約束〜もう一度あの場所で〜(7〜12)



2006/03/17(金) 約束〜もう一度あの場所で〜‥7

4、なまえを呼んで


『和希さま!申し訳ありません‥啓太さまが、啓太さまが‥。』
 突然の電話だった。
『どうしたというんだ石塚。』
 電波の具合が良くないのか、声がプツプツと途切れ時折ザーザーという雑音が入った。
『久我沼です。あの人が啓太さまを、けい‥っ。』
『久我沼が?』
 その名前に和希は知らず大声になった。4年前、和希の経営する学園の副理事をしていた久我沼は、和希に悪事の証拠を突き付けられ、失脚し姿を消したのだった。[俺はお前に復讐する。お前の自信も幸せもなにもかも奪ってやる。いつか必ず。]そう言い残して消えたのだった。
『‥間に合いませんでした。‥和希さま‥申し訳ありません。‥わ、私は‥』
『石塚?しっかりするんだ!!久我沼は一体‥。なぜ今頃‥。』
『わ、私は‥、平気です。少し怪我をして‥はぁっ。』
『怪我?』
『久我沼に拉致されて、それ‥申し訳ありません‥和希さま‥あっ!!』
 妙な気配がした。何かが石塚のまわりで起きていた。
『石塚!石塚!!』
 銃声とうめき声、何人かの足音が響きそしてその声が和希の耳に届いた。
『くくくっ。呼んでも無駄だよ。和くん。』
『その声‥石塚は?あいつはどうした!』
『もう彼は、話すことなど出来ない彼岸へと旅立った。哀れな末路だな。』
『なんだって!石塚!石塚!』
『くくくく。今頃はあの世であの子に詫びている頃だろう。可愛い可愛いお前の宝物にな。』
『可愛いたか‥ら?まさか!』
『明日の新聞の片隅に載るかな?ガス爆発。見事なものだよ芸術だ。目的の家だけを吹き飛ばした。』
『吹き飛ばした?』
『そう、跡形もなくね。くくく。おまえのせいだ。あの子と、あの子の家族は今日死んだ。私の命令でね。』
『そんな‥そんな‥』
『和君?どうだい私の復讐は‥これは君へのお仕置きだよ?私を酷い目に合わせたのだから当然だろう?』
 勝ち誇った様な久我沼の声が響く。
『そんな‥啓太。』
 信じられなかった。復讐なんて、あの子を啓太をその道具とするなんて信じられなかった。
『和くん?君に関わらなければあの子は幸せに平凡に生きられたのだよ?あの子の不幸はすべて君のせいだ。』
 久我沼の声、和希を嘲笑う声が響く。
『私は許さない、私を陥れた者達全員を許さない‥永久に永遠に苦しみの中で生きてもらうよ。アーッハハハハハッ!!』
『啓太、啓太‥啓太ーっ!』
 久我沼の勝ち誇った笑い声だけがいつまでも響いていた。



「うわあっっ!!‥‥はあ、はあっ‥‥夢か‥。」
 いつの間にか眠ってしまったらしい 、和希は安堵の息を吐き、額の汗を拭おうとして、毛布が掛けられていた事に気付いた。
「和希様?お水を‥。」
 心配そうに眉を寄せた秘書が恐る恐る和希に近づく。
「ありがとう。」
 薄く切ったレモンを浮かべた炭酸水のグラスを受け取ると、和希はゴクリゴクリと喉を鳴らして飲み干した。喉がカラカラに乾いていた。
「岡田、そんなに心配するな、いつもの夢だ。」
 和希の様子を見つめる秘書に笑い掛けると、年若い秘書は哀しげに頷いた。
「‥そう‥ですか。」
「ああ、ただの夢だ。繰り返し見たところで何も変わらない。何年経ってもね。」 
 和希はため息をつくと勢い良く立ち上がった。今は一人になりたかった。
「和希様?」
「汗を流してくる。ベタベタして気持ちが悪い。」
「はい。あの、和希様。先程竜也様よりお電話がありまして、7時過ぎにお見えになるそうです。」
「そうか、分かった。」
 和希が頷くと、毛布を畳みながら、岡田は深く頭を下げた。
「ふう‥。」
 バスルームのドアを乱暴に閉め、裸になると和希は熱いシャワーを頭から浴びた。
「啓太。」
 夢を見た後はいつも辛くて悲しくて、自分を殺したくなってしまう。
 俺が啓太と逢わなければ、俺が啓太を大切などと思わなければ、今頃あの子は幸せに暮らしていた筈なのに‥。−−−後悔だけがいつも和希の中にあった。
悔やんでも遅いのに、もう遅いのに、和希は何度も何度も繰り返しその事だけを考えていた。
 永遠に失ってしまったのだ、大切なあの子を。
 守ると誓った、あの子の笑顔を、なのに‥。
「神様‥俺の命と引き替えにあの子を生き返らせて‥。」
 熱いシャワーを浴びながら、和希は居るはずのない神に祈った。
 神などいない。奇跡なんか起きるはずがない。
 分かっていながら和希はそれでも神に祈った。
「啓太。」
 可愛い笑顔だった。孤独だった和希をあの笑顔が救ったのだ。
 だから守りたかった、守るつもりだった。
「啓太。あの子は君じゃないんだよね‥分かってるんだ。だけど‥。」
 丹羽は、ケイタを見つけてどうするつもりなのか?と和希に聞いた。だけどその答えを本当は和希も分かってはいなかったのだ。
 ただ、逢いたい。嘘だと、違う人間だと分かっていても、もう一度啓太と逢いたいそれだけだったのだ。
「啓太‥逢いたいよ。もう一度逢いたいよ。」
 シャワーを浴びながら、和希はぎゅっと目を閉じてただ耐えていた。
 熱いシャワーを浴びているのに、淋しくて、悲しくて凍えてしまいそうだった。

