいいか?あんたの薔薇の園に。」
 返事のかわりに蝙蝠は小さく頷いたように見えました。
 小さく小さく頷いてそれから夜の闇に姿を消しました。
「あんたの力なんだよ。郁ちゃん・・・あんたがいるから俺は強く居られるんだ。」
 窓の外を見ながら哲也は小さくつぶやいて、外に出ました。
 ひとりで立つ薔薇の園は静かすぎて広すぎると感じながら。
 哲也はたったひとりで薔薇の苗を植えました。

××××××

「私は・・どうかしている。」
 心のざわめきにうろたえて、郁は闇を飛びました。
 蝙蝠の小さな体は変化を解き、誘われるように東の国の城の庭に降り立ちました。
「薔薇の香り・・。」
 それは小さな薔薇園でした。
 良く手入れされた花達は郁に触れられるとその芳しい香りを郁へ捧げ、はらはらと花弁を散らしていきました。
「人の血を好まず、薔薇の精気で生きる魔物とはな。」
 笑いを含んだその声に郁は驚き振り返りました。
「お前は・・・闇の・・王。・・・そうか、お前がヒデ。人として暮らしていたのか?」
 人ならばすぐに気配が分かるはず。郁は闇の中に立つ男の姿を凝視し声を上げました。
「この薔薇は王のもの。つまりお前のものだ。」
 哲也の片腕として東の国の政治を動かす男が闇の王とは・・郁は眉間に深く皺を寄せながらヒデを見つめました。
 冷酷な闇の帝王。
 悪名高いその男の顔を年若い魔物達は知りません。郁でさえ遠い昔に一度見かけただけでした。
「どういうことだ?」
「さあな、言葉通りの意味だ。数年前あいつは森から帰った後、ここに薔薇の苗を植えた。
 一年中薔薇の花が咲くように、さまざまな種類の薔薇を植え育てた。」
 ひらりとヒデが指先を動かすと、哲也の姿があらわれました。
 闇の中、白く光を放つ体。それはヒデが作り上げた幻像でした。
 ゆっくりと薔薇の花を眺めながら歩く姿。大きな体を包むマントの裾を揺らしながら歩く姿は何故か寂しそうに見えました。
「・・・。」
「政に疲れた時、あいつに心開かぬ王妃と王子との関係に疲れた時、あいつはこの場所で力を蓄えた。今のお前と同じにこの場所に立ち、ただ時を過ごしていた。」
「心開かぬ王妃と、王子?」
 子供の為に生きたい。そう哲也は郁へ言っていたのに・・・。ヒデの言葉に郁は首を傾げました。
「夫を殺した相手、父を殺した相手に誰が心を開く?憎んだとしても、懐きはしない」
 その疑問をヒデはあっさりと解きました。
「王子は哲也の子ではないのか?」
 郁は驚き、瞳を見開きました。
「・・これ以上話してやる義理はない。人目につかぬうちに消えろ。」
「待て。」
「話の続きはあいつに聞けばいい。お前と居られる時間はあと僅かだ。」
「何が言いたい?」
「何も・・・俺はただ見届ける。そう決めた。」
 ふわりとヒデは姿を消しました。
「おまえは自分の子の為に生きたいと願ったのではないのか?
 それでは、あの指輪は誰の為のものだと・・・。」
 ヒデが姿を消してからも、郁は薔薇の園に立ち幻の哲也の姿を見つめていました。

