漂う人彷徨う人 (10)後悔とそれぞれの想いと 今のは一体なんだったんだ?呆然とトモキを見つめてしまう。 トモキの顔。そうか・・・あれはトモキの記憶。そうだ俺はトモキを知っていた。知っていたんだ。 「思い出した。君の名前は長谷川友樹だ。」 そうだ、だから見覚えがあったんだ。写真を見ていたんだから。 「僕の名前を知っていたの?」 「ああ。入学許可証を送ってすぐ亡くなったと・・。」 トモキの入学許可証を一番最初に出したのだ。どの生徒よりも早く出した。 俺が直接手紙も書いて、そうして送ったのだ。 「うん。入学許可証とね理事長さんからの手紙が入ってた。 僕がもしも本当に勉強をしたいって望んでるなら、そのための環境を作ってくれるって。だから安心して入学していいよって。」 そうだ、確かに俺はそう手紙を書いた。入学の為の不安。親元を離れ寮に入る事への不安材料を減らすために、俺が書いたのだ。 トモキは入学許可を出すときに、賛否が分かれた人間だった。 彼は体がとてもとても弱くて、まともに学校に通ったことがなかったからだ。 団体生活が後れるはずが無い。それが反対者が下した結論だった。 「嬉しかった。あれが届いたとき夢かと思った。」 「友樹。」 反対者の意見を無視して送ったのは、俺だった。 反対者達の意見を理事長権限を使って押さえ込んで了承させたのだ。 体が弱く、今までろくに学校に通ったことが無かったという彼の存在をある雑誌が教えてくれたのだ。 医療の専門雑誌に小さく載った写真と記事をなにげなく読んだ。それがすべての始まりだった。 体が弱く、学校に殆ど行けず、院内学級のみで勉強を続ける、長谷川友樹という少年。 特別に病院内で実施された模試ではトップクラスの成績だったという。 それを見て思ったのだ。彼にもっと自由に、思うままに学ばせてあげたい・・と。 この学園ならそれが出来ると。この学園しかそれは出来ないと。 俺はそう確信したのだ。 体が弱くて学校に通えないというのなら、学園に病院の設備を作ればいい。最高の医療設備を用意してもいい。 自分がどんな状態だろうと、学びたいという強い意志を持って必死に頑張った人間が、安心して学べる環境を作る。 学びたい人間が思うままに学ぶことの出来る環境を作らないで、どうして教育者だと言えるんだ? もしも彼がこれを受け取って、入学したいと希望するなら、どんな環境だって用意しよう。 学びたいという気持ちを大切に育ててあげたい。 それを彼が望むなら、叶えてあげたい。 だって俺にはそれが出来るんだから。 それを作れるのはこの学園だけなのだから。 そう言って反対者たちをねじ伏せて、入学許可証を送ったのだ。 その時にはすべてが遅かったとは気づかずに送ったのだ。 「だけど僕はあれが届く少し前から、一人では呼吸も出来ない状態だった。 酸素を吸うための管。食事も殆ど出来ないから点滴して・・。 いつ死んでもおかしくなかった。 入学許可証が届いた次の日にね、僕は死んだんだよ。 突然息が苦しくなって、あっというまの出来事だった。 僕は死んでしまったんだって、始めは気がつかなかった位あっというまの出来事だったんだ。 それから一年の間、僕は彷徨っていた。 当てもなくただ彷徨って漂って・・・そうして気がついたときには、暗い電車の中だったんだ。」 「・・・・そうだったのか。」 それではあれは残酷な知らせだったのかもしれない。 唇を噛み俺はうつむいてしまった。 思い出していた。友樹の両親から届いた一通の手紙を。 友樹からの返事を待っていた俺の元に届いた。一通の手紙。 『先日は大変思いやりの篭ったお手紙を頂戴し、ありがとうございました。 ですが、申し訳ありません。友樹は、息子は先日永久の旅へと旅立ちました。 理事長様からの温かい励ましのお言葉、息子の為に、医療環境を整えると約束してくださった事。 本当に有難く、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。』 あの手紙で、俺は勘違いをしていたのだ。友樹は入学許可証を見てはいないのだと思っていた。 死を前に、あれを見た友樹の想いなど、俺は気がつきもしなかった。 自分では動きたくても動けない人間へ届いた未来への切符が、どんな意味を持つかなんて考えもしなかった。 それがどんな残酷な事かなんて、俺は気がつきもしなかった。 