※※※※※※※※※※

すみません。嫌な展開になってます。
久我沼‥とことん悪い人になってます。



                    ◆          ◇          ◆



2006/03/18(土) 約束〜もう一度あの場所で〜‥8

「和希様。」
 遠慮がちな声が和希の耳に届いた。
「なんだ。」
「え‥あ、丹羽、丹羽哲也様からお電話です。」
 和希の声の暗さに驚きながら、岡田は用件を告げた。
「王様から?」
 首を傾げ思い立つ、今日は約束の日だったのだ。
「もしもし、代わりました。」
 電話を受け取り話し始まる。和希の声は震えていた。

××××××

「風が気持ち良い‥もう春なんだなあ。」
 夜の街をケイタはひとり歩いていた。人気の無い道、街灯が淋しく遊歩道を照らしていた。
 フラフラと、酔っ払ってでもいるみたいにケイタは歩いた。
「春、桜‥俺が生まれてから3回目の桜‥。」
 まだ蕾の形もよく分からない桜の枝を見上げながらケイタは呟いた。
「桜‥咲くかな?今年はお花見できるかな?‥ああもう駄目だあ。」
 ぺたりと桜の木の根元に座り込む。疲れすぎてもう歩けなかった。
「どうしよう‥迎えに来てもらったほうがいいのかな?でも‥。」
 携帯をポケットから取出し眺めながら考える。
『歩けないなら電話を掛けてこい。帰ると言っていつまでも戻らなければ心配するだろう?』何度もそう言われているのに、電話を掛けるたびにケイタは躊躇してしまう。
「遅くなったら心配掛けちゃうよね?その方がもっと悪いよね?」
 自分に言い聞かせるようにしてケイタは電話番号を押した。
『ケイタ?』
「あの‥。」
『今どこだ?』
 不機嫌な声が場所を聞いてくる。怒っているのではなく心配しているのだ、それが分かっていてもケイタは少し不安になってしまう。
「桜の‥道のところです。」
『わかった。そこに居ろ。良いな?ケイタ。』
「はい。」
『よし、いい子だ。すぐに行くから。』
 電話を切りケイタは目を瞑る。体よりも心がもっと疲れていた。
「早く来て、俺を一人にしないで。」
 闇の中ケイタは一人で長くいることが出来ない。恐くて淋しくて壊れてしまいそうになる。
「早く‥。」
 立ち上がろうとしてフラリと木の幹に倒れこむ。体が疲れすぎていて云うことをきいてくれなかった。
「始めての人はやっぱり恐い。」
 木の幹にもたれかかりながら思い出す。今晩の相手は優しい人だった。久しぶりの新しい客だったからケイタは緊張しすぎて疲れてしまったのだ。
「あの人、俺のこと気に入ってくれたみたいだし、きっとまた予約入れてくれるよね?そしたらこれ返さなきゃ。」
 ふらつくケイタに『車代』と言って、一万円札を一枚ケイタの手の中に握らせてくれた。断る元気もなくてそのまま貰ってきてしまったけど、使わないお金を貰う訳には行かなかった。
「返さなきゃね、また呼んでくれるといいけど。」
 ケイタのこんな性格が相手の心に響くのだとは気付きもせずに、ケイタはいつも素直に相手に接していた。
 優しくされることを素直に喜び、戯れにくれるプレゼントに戸惑う‥そしてその愛らしい姿からは想像もつかない淫猥な顔で感じる。ケイタのそれらの仕草にいい大人達は簡単に振り回された。金だけのつながりだというのに、ひとときのその時間を、大切な物として客達は感じるようになっていった。そのせいなのかは知らないが、ケイタがこの仕事を始めて2年と少し経った今、ケイタの相手は殆どが常連となっていた。
 ケイタは1晩に一人の客しかとらない。2時間で10万円前後、延長が付くともっと金額があがる。決して安い値段では無い。
 値段は、ケイタを雇っている本庄の気分次第だった。相場は合って無いようなものだ。
『相手の収入次第さ、取れる奴からは頂く。当然だろ?誰でもいいんじゃない、お前がいいんだから、他がねえんだ、値段なんざ幾らだってあげられるって訳さ。商売の基本だろ?』
 そう言って本庄は、ケイタに笑いながら煙草の煙を吹き掛けた。
 一晩に一人しか客を取らせないのも、ケイタの価値を上げる為だった。
『安売りはしねえ。商品に傷をつけるような客は駄目だ。お前の価値が下がるからな。』
 価値、商品。そういわれる度ケイタは、自分がスーパーマーケットに並ぶトマトやりんごと同じような気持ちになった。
 トマトに心は無い。ただ買われるのを待つだけ、相手が誰でも、拒否する権利はない。そして傷が付いたり古くなったら価値は無くなってしまう。
「明日は河本さん‥だったっけ‥おしゃれして行かないとなあ‥。」
 ぼんやりと花の無い桜を見ながら、ケイタは呟いた。
 独り言はケイタの淋しい癖だった。黙っていると自分が何かに支配されてしまいそうで、知らない何かに変わりそうで、ケイタは無意識に呟いてしまうのだ。
「あの人、元気かな?優しい人だったな。」
 思い出す、数日前に出会ったあの人。
 キャンセルになっているのを知らずにケイタが訪ねたホテルに泊まっていた男性‥和希は、突然泣きだしたケイタに、とても優しくしてくれたのだ。
 暖かいミルクをくれて、泣きやむまで傍に居てくれた、追い出すこともできたのに、優しく声をかけて傍にいてくれたのだ。
「もう会うことなんかないのに‥俺って莫迦。」
 新しい客と聞いて、ケイタの頭に浮かんだのはあの人だった。そうだったらいいな‥とドアを開けて、でも違う顔で少しだけ悲しくなった。
「どうして、嬉しかったんだろう?俺‥変なの。」
 思い出す。『ケイタ』と名前を呼ばれた時、とても嬉しかった。何故か分からないけれど、嬉しくて泣きそうになった。
『もう一度名前を呼んで?』
 そう言いかけて止めたのは、ケイタ自身変だと思ったからだ。
 知らない相手なのに、初めて逢った人なのに、そんな風に思うのは変だ。そう思ったのだ。

