約束〜もう一度あの場所で〜(55〜60)



2006/05/19(金) 約束〜もう一度あの場所で〜・・55

「・・・っ。」
 鈍い痛みを感じ、和希は眉をしかめながらコメカミを押さえた。
「和希様?」
「・・・少し頭痛がする。」
 頭が重かった。夕べ飲みすぎたのだと舌打ちしながら和希は毛布をはいだ。
「あれ?」
 ベッドから出ようとして違和感を感じ、和希は周りを見渡した。
「どうかなさいましたか?」
「俺はちゃんとベッドに寝ていた?」
「え・・・?はい。」
 訝しげに和希の顔を眺めながら、岡田は頷いた。
「じゃあ、あれは・・・夢?」
 痛む頭を押さえながら、和希は知らず言葉を吐いた。
「夢・・・?」
「ああ、俺と・・・石塚が出てきた。」
 記憶を探るように目を瞑り、和希は呟いた。
「石塚・・・さん・・・ですか?」
「ああ・・・。石塚がこの部屋に来たんだ。俺に逢いに。」
 そして恨みの言葉を吐いて・・・自分は鬼だと・・・そう声に出さず呟いて、和希は目を開いた。
「夢を見たんだ。それだけだ。」
 そうだ、あれは夢だったのだ。
 夢枕に立ち恨み言を和希に言いたくなるほど、石塚は自分を恨んでいたのだと、和希は思った。
「当然か・・・。」
 自分の為に命を失ったようなものなのだ。
 恨まれて当然なのだ。-------けれどその思いは和希の心を少しだけ軽くした。
「和希様?」
「体調が良くないんだ。もう少し休む。」
「お食事は・・・あの・・。」
「後でいい。」
 優しかった。あいつはいつだって俺の心を誰よりも理解してくれた。何も言わなくても、あいつだけが俺を・・・。
 石塚の声が和希の頭に響く。
『恨んでいます。恨んで、恨んで私は悪鬼となったのです。』
 繰り返すその言葉に和希はぎゅっと目を瞑った。
「では、お医者様を。」
「いらない。」
「和希様・・・でも。」
 優しかった男は、俺の為に生きて、そして死んだ。
 悔やんでも悔やんでも和希の心にその現実は罪として残った。
『恨んでいます。』
 その声が和希には悪魔の声に聞こえた。
 どれほど苦しんでも、悔やんでも許されはしないのだと。
 罪は消えはしないのだと言われた気がした。けれど・・・。
『憎んでいます。』
 同時にその声は、神の声にも聞こえた。
 お前が悪いのだと、誰かに言われたかったのだと、和希はその時に気がついたのだ。
『坊ちゃんのせいじゃねえよ、あれは久我沼の逆恨みなんだ。』
 竜也の慰めは和希の救いにはならなかった。
 罪を罪として糾弾して欲しかったのだ。
 誰でもいい。悪いのはお前だと言って責めて欲しかった。
 そうすれば自分は罪の意識を懺悔し、そしてその罪を償うための罰を受けることができる。
 けれど誰もそんな事を言ってくれる人間など和希の周りにはいなかった。
 両親でさえ、塞ぎ込む和希を腫れ物でも触るかのように扱い、和希の我侭を許した。
 日本から逃げ出す和希を誰も責めたりはしなかった。
 たとえ心に何を思っていたとしても、責めたものはいなかった。
「和希様、顔色が悪すぎます。今すぐにお医者様を呼んで参りますので・・。」
「いいから、ほっといてくれ!!」
 毛布をかぶり、和希は叫んだ。
「・・・・。」
「あ・・・すまない。」
「いいえ。ではなにか後ほど・・・消化に良いものをお持ちしますね。」
 わざと明るい声を出す岡田を疎ましく思いながら、和希は唇をかんだ。
「午後はお出かけされるのでしょう?」
 優しい声が疎ましかった。
「ああ。」
 早く立ち去って欲しくて、和希は無理矢理に声を出した。