「夜になると思うんだ、明日の朝も目を覚ますことが出来るだろうかって。 一人の夜は、永遠に続く闇なんだ。辛くて苦しい闇の世界。そこに一人で居るとね考えちゃうんだ。 もうすぐ消えてしまうんだって。消えて行く自分を嫌でも思ってしまうんだよ。 消えたくなんて無いのに、それなのに消えていくしかないって。なにもしないまま。なにも知らないまま。 消えたくなんて無いのに、受け入れるしかない。ただ耐えるしかない。 あの、智恵子と同じように、僕はもうじき駄目になる・・・そう思いながら、ぎゅっと目を瞑って耐えて受け入れるしかないって。」 友樹の言葉に、俺はやっと気がついた。 だから君はあの時泣いたんだ。 どう足掻いても狂気の世界に向かっていく自分を恐れて慟哭した智恵子を自分に重ねて、そして涙を流したんだね。 消えたくは無いのに、生きていたいのに、なのに自分ではどうすることも出来ない。 自分が正気を失うことを恐れた智恵子のように、君も死を恐れていたんだね、ずっと。 「夜はいつだって、暗くて長かった。怖くて怖くてたまらなかった。でもlね、そんな時に電車が通るとね、なんだか安心するんだよ。 田舎だからそう何本も通らない。カタンカタンって線路を鳴らしながら走ってくる。 あの電車にいつか乗りたい。 カタンカタンって電車の走る音を聞きながら思うんだ。あの音は未来へ向かってるんだって思うんだ。 入学許可証が届いた日の夜、僕は思ったんだ。 僕は未来への切符を手に入れたんだ。不可能だと思っていた未来への切符が届いたんだってそう思ったんだ。 そしたら、怖くなかった。一人の夜が、あの最後の夜だけが怖くなかったんだ。 あの電車に乗れば学校に行けるんだって。 そう思うとね、眠ることが出来た。 目を瞑ることも、眠ることも怖かったのに、あの夜だけは眠れたんだよ。本当にぐっすりと眠れたんだよ。 夢の中でなら学校に通えるかもしれないから、眠ればいいんだって思ったんだ。 夢の中でなら僕は自由にどこへでも行ける。 電車に乗って、学校に行く。制服を着て皆と同じところへ行けるんだって・・。」 「友樹。」 夢見るように、友樹は言葉を口にする。 あの白い部屋の住人だった頃もそうして話していたのかもしれない。 学園に通う夢を、そうして話していたのかもしれない。 ・・・いいや、それは俺の願いだ。俺の行動が間違いでは無かったという証が欲しいだけだ。 辛い知らせではなかった。叶わぬ未来を知らされて、辛くなかったのだと言って欲しい、ただそれだけなのだ。 「入学許可証が届いたとき嬉しかった。凄く凄く嬉しかった。 僕が生きてきたのは無駄じゃなかったんだって、本当に思ったんだ。」 「友樹。」 「雨にぬれたのも、みんなと授業を一緒に受けたのも全部嬉しかった。 あのね僕、生まれてからずっと味の無いご飯ばかり食べてたんだ、フライって始めて食べたよ。凄くおいしかった。 篠宮さんが作ってくれた卵のおじやも凄く凄くおいしかった。 だから浮かれてたんだ。 ケイタが僕にあの時間をくれたのに、あこがれてたこの学園で暮らさせてくれたのに、なのになのに僕は・・・。 僕は望んではいけないことまで望んでしまった・・。」 「友樹・・・。」 「ごめんねケイタ。一人が寂しくて辛いって事、僕が一番良く分かってたのに、ケイタを酷い目にあわせようとして。 ナカジマさんがケイタを助けようとしたのを見て初めて気がついたんだ。僕はいけないことをしてるって。」 「・・・・。」 芝生に横たわるふたり。あの状況でどうやったのか、それとも友樹の力なのか、中嶋は啓太を守るように、両手でしっかりと抱きしめていた。 「ごめんね、ケイタ。」 「ん・・・・。」 友樹が眠る啓太に向かって謝ると、啓太はピクリと反応した。 「啓太?」 目を覚ましたのだろうか? 「・・・眠ってる、まだ目を覚まさない。僕が入っていたせいで啓太の精神が疲労してるんだ。だから・・・。」 友樹が悲しそうに告げる。 中嶋の腕の中で、啓太は眠っていた。 そこだけが安心できる場所だとでもいうように、啓太は穏やかな顔で、眠っていた。 俺の心も知らずに・・・。 「・・・・ここは?・・・・ああ、そうか・・・さっきのは・・夢か・・。」 |
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