※※※※※※※※※※

売り買いのシステムなんて良く知らないのですが‥まあ、こんな感じの売りもあると云うことで納得して頂けるといいかな?



                    ◆         ◇          ◆



2006/03/19(日) 約束〜もう一度あの場所で〜‥9

 変だと思うのに、その思いは和希と別れて家に戻ってからも、数日経ってもケイタの心から消えなかった。
「名前を呼んで、もっと俺の名前‥。」
 名前も知らない相手なのに、もう逢えない人なのに、ケイタはあれから何度も和希の事を思い出した。
 ケイタの名前を呼んだときの顔。別れ際少しだけ笑ってくれた、その笑顔が嬉しかった事。
「どうして?俺ばかみたい。」
 もう一度逢いたい‥なんて思っても仕方ないのに。−−−ケイタはそう思う度、涙が出そうになる自分が理解出来なかった。
「ケイタ!遅くなったな。」
「あ。」
 聞き慣れた声に顔を上げ、笑う保護者の姿を見てケイタは声をあげた。
 笑っている‥怒ってない、その顔にケイタはほっとして自分も笑顔になった。
「帰ろう。」
「はい。」
 ケイタを抱き上げる優しい腕に甘えて、両腕を首に回すと、ケイタはその首筋に頬を摺り寄せる。
「こら、くすぐったい。」
「へへ。」
 甘えるケイタに呆れた顔をしながら
「全くお前は子犬みたいだな。」
 と笑うからケイタは嬉しくてぎゅっとしがみついた。
「へへ、俺子犬ですもん。わん。」
 甘えて言いながら、ケイタは頬をすりすりと摺り寄せる。それは疲れている時のケイタの癖のようなものだった。
「辛いのか?」
「ううん、少し疲れただけです。優しい人でした。恐くなかったです。」
 言いながらケイタは心の中でそっと呟く『でも、あの人じゃなかったんです。』‥と。
「そうか。」
「お風呂に入りたいです。一緒に‥駄目ですか?」
 何だかとても淋しくて、ケイタはどんどん我儘になってしまう。
「家に帰るまでケイタがちゃんと起きていられたらな。」
 からかう様に眼鏡越しの瞳が笑うから、ケイタはぷんと膨れて反抗する。
「起きてます。起きてますから‥あ!駄目です。キスしちゃ駄目。」
 慌てて下を向きケイタは小さく首を振る。
「どうして?」
「だって‥。嫌でしょ?」
 言いながらケイタはどんどん不安になる。嫌われたらどうしよう。捨てられたらどうしよう。−−−
「莫迦だな、何を気にしている?」
「だって、だって。俺のこと嫌いにならないで‥。我儘言わないから、良い子になるから、だから俺のこと捨てたりしないで‥。」
「捨てる?段ボールに入れて?拾ってくださいとでも書くのか?」
 からかう声にケイタはこくりと頷く。
 3年前ケイタはこの優しい男に拾われた。その日からずっとこの腕に守られて暮らしてきた。怪我をし、怯えるケイタを救ってくれたのだ。だけど、拾われて出来た関係なのだから、また捨てられる日が来るかもしれない。その恐怖はいつもケイタの中にあった。
「莫迦な奴だ。」
「だって‥。」
「捨てるくらいなら最初から拾ったりしない。」
「本当?」
「ああ、俺は、俺たちはお前を捨てたりなんかしない。だから安心して甘えていろ。いいな。」
「中嶋さ‥。ん。」
 優しく諭され、ちゅっと音をたててキスされて、ケイタは慌てて下を向く。
「駄目って言ったのにぃ。」
「聞こえなかったな、そんな事。」
「もう、意地悪。」
「帰るぞケイタ。家に。」
「はい、中嶋さん。」
 中嶋の声に、ケイタは安心して目を閉じた。
 中嶋さんの呼ぶ「ケイタ」とあの人のそれは少し違う気がする‥なぜかそう思いながら、目を閉じた。

