薔薇と王様 1 昔々のお話です。 郁というひとりの吸血鬼がいました。 郁は仲間の吸血鬼たちの住む北の国から離れ、下働きの小人達と共に東の国の山奥に住んでいました。 吸血鬼と言えば人の血を吸って生きる魔物ですが、郁はあまり吸血という行為が好きではありませんでした。 血を吸うのは簡単です。人間の皮膚はとても柔らかくて牙がすうっと中に入っていきますし、血は温かくて匂いも味もうっとりするほど素晴らしいのです。 それでも郁は変わり者と言われながら、一人庭に咲く薔薇の精気だけを糧としてのんびりと暮らしていました。 「郁様、郁様。なにか外が騒がしいようですよ。」 ある晩下働きの小人達が郁に言いました。 「そうだな。あれは人間の声だ。」 遠い森の中から人の声がしていました。剣の音も聞こえてきました。 吸血鬼は魔物の中でも耳の良い種族でした。視力はあまり良いほうではありませんが、代わりに聴覚が抜群に良いのです。 「人・・・かなりの人数だな。剣を交える音がする。」 郁は目を閉じその声を聞きました。 『まだ死ぬわけにはいかない。』 耳障りな鉛の音に眉をしかめていた郁の耳に男の声が聞こえました。 「死にたくない・・?」 その声はなぜか郁の心に悲しく響きました。 森からはごくたまに人の声が聞こえましたが、魔物に体を引き裂かれ悲鳴をあげ死んでいく・・そんな声が聞こえてくるのです。でもこんな風に感じることは今までありませんでした。 「あの森は魔の森。人間は一度あの森に入ったら二度と外には出られません。魔力がなければあの森は抜けられない。人間がこの場所には来ることはありません。」 「それでもあれでは煩すぎる。どれ、私が様子を見てこよう。」 男の声が気にかかり郁はドアを開き外へと出ました。 「郁様が?」 驚く小人達を館に残し、郁は蝙蝠の姿に変化すると一人夜の空を飛びました。 館をぐるりと囲むその森は、人の世界と郁達魔族が住む場所の境に位置していました。 森を抜ければそこは人間の住処。森より先の山奥は闇の眷属の住処なのです。 山の中腹に魔の森は位置していて人間はそこから先に行くことが出来ません。森には魔法が掛けられていて魔の力が無い人間が入るとすぐに迷ってしまうのです。 森の中に足を踏み入れたら最後。どれだけ歩いても森の外に出る道を見つけることは出来ず、人はやがて力尽きて死んでしまうのです。 ですから人間は、この森を魔の森や死の森と呼び決して中に入ろうとはしませんでした。 「人間の分際であの森を抜けようとはどんな奴らだ?闇の眷属の牙にかかりにきたのか?ならば容赦はしない。私の領域を侵すものたちを私は決して許さない。」 物騒な事を言いながら、郁は森の中に入りました。 『・・っ!!くそっ!!俺はまだ死ねない!こんなところで死んでたまるかよ。』 また男の声が聞こえてきました。 「死にたくない・・・?それはどんな気持ちだ。」 男の声を聞くたびに、郁の心はざわつきました。 『俺は死ぬわけにはいかねえんだ。』郁の耳に聞こえてくる声は段々小さくなっていました。 「少し急ぐか。」 郁が声のする方に近づくと血の匂いがしました。 「血の匂いがする。人間の血の匂い。」 闇に響く剣の音と一緒に血の匂いが郁の元に届きました。 「もう観念したほうがいいんじゃないですか?俺達の刀には毒が塗ってある。もう体がしびれて思うように動かないでしょう?」 「うるせえ!俺は負けねえ。絶対に負けたりしねえ!!」 その声にはまだ力がありましたが、体が限界に来ていることは郁にもはっきりとわかりました。 「俺は・・俺は・・・。」 男は悔しそうに顔を歪めながら膝をつき、木の根元に倒れこんでしまいました。 「悪く思わないでくださいよ。これ以上苦しまないように今とどめをさして・・・うわ!!」 一人の人間が男の首元に剣先を向けようとした瞬間、郁は変化をとき男を守るように降り立つと低い声で言いました。 「お前達誰の許可を得てこの地を荒らしている?ここは魔の森。闇の世界の住人のみが生きることを許される場所。人間が迂闊に入って生きて帰れると思うなよ?」 男を取り囲んでいた人間達は郁の姿を見て震え上がりました。 