Sweet,Sweet, Honey Moon |
〜 3.カーディフの夜 〜 |
中嶋の傍らで眠るとき。啓太はいつも中嶋の左側で眠るが、歩くときは中嶋の右側、ほんの少しうしろを歩く。そもそも中嶋と自分が並んで歩くという発想がないし、この位置からだと中嶋の横顔を見ながら歩けるからだ。それにときどき、自分がちゃんとついて来ているか、中嶋が振り返って見てくれるのもうれしくてしかたがないのだ。だからよほどのことがない限り、啓太はいつも一歩遅れて、中嶋の斜めうしろを歩いている。 卒業旅行シーズン真っ只中にあるヒースロー空港ターミナル3の通路は、日本からの到着便が吐き出した人ごみでごったがえしていた。時季的に学生が主流になるので、ツアーといっても団体ではなく個人客が多いのだ。彼らを出迎える旅行社の人間の数はいきおい増えることになるし、帰国してきた留学生やビジネスマンを迎える家族たちもいる。錯綜する人々の間を縫うようにしてスーツケースを引きながら歩く啓太は、つい遅れがちになっていた。こうなると何度も振り返る中嶋をうれしいと思う余裕は全くなくなってしまう。そして中嶋の表情に苛立ちがまじっているのに気がついてからというもの、振り返られるたびに身の縮む思いがしていた。 しかし中嶋の苛立ちも理由のないことではなかった。西洋人の間に交じっても見劣りのしない中嶋や篠宮の姿を啓太が見逃す可能性は少ないが、啓太はいとも簡単に埋もれてしまうのだ。中嶋と啓太の間にほんの数人が割りこんだだけで、啓太の姿などきれいにかき消されてしまっていた。 やがて駐車場へ向う通路を半ばまで進んだ頃。中嶋が苛立たしく振向くたびにフォローするような微笑を向けていた篠宮が、啓太からスーツケースを取り上げると、軽く背中を押して中嶋と並ばせた。 「篠宮さん?」 「隣を歩いてやってくれ。おまえの姿が見えないと、中嶋は鬱陶しくていけない」 「俺のどこが鬱陶しい」 「苛々しながら何度も振り向かれてると、俺としては非常に鬱陶しいんだ」 立ち止まってしまった彼らの周りを、ぐるっと迂回するように人が流れていた。邪魔になっているのに気づいた篠宮は、「さあ」と促して歩きはじめた。 「あの篠宮さん。荷物、俺が持ちますから」 「かまわん。引いて歩くよりこっちの方が早い。それにたいした重さじゃない」 「甘やかすなよ、篠宮」 「何を言うか。到着時間よりずっと前に来ておいて、伊藤が出てこないと苛々していたくせに。飛行機も着いてないのに出てくる訳がないだろう。そんなに不安でしかたがないなら、肩を抱くなり手をつなぐなりしていろ」 「だそうだ。来い、啓太」 言うなり中嶋は啓太を引き寄せると、右手で腰を抱いて歩きはじめた。突然のことに頭がついていかなかった啓太は、「ああ。横顔が見えなくなっちゃった」と思いながら歩いていた。 彼らが歩いてきたのを目敏く見つけたのか、車から降りてきた丹羽が手を振って場所を知らせた。深い青色をした車は中嶋がいつも乗っているものと同じように見えた。 「おう啓太。よく来たな」 「はいっ。お待たせいたしました」 「そいつはヒデに言ってやりな。おまえが飛行機に乗った頃から、落ち着かないったらなかったんだぜ」 ついさっき、篠宮も同じようなことを言っていた。そう思った啓太が見上げると、中嶋は知らん顔をして向こうを向いていた。自分の知らない一面を垣間見せてくれる三人に、啓太は何故中嶋が自分をこの旅行に連れてきてくれたのか、おぼろげながらわかったような気がした。 「さてと。花嫁の荷物はさすがにでかいな」 豪快に笑いながら、丹羽がトランクを開けた。日本でいえば3ナンバークラスの車だが、いくら大きいと言ってもトランクにスーツケース4つは苦しいだろう。なのにいちばん大きいサイズのスーツケースを持ってきてしまっていた。思わず後悔しかけた啓太だったが、丹羽は意外にもすんなりとスーツケースを納めてしまった。