××××××
            
「あの。」
 竜也がくたびれた顔をしてホテルのレストランを出ていってすぐ、和希はメモした番号に電話を掛けた。
 部屋の外には新宿の夜景が広がっている。岡田が帰ってしまった後の一人の部屋、グラスに注がれたアルコールは氷が溶けてすっかり温くなっていた。
『はい。』
「本庄さんですか?」
『あ?そうだが?あんたは?』
「‥御苑の丹羽さんからこの番号を教えられた者です。」
 警戒しながら和希は言葉を発した。
『御苑?ああ‥あそこのボーヤか‥ふうん?するってえと?あんたかケイタに用事ってのは?』
「ええ。」
 和希は先刻の丹羽の話を思い出していた。
−−−『ケイタを雇ってる奴に、お前がケイタに逢いたがってることは伝えた。あいつは金が絡めばなんでもする男だ。気を付けろよ?‥なあ、一度会えば気が済むんだろ?そうだよな?』丹羽の言葉に和希は頷くことが出来ず、礼だけを言って電話を切ったのだ。
『悪いが暫らくは無理だぜ?あの子には予約が山程来てるんだ。他の子はどうだ?いいのがいるぜ?』
 予想どおり、すぐにケイタには逢えないようだった。
「他は結構です。」
『ふうん?じゃあ待つんだな。』
「待つ?」
『そう、そうだな‥5月の末か‥6月の頭‥。』
「そんな。」
『ケイタを可愛がって下さるありがてぇ常連さんが優先なんでね、正直新しい客は取らせたくない。』
「わかった。いくら上乗せすればいいんだ?」
 足元を見られているという感覚はあった。だからと言って「結構。」と電話を切ればそれで最後になってしまう。
『とんでもない。そんな話じゃねえ。俺はあんまりあの子に無理をさせたくねえだけで。』
「わかってる。だから幾ら払えば、無理をさせずにケイタに逢える?」
 怒鳴り付けたい衝動を必死に耐えて和希は話した。あの子がこんな男に使われていることが堪らなかった。
『そうですね。明後日、2時間で30万頂けるなら‥。』
「ふうん?」
『嫌なら無理にとは‥。』
「わかった。それでいい。」
 即決し和希は時間を告げて電話を切った。金額など関係なかった。
「逢える。もう一度君に‥。」
 それで何が変わる訳でもないのに、ただそれだけで嬉しかった。
 そんな事が嬉しいと思えてしまう程和希は追い詰められていた。