「・・・・魔物!!」 「くそう!!」 人間達は血塗れた剣を乱暴に振り回しながら郁へと襲い掛かってきました。 「人の体で私に敵うと思うか!」 男達の愚かさに、うんざりしながら郁はばさりとマントを翻しました。 わざわざ手を掛ける気にもなりませんでした。 「うわ!!」 「助けてくれ!!」 ガシャンと剣を投げ捨てて人間達は蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。 「・・・・お前は逃げないのか?」 男の前に跪き郁は言いました。 「逃げることなど出来ない・・か。」 逃げたくても逃げることなど出来ないだろう。この男の命はここで尽きる。 男の体から流れ出る血を見つめながら郁は思いました。 「・・・あんたが助けてくれたのか?」 苦しそうに眼を開けると男は言いました。 「助ける?私が?」 男の声を聞いて、郁はさっきから煩く聞こえていた声はこの男のものだったのだと気がつきました。 「あんた天使か?綺麗な顔してやがる。」 力の無い声で男は笑いながら郁の顔に触れました。 「天使?はっ。何をばかなこと。私は魔物だ。」 「魔物か・・・・そうか。なら俺はここで死ぬんだな。」 「そうだな。・・・・死にたくはないか?」 男の体は傷だらけでした。体から流れ出た血が郁の靴先を汚していました。 「死にたくねえ。俺にはやらなきゃなんねえ事があるんだ。せめてあと数年、それだけでいいから生きていたい。」 「あと数年?」 「ああ、あと数年でいい。だが・・・・無理な話だな。俺の体にはもうそんな力はねえ。 毒が体中にまわってる。力がもう入らねえ。」 郁の頬に触れていた指先が力なく地面へと落ちました。 「そうだな。もう無理だろう。」 言いながら、郁は男の指先に触れました。 「・・・・どんな事をしても生きたいか?」 男の指先は微かにまだ温かく、流れる血の匂いは郁の体を熱くしました。 「生きてえ。俺には・・・守らなきゃなんねえ人間がいるんだよ。」 「ならば、お前の血と引き換えに時間を与えよう。」 服が汚れるのも構わずに郁は男の体を抱きしめました。 「どうして?」 「どうして?どうしてだろうな?」 喉の渇きを郁は感じていました。 血の匂いが、男の体温が郁の体を熱くしていました。 「ほんの一時お前は力を得る。人として生きる為の力だ。」 ためらわず郁は男の首筋に唇をつけました。 「う・・。」 牙が皮膚を突き破る痛みに男はうめき声をあげました。 「・・・・・・。」 男の体を抱きしめながら、郁は血を啜り始めました。 郁が血を啜り喉をごくりと鳴らし飲み込む様子を見つめる男の眼が恐怖に染まっているのを感じながら、今度は男の傷口を舐め始めました 「なにを・・。」 男はうろたえながらも郁の行動を止めようとはしませんでした。 「毒を消している。」 小さな擦り傷も、肉を割り内臓まで達してしまった大きな傷も郁は同じように舐めました。 「毒を?あんたは大丈夫なのか?」 「私を心配しているのか?お前はおかしな奴だな。私には毒なぞ効かない。」 にやりと笑いながら郁は傷口を舐め続けました。 ぴちゃりぴちゃりと音をたて傷を舐めその血を飲み込んで、その代わりに郁の力を注ぐのです。 そうすることで男の体の毒は消えるのでした。傷もどんどん癒えていきました。 「これでしばらくは生きることが出来る。」 口元の血を手の甲でぬぐうと郁は男を見つめ笑いました。 「あんたは・・・吸血鬼?・・・傷が消えてる。」 腹にあった大きな傷が跡形もなく消えているのを見て男は驚きの声をあげました。 「そうだ。お前の血は・・・・甘いな・・・。」 男の視線を感じながら郁は手についた血を舐めました。 「甘い?俺の・・・血が?」 「冗談だ。」 笑って言いながら、郁は瞼を閉じました。 口の中に残る血の味は甘く郁の心を刺激し、その味を更に欲していました。 吸血など嫌悪するほど嫌いなはずなのに、男の血の匂いは郁を誘いました。こんな気持ちになるのは初めてでした。 「吸血鬼がなぜ俺を助けた・・・あんたは何を考えてるんだ?」 「ただの気まぐれだ。」 「気まぐれ?」 「そうだ、気まぐれだ。・・・そろそろ夜が明ける。