漂う人彷徨う人



(4)不審


「啓太?どうした?」
「え?」
「食べないのか?」
 夕方、宿題を片付けていたせいで、すこし時間が遅くなったせいか食堂は閑散としていた。
「え?食べるよ。」
 箸を持ったままぼんやりしている啓太に声を掛けると、啓太は慌てたようにご飯茶碗を手に取った。
「・・?」
 今日のメニューは、鶏肉とチーズのフライとエビフライにたっぷりのキャベツの千切りが添えられたものとポテトサラダにフルーツヨーグルト、ご飯にお味噌汁の具はわかめとじゃがいもと葱だ。
「嫌いなものあった?」
「ううん。たぶんない。」
 たぶん?首をかしげて見つめていると、啓太はちょっと不安そうに、エビフライを何もつけずにパクリと食べた。
「おいしい。」
 不安げな顔が笑顔に変わる。
「?」
 なんだろう?なんだか変な反応じゃないか?
「へへ。おいしいね和希。」
「え?うん。」
 タルタルソースをつけ、レモンをしぼってエビフライを食べる。
 いつもの味だ。
「啓太っていつもなにもつけないで食べてたっけ?」
 何かが引っかかる。なんだろう?何かが変だ。
「え?」
「フライ。」
「あ・・・・うん。たまには。」
「そう?」
 もぐもぐと食べている。その姿はいつもの啓太で、でも何かが違うと感じてしまう。何が違う?何が変なんだ?
「おいしい?」
「うん。・・おいしいね。」
 だけどその疑問は、コクリとうなずく啓太の笑顔に消されてしまう。
 可愛いなあ。中嶋が居ないせいか俺になんだか甘えてる感じだしさ。もういいよ、あの人帰ってこなくて。
 なんて俺は一人で浮かれていたんだ。なのに。
「中嶋さん明日帰ってくるね。」
 なんて啓太が言うからなんとなく寂しくなる。
 やっぱり啓太は中嶋さんがいいのかなあ、って悲しくなった。
 啓太は俺を友達以上に見てくれはしない。それが現実なんだ。
「中嶋さんがいないと寂しい?」
「え?」
「ね、啓太。」
「う・・・ん。でも・・。」
「でも・・?」
 でも。・・・言葉の続きを待っていた。もしかしたらの期待を込めて。
「あれ?」
 そしたら啓太が突然声をあげたんだ。入り口の方をじっと見つめて。
「啓太?」
「・・・・・・・・。」
 顔色が変わる。
「どうし・・中嶋さん。」
 入り口のところで、中嶋が怖い顔してこっちを見ていた。
 あれ?なんで今日帰って?なんだか背中にどす黒いオーラ出してないか?機嫌が悪い?俺が啓太といたから?まさか・・・。
「・・・・・きさま。」
 ツカツカと歩み寄り、啓太の前に立つ。
「あの・・・。」
 不安そうに啓太は中嶋を見上げている。
「誰だきさま。」
「え?中嶋さん?」
 何を言い出すんだ?
「啓太の振り・・?これが原因か?きさま啓太をどうした?」
 啓太の両肩をつかみ中嶋が大声を上げる。
「中嶋さん。何を言い出すんですか!」
 中嶋の剣幕に、食堂にまばらにいた人間たちは蜘蛛の子を散らすように居なくなってしまった。
「鈴菱、お前気がつかないのか?」
「え?」
「こいつは啓太なんかじゃない。」
「まさか。」
 驚いて啓太を見つめる。
 だけどそれは紛れもなく俺の大切な啓太だった。
 中嶋の声に不安そうに、眉をひそめる啓太。
「中嶋さん何を言ってるんです。啓太ですよ?」
「わからないならいい。俺もさすがに混乱してるからな。でもこいつは啓太じゃない。違うものだ。」
「何を根拠に・・・。」
「根拠?俺が自分の物を見間違うなんて事がある訳がない。」
「それだけですか?そんなのが理由ですか?」
「啓太ならそんな食べ方はしない、俺を見てこんな顔もしない。理由が欲しいというならそれだけだ。」
「それだけって。」
 それで納得しろ、なんて無茶だ。でも・・・。
「これが啓太に見えるお前の方がどうかしているんじゃないか?」
「そんな・・啓太?」
「和希・・・和希も疑うの?俺が違うって。」
「・・・・・啓太。」
 今まで感じていた違和感。それがもしも啓太じゃないせいだとしたら?
 突飛すぎて笑い話にしかならない気がするけど、もしもそうだとしたら?
「啓太・・・啓太は本当に?」
 おかしかったずっと。確かにずっとおかしかった。
「和希も疑うんだね?俺の友達だって言ったのに。疑うんだね。」
 涙。
「啓太違うよ。ただ。」
「いいよ、もういい。」
「啓太!!」
 中嶋の手を振りほどき、啓太は食堂を出て行った。

