もういちど、この腕に 第 4 回 |
壮大なパノラマを前に、啓太はもう一口だけ烏龍茶を飲んだ。まだ少々呆然とはしているものの、頭の中では「さっき一気飲みしちゃわなくてよかった」などと冷静に考えたりもしていた。 「でも俺、どうやってここに来たのかな……?」 ここまで非現実的ともいえる光景を見ていると、「何故ここにいるのか」「ここがどこであるのか」などは、啓太にとってもはやどうでもいい問題であった。とんでもない山の中にいることだけは、疑いようのない事実なのだから。 家を出てからあとの記憶がまだちゃんと戻っていないが、自分の足でこんなところまで来たとは到底思えない。飛行機もしくはヘリコプターから落ちたのか、とも思ったが、振り仰ぐとそれなりに樹や枝が覆い被さるように茂っていて、とても無傷でいられるはずもなかった。啓太の顔や手足には虫刺されの傷と、それを引っ掻いた傷。あとは鞄を取りに行ったときにできた切り傷しかなかったのである。 「UFOに誘拐されてここに転送された。……な訳ないよな、やっぱり」 だとしたら登ってきたのだ。おそらくは自分以外の何者かの手によって。 ようやく、本当にしなければならないことを見つけた啓太は、今度は目的をもった目で、しっかりと周囲を見回した。 丹羽を連れて伊藤家を辞した和希は、最寄のホテルのスィートに前線基地を設営した。最寄といっても数駅程度離れているが、住宅街のどまんなかに伊藤家があるので、これだけは如何ともしがたかった。近くにあるマンションの空き部屋を押えることも考えはしたのだが、不規則な時間に不特定の人間が出入りすることで住民とのトラブルになる可能性を考えれば、少しくらい遠くてもホテルの方がまだましであった。 彼らがホテルに着いた頃には、警察へ行く前に手配しておいたパソコンや車などが、すでに鈴菱本社から届けられていた。 「助かるぜ。うちから通うのは遠いし、かといって啓太んちに泊まるのも願い下げだからな」 リビングの側にパソコンやプリンタをセッティングしながら丹羽が言った。部屋を取ったときに申し入れておいたので、ソファやテーブルなどが片付けられ、代わりにデスクがいくつか入れられていた。一流ホテルのスィートとは広さが全然違うが、とりあえずの用には足りる。 「車は2台用意してある。キィをここに置いておくから好きに使ってくれ」 「すまん」 「ここにある3台のノートは全部、俺のとリンクさせてある。どれか1台はここに残しておくとしても、君たちが外へ出るときは必ずもって出るように」 「わかった」 そして和希は、合流してきた篠宮も加えた2人に対して、中嶋が何がしかの手がかりを見つけるまでの間にしておかなければならないことを、地図を広げて指示しはじめた。 ホテルの部屋が前線基地なら、鈴菱本社の第8会議室は参謀本部であった。 西園寺と七条、そして急遽メンバーに加わった本社の大前チーフは、面識こそなかったものの捨て子事件のときでお互いの能力をよく知っていた。だが今は旧交を温めあう時間の余裕はない。軽く握手を交わしただけで、和希の指示を聞くために席についた。 西園寺たちには、ヘリが飛ぶ直前にその時点でわかっているすべてのデータが転送されていた。だから状況の説明という無駄な時間は必要ない。また大前チーフも日常の業務から切り離されるときに、簡単ではあるが理由を聞かされている。和希は前置きなしに話をはじめた。 「今、篠宮くんと丹羽くんが、啓太の失踪したポイントを中心に、防犯カメラの有無をチェックしてくれている。データは随時転送されてくるから、もう何件かは入っているはずだ。今どきビデオテープなんて使われることはまずないと思うがね。そういうところはオンライン化されてないところとあわせて、丹羽警視が提供を要請してくれる手筈になっている。君たちはとりあえず、オンライン化されているところに入って映像を確保してもらいたい」 「それって、無断……。つまりは違法ですよね」 「ルートを通す時間がもったいない。君たちなら足跡を残さずに作業することくらい可能だろう」 「臣。今までハッキングをしたことがないような物言いはよせ。それこそ時間がもったいない」 「ちょっと言ってみただけですよ」 西園寺にたしなめられて、七条が七条にしかできないやり方で肩をすくめた。 「……それで? 僕たちは映像の確保だけでいいんですか?」 「啓太らしき人間が映っているかどうかは、隣で待機させているうちの社員に確認させる。もちろん心許ないことは百も承知だ。