※※※※※※※※※※

やっと二人が再会します。
ってこの後が長いのに‥もたもたしすぎててすみません。

そして別人の様に優しい中嶋さんと甘えるケイタくん‥。



                    ◆         ◇          ◆



2006/03/20(月) 約束〜もう一度あの場所で〜‥10

5、再会 


 うろうろと和希は部屋の中を歩き回っていた。指定した時間まであと十数分、繰り返し腕時計を眺め進まぬ時間に苛ついていた。
「何か飲んで落ち着こう。」
 アルコールのボトルに手を掛け考える。
「酒臭いのは良くない‥?いや、少し位なら‥。ああっ!もおっ俺は何を。」
 自分の行動の可笑しさに和希は頭を抱えてしゃがみこむ。どうにも落ち着きがなさすぎた。
 和希をよく知る人間が見たら目を丸くしただろう。
 仕事中の和希は殆ど表情を変えない。感情を外に出さず穏やかなままなのだ。「ええと‥まず落ち着こう‥うん。」
 立ち上がり深く息をつく。
「あの子は違うんだ。もう分かってる。違うって理解した。だから期待しちゃいけない。」
 一昨日の夜の竜也の報告を思い出していた。
 依頼した2件。あの夜この部屋を予約した人物。そしてあの事故の再調査。
 竜也の仕事は早く、部屋の件は完璧に調べあげていた。秘書の岡田が予約を入れたのが泊まる3日前、その人物がキャンセルしたのはその前日だった。ホテルの常客で素性を隠しては居なかったからな‥と笑いながら竜也はその人物の経歴まで細かく調べていた。
『新宿を拠点にしている中国系マフィアの幹部クラス。』それがその男の肩書きだった。
『なあ?偶然は偶然を呼ぶ。そんな事、本当にあると思うかい?』
 和希に事件のデータと男の経歴を収めたディスクを渡した後、竜也が神妙な顔で聞いてきた。
『え?』
『いや、ちょっと気になってな‥。もう少し俺はこの男の事を調べて見ようと思うんだ。』
『気になるって‥。』
『いや、俺の勘にちょいとひっかかる。それだけなんだ。大した意味はねえ。』
 別れ際、心配する和希に竜也はそう言って笑ってみせた。
「偶然‥。」
 竜也の言葉を思い出すうちに、和希は少しずつ冷静さを取り戻し始めていた。
「あの男の何が気になる?」
 考えながらノートパソコンを立ち上げ、竜也に貰ったデータを見る。
 事故で処理された5年前の殺人事件。和希のこの世で一番大切な人とその家族は、久我沼の手によって一瞬で命を奪われてしまった。
『芸術だ。』
 そう久我沼が和希に言った通り、啓太の家だけが跡形もなく吹き飛んでいた。隣家は貰い火で焼けたに過ぎなかった。一通りの検分が行われた後、老朽したガス管の破損部分からの引火による爆発‥として事件は事故として処理された。
「馬鹿げている‥。」
 吹き飛ばされた遺体は、どれも見事に粉砕されていて、瓦礫とともに発見された炭化した骨が少し発見されただけで、そこからは性別の判断すら難しかった。
 ただのガス爆発でここまでの高温になることは無い。その事からも作為的に爆発が起きたことは明らかだった。
 テロの破壊工作、手口はまさにそれだった。その方面に辛うじて知識がある‥という程度の和希の目から見てもはっきりと分かる。どれだけ担当した人間が間抜けでも、警察の捜査がどれだけ杜撰でもそうと分かって当然のものだった。
 実際久我沼は、あの時犯行声明を自ら和希に寄越しているのだ、そして明らかに事故とは違う証拠を現場に数多く残している。それで犯人を挙げられないどころか、事故になること自体おかしいのだ。
「俺があの時‥あいつのおどしに負けたりしなければ‥。」
 あの時、啓太と石塚の死を久我沼から聞かされ、絶望した和希に追い打ちを掛けるように言った久我沼の言葉、それで和希は屈したのだ。
『私を追うなら容赦しないよ?和くん。
 次はだれを狙おうか?そうだ、私を陥れたあの小生意気な小僧がいいな。中嶋英明。彼の家は確か大きな病院だったね?都合のいいことに私は研究所からとても面白いウィルスを貰ってきているんだよ。知っていたかい?これをばらまいて、不特定多数の人間を殺すというのも楽しいじゃないか?ねえ、和くん君の為に一体次は何人関係の無い人間が死んでいくんだろうね?』
 久我沼の脅しに負け、和希は捜査を打ち切らせた。そしてそれを受けた警察はこれ幸いとばかりに事故として処理をしたのだった。
 あれから和希はずっと後悔しつづけていた。大切な啓太を守り切れなかったどころか、犯人を逮捕し刑に服させる事すら出来ず、逃げ出した自分を蔑み続けていた。
『守るものが多いと言うことはね、和くん。それらを守るために自分が犠牲になるという事なんだよ?』
 勝ち誇った久我沼の言葉に負け、第二第三の啓太を出すのを恐れた和希は日本を離れアメリカへと逃げた。自分が逃げて、それで久我沼がおとなしくしている等という保障は何処にも無いと知りながら、和希は逃げたのだ。
 啓太の死の理由から、逃げ出したのだ。
「啓太。」
 ぼんやりと画面を見つめながら、和希は名前を呼んだ。
「ごめんね、啓太。君を幸せにすると誓ったのに。悪いお兄ちゃんだね。」
 涙がこぼれ落ちた。
「啓太‥。」
 俯く和希の耳にインターフォンの音が響いた。
「‥あ。」
 慌ててパソコンの電源を落とし、和希は涙を拭いて立ち上がると急いでドアを開けた。
「こんばんは‥‥あ、あなたは。」
 驚く顔を見つめながら、和希はケイタをそっと抱き締めた。