                    ◆          ◇          ◆



2006/05/20(土) 約束〜もう一度あの場所で〜・・56

「・・・・ごゆっくりお休みください。午後には体調も良くなっているはずです。」
「・・・・。」
 早くどこかに言って欲しい。唇をかみ締めながら、和希は耐えた。
「久しぶりの日本で、少しお疲れになっているのでしょう?
和希様・・・。」
 何も知らないくせに。----心の中で毒づく自分を和希は嫌悪した。
「お休みなさいませ、和希様。」
 去っていく悲しげな気配に、和希は気づかない振りをしながらぎゅっと目を瞑った。
「石塚・・・・もう一度・・・夢でも幻でもいいから・・もう一度だけ・・・。」
 それは甘えでしかないのだと分かっていながら、和希は石塚の名を呼んだ。
 そうすることで、少しだけ罪が軽くなる気がした。


14.偽り


「だから、なんでお前がここに居るんだ?」
「そんな冷たいこと言わんといてくださいよ。
 俺とケイタは友達なんやし・・なあケイタ。」
 ケイタが両手に火傷をしながら作った弁当を、ガツガツと食べながら俊介は丹羽に向かって舌を出した。
「なんだと?」
「王様?怒らないで・・・あの、あの・・・玉子焼き美味しく無かったですか?少し焦げちゃったけど・・・。」
「え?あ、美味いよ。ケイタが始めて作ったもん不味いなんて言わねえけどよぉ。それがこの猿の為かと思うと腹が立つ。」
「え、これケイタが作ったん?どうりで焦げ焦げやと思ったわ。」
「え、美味しくない?ごめん!!」
 ケイタは慌てて頭を下げるから、俊介は可笑しくなってゲラゲラと笑い出した。
「え?」
「そうやない。うまいよ。」
「本当?」
「ああ、中嶋センセは?なんも言わんかった?」
「中嶋さんは、笑ってただけ。」
「ふうん?」
 不恰好に巻かれ、端の焦げた玉子焼き、衣の取れかかった鶏のから揚げ。元の大きさが謎なりんご。カリカリになり過ぎたベーコンに巻かれたアスパラガス。茹ですぎのブロッコリーとスライスなのかぶつ切りなのか分からないキュウリにプチトマト。それにたっぷりのふりかけが掛かった大量のご飯。
 それが俊介に渡された弁当箱の中身だった。
「なんで俺のだけ別なんや?」
「お前の分は、ケイタが作ったんだ。」
「そっちは。」
「これは中嶋が作った奴。」
「へえ、綺麗やなあ。」
 彩りよく盛られた中身は、俵型のお結びと、ポテトサラダに鶏のチーズフライに出し巻き卵。彩りなのかブロッコリーがこんもりと盛られ、イチゴの赤が食欲を誘っている。
「中嶋センセ器用やなあ。」
 これをあの顔がいい割に目つきの鋭い外科医が作ったのかと思うと、俊介の頬はなぜか緩んだ。
 あのセンセイ。本当にケイタのこと可愛がっとるんやなあ。
 他人が他人をどう思おうとあまり気にしたことのない俊介でも、ケイタのことは少し勝手が違っていた。
「中嶋さんはね、ホットケーキ焼くのも上手なんだよ。」
「へえ?ホットケーキ・・・。」
 甘い甘いメープルシロップの香りと中嶋の鋭い視線がどうしても結びつかず、俊介はしばし呆然として箸を止めた。