立てるか?」 男の首筋を見ないようにしながら郁は男の手を取りました。 「ああ。・・・・え?」 郁の手を取り立ち上がろうとして男は振り返りました。 遠くから人間の声が聞こえたのです。 「今の悲鳴は・・・。」 男の耳に届いたのは男達の声でした。恐怖におののく人間の叫び声でした。 「さっきの人間達だろう。」 「さっきの?」 「この森は魔の森。無断で入り込んだ人間達をこの森は許さない。今頃は森の番人達によって死よりも恐ろしい恐怖を味わっているだろう。 ほうら、声がする。あいつらの悲鳴が聞こえる。」 郁は天気の話でもするように淡々と話しながら歩き出しました。 「そんな。」 「・・・・お前を殺そうとした人間に同情か?人がいいな。」 「・・・・・・・くそ。俺は甘い。ヒデにもよくそう言われる。」 「ヒデ?それがお前の守りたいという人間の名か?」 「え?ああ、違う違う。ヒデは俺の相棒だ。」 聞いたことのある名前に郁は眉をしかめながら男を見つめました。 「ふうん?・・・まずいな、日が昇る。おい。」 言いながら郁は男の腕を掴みました。 「なに?え?うわああ!!」 意味が分からないまま郁の体に手を伸ばした男は、体が浮上する感覚に悲鳴をあげました。 「と、飛んでる!」 「歩いていたのでは間に合わない。振り落とされたくないならしっかり?まっているんだな。」 言いながら郁はどんどんスピードをあげていきました。 見る見るうちに地面が遠くなり、森が小さくなっていくのに気がついて男は大声をあげました。 「つかま・・・うわ!うう!!お前乱暴すぎるぞ!」 「お前ではない。郁だ。」 「え?」 「私の名前だ。」 「郁・・・。俺は、哲也だ。」 「哲也か・・・そうか。」 頷きながら郁はスピードを上げました。 朝がもうそこまで来ていました。 ×××××× 「凄い凄い!!人間は沢山食べるんですね。」 哲也が勢い良く肉を噛み切るのを小人達は嬉しそうに見ていました。 「沢山・・・そうか?なんか腹が減っちまってよ。悪いなこんなに用意してもらって。」 ぽりぽりと頭を掻きながら、哲也は言いました。 「何日も眠っていたんですから当然です。どんどん食べてくださいね。」 小人達は機嫌よく言いながら哲也の皿に黄金色に焼けた肉の塊をのせました。 「すまねえな。うん。美味そうな匂いだ。」 「食事の支度は楽しいです。私たちだけで食べるのはつまらないので哲也様が一緒に食べてくれて嬉しいです。」 うきうきとした声で小人達は答えるとパンにバターをたっぷりと塗り哲也に手渡しました。 「ひとり?あの・・・綺麗な・・・ええと。郁・・・さん?う〜ん郁ちゃん?そうだな郁ちゃん! 郁ちゃんは食べねえのか?あ、あの人吸血鬼だったな。それじゃ食料は人間の血か。」 郁の綺麗な顔を思い浮かべ少し赤くなりながら、哲也はききました。 「郁様のお食事は薔薇の花だけです。」 「薔薇の花?血じゃなくて?」 「はい。郁様はあまり人の血を好みません。ですから館の庭で薔薇を沢山沢山育てています。薔薇の精気は郁様の生きる糧。大事な大事な花なのです。その花を育てるのが僕達の大事な仕事なんです。」 えへんと胸を張りながら小人達は答えました。 「ふうん?薔薇の花。そうか・・・。」 「哲也様は人間なんでしょう?なんで魔の森に入ったのですか?あそこは人の立ち入れる場所ではありませんよ。」 「俺の大切なものが盗まれちまってよ。それを追って森に入ったんだよ。」 「大切なもの?」 「ああ。それは何とかとりかえしたんだけど。おかげで死にかけた。」 苦笑いしながら哲也はパンを飲み込みました。 「お前は考えなしだな。」 「そうなんだよ・・・って。郁ちゃん!」 声に振り返るとしかめっ面をした郁が立っていました。 「なんだその呼び方は。」 「え?駄目かな?呼び捨ては変だし。様とかさんとかは俺が好きじゃねえんだ。」 「好き嫌いの問題か?」 「駄目か?」 「駄目だ。」 「じゃあ、仕方ねえ。呼び捨てでも言いか?」 「かまわない。それよりその大切な物とはこれのことか?」 郁は金の鎖に通された小さな指輪を哲也に差し出しました。 「そうだ。ああ、服のポケットに入っていたんだな。」 