××××××

「哲也?まだ起きていたのか?」
「ん?小人達が美味い物を作ってくれたからよ。ひとりで飲んでた。
 どうだった?夜の散歩は。」
 暖炉の前に座り哲也は一人でワインを飲んでいました。
「さあな。私にも一杯。」
「おう。」
 グラスにワインを注ぐ哲也の胸元には、金の鎖に通した小さな指輪が見えました。
「哲也?」
「なんだ。」
「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?その指輪の理由を。」
 くいっとグラスをあけながら郁は言いました。
「・・・・理由なんかねえよ。」
「無いならなぜ取り戻そうとした。お前は何故・・。」
 子供のために生きたいと願った。-----------言葉をワインと一緒に飲み込んで、郁は哲也を睨みつけました。
「取り戻したかったんだよ。こいつを取り戻したら俺の罪も消える気がした。」
 プツンと鎖を引いて、哲也は指輪をテーブルの上に乗せました。
 金の部分がところどころ剥げたおもちゃの指輪は、暖炉の火を受けて鈍い光を放っていました。
「これは昔、俺が姫さんに買ってやったもんなんだ。俺の親父は結構偉い地位の人間でさ、俺と王女は幼馴染として育った。小さな頃二人で行った祭りの露店でこの指輪をねだられて買ったんだ。
 もっと凄い指輪も首飾りも沢山持ってたくせにあの人はこればかり指にはめていた。大きくなって俺は自然と城から足が遠のいた。学校の仲間と遊ぶほうが楽しかったし、何より王女は綺麗になって近寄りがたい存在になってた。」
 指先でくるくると指輪に触れながら哲也は話し続けました。
「東の国に嫁ぐ王女の護衛を任されて、俺はあの国に来た。道中の護衛から身辺警護に役が変わり、俺は東の国の圧政に苦しむ民の存在に気がついた。
 嫁いで王の子供を産んで、あの人は笑わなくなった。」
「そして東の王を討った。」
「ああ。拍子抜けするほどあっさりと王の首を討ちとる事が出来た。」
 それはそうだろう。あの男が傍にいて負けるわけが無い。--------闇の中であったヒデの顔を思い出し郁は微かに震えました。
 体に触れずとも分かる力の差。ただの魔物でしかない郁と、帝王たるあの男とでは魔力の格が違いすぎたのです。
「西の国の王からの命で、俺はあの人と結婚した。結婚の儀式の後、俺はこれを投げつけられた。・・・そしてそれからずっと口をきいたことがねえんだ。
 民には酷い王だった。傍目には酷い夫にみえた、けれど・・。」
「これはお前の罪の証か?」
 音も無く立ち上がり、郁は指輪を暖炉の火の中に投げ捨てました。
「おい!」
「罪など消えた。」
「あんた無茶苦茶すぎるぞ?・・・くっくっく。無茶苦茶だ。」
 呆れて哲也は笑い出しました。
「ふん。お前に言われたくない。ここは人の世界の常識なぞ通用しない。私がしたい様にする。私が決める。お前の罪は無い。もうすべて消えた。」
「あんたって奴は。・・・最高だな。」
 笑い声を上げながら、哲也は立ち上がり郁を抱きしめました。
「苦しいぞ。」
「構うかそんなもん。」
 笑いながら哲也は抱きしめる腕に力をこめました。
「私は構う。・・苦しいぞ。」
「苦情は受け付けない。」
「なんだ・・と。」
「黙って・・郁・・。」
 暖炉の火で燃える指輪を見つめながら哲也は言いました。
「あんたの事が好きなんだ。初めて森で会ったときから、ずっと好きだった。」
「哲也?」
「好きだったんだよ。ずっと。」
 掠れた声で告白をして哲也はそっと郁に口付けました。
 夜が明けるのを感じながら、郁は哲也の背中にそっと腕を伸ばしました。