                    ◆         ◇          ◆



2006/05/21(日) 約束〜もう一度あの場所で〜・・57

「悪いケイタ。俺あんまり想像力ないみたいや。」
「え?」
「謝る必要はねえよ。俺だって目の前で見ても信じられねえ光景なんだ。想像するなんて土台無理な話だ。」
「やっぱり〜!!」
 ゲラゲラと笑いながら、ふと気がつくと、ケイタが頬を膨らませ睨んでいた。
「なんで笑うんだよぉ!!」
「なんでって可笑しいもん。」
「可笑しくないよ。中嶋さんはなんでも出来るんだから!!」
「そうや無くて・・・ううん、なんて説明したらええんやろうなあ?」
 ばくりと鶏のから揚げを頬張りながら、俊介は空を見上げ考える振りをした。
「説明なんかいいよ。笑わないで。」
「そりゃ無理だろ?俺だって可笑しいんだぜ?」
「王様酷いです。」
「酷いも酷くないも・・・あのヒデがホットケーキだぞ?
お前にせがまれてアップルパイ作ったときも驚いたけどよ。
あと、なんだ?焼き林檎?あんなものをヒデが作るなんて、嵐が来るんじゃねえかと思ったけどよぉ。
 大体あいつにバニラやシナモンの匂いが似合うか?
 似合わねえだろう?」
 豪快に笑う丹羽と拗ねるケイタを交互に見ながら、俊介はなんだか夢を見ているような錯覚に陥った。
 天気が良くて、桜の蕾はもうすぐ咲きそうで、目の前のテニスコートでは学生達が楽しそうに活動している。
 ベンチに座る三人の足元にはマロンが尻尾を振りつつ座っている。
 そんな目の前の風景がなぜか幻に思えてきて、俊介はふるふると頭を振った。
「俊介?」
「え?あ・・・・中嶋さんが焼き林檎作ってる姿想像したら、眩暈がしてきた。」
「俊介!!酷いよ。」
「え・・・・・・あ、悪気は無いんや、堪忍や。」
 両手を合わせケイタを拝むまねをしながら、俊介は慌ててぺこぺこと頭を下げた。
「もう。」
「ごめんって。」
「いいけどさ。俊介は中嶋さんを良く知らないだけだから。
 中嶋さんは、凄く凄く優しいし、格好いいし、優秀なお医者様なんだからね。患者さんにだって凄く評判良いって、おじいちゃん先生が言ってたもん。
 絶対絶対、あんなに白衣の似合うお医者様なんて居ないんだから。」
 それは、ケイタの欲目だろう・・・自分にはいくら腕が良いと評判の医者だと分かっていても、何かのプレイにしかあの姿は見えないんだよ。-----こっそりと心の中で言いながら、俊介はコクコクと頷いた。
「分かったよ。ごめんって。」
「・・・本当に分かった?」
「分かった分かった。ケイタが中嶋センセが大好きだって事がよう分かった。」
 万歳と両手を挙げ、俊介は舌を出した。
「え〜、中嶋さんのことは好きに決まってるじゃないか。ね、王様?」
「え?ああ、そうだな。」
 仕方なく笑いながら頷く丹羽にケイタはにっこりと笑うと、ぱくりとフライを頬張った。
「俊介、明日は何が食べたい?リクエストある?」
「え?」
「俊介何が好き?}
「俺?ええと・・・ハンバーグとか・・・焼きそばとか・・。」
「へえ。王様?ハンバーグって作るの難しいの?」
「俺は食べるの専門だ。ヒデに絶対台所に入るなって念押されてるからな。」
 威張って言うことではないと思う事を、堂々といいながら、丹羽は笑った。
「へ?なんで?」
「ん?昔レトルトのカレーを電子レンジで温めようとして爆発させた。」
「はあ?」
「封を切るのを忘れててなあ。」
「説明が後ろについてたんやないんですか?」
「あったんだけど、本を読みながらやってたもんで忘れちまってさ。
 そんなことばっかりやってたら、ヒデが『お前は台所に立つな』って怒り出してさ。今じゃ食う専門。」
「へえ・・・。それは・・・」
 さすがにその時の中嶋が気の毒になりながら、俊介はごくりと玉子焼きを飲み込んだ。
「そんなに色々やったんですか?」
「やったっていうか、そうなったっていうか。」
「王様が作ると、ポテトサラダは黒くなるし・・。海苔巻きはつぶれるし・・。肉じゃがの中にパイナップルは入るし・・。
あと・・なんだっけ?」
「肉じゃがにパイナップル?」
「酢豚と間違えたんだよ。」
「へ?酢豚を作るつもりだったんですか?」
「そのつもりで作ってて、砂糖と醤油で味付けしちまったんだよ。」
 さすがに恥ずかしいのか、ぽりぽりと鼻の頭を掻きながら、丹羽は白状した。
「海苔巻きがつぶれたって言うのは?」