※※※※※※※※※※

やっと再会しました。
次回はちょっと色気のある展開に‥(すみません嘘です。)

3月といえば‥伊住さまのお誕生日月だった筈‥何日が伺っていなかったのですが、もう過ぎてしまったでしょうか‥。
「伊住様お誕生日おめでとうございます−。」こんなところで、勝手にお祝いしてしまう不作法をお許しください。早くサイトに伺えるようになりたいです‥。

16、17、18、19日に拍手いただきましてありがとうございました。
拍手を頂くたびに、まだ連載を読んでいただけてるのね。とほっとしてしまいます(小心者−)拍手御礼SSもちょこちょこ入れかえ始めましたので、お時間ありますときに読んで頂けたら‥と思います。



                    ◆         ◇          ◆



2006/03/21(火) 約束〜もう一度あの場所で〜‥11

「やっと逢えた。」
 そうケイタの耳に囁いてぎゅっと抱き締めた。
「えっ?あ、あの。」
「逢いたかったよ。啓太。」
「あの!お客さん!」
 腕の中で苦しげにもがくケイタに気が付いて、やっと和希はケイタを離し、ドアを閉めた。
「ごめん。」
 謝りながら、和希は自分自身に驚いていた。
 ケイタに逢いたかった。逢えば何かが変わるかもしれないと思った。だからといってこんな行動を自分がするかもしれない‥なんて予想すらしてはいなかった。
 ドアを開けたまま。他の誰かに見られるかもしれないというのに、常に誰かに見られている。その意識だけはいつもあったのに‥。なのにケイタの顔を見たとたん自然に和希の体は動いていたのだ。
「あの、俺?まさか、また?」
 不安そうなケイタの顔に和希は慌てて否定した。
「違うよ、今日はね俺が呼んだんだ。君を。」
「よかった。‥あ、じゃあ電話しなきゃ。」
「電話?」
「はい。部屋に付いたって。」
「ああ。どうぞ。‥‥ん?なに?」
 納得して頷いて、ケイタが困ったように自分を見つめているのに気が付いた。
「あの、手を離してくれないと‥電話が掛けられないから‥。」
 言われて和希は、ケイタの両手を自分がずっと握り締めていた事に気が付いた。
「ご、ごめん!」
 慌てて手を離し、ソファーに座り煙草に火をつける。−−−何をやってるんだ、俺は!挙動不審にも程があるぞ。−−−和希は何とか冷静になろうと煙草を吹かし天井を仰いだ。
「あの‥すみません。すぐ電話終わりますから。」
「い、いやいいよ。気にしないで。」
 やっとの事で笑顔を作りながら、和希は電話を掛けるケイタを見つめた。
「すみません。‥‥。」
 ケイタは和希にニコリと笑い、携帯をポケットから取り出すとメモリ−を押した。少し困ったように眉を寄せ、話し始める。不安気な顔で和希をちらりと見た後頷き、電話を切って深く息をついた。
「‥‥。」
 どうしてだろう?ケイタから視線が外せない。ずっとずっと見つめていたい。
 こんなこと今まで感じた事すらなかった。−−−
「座ってもいいですか?」
 何かを思い切るように首を左右に振り、携帯をポケットにしまうとケイタは和希に聞いた。 
「勿論。」
 頷くとケイタはにっこり笑って和希の隣に寄り添うように座った。瞬間かすかな香水の香りに鼻腔をくすぐられ、和希の鼓動は早くなった。
「呼んでくださってありがとうございます。へへ、これ一応‥お渡ししておきますね。」
 にっこりと微笑んで、ケイタは紙片を取り出し、和希に手渡した。
「なに?」
「一応、名刺です。この前ちゃんとご挨拶してなかったなって‥。ケイタです。よろしくお願いします。」
 ぴょこんと頭を下げ、和希に視線を合わせ笑う。
名刺には『Keita』とだけ名前が印され、後は和希が丹羽から教えられた電話番号が、小さく書かれているだけだった。
「ケイタって漢字はどう書くの?」
「カタカナです。」
「ふうん?本名?」
「え‥‥はい。」
 少し考えてからケイタは頷いた。
「あの‥。」
「何か飲む?」
「いいえ。あの、俺もしかして何か嫌なこと言いましたか?失礼なこと‥。」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなく‥。俺あんまり気が利く方じゃなくて‥だから。もしも‥。」
「くす。君が気にするような事は何もないよ。ケイタ。」
 不安そうに見つめる大きな瞳を、和希は優しく見つめ微笑んで、両手でケイタの頬を包んだ。
「気を悪くした訳じゃない。本当だよ。」
「本当?」
「ああ。ただ、少しだけ‥。」
「少し?」
「緊張してるのかな?可笑しい?」
 言いながら和希はケイタの頬を優しく撫でた。男とは思えないほど滑らかな肌にドキリとしながら、平静を装った。
「いいえ、俺もしてます。ドキドキしてる。さっきから凄く。」
 和希の手の動きにそっと目蓋を閉じ、その指に触れながらケイタは告白した。
「君が?」
「はい。お客さんがずっと俺のこと見てるせいです。きっと。」
「‥そうか‥。」
 そう言われたとたん、和希はケイタの頬に触れていた自分の指先が、熱く熱を持った気がした。
「早く抱いてください。」
「え?」
「俺その為にここに来たんですから。時間もったいないです。」
 もったいない。その言葉に和希の熱が冷まされた。
 和希とケイタとの間にあるのは、買うものと買われるもの、それだけなのだと気付かされたのだ。
「いいんだよ。」
「え?」
「君を抱くつもりで呼んだんじゃない。」
 だけど、違う‥たとえそういう立場でしかなくとも俺の気持ちは違う。−−−−和希は必死に現実から逃れようとした。
 ケイタを買いたかったのではない。抱きたかった訳じゃない。ただもう一度逢いたかった。それだけだった。だから今の状況で満足なのだ‥と和希は自分に言い聞かせた。
「こうして、話をしたかっただけなんだ。君と。」
「駄目です。そんなの。」
「どうして?」
「だって、高いお金払って‥そんな‥変です。」
「ケイタ?」
「俺のこと気に入りませんか?」
 和希の手を撫でながら、ケイタは小さく言った。
「ケイタ?」
「俺じゃその気になら‥ない?」
 潤んだ大きな瞳が和希を見つめ、薄く開いた唇が和希を誘っていた。
 ケイタの顔が、表情が一瞬違って見えた。
「ケイタ?」
 ゴクリと唾を飲み込み、和希はケイタを見つめた。
「ねぇ、俺じゃ‥駄目?」
 言いながらケイタは、切なげに和希の手に頬を擦り寄せる。
「ケイ‥タ。」
「駄目?」
 見つめる瞳に吸い寄せれるように、和希はケイタに口付けた。