できるだけ早い段階で西園寺くんにも加わってもらうつもりだが、何をするにしても映像を確保しないことには話が先に進まない」 まずは啓太の身に「どこで」「何があったか」を確定しようというのである。拉致されたと言っているのは和希たちだけで、あの不愉快な警官に言われるまでもなく、客観的な証拠がまったくないことくらい百も承知だった。極端な話をすれば、ひき逃げの証拠隠滅のために怪我をした啓太を連れ去った可能性だってあるのだ。何を置いてもまず「何が起こったか」を把握しなければならない。 不審な車両がないか、啓太らしい人物が映っていないか、防犯カメラは情報の引出しのようなものだった。和希の当初の予定では、映像のチェックは西園寺ひとりの作業のはずだった。石塚の機転で別チームができたことによって、確実に作業効率はアップしたといっていい。 「それで、所長。わたくしは何をさせて頂けばよろしいでしょうか」 西園寺と七条が自分たちの仕事を把握したところで大前チーフが声をかけた。本社の社員である彼女にとって、和希はあくまで「ベル製薬研究所の所長」なのであった。 「そうですね……」 和希が顎に手を当てて、ひと呼吸の間をおいた。 「隣の作業チームの指揮をとってもらうこと。こちらとの橋渡しをお願いすること。これは当然なのですが、我々が見落としていることがあればそれをどんどん進めてください」 「かしこまりました」 それでは……、と言って彼女は手元に置いていたレポート用紙を取り上げると、姿勢よく立ち上がった。歳の頃は30代後半くらいだろうか。女性といえど配置転換の多い鈴菱本社で、一貫して総務部だけの勤務という異例といっていい経歴の持ち主だ。これは歴代の取締役総務部長と総務を管轄する常務取締役とがガッツリ組んで他所へ渡さなかったからだといわれている。 「まず、捜索願を学園島を管轄する警察署へも提出することを提案いたします。未成年者の場合は両親だけでなく、それに類するものからの提出も受け付けられているはずです。たとえ自宅周辺で消息を絶ったとしても、警察の捜査でそれが立証されたわけではありません。こちらの警察が非協力的であるというおはなしでしたので……」 「なるほど。理事長が失踪した寮生の捜索願をだすのに、何の問題もないということですね。しかもそれで警察の協力が得られるかもしれない」 「そういうことです」 「その一言だけで、君がチームに加わってくれてよかったと思うよ」 大前チーフはほんの少し目元を緩めて、恐れ入ります、とだけ言った。 実際のところ、和希はそこまで思いついていなかったのである。寺田刑事を懐かしく思いながらも、管轄が違うのだからと諦めていたのだ。 「それと……。啓太くんの状態がまったく分りません。応援用の車両は手配済みということでしたが、念のために救急キットや毛布、水などを積んでおく方がよろしいかと存じます。場合によっては医師の手配も必要になるかもしれません」 「いや。現在、外回りをしてくれている篠宮くんは医学部の2年生だ。応急手当くらいはできるだろう」 「了解しました。救急キット等の手配だけしておきます」 「頼む」 「それともうひとつ……。救急キットと一緒に、前線部隊の方々に着替えをお届けしようと思います。もちろん啓太くんの分も、ですが。あとで結構ですのでサイズをお教えください」 まったく女ってやつは、と和希は思った。こんなときにどこをどうすれば「着替え」などという単語が思いつけるのだろう? しかもそれは絶対に必要だったりするのだ。小さくため息をつく和希の前で、すでに作業をはじめていた七条がくすっと笑った。 「えっ!? 伊藤くんが?」 仕事中に邪魔をしてはいけないと思い、携帯へのメールだけにとどめた和希に、寺田刑事は間をおかずに電話をしてきた。独居老人ばかりを狙った詐欺グループを検察に送ったところで、今はデスクワークが中心になっているという。学園島の周辺は温暖な土地柄だが、人の心も大都会ほどぎすぎすしていないのだろう。そういえば学園島をあそこに築いたのも、凶悪な事件が起こっていないからだと祖父が言っていたような気がする。和希の手短な状況説明に、寺田はうれしくなるくらい驚いてくれたのだった。 「そんなの事件に決まってますよ。あの子が渋谷で遊んでるなんてありえないっす」 「有難うございます。それで、そちらの方にも捜索願を出すつもりなんですが、まず寺田さんに話を通しておこうと思ったんです」 「はい。自分の方でも何とかしますよ」 「助かります。明日の朝にでもそちらに伺いますから」 勢い込んでそう言った和希を、寺田は「いや……」と止めた。 