                    ◆         ◇          ◆



2006/05/22(月) 約束〜もう一度あの場所で〜‥58

「ん?ほら、まきすってあるだろ?
海苔巻きを作るときにはあれを使わなきゃいけないんだって事を知らなくて、いや知ってても無かったんだから結果は同じなんだけどよ。
 それで巻きの甘い太巻が出来て、それを包丁でザクザク切ったら、潰れるわ米ははみ出すわでヒデに嫌味言われまくり。」
 はぁっと大げさなため息をついて丹羽はガクリと頭を下げた。
「・・・はあ。」
 状況を想像して呆れて頷きながら、俊介は今度は焦げたベーコンを齧る。
「濡れ布巾で包丁を拭いながら切るなんて常識だろう?なんてさあ‥。な、ケイタ?」
「ふふ‥でも美味しかったですよ。王様のご飯、面白い味がするけど嫌いじゃないですよ。」
 物は言いようだ‥と呆れて思いながら、俊介はベーコンを少し苦労しながら飲み込んだ。
「なんや楽しそうな生活やなあ。」
 としか言い様が無い気がしながら、俊介は二人を見つめた。
 楽しそうだ。ケイタは一人で居るとどこか不安そうなのに、中嶋や丹羽と居るときはいつだって楽しそうで幸せそうだ。
 見ている自分が幸せな気分になるくらいの笑顔で、ケイタは二人の傍に居る。
 どっちの顔が本当の顔なんや?ケイタ。
 夜道を泣きながら走っていた。苦しさを堪え唇をかみ締めていた、あの顔と今とどっちが本当なんや。−−−目の前のケイタの姿に少し混乱しながら、俊介は機械的に口と手を動かし食物を飲み込んだ。
「楽しそう?俺達の生活?そう見えるか?」
 睨み付けるようにしながら丹羽は俊介に聞いた。
「見えます。楽しそうや。」
 俊介が頷く。丹羽の真剣な顔を訝しみながら、それでも俊介は頷いて
「楽しそうや、俺にはそう見える。」
と言葉を続けた。
「‥‥そうだな、毎日楽しいぞ。な、ケイタ。」
 自分に言い聞かせるように丹羽が頷き、ケイタは少し困ったように眉を寄せ笑う。
「楽しい‥ですよ‥ね?王様。」
「そうか。ええな、仲良しで、俺一人やから羨ましいわ。」
 少しの違和感。けれど俊介はそれを無理矢理飲み込んで言葉を信じて頷いた。
 青空の下、笑いながらお弁当を広げる。
 悲しみも苦しみも知らない顔をして、それが当たり前の顔をして笑いあう。
 そんな暮らしがケイタには似合うのだと思う。
 どちらの顔が正しいケイタなのか・・ではなく。自分が信じることできっとそれは本物になるのだ。俊介は何故かそう思った。
「それにしても、そのちっこい体で本当良く食うなあ。
 ケイタが面白がって飯を詰めてたから、これはいくらなんでも無理だろうって思ってたんだけどよぉ。
もしかして足りないか?」
 話の矛先を変え、丹羽がほぼ空となった弁当箱を覗き込みながら、しみじみ言った。
「せやから食費が大変なんです。