+++++++++

「追いかけるぞ。」
「え?」
 呆けている間に、中嶋は走り出していた。
「な、中嶋さん。」
 慌てて後を追う。けれど二人の姿はどこかに消えてしまっていた。
「・・・・どこに・・・・。」
 当てもなく寮の外に出る。・・・と低い声が闇の中から引きとめた。
「誰だ?」
「僕ですよ。遠藤くん。」
「七条・・・さん。」
「ぶみゃ(お前ひとりか?)」
「おひとりですか?お時間よろしいでしょうか?」
「え?すみません。俺今急いでるんです。」
 イライラと返事をしながらもあたりを見回す。
 不思議な位に静まり返っていた。
 夕食後の時間、本当ならもっともっと騒がしくて、人の出入りがあっていい時間。
 なぜこんなに静かなんだ?なぜこんなにも闇が深い?
 啓太はどこに行った?そして中嶋は・・・。
 そんな俺の焦りをあざ笑うようにトノサマが低く鳴き、そして、
「トノサマが気になることを言うもので。」
 ・・と、ふわりと笑いながら七条が低い声で告げる。
「気になること?」
「ええ、今朝。裏庭であなたは誰といました?」
「だれって?」
「ブミャア・・(誰といた?啓太の振りしたやつ。あれは誰だ?)」
「伊藤君の振りをした人間といた、トノサマはそう言ってますよ。」
 ぞくりと背中が寒くなる。今七条はなんて言ったんだ?
「え?」
「あれは伊藤君じゃない。トノサマはそう言っています。」
 なんだって?トノサマまでそんな事を?
「トノサマ。振りってなんなんだ?中嶋さんも言ってた。お前は誰だって。でも、あれが啓太じゃないと言うなら誰だって言うんだ?」
 そんな事信じられない。信じられっこない。
 啓太じゃないなんて、そんなこと。
「ぶみゃあ。ぶみゃあ。(人間にはわからないかもしれないが、俺たち猫ならわかる。あいつは生きてはいないものだ。啓太は優しいから、出てこられない。
啓太の心を閉じ込めてあいつは啓太の振りをしているんだ。)」
「なんですって?トノサマ。」
 トノサマの鳴き声に、七条が顔色を変える。
「ぶみゃぶみゃあぉぉん。(俺は今日一日啓太を探して歩いた。啓太が飛ばされたのかと思って探した。だけど啓太はどこにもいなかった。だから間に合う。
今ならまだ間に合う。啓太はまだ啓太の中にいる。あいつの力はまだ弱いから。だから啓太を追い出せない。)」
「追い出す?伊藤君をどうするつもりなんですか?」
「ぶみゃあ。ぶみぶみ(お前ならわかるだろ?器を失った後天国へと逝くことの出来なかった魂は、永遠の時を漂うしかない。 あいつはそういうものだ。
あいつが求めているのは啓太の体。啓太の体は綺麗だから。やさしい魂の育った体だから。悪いものが惹かれる。寂しい魂が寄りたがる。
死霊や霊魂はいつだって器を求めてるんだ。
昔から言うだろう?墓場で転んだらあの世に連れて行かれるって。
あれは転んだ拍子に自分の魂が抜け出て、代わりに墓場に漂っていた霊魂が体に入り込んでしまうって意味なんだ。墓場はあの世とこの世の境界の場、魂が流離う場所。だから墓場で転ぶのは禁忌なんだ。霊魂はいつだって人間と入れ替わるチャンスを狙っている。いつだって。)」
「そんな。」
「ぶみゃあ。ぶみゃあああ。(霊魂はいつだって器を求めている。器を求めて彷徨って漂ってそうして体に入り込む隙を狙っている。
啓太は優しい。たぶんその優しさに付け込まれたんだ。
だけど、これはただの入れ代わりじゃない、啓太の魂はまだ啓太の中にいる。今ならまだ間に合う。急げ。啓太を守るんだ。)」
 遠くを見つめながら、トノサマが鳴き続ける。
 低く長く。
 これはいつものトノサマじゃない。
 トノサマの背後にあるのは深い深い闇の世界。
 トノサマの光る眼が見つめるのは、俺たちが見えない世界。
 俺は悪い夢を見ているのか?これは悪い夢なのか?
「そんなトノサマ。」
「七条!トノサマはなんて言っているんだ。」
「トノサマは、伊藤君の体に何かが憑いていると言っています。
伊藤君はその何かに押さえ込まれて外に出てこられない。早くしないと伊藤君が危ないと言ってるんです。」
「なんだって?」
 なんだってそんな事が・・・。
「啓太を助ける方法あるんですか?」
 皮膚がゾクリと粟立つ。
 霊魂が憑く。そんな非現実的な話があっていいものなのか?
 俺がさっきまで一緒にいたのは、本当に啓太じゃないのか?
「伊藤君に憑いた魂を浄化させるしかないのでしょうが・・。」
 真剣な顔で七条が答える。
「そんな事出来るんですか?」
 これは夢なんかじゃない。作り事の世界でもない。
 この闇も、静まり返った世界もすべてが現実。そう現実なんだ。