××××××

「哲也?」
 足元に跪く哲也の姿を郁は不思議な思いでみつめていました。
 指輪を燃やしたあの日から数日が過ぎ、哲也が国に帰る日が来ました。
 魔の森の入り口、哲也を見送るために郁はこの場所まで来たのです。
 哲也と出会ったこの森で、郁は哲也と最後のお別れをするつもりでした。
「あのよ。」
 驚く郁を前に哲也は照れたような顔をしながら言いました。
「どうした。」
 苦しい心を抱えたまま、郁はその心を隠し笑顔で哲也を見つめました。
「俺は、ヒデみてえに口が上手くねえからさ。」
「だから、なんだ。」
「あんたは人間の女みたいに綺麗なドレスや宝石で身を飾る事を喜んだりしねえ、俺はそんな格好のあんたを見てみたい気もするけどな。」
「そんなもの。必要ない。」
「だろうな。だが俺にあげられるもんなんていえば、そんなもの位なんだよ。
 俺にはあんたを喜ばせる礼が出来ねえ。だからさ。
 だから、俺の気持ちを受け取ってくれ。」
 哲也はするりと剣を抜くと郁に捧げました。
「哲也?」
「我が剣と我が心を永遠に捧ぐ。我が剣、心はあなたと永遠に共にあることを誓う。」
 剣を捧げたまま、哲也は言葉を紡ぎました。
「どういうつもりだ。」
「剣の誓いだよ。俺はあんたのものだ。俺が死ぬまで、いいや死して体が滅んでも俺はあんたのものだ。これが唯一あんたにあげられるものだ。
 喜んでもらえるとは思えねえけどな。」
「・・・。」
「どうか、俺の剣を受けてくれ。」
「私は作法を知らぬ。人ではないからな。」
 東の国が剣を捧げる相手は己の主だけでした。
 王の臣下である騎士達は剣を捧げることで主に忠誠を誓うのです。そして結婚するとき男は妻となる相手に自分の心を捧げるのが習わしでした。妻に心を捧げ誠実なる愛を誓い、生涯を共に生きることを誓うのです。
「もし受けてくれるなら、許すといってくれ。」
「哲也、お前は私に剣と心をくれるというのだな?」
 郁は自分の声が震えている事に気づいてはいませんでした。
「ああ、あんたが許してくれるなら。」
「・・・・私は、・・・・私はお前の剣を受ける。そしてお前の心が私と共にあることを許す。」
 郁はそういうと哲也の剣を受け取り刀身に口付けました。
「私もこの剣に誓う。私の心が生涯お前と共にあることを。」
 剣を哲也に返すと哲也は同じように剣に口付け鞘に納めました。
「もうすぐ、朝になる。」
「ああ。」
「お前の命はあと一年。会うのはこれが最後だ。その首飾りは森を抜けた瞬間力を失う。」
「そうか・・・・。」
「怖くはないのか?死ぬことが辛くはないのか?」
 もしも怖いと言うのなら、もしもまだ生きたいと願うのならその時は・・・哲也の返事を、怖いという返事を郁は心のどこかで期待していました。
 けれど。
「さあな、だが俺はやらなきゃなんねえ事は全部やった。国のために、俺の民達のために最善を尽くした。残りの一年で俺はそれを更に確かなものにしてみせる。それに俺が消えてもあの国にはヒデがいる。あいつは王子が成長するまで国を守ると約束してくれた。あいつは結構怖い奴だけど、俺は信用してるんだよ。」
「・・・・。」
「俺の罪は消えない。だが、俺の子供はあの国を豊かにしてくれるはずだ。」
 郁の望む答えを聞くことはできませんでした。
「満足だぜ。あと残り僅かな命だとしても、俺は満足だ。この森で俺の命は尽きるはずだったんだから。」
 哲也の顔には怖さも悲しさもありませんでした。
「俺は王として生きた。十分に生きた。あんたがくれた時間を俺は一日だって無駄にしたりはしなかった。ここへ来る時以外、俺は一日の休みも取らずに働いたんだぜ。」
「くくく。その分ここでは寝てばかりいたな。」
「あんたが昼間寝てるからだろ?・・最後の最後までいやみで終わるのか?郁ちゃん。」
 郁ちゃんと呼ばれることにも慣れてしまいました。
「・・後悔はないんだな?」
「ああ。」
「姫と王子を置いて行くことも?憎しみをとく前に消えることも?」
「ああ、いつか分かってくれる。いいや分かっているんだよ二人にも、だから辛い。」
「そうか。」
 郁は言葉を飲み込んで、哲也の顔を見つめ続けました。
「・・・郁?」
「なんだ。」
「・・・・・いいや、お前を怒らせるのはやめておく。」
「賢明だな。もう行け。朝日が昇る。」
「ああ、ありがとう。」
 哲也は馬の背にまたがり鞭を勢い良く打つと、振り返ることなく行きました。
 哲也を導くように森の木々が道を作り、そして閉じていきました。
 もう森が哲也のために道を開くことはありません。
 永遠の別れでした。