 俺めちゃめちゃ食うんですよ。
 学生の頃四人家族や云うのに、10キロの米が2週間で無くなる‥って母親に嘆かれたもん。」
「おいおい、冗談だろー?」
「ほんまやって、俺米だけなら一升食えるもん。」
「一升?」
 さすがにギョッとした顔で、丹羽は俊介の体を見た。
 身長167センチ、どちらかと云えば華奢な部類に入る体は、とてもそんな大食いするようには見えない。
「そうや。」
 胸を張り俊介は頷いた。
 実際、巷のお好み焼き屋などでやっている「巨大お好み焼き!これを30分以内で食べたらタダ!!」なんていう企画に挑戦して、代金を払った事など無かった。
「それってどのくらい?5合より多いの?」
 一升という単位が理解できなかったのか、ケイタはきょとりとした顔で丹羽に聞いた。
「なんで5合?」
 半端な数字に丹羽と俊介が首を傾げると、ケイタは頬を少し赤くしながら説明を始めた。
「中嶋さんが、家にある炊飯器は5合までしか炊けないから、俊介がもっと沢山食べるなら新しいのを買わないといけなくなるなーって。
‥あの‥俺変なこと言った?」
「なるほど、道理だな。ふうん?」
「今はそんなに食わないって。成長期やったからそれぐらい食うてたんやもん。
 しかし、センセも面白い事言うなあ。」
 言いながら、中嶋は本当にケイタを可愛がっているのだと俊介は思った。 
「‥‥じゃあさ、明日は巨大お結び作ってくるよ。」
「巨大?」
「うん、こ−んなおっきいの!!」
 顔の大きさ程の丸を両手で作りながら、ケイタはにこにこと笑った。
「中身はね−、あっちこっちに梅干しとか、鮭の焼いたのとかおかかとか入れるんだ。どう?」
「どうって‥食うけど。」
 本気でそんなのを作るつもりなのだろうか?首を傾げながら、俊介は弁当箱に蓋をかぶせ両手を合わせた。
「ごちそ−さんでした。」
「へへへ。」
「うまかったー。手作りってええなぁ。」
 焦げた卵焼きも、少し苦くて固いベーコンも美味しかった。
 ケイタが作ってくれたから美味しかった。
 もしも自分で作って一人で食べたとしたら、きっと同じ物でも美味しくは感じなかっただろう。
 高級な料理屋の弁当でも、一人で壁を見つめながら、テレビを見ながら食べていたらきっとこんな風に美味しく感じなかっただろう。
 一人の食事は淋しいから、どんなご馳走でも淋しいから、だから誰かとこんなふうに食べる事、それだけで嬉しくなる。
 一人で食べることなど慣れている筈なのに、俊介はふとそう思った。
「お前いつもはどうしてるんだ?」
「自炊?ちゅうか、米だけ炊いておかず買うて来るって感じかな?
 新聞屋の寮みたいなとこで、風呂共同の1Kなんですけど‥ちっさい流しとコンロがひとつあるだけなんで、作ろう思ってもなあ‥。」
 俊介の気持ちを見抜いたかのような丹羽の問いに、ドギマギとしながら俊介は答えた。