「そうだ。お前はこんなものの為にあの森に入ったのか?呆れるな。」 「他人から見ればそうだろうな。でも俺には大事なものなんだ。」 「おもちゃの様に見えるが?」 「おもちゃだよ。小さい頃に露店で買ったんだ。おもちゃでも俺には大事なものなんだよ。」 鎖を首にかけながら、哲也は笑いました。 「・・・ええと、郁?ありがとう。俺はお前のお陰でこうして生きている。」 「礼を言われることじゃない。それにお前の命は期限付きだ。」 「期限?」 「そうだ。このまま生きられるのは一年間。お前は一年後には土に還る。」 「一年後。」 「それでは駄目か?」 「そうだな。せめてあと数年。欲を言えば十年。・・・でもそれが無理なら仕方ない。一年でなんとか決着をつけるまでだ。」 「なぜ十年なんだ?」 「え?ああ、そうしたら子供が成人する。俺はそれまでに国を平和にするつもりだった。」 「子供?お前子供がいるのか?」 郁は目を大きく見開いて哲也を見ました。 「・・・・一応な。」 「国を平和に・・・・哲也?・・・まさかお前は東の国の王なのか。」 「良く分かったな。」 「哲也と・・お前が言っていたヒデという名。それに聞き覚えがあった。 お前は数年前に東の王を倒した男だな。」 「そうだよ。あいつは最悪な男だった。国民達に過剰な税を課し自分は贅沢三昧。 国民達は飢えと貧困に苦しんでいた。ずっと・・・。俺とヒデは西の国に生まれて飢えなんか知らずに育った。西の国はいい国なんだよ。」 「確か前の王は西の国から妃を・・・。」 頭の隅に眠っていた記憶をさぐりながら郁は言いました。 山奥でのんびり暮らしていても郁は人間の国の情勢を良く知っていました。 「そう。俺は王女が嫁ぐ時に道中の護衛としてついてきた。そして東の国の実態を知ったんだ。」 「それで?」 「西の国には東の国を攻めるだけの力は無かった。だから東の国の王が王女をよこせと言って来た時も断ることが出来なかった。そして俺は、俺達は王の暗殺を企てた。」 「そしてお前が王になった?」 「ああ。西の国が治めるにはこの国は遠すぎる。間にこの山があるからな。 それで俺がこの国を治めることになったんだ。」 「そして王女を妃に?」 「・・・・ああ。そうだ。」 「そうか。お前の守りたいと言っていた相手はそのふたりか。」 言いながら郁の心は複雑でした。 理由は分かりませんが、腹立たしい気持ちになったのです。 「え?」 「あの時お前の声が聞こえた。・・・お前は生きたいか?それが期限付きのものだと知っていてもそれでも生きたいか?自分の為ではなく守りたい人達のために?」 命の期限がわかっていてそれでもそう強くいられるものなのか?郁は哲也の気持ちを試してみたくなりました。 「ああ。一年でも二年でもいい。俺は国を建て直さなきゃならねえんだ。今死ぬわけにはいかない。」 「なら、お前の命を延ばしてやる。」 言うつもりのなかった言葉を郁は口にしていました。 「そんな事ができるのか?」 「出来る。ただし条件付だ。」 「条件?」 「そう。一年に一度お前は私に会ってお前の血と引き換えに一年分の力を得る。」 「そうしたら生きていられる?」 「そうだな。たぶん十年ほどなら。」 「十年。本当か?」 郁と哲也の様子を小人達は静かに見守っていました。 「ああ。どうする?」 「十年あれば国を建て直すことができる。そして俺が居なくなっても十分にやっていけるだけの基盤をつくることが出来る。」 「そんなに簡単にいくのか?そんな力がお前にあるのか?」 疑わしそうに郁は哲也を見つめ挑発しました。 「なくてもやるさ。死に物狂いでやってやる。」 「ふうん?お前は私が怖くないのか?」 「怖い?どうして?」 「私は闇の世界に属するもの。普通人間は魔物を怖がるものだろう?」 「そうだなあ。でも俺にはあんたを怖がる理由がねえよ。」 「どうして?」 笑う哲也が郁には不思議でした。 「あんたは俺を助けてくれたからかな。」 「単純だな。」 「人間は単純な生き物なんだよ。美味いものを腹いっぱい食って。雨風が十分に防げる家の中で温かい布団に包まって眠る。家族と友達と大事な奴らと笑いながら暮らす。