※※※※※※※※※※

ちょっと和希さん簡単すぎですね‥。



                    ◆         ◇          ◆



2006/03/22(水) 約束〜もう一度あの場所で〜‥12

 香水の香りが和希を甘く誘っていた。
「ん‥‥。」
 歯列を割り、和希がそっと舌を差し入れるとケイタはピクリと震えた。
「‥‥っ。」
 抱き締めながら、和希はゆっくりと口腔内を舐めていく。ケイタの存在を確かめるように、歯茎をなぞり、舌を絡めた。
「ん‥‥ふぅっ。」
 鼻に抜ける甘い息をつきながら、ケイタは和希のすることにただ耐えていた。
 甘く舌を吸いながら、絡み付く。時折角度を変えながら、より深く味わう。和希の指先がケイタの髪に触れくるくると弄ぶ。そしてケイタの両手は、躊躇いがちに和希のシャツを掴んだ。震えていた。
「‥‥。」
 コクリと喉を鳴らし、和希の蜜を飲み込んで、ケイタは放心して和希を見た。
「ケイタ?」
「あの‥抱いて‥くれますか?」
 おずおずとケイタが聞いた。
「駄目だと言われても、もう止められないよ。ケイタ。」
 苦笑して和希は答えた。
 ケイタの濡れた唇を舐めながら、体の芯が熱くなるのを和希は感じていた。
 啓太じゃないと分かっていた。最初から、初めて出会ったときから、そんなことは分かっていた。
 逢えば何かが変わる。そう信じていた。変わるのが自分の心だと、分かっていた。
 啓太の代わりにするつもりじゃなかった。あの子の代わりには誰もなれはしないと、和希自身が一番良く分かっていた。
 なのに引き付けられた。ケイタの笑顔に、仕草に、そして忘れられなくなった。欲しくてたまらなくなった。
「和希だよ‥呼んで、それが俺の名前。」
 ケイタを抱いたらその思いは一層強くなる。それは和希の確信だった。
 だから抱くことは止めようと歯止めを掛けた。話すことだけで満足だと自分に言い聞かせた。
 今でさえ、心が苦しくて堪らないのに、抱いてしまったらもうきっと止められなくなる。なのに‥。
「和希さん?」
 きょとりと瞳を見開き、ケイタが和希の名前を呼んだ。
「呼び捨てでいいよ、ケイタ。」
 その声だけで和希は震えた。啓太じゃないのに、感じてしまう。幸せだと。
 それは和希にとって罪悪でしか無かった。だけどその思いを和希は止めることが出来なかった。
「お客さまを呼び捨てになんか出来ません。」
 困ったように和希を見つめる瞳に、ただ苦笑して頷くことしか出来なかった。 
「いいよ、それで。もう一度名前を呼んで、俺の名前。」
 目を閉じて、ケイタの細い腰を抱き締めながら和希は囁いた。
「名前を呼んでケイタ。俺の名前を‥呼んで。」
 目を閉じて、ケイタの香りを吸い込む。香水の匂い。甘いケイタの香りに和希の体はどんどん熱くなる。
「和希さん‥‥和希さん‥早く抱いて‥俺のこと抱いて。」
 甘い声でケイタが言った。
「時間がもったいない?」
 意地悪く和希は言葉にした。
「俺が早く欲しいの。キスだけじゃ我慢出来ない。」
 和希にしがみつきながら、ケイタは告白した。
「ケイタ?」
「和希さんが‥早く‥。」
 その声に和希の心が押された。啓太への罪悪も、なにもかも溶かされ引き込まれていった。
「君は誘うのが上手いんだね。」
 ケイタのシャツを脱がしながら和希は笑った。