                    ◆         ◇          ◆



2006/05/23(火) 約束〜もう一度あの場所で〜‥59

「ふうん?」
「まあ、あんまり料理のレパートリーも無いんですけど。」
 一人で作って食べるなら、惣菜を買ってきた方が安上がりな場合もある。
 手際よく作れるならともかく、俊介の部屋の台所は米を炊くか、湯を沸かすかぐらいしか使われてはいなかった。
「じゃあ今度夕飯食いに来いよ。鍋でもやろうぜ?」
「鍋?」
「そ、一人じゃあんまり食わないだろ?
ああいうもんは大勢で食ったほうが美味いしな。」
「俺行っていいんですか?」
 慌てて言いながら、俊介は丹羽とケイタを交互に見つめた。
 そんな仲では無い。晩餐に呼ばれ同じ鍋をつつく様なそんな仲ではない。
「ああ、なんでだ?」
「‥‥いえ‥センセ嫌がるかな−って。」
 丹羽はともかく、中嶋はケイタと第三者が関わるのを疎ましく思っている様に思えた。そんな中嶋が、知り合いの程度ならともかく、家の中まで入り込むのを許すようには見えなかった。
「そんな事は無いって大丈夫。」
「なんではっきり言い切れるんです?」
 自信有り気に頷く丹羽を俊介は見つめ首を傾げた。
「気に入らないなら、ケイタがそれ作ろうとした時点で止めさせられてるだろうからな。」
「そんなもんですか?」
「ああ。あいつはその辺はっきりしてるからな。」
「ふうん?‥そうなんや。」
「そ−なんだよ。気に入らなければ『作る必要はない』で終わりだ。それが無かったんだから大丈夫ってことなんだよ。」
「じゃあ、おじゃまします。」
 本当に大丈夫なのだろうか?不安に思いながら俊介は頷いて、そして足元に座るマロンの頭を撫でた。
「おう、なにがいい?
すき焼き、水炊き、牡蠣の土手鍋、あ、あんこうもいいな。ちょっと時期が遅いかな?」
「あんこうですか?」
「美味いぞ。ほら、東のアンコウ西のふぐって言うだろ?」
「俺食ったことないです。あんこうって何や恐ろしい姿してまへんか?」
 テレビでしか見たことの無い姿を想像し、俊介は引きつった笑いを浮かべた。
 とても食べ物の外見をしていないのだ。
 色も変だし妙にテカテカと光っているし、顔が何しろグロテスクなのだ。
「そうだなあ、あれはおろすところがグロテスクだよなあ。」
「そうなんですか?え?どうやっておろすんです?」
 顔がいくらグロテスクだろうと、一応は魚なのだから、下ろすのはまな板と包丁を使うのだろう?なにか特殊なものが必要なのだろうか?
「王様?普通の魚と違うの?」
 ケイタと俊介二人で同じように首を傾げるから、笑いながら得意そうに説明を始めた。
「なんだ二人とも知らないのか?
アンコウに大量に水を飲ませて膨らませて、こう上から吊っておろすんだよ。」
 丹羽は長い腕を伸ばし形作る。テレビで見ただけのアンコウの姿を思い浮べながら、俊介はブルンと顔を振った。
 あのテカテカのぶよぶよが鉄鉤に吊るされ、大きな口から水を流し込まれて、皮を剥かれ身を切られていく。
 なんだか考えるだけで食欲がなくなりそうな光景だ。
 そもそも味の想像がつかない。あの顔の、あのぬめぬめと光った皮の中に美味しい身が隠れているとはとても思えなかった。
「なんでそないな事するんです?」
「アンコウは他の魚と違ってまな板の上でおろすって訳にはいかねえらしいんだ。
もともと水分が多い上に、皮の表面がぬめぬめして滑りやすいからな。だからそうやって切る。
皮から肝からなんでも食えるらしいぜ。」
 想像だけでげんなりしている俊介をよそに、丹羽は喜々として話を続けた。
「肝?ああ、アンキモって奴ですか。」
 それならば父が晩酌の肴に缶詰のものを食べていた記憶があった。
「それそれ、肝を蒸して酢味噌で味付けしたのがあるんだけどよ、あれが日本酒に合うんだ。」
「へええ?」
「王様?お酒飲み過ぎるとまた頭痛くなっちゃいますよ?」
「え?二日酔いなんてなるんですか?ひえっ。」
「なんだ?」
「いや‥そやかて一斗樽でもいけそうやないですか。」