中に入っていたのはスーツケースではなく、出張に行くビジネスマンが持つような少し大きめのソフト・アタッシェだったのである。 「みんなおそろいのバッグなんですか?」 「ああ。修学旅行のときに支給されるやつだ。おまえもそのうちもらえるぞ」 「へえ? 修学旅行ってどこ行くんですか?」 中嶋が後部座席に座ったのでその隣に座りながら啓太が聞いた。ハンドルは丹羽が握り、地図を持った篠宮がナビ・シートに落ち着いた。全員がシートベルトを着用したのを確かめると、丹羽はゆっくりと車を発進させた。 「さっき和希が『修学旅行のいい予行演習だ』って言ってたんです。もっと聞こうと思ったら荷物が出てきちゃって」 「けっ。修学旅行なんか思い出したくもねえぜ」 「えっ!? そんなひどいとこなんですか?」 驚いたような顔をする啓太に、中嶋と篠宮が平然と答えた。 「いいや。全然ひどくなんかないぞ。俺はヒューストンでNASAの施設を見学してきた」 「俺は中国の雲南省に行った。卓人がここにいないのは、英国は修学旅行で来ていたからだ。伊藤もどこか歴史のあるところに行けるといいな」 「NASAに中国に英国? 修学旅行……、ですよね……?」 「BL学園では全員が揃ってどこかへ行くという旅行はしないんだ。ひとりひとりに行く先と目的が知らされるだけだ。どうやってそこへ行くかは自分で考えて、チケットやホテルも自分で手配する。もちろん費用は学園もちだから、予算内ならどんな高級ホテルに泊まってもかまわない」 「要するに世界で通用する人間を育てるという、学園の理論の集大成のようなものだ。本当の意味での修学旅行と言えるかもしれないな」 ひえーっ、と啓太は思った。ついさっき入国審査だけであれだけ疲れたのだ。あれを全部ひとりで……と思うと、目の前がくらくらしそうだった。しかもそのときには出迎えなどないのだ。 「……和希のことばの意味がよーくわかりました。なんだかため息出ちゃいそうです。でも王様はどこだったんですか? そんなひどいとこって……」 「丹羽はな、バヌアツ共和国に行ったんだ」 ふてくされて答えようとしない丹羽に代わって中嶋が言った。中嶋も篠宮も小さく肩が震えている。どうやら必死になって笑いをこらえているようだった。 「バヌアツ共和国? ……ってどこにあるんですか?」 「さあな。丹羽に聞いてみるといい」 「どこだっていいだろ、んなもん。知りたきゃ勝手に調べろ。それよりもう少しで高速に乗るぞ。啓太、トイレはいいか? 最低でも2、3時間はかかるからな」 「あっ大丈夫です。和希に言われて荷物を待ってる間に行ってきましたから」 丹羽がわざと話題を変えたのはわかったが、それにしても高速に乗って2、3時間もかかるとは思ってもいなかった。 「ロンドンって思ったより遠いんですね」 何気なく言った啓太のことばに、3人が「えっ!?」とばかりに啓太の方を見た。 「いや。悪いな啓太。ロンドンは行かねえんだよ」 「あ? そうなんですか?」 「行きたかったのか?」 のぞきこむようにして問いかける中嶋に、啓太はいいえと首を振って見せた。意外ではあったがとりたててロンドンでなければならない理由はどこにもなかった。それよりも中嶋が行きたいところ、中嶋が見たいものを啓太も見たかった。 「勝手にそう思いこんでただけです。じゃあどこなのかな」 「それは着いてからのお楽しみ、さ。まずは夕日に向かって直進だ」 大きく右折をした車は、そのまま高速道路M4に合流した。丹羽はひばりちゃんの鼻歌を歌いながら、緩めることなくアクセルを踏みつづけた。 丹羽のことば通りしばらく走ると、前方にきれいな夕日が見えるようになった。やがてそれが沈みかける頃、セヴァーン川にかかる1.5キロの吊り橋を渡ったM4は、ほんの少し南に進路を変えた。そこから少し走ったところで、丹羽は高速から下りた。