 笑う小さな啓太を思い出しながら、和希はケイタにゆっくりと触れた。
「‥んっ。」
 少し触れただけでケイタの体は反応を始めた。
 もともとの体質なのか、慣れなのか、和希が触れる度に甘い息を吐き、震えた。
「どこがいいのか教えて?ケイタ。」
 耳朶を甘く噛みながら囁けば、ケイタはそれだけで目の端に涙を浮かべ、とろりとした視線を和希に返してくる。
「和希さん意地悪なんですね。」
 拗ねたように言いながら、和希の胸に体を擦り寄せてくるその仕草が可愛かった。
「だって、君を気持ち良くさせたいからね。ケイタ、可愛いね。」
 すでに下着すら全部剥いだケイタの、一糸纏わぬその姿を、和希は眼で味わっていた。
 白い体、細い腰。大人になり切れていない未成熟な体。和希が触れる度にその体がひくりと揺れる。滑りのいい肌は、しっとりと汗ばんで和希の手によく馴染んだ。白い肌が段々上気して朱に染まりだす。
「和希‥さん‥‥あっ。」
 胸に舌を這わせ、敏感な部分に触れるとケイタは切なげに眉を寄せ、和希の名を呼んだ。
「‥。」
 感じる?とは和希は聞かなかった。ただケイタの反応を見つめるだけで精一杯だった。
「和希さん‥触って‥もっと‥。」
 暴走しそうな自分を必死に押さえ、和希はケイタの体を味わった。ゆっくり、焦らすようにただゆっくりと味わう。全身に唇を付け、舌を這わせる。
 そして、ケイタをソファーの背にしがみつかせると、双丘に触れそっと左右に開いた。
「んっ。」
 無防備に曝け出されたそれに、和希は躊躇なく唇をつけた。
「‥あ。」
 ちろりと舌先で触れる。そしてわざと音をたてながら、味わいだす。
「かず‥き‥さ‥あぁ。」
 背中を反らしながらケイタが声をあげる。
「名前を呼んで、ケイタ。もっと、俺の名前を。」
 それは呪文だった。啓太を忘れるための、罪を忘れるための呪文だった。
「名前?‥和希さ‥ん?」
「そうだよ‥ケイタ(啓太‥ごめん。今だけ君を忘れる‥)」
 舌先で触れながら、そろりと指を差し入れた。
 熱い。和希の指にねっとりと絡み付くケイタの熱に和希はゾクリと体が震えた。
「触って‥もっと‥和希さん‥。」

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うわ−っい、エロシーンです。だいぶ頑張って書いてます。ぜ−は−言いつつ。
年下誘い受けに翻弄される大人‥な感じ?になってたら嬉しいのですが‥なんか和希さんおやじな感じがしないでもないなあ‥。
眼で味わうって‥‥_| ̄|○






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いずみんから一言

「こんなところで勝手にお祝いする無作法をお許し下さい」
こんなところでも勝手でも。お祝いしてくれてどうも有難う。
今年はもうお祝いはしてもらえないのだと思うと、寂しくて涙が止まらない。
それどころか、まさか1年後に納骨されることになるなんてね……。
遠く神戸の地から貴女のためにお焼香する日が来るなんて考えてもいなかった。
「早くサイトに伺えるようになりたいです」
そのことばが果たされたのは、入院してすぐに出た高熱が治まってからのことだった。

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