                    ◆         ◇          ◆



2006/05/24(水) 約束〜もう一度あの場所で〜・・60

「いくら俺だってそんなには飲めないだろ?」
「そうですか?」
「まあ、ザルどころか枠だって言われたりもするがな・・。」
「枠?」
「そ。」
「それ底が無いってことや無いんですか?」
 げんなりとしながら俊介が言うと丹羽はニヤニヤと笑いながら、煙草に火をつけた。
「お前も吸うか?」
「いえ、俺は遠慮しときます。」
「そうか。」
 白い煙を吐きながら、丹羽はぼんやりと電車が走っていくのを眺めていた。
「マロンはおとなしいんやなあ。」
「ああ、頭がいいんだよ。・・・ケイタ?」
「はあい。」
「今日は和希の奴来るんだろ?」
「え?あ、たぶん。」
「じゃあ、あそこの・・ホテルのケイタお勧めのケーキ買って帰ろうぜ?」
「ケーキ?」
「そうだ。あいつはいつもしかめっ面してるからな。たまには甘い物でも食って気分を変えたほうがいいと思わないか?」
「・・・・思いますっ!!」
 丹羽の言葉にケイタは勢い良く頷いて笑顔になった。
「ほら、お前とあいつの分買って来いよ。あ、俺とヒデの分はいらねえからな。」
「え〜おいしいのに。スペシャルショートケーキか、ナポレオンパイか・・・エクレアも美味しいんですよ?王様食べないの?」
「俺はいい。」
「じゃあ、あとはクッキーにしようかな。マロン・・・はホテルだし入れないか・・じゃ、俺一人で行ってきますね。
マロン?いい子にしてるんだよ。」
 ニコニコとマロンの頭を撫でると、ケイタは嬉しそうに走っていった。
「え?どこに・・?」
 戸惑いながら、俊介は聞いた。
「ああ、そこのホテルの喫茶店だ。ケイタのお気に入りのケーキがあるんだよ。往復10分ってとこだな。」
「へえ。」
 ケイタの後姿を見送りながら、俊介はマロンを見つめた。
「マロンはいつもケイタとおるんやな。」
「そうだ。こいつはケイタを守ってるんだよ。」
「守る・・・・そうなんや・・・。」
 マロンの頭を撫でながら、俊介は丹羽の顔を盗み見た。
「で?お前、俺に話すことは何も無いのか?」
「え?」
「知ってるか?一度目は偶然、二度目は必然って言葉があるんだぜ?」
「・・・・なにが・・・。」
「それを聞きたかったんだよ。俺たちはな。」
「俺たち・・・?」
 丹羽の言葉に顔を上げると、苦虫をつぶしたような顔の丹羽の隣に、無表情で俊介を見つめる中嶋の姿があった。
「・・・せ、先生・・・。」
 いつの間に?・・・顔を強張らせたまま、俊介は思わず数歩後ずさりした。
 気配などまるで無かったのだ。見通しのいい場所だというのに、まったくわからなかった。
「ひ、人が悪いなあ・・・。」
 顔を引きつらせながら、俊介はそれでもなんとか笑顔を作り中嶋に頭を下げた。
「弁当うまかったです。ごちそうさまでした。」
「あれはケイタが作ったものだ。俺には関係ない。」
「・・・。」
 取り付く島も無い中嶋の態度に萎縮しながら、なんとか会話を続けようと俊介は悪あがきを始めた。
「でもケイタに作り方教えたんは先生なんやろ?そやからごちそうさんでした。」
「ふん。で?お前の狙いはなんなんだ?」
「俺の狙い・・・って?」
 冷たい汗を背中に感じながら、俊介は必死に平静を装いながら、マロンの頭を撫で続けた。
「狙いなんて・・・食費が減れば嬉しいなあ・・・というか。」
「食費だと?」
「そうや・・・・。」
 ケイタとの約束はもとから守るつもりなど無かった。
 だいたい嘘をつくなんて機能がどこにも備わっていないケイタが、この二人に内緒事を作ろうということがそもそも間違いなのだ。
 だから、ケイタには悪いが黙っているつもりは無かった。
 けれど、今この二人が俊介に聞いているのはその事ではなかった。
「ケイタの帰り道に二度も現れる・・・そんな偶然あるはずが無いだろう?」
「そうですね。でもそのお陰でケイタは助かったんとちゃいますか?」
「助かった?」
「そうや、昨日ケイタは変な男に声かけられとった。俺が居なかったら今頃連れ去られてたかもしれへん。」
「なんだと?」
「・・・ケイタはあんたらに遠慮してるんや。だから、俺が変わりにケイタを守ることにしたんや。」





← 49〜54 へ     61 へ →


いずみんから一言

検査の結果、手術と決まってから入院を経て手術の直前まで書かれた分である。
そしてこれ以降の日記に、「更新」や「退院したら」という文字がなくなる。
伊住には、日本の医療のお粗末な現状について考えさせられる毎日でもあった。
この日記を書かれたときには、まだこんなにお元気だったのに。
性懲りもなくまた伊住はそんなことを思っている。

作品リストへはウインドウを閉じてお戻りください。