「・・・いつから、そこにいた。」
 背後に立つ存在の強さに、郁は眉をしかめ振り向きました。
「さあな、それよりも何故言わなかった。」
 月を背にして立つヒデの顔はどこか悲しげに見えました。
「なんの話だ。」
「あいつの命を救う唯一の方法だ。」
「そんなものあいつには必要ない。」
「それでいいのか?」
「いいんだ。あいつに闇の世界は似合わない。人として生まれ太陽の下で行き、そして人として死んでいく。それでいい。」
 それが郁の出した答えでした。
「そうだな。あいつにはそれが似合いかもしれない。」
 例え永遠ともいえる命を手に入れたとしても、それは王としての哲也ではないのです。
「らしくないな。」
「それはお前だろう?闇の国を統べる魔王が人間の命乞いなんて。」
「命乞い?はっ。誰が。」
 あの夜、城の薔薇の園で、ヒデが哲也の孤独を自分に教えたその意味を、郁は察していたのです。
「らしくないだらけだ。人の振りをして何年も暮らし、あの国を守る約束までして。」
 郁よりも遥かに強い魔力を持つヒデなら、哲也の命を延ばすことは簡単な筈でした。
 人である哲也に魔力を注げばいいのです。それだけでいいのです。
 けれどヒデはそれをせず、あの夜郁に哲也の命を託したのです。
「退屈だからさ。それだけだ。」
「人に係わることでそれは消えるのか?」
 退屈だから、人に係わり。そしてその生を望む。
 哲也の王としての、人としての幸せを望み最後を見届ける。魔王らしからぬその行いを郁は笑うことができませんでした。
「消えんな。人間に係わるのはこれが最初で最後。こんなまねはもうしない。」
「ふん?」
 愚かだな・・言いかけて郁は首を振りました。愚かなのは自分も同じだったからです。
「お前はどうする?どう生きていく。」
「なにも変わらない。私はこの場所で生きていく。この体が朽ち果て塵となるその日まで。」
「そうか。」
 ふわりと笑い、ヒデはマントを翻し消えました。
「哲也、私もおまえと同じ人として生まれていたら、そうしたら。
・・くだらない感傷だな。」
 郁は自分を笑いながら館へと歩き出しました。
「共に生きられなくても、お前がもうすぐ神の国へと旅立とうとも私の心はお前と共にある。
 ずっと、永遠に。」
 郁の顔は笑顔でした。
哲也に会うことはもう出来ないと思うと悲しくてたまりませんでしたが、それでも郁は満足でした。


 一年後
 東の国の城はひっそりと静まりかえっていました。
 昨夜この国の王哲也が亡くなったのです。
 国中の人間が哲也の死を悼み、祈りを捧げ、花を供えました。
 哲也の棺の中には、皮の小袋に入れられた壊れた首飾り。そして愛用の剣が納められました。


「哲也。」
 山奥の古い館で郁は哲也の死を悟りました。
 薔薇の花を一人摘みながら、郁は哲也を思いました。
 白い白い花。哲也の植えた薔薇の苗は一年で大きく育ち、大輪の花を咲かせていました。
「郁様・・・。」
 小人達は哲也を思い、涙を流しました。
 哲也を失った郁を思い、涙を流し続けました。
「泣くことはない。お前達、哲也の思いはここにある。こうして白い花となっていつも私の傍に。」
 そうしてその花の命を糧にして郁は一人生き続けるのです。
「泣くことはない。笑って送ってやろう。」
 言いながら、郁の瞳から涙が一粒零れ落ちました。
 零れた雫は薔薇の花びらに落ち、そうして花弁をゆらしました。





 それから数十年後、東の国の山奥で、郁は小さな男の子と一緒に暮らし始めました。
 臣という名の可愛い男の子は、郁に拾われて十年後、郁の仲間となりました。


FIN

××××××××××××
以前に「前にリクエストした吸血鬼の七条さんと西園寺さんの話は?」と催促をしたら
「書いてみたんだけどね、駄目駄目なの〜。無理、あきらめて。」と言われたことがありました。
この話が駄目だと没にした物だったのか、次に載せる予定の銀の月の方なのか、それとも両方ともそうなのか。判断がつかず悩んだ末二つとも載せる事にしました。



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いずみんから一言

後付けでなら、もっともらしい理由などいくらでも考えつく。
それでも尚、この物語は示唆的にすぎる。
死の刻限を知りながら太陽の下で生き抜いた哲也と、人の何倍もの凝縮した
ような人生を駆け抜けたみのりさま。
ふたりが重なって見えるのは、私ひとりではないと思う。

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