「鈴菱さんは本社で指揮をとってるんですよね。じゃあそのまま伊藤くんを探していてください。時間の無駄です。捜索願は担任の先生で十分ですから」 「そうですか?」 「そのかわり、必ず自分を訪ねてきてくれるように伝えてくださいよ」 携帯電話を掴んだまま、和希は自分でも気づかないうちに、電話の向こうの寺田に向かって深々と頭を下げていた。 防犯カメラの数はさほど多くなかった。もともとが郊外の、一戸建てが中心の住宅街なのである。高級住宅街にあるような豪邸なら一戸建てでも防犯カメラの1台や2台はついているだろうが、お父さんが25年のローンを組んでようやく建てたような家など、何軒並んでいてもそんなものは望めない。車で走っていると数分に1軒くらいアパートが見つかるが、そんな建物に防犯カメラをつける大家もいないし、つけろという住民もいない。せめて団地やマンションなどの集合住宅が多ければ、駐車場や戸口などに設置されているケースが増えているのだが。 だから丹羽と篠宮の作業は、警察犬が臭いをロストした場所を中心に、コンビニ等の店舗を探す作業となった。といっても、車についているナビシステムからピックアップして、カメラの有無を確認すればいいだけの話だった。空き地を利用した駐車場を見つけたときはチェックに多少手間取るものの、それでもさほどの時間がかかるものでもない。だが啓太の映像がどこで見つかるか分らない以上、「ここまで」というキリをつけることはできなかった。少しずつ少しずつ範囲を広げながら延々と続けなければならないのだ。簡単なだけにうんざりするようなこの作業を、篠宮はもちろん丹羽でさえもが文句ひとつ言わず、ただもくもくとこなしていた。 夜になってようやく啓太の中学時代の友人と連絡がついた。アドレスにあった3人の家に電話をしたものの夏休みあとの短縮授業中で、彼らはみんな進学塾に行ってしまっていたのだ。中嶋はもちろん啓太もそうだが、BL学園の学生で進学塾や予備校へ行く者はほとんどいない。行かなくてもいいだけのシステムを学園が備えているからだ。だから受験を半年後に控えた高校3年生なら進学塾へ行くのは不思議でも何でもないはずなのに、自分たちがそういう環境に無かったために失念していたのだった。 ―― 学習塾とはな……。 思わぬ伏兵の出現に一気に疲れを感じてしまった中嶋は、眼鏡を外すと眼を閉じて、目頭をつまんで数回マッサージをした。 何かコトが起こったときにいつもと違う現象があれば、それは関係があると疑ってかかるのが常道だ。今回は不意に設定された同窓会がそれに該当する。ずっと以前から計画されていたのならともかく、8月も半ば近くになって連絡が回されたなど、中嶋の目には真っ黒すぎるくらいに怪しかった。たとえ同窓会がたまたまその日になっただけの無関係のもので、何の収穫がなかったとしても、まずは出席した誰かに話を聞いて、無関係だと確認する必要があったのだった。 じりじりするような気分で待たされた中嶋だったが、進学塾に行っていると言われては待つしかなかった。もちろんその間にも作業の手は緩めていない。啓太が通った中学のシステムに侵入し、在籍していた3年間に接触しうる全員 ―― つまり5年分 ―― の名簿を手に入れた。BL学園時代、遊び半分の気分で和希の組み上げたシステムに侵入していた中嶋にとって、公立中学のセキュリティなど無いに等しかった。 そうして手に入れたデータをプリントアウトし、啓太のノートパソコンの中にあった名前と照合した。先刻チェックした3人の名前ももちろんそこにあったが、中嶋はまず茶々屋という店を予約した「野村」を探した。これがその本人かどうかは別にして、野村の名前もちゃんとあった。だがこちらの方は何度電話をしても誰も出なかった。家人さえ出ないその電話に、中嶋は何か気に入らないものを感じていた。 一応、家族に番号を伝えておいた携帯に、最初に連絡してきたのは船木と名乗る少年だった。啓太にメールを送ってきた相手である。彼は「どうしてこんなところに電話をしなきゃいけないのかわからない」と言った、少々不貞腐れた口調だった。それでも親に言われてかけてくるだけ、まだ素直なのかもしれない。さすがは啓太の友人といったところか。中嶋が同じ立場なら、まず電話などしなかった。 「忙しいのにすまない」 「いえ。それはいいんすけど、啓太がどうかしたんですか? 何か聞きたいことがあるって……」 「時間がないから隠さずに言おう。啓太が失踪した」 「……えっ!?」 「同