そんなのに幸せを感じる単純な生き物なんだよ。」 「・・・・。」 「俺はそんな暮らしを、幸せを、東の国の民に与えてやりたい。 寒さに震えることも飢えて悲しい気持ちになることもない、豊かな生活を送れるようにしてやりたいんだ」 「お前の命が終わるとき後悔しないようにやるんだな。」 郁にとって人の生は瞬き程の時間でしかありませんでした。 短い一生の、残り僅かな時間で人程度に何が出来る?その思いを口にすることなく郁は哲也を見つめました。 「・・・・郁ちゃんは優しいんだな。」 「優しい?どこが。」 「全部。へへへ俺やっぱりあんたのこと郁ちゃんって呼びたい気がしてきた。」 「絶対に許さん。」 「そう言うなって。郁ちゃん。」 「・・・・・不愉快だ。私は外に出てくる!!」 けれど不愉快だといいながら、嫌ではありませんでした。居心地が悪いだけなのです。 「お、おい?」 「お前は寝ていろ。」 「眠くねえよ。ずっと寝てたんだから。」 「体が力に慣れるのに七日ほどかかる。いいから寝てろ。」 王という肩書きの割には口が悪い哲也を郁はもう受け入れていました。 哲也は乱暴で遠慮のかけらもない言葉を郁に平気で使いますが、それでもどこか優しい雰囲気があるのです。 「へいへい。女王様の仰せのままに。」 「なんだと。」 「待ってるから、早く帰ってこいよ。退屈だから。」 「・・・・・行って来る。」 ばさりとマントを翻し蝙蝠に変化すると郁は窓から飛んでいきました。 「本当に吸血鬼なんだなあ。蝙蝠もああやってみると可愛いな。」 飛んでいく姿を眺めながら哲也はつぶやきました。 「可愛いですか?・・そんな事言う方ははじめてです。でも郁様はとても可愛い方なんですよ。」 小人達は嬉しそうに言いました。 ×××××× 「郁様?窓の外ばかり気にしてどうなさったのですか?」 「なんでもない。薔薇を摘みに行ってくる。」 「はい。いってらっしゃいませ。」 不機嫌そうに出て行く郁を見送りながら小人達は「あ。」と声をあげました。 「そうか、哲也様がいらっしゃる時期なんだ。だから郁様そわそわして・・。」 郁が森で哲也と出会ってから数年の歳月が流れました。 「ご馳走を用意しないといけません。哲也様は沢山召し上がるんですからね。 何を作ったらいいでしょう?北の国に行って美味しいワインも見つけてこなければ。」 小人達はいそいそと準備をはじめました。 明るくて豪快でそれでいて優しい哲也のことが小人達は大好きでした。 「哲也様のベッドの準備もしなければ。お布団に風を当てて、部屋の窓を開けて・・」 歌うように言いながら小人達は働きました。 「哲也様は美味しいものが大好きですからね。ワインもチーズもたっぷり用意して。鶏を焼いて、ソースをかけて。後はパンやケーキを焼きましょう。胡桃とゴマをたっぷり入れて香ばしいパンを。」 はしゃいだ声をあげながら、小人達は働きました。 「お前達何を騒いでいる。」 小人達の声に郁は眉をひそめながらドアを開けました。 「哲也様をお迎えする準備です!!」 えへんと胸を張り小人の一人が答えました。 「そろそろ哲也様がいらっしゃる時期ですよね?郁様!北の国にワインを探しに行ってもいいでしょうか?あと美味しいチーズも用意したいです!」 「・・・・・ああ、そうか。もうそんな時期なのだな。」 たった今思い出したとでもいうような顔で郁は頷きました。 「あいつの胃袋は底なしだからな。食料がいくらあってもたりない。手間を掛けるが準備を頼む。」 「はい。腕によりをかけて美味しいものを作ります。」 「そうだな。」 「郁様、早く哲也様がいらっしゃるといいですね。」 「あいつが来るのが嬉しいか?」 「はい。とっても。」 勢い良く小人達は頷きました。 小人達は哲也の事が大好きでしたが、それ以上に哲也と一緒に過ごす郁を見ているのが好きだったのです。 粗雑な言葉を遠慮なしに使う哲也にしかめっ面で応じながら、郁がとても嬉しそうなのです。 哲也の言葉に笑ったり怒ったりしている時の郁はとても楽しそうなのです。 |
||
2 へ → |
いずみんから一言 |
作品リストへはウインドウを閉じてお戻りください。 |