「・・・・それは無理です。」
 七条は俺の焦りも苛立ちも感じていない様子で、あっさりとそう言い放った。
「え?」
「僕たちはエクソシストでも霊媒者でもない。霊感の皆無な人間が何人集まったところで浄霊は出来はしない。」
「じゃあどうしたら・・・。」
「ぶみゃあ。(だが希望はある。それはあいつが悪霊では無いらしいって事だ。)」
「そう・・なんですか?トノサマ。」
「ぶみゃ。ぶみゃあああ。(断言は出来ない。ただあいつからは寂しさだけしか感じなかった。憎しみもねたみもなかった。
ただただ孤独だと、寂しくてたまらないと言っていた。だから遠くからでも俺は、啓太じゃないってわかった。啓太の魂はいつも明るいから。
啓太の魂は俺が好きな日向のにおいがする、心が温かくなるような明るく穏やかな色をしている。啓太の魂の色はそんな色なんだ。
だから俺はあいつが好きなんだ。)」
「トノサマ・・・。そうですね。それが伊藤君ですね。」
「ぶみゃあ。(だからあいつも惹かれたんだ。啓太の魂に。
寂しい人間は誰だって惹かれる。啓太の暖かさに。それは生きている人間も、そうでないやつも同じだ。)」
「・・・・そうかもしれませんね。それは僕にもよくわかります。ええ、きっと僕も同じなんでしょうね。」
「七条?」
 一体トノサマと何の話をしているんだ?啓太の話じゃないのか?
「でもだからと言って、伊藤君を好き勝手されてはたまりません、なんとかしないと・・・。いっそあの人でなしさんに憑いてくれれば良かったのに。」
「ぶみゃ(それは無理だ。眼鏡の魂は強い。)」
 今のは俺も、なんとなくトノサマの言ったことわかったぞ?
 ったくこの非常事態に何をのんきな・・・・。
「残念なことですね。」
「七条!そんなのんきな事を言っている場合か。」
「・・・そうでした。申し訳ありません。兎に角、僕は部屋に戻って何か対処する方法がないか探します。トノサマは・・。」
「ぶみ(屋上だ。)」
 トノサマの視線が動いた。
「屋上?」
「ぶみゃ(屋上にあいつの気配がする。)」
「屋上がどうしたんだ?七条。」
「伊藤君が屋上にいると、気配がすると・・。」
「気配?」
 トノサマはそんなものまでわかるのか?
「ぶみゃあ(啓太じゃないこれはあいつの、偽者の気配だ。)」
「偽者の気配?じゃあ、伊藤君は?」
「ぶみい(啓太の気配はしない。もともと生きている人間の気配は離れていると読めないんだ。ここは人が多すぎるから。啓太はおそらく眠っているんだろう。)」
「眠っている・・?」
 それはどういう状態なんだ?啓太は今どうして・・・兎に角のんきに小田原評定なんてしてる場合じゃない。
「屋上だな。」
「あ!!待ってください。」
「ぶみゃ(ひとりで行くのは危険だぞ!)」
 七条の声を無視し、俺は走り出していた。





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