すでに夜道といっていいくらいになっていたが、ナビ・シートの篠宮とうしろから身を乗り出した中嶋とが右だ左だと指示を出しつづけたおかげで、丹羽は迷わずカーディフ・セントラル駅前のバスステーションに車をつけることができた。 「ウェールズの首都。カーディフへようこそ、啓太。……で? こっからどうなんだ?」 バスの発着の邪魔にならないか、気にしながら丹羽が言った。 「ちょっと待ってくれよ……。ああ、そのすぐ先だ。そこの細い道を入って次を右折だ」 「ここを入って……。右折、だな」 右折をすると正面に高層ホテルが見えた。エントランスに車を進めると何人かのベル・ボーイが出迎えてくれた。彼らに荷物と車を預け、中嶋たちはフロントでチェック・インをした。案内された部屋は適度に広くてベッドも大きめだったが、意外なことにツインだった。今まで中嶋とホテルに泊まって、ダブルじゃなかったことはこれが初めてだったのだ。どうして? という思いは、恥ずかしすぎて口にできなかった。でも顔には出てしまっているような気がして、啓太はごまかすために窓から外をのぞいた。夜景も悪くはないが、明るい陽の光で見たらさぞかし綺麗だろうと思われる風景が広がっていた。 「どうした。何が見える」 歩み寄ってくる中嶋の姿がガラスに映っていた。啓太をうしろからやんわりと抱きかかえた中嶋は、啓太の肩に顎をのせて外をのぞいた。押し当てられた背中から中嶋のぬくもりが伝わってきて、圧倒されるような幸福感の中、啓太はぎゅっと眼を閉じた。 ああ。俺は世界中を敵に回してもかまわない。このまま時間が止められるのなら ―― !! 「なんだ。正面玄関の方なんだな、ここは。……ふうん。あれはカーディフ城か? 向かいはパブが並んでるみたいだが……。ま、お子様連れじゃあ無縁の話だな」 俺のことは気にせずに王様たちと行って下さい。啓太がそう言う前に中嶋は啓太の身体を離した。 「さあ下りるぞ。夕食に丹羽を待たすとうるさいからな」 「はいっ」 啓太は慌ててスタジャンを取り上げると、中嶋のあとを追った。 地図を持つ篠宮を先頭に、ついさっき通った道を少し戻る。建ち並ぶ石造りの重厚なビル。その一番端の建物の外側についた階段を上ると、大きなガラス窓のあるシーフード・レストランがあった。啓太は知らなかったが、ここは海に近い街だったのだ。店内はほとんどの席が埋まっていたが、予約をしていたらしい篠宮が名前を告げると、中ほどにあるテーブルに案内された。ウエイターの説明によると、好きな素材と料理法を選ぶシステムになっているという。ところが並んでいた魚介類が、釣りの好きな丹羽でさえよくわからないものばかりだったので、全員が違う魚を選ぶことにした。海老のように味の予測のつくものは意外性がないので、避けようということになったのだ。啓太の選んだ魚は派手な外見の割に淡白な白身で、グリルにしてもらってレモンと胡椒をかけると結構美味しかった。 「どうだ?」 「ええ。なかなか美味しいですよ。中嶋さんの言ったとおり、グリルにしたのが正解でした」 「へえ? どれどれ」 中嶋は右手に持ち替えたフォークで啓太の魚の端をすくい取り、そのまま自分の口に入れた。 「レモンでごまかしてるだけという気がせんでもないが、まあこんなもんだろう」 「おい中嶋……。あんまり見せ付けてくれるなよな。俺たちは悲しい独りモンなんだからよ」 苦笑する丹羽に何を思ったのか、啓太は皿を差し出した。 「あの、よかったら王様も味見してください」 「って、そこまでボケるか? 啓太」 「言うな。伊藤は幸せボケだ」 皿を差し出したままきょとんとする啓太に、三人が声をあげて笑った。 「ところで篠宮。岩井に飲ませたあの薬、まだ持ってるか?」 「ああ、あれならまだあるぞ」 「すまんが啓太に1錠やってくれ」 軽く頷くと、篠宮は内ポケットからピルケースを出して、ピンク色の錠剤を1錠、啓太の手に乗せた。 「これは時差ぼけ解消の薬だ。今のうちに飲んでおくといい」 「明日はまた移動だ。