漂う人彷徨う人



(5)追跡


「啓太!!」
 じっとしてなんかいられなかった。
「啓太ごめん、俺が一番近くにいたのに。」
 なのに、気がつかなかった。
 違和感を感じていたのに。
 授業中も、あの雨の中も、啓太の笑顔にも違和感を感じていたのに、気づけなかった。
 啓太は助けを求めていたかもしれないのに、俺に助けを求めていたかもしれないのに、なのに俺は・・・。
「啓太ごめん。」
 助けるから、俺が助けるから・・啓太。だから・・・間に合ってくれ。
 息を切らしながら階段を上りきると、屋上に続くドアを開いた。
「啓太・・・・。はあ、はあ・・・・。」
 日ごろの運動不足を呪いながら、足音のするほうへ視線を動かすと啓太が躊躇いもなく手すりを乗り越える姿が見えた。
「啓太!!」
 叫ぶ。啓太・・・まさか落ちたのか?
「待つんだ。」
 中嶋の声が闇にこだまする。そして、中嶋自身もひらりと手すりを乗り越えてしまった。
「あぶな・・。」
 手すりを越えて、啓太と中嶋が立っていた。
 手すりを越えた先は、30センチほどの余裕しかない。一歩でも踏み外せば、まっさかさまだ。
 なのに、中嶋は戸惑いもせず一歩一歩啓太に近づいていく。
「それ以上来たら飛び降りるよ。ほら一歩足を踏み出せば、それで終わりだよ?いいの?ほうら、落ちちゃうよ?僕。」
 その声に中嶋の足が止まった。
 啓太の声が響く。両手を手すりから離し中嶋を挑発している。
「はん、そんな事をしたらきさまも・・・。」
 非常用の灯りしか付いていない屋上で、なぜか啓太の体だけが白く浮き上がって見えた。啓太の横顔だけがはっきりと見えた。
「僕には関係ない。これはケイタの体だからね。」
 くすくすと笑う声。啓太の体?・・・じゃあやっぱり?
「認めるんだな?啓太ではないと。」
「認めるも何も、もとから違うものだからね。この学校の人間は誰一人、気がつかなかったけどね。」
「何が目的だ?」
「さあね。ねえ、ナカジマさん。ここは見晴らしがいいねえ。
 風が気持ち良い。ここから飛ぶのはとっても良い気持ちかもしれないよ。僕は飛んで、ケイタは地面にたたきつけられる。くくく。
 ここって三階?四階だったっけ?下に花壇と植木があっても死んじゃうよね?
 ね、ナカジマさん、いくらケイタの運が良いからって、いくら強運の持ち主だからってさすがにここから落ちたら死んじゃうよねえ?
 どうする?ナカジマさん。僕このまま落ちてもいい?」
 くすくすと笑い声を上げながら、中嶋を挑発していく。
「もう一度聞く。お前の目的はなんだ。」
 中嶋の声が闇に響く。
「目的・・・・・ねえ、ナカジマさん。僕はねあの日気がついたら空に浮かんでいたんだ。
 月の暗い夜だった。どこに行ったらいいのか分からなくて、僕は途方にくれていたんだ。寂しくて、心細くて・・・・そして・・・。」
「そして?」
 中嶋の声に答えず、ケイタは空を見上げた。
「大きな月だね・・・ナカジマさん。僕はずっと知らなかったよ。こんな世界があるって事。」
「・・・。」
「知らなかった。僕が見ていた世界は凄く凄く狭くて、生きている事に罪悪さえあった。僕なんて生きてる価値がないってずっとずっと思ってた。
 あの夜・・・僕は本当に一人ぼっちだった。誰も僕に気がついてさえくれなかった。
 僕は居たのに確かにあの場所に居たのに、誰も僕を見ようともしなかった、ケイタ以外誰も・・・。」
「お前は一体・・。」
「ケイタだけが僕に気づいてくれたんだ。
 目があったとたんにっこりと微笑んでくれた。暖かい瞳で僕を見てくれた。僕はケイタのその暖かさに惹かれてそうしてケイタの中に入り込んだ。
 ケイタの体は綺麗で、暖かかった。自由に何でも出来て、友達が沢山沢山いて、みんなが優しくて。和希も篠宮さんも優しくて幸せだった。
 誰も僕に気がつかなかった。僕はケイタじゃないのに、みんなその事に気がつかなかった。
 それでも良かった。ケイタの中は居心地が良かったから。あったかくて気持ちよくて幸せだったから・・・だからね、ナカジマさん。」
「なんだ。」
「だからね、僕は決めたんだ。このままケイタになろうって。誰も気がつかないケイタと僕が違うものだって、だから決めたんだ。この体を貰うって。」
 闇に響く啓太の声。今頃俺は気がついた。今頃確信したんだ。
 これは啓太じゃない。啓太とは違うものだって。
「啓太・・。」
 恐怖で声が震えた。啓太の声なのに、これは啓太じゃない。
「和希!来てくれたんだね。」
 俺の声に気づいて、啓太が振り返り笑う。
 違う、確かに啓太の顔なのに、あれは啓太じゃない・・・。
 笑顔が違う。瞳が違う。何もかもが違いすぎる。
 ゾクリと背中が寒くなる。肌が粟立ち思考が現実を拒絶する。
 啓太じゃない。あれは啓太じゃない。
 どうしようも無い違和感に吐き気さえもようしてしまう。
 啓太の声なのに、啓太の顔なのに、なのに啓太じゃない。
 あれは違うものだ、全く違うものだ。
 中嶋はどうして平気なんだ?
 どうして平気であれと向き合ったままでいられるんだ?
『これが啓太に見えるお前の方がどうかしているんじゃないか?』
 食堂で中嶋がそう言ったとき俺は意味が分からなかった。
 俺は、トノサマや七条の話を本当に理解してはいなかった。啓太の体に何かが憑いている。その言葉を俺は心のどこかでは疑っていた。
「君は啓太じゃない・・・。」
 情けなくなるほどの弱々しい声しかだせなかった。
『何かが憑いているんです。あれは生きてはいないものなのです。
 伊藤君を閉じ込めて、伊藤君の振りをしているのです。』
 啓太じゃない・・・。俺はやっとその事を理解したのだった。
 ガクガクと膝が笑う。体の振るえが止まらない。
「何を言っているの和希?僕はケイタだよ。和希の大切なケイタだよ。
 和希が欲しくて欲しくてたまらない。大切な大切な宝物。」
「違う違う違う!!」
 叫んでいた。啓太じゃない、これは啓太じゃない。
 笑う。啓太じゃない奴が啓太の声で、顔で、笑う。
「啓太でなんかあるものか、やっと分かった。君は啓太じゃない。」





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