せっかくの風景を、寝てしまっていてはもったいないぞ」 「明日の朝って早いんですか?」 「いや。ちょっと買物もあるし、せっかく来てるんだから少しは観光もしないとな」 ふうんと思いながら、啓太はもらった薬をミネラルウォーターで流しこんだ。何の薬か本当の所はよく分からなかったけれど、中嶋が依頼して篠宮がくれた薬だ。それも以前に岩井も飲んでいるという。啓太には何の不安もなく、その薬を飲み下すことができたのだった。 食事のあとは全員が中嶋たちの部屋に集まって、明日の予定を確認することになった。カーディフ城ははずせないとして、カーディフ・ベイをどうするかで意見が分かれていたのだ。ああだこうだという声を聞くうち、いつの間にか啓太は椅子に座ったまま、うとうととしはじめていた。3人の声がまるで子守唄のようで、とても気持ちがよかった。やがて抱き上げられる感触があり、下ろされたベッドらしいところでセーターやジーンズなどを脱がされているのが分かったが、もう自分では腕を上げることさえできなくなっていた。深い眠りに引きずりこまれる直前。啓太の脳裏にあのピンク色の錠剤がよぎった。今日は最初の夜なんだから起きなきゃ。ちゃんと起きて中嶋さんと……。それが最後の意識だった。 丹羽たちが部屋に戻ってからシャワーを浴びた中嶋は、ベッドのヘッドボードにもたれて、明日の目的地までの地図を読んでいた。途中の休憩をラドローで取るかシュルーズベリにするかで迷っていたのだ。メジャーなのは言うまでもなくシュルーズベリであったが、だからこそラドローを通っておきたい気がしたのだ。これから先、シュルーズベリは訪れる機会もあるかもしれないが、ラドローはまずないと思われた。ただ、ラドローには見るべき何ものもなさそうなのが最大のネックだったのだった。車から降りて街中を少し歩き、お茶を飲んで休憩する程度なら十分なのではあるが。 かなりの遠回りになるので高速道路を使うつもりはなかった。それにせっかくの旅行なのだから、まわりの風景を啓太に楽しませてやりたかった。もう少し他のルートもないか地図を指でたどっていると、隣のベッドから啓太がごそごそと起きだしてきた。「啓太?」と声をかけたが返事がない。ぱたぱたと音をたてて歩いていった啓太は、バスルームを開けて入っていった。 「なんだ。トイレか。そういえばホテルに戻ってから行ってなかったな」 そう思いながら再び中嶋が地図に目を落としたときだった。トイレから帰ってきた啓太が、中嶋のベッドにもぐりこんできた。 「啓太? おまえのベッドはあっちだろう」 だが中嶋の傍らで丸くなった啓太は、すでに寝息をたてていた。これでは何のためにツインの部屋にしたのかわからなかった。小さなため息をついた中嶋は、地図と眼鏡をサイドテーブルに載せて灯りを消した。少なくとも啓太をゆっくり眠らせるという目的は果たせたようだ。それで良しとしなければならないのだろう。 そして自分も枕に頭を乗せると、中嶋は啓太の身体を抱き寄せた。広いといってもセミダブルくらいの広さしかないベッドである。ふたりで眠ろうとすればこうするしかなかった。啓太の手が中嶋のパジャマを掴んでいた。 「……おい。おまえはどう思ってるか知らんが、俺だってまだ18歳の男に過ぎないんだぞ? こんなことされて理性がどこまでもつかなんて、まったくわからんからな」 もう一度、今度は大きなため息をついて中嶋も眼を閉じた。中嶋と啓太の新婚旅行の第一夜は、こうして平和に過ぎていったのだった。 |
いずみんから一言。 啓太くぅん。そのパジャマ、ヒデのじゃないのぉ? とつっこみを入れている伊住です(笑)。 最初はオックスフォードあたりで1泊する予定だったのですが、A国政府観光庁さまから送っていただいた資料を読んでカーディフに変更しました。ここで中嶋に買物をさせてやろうと思ったからです。 それが何かは第4話のお楽しみということで。 王様の修学旅行は100のお題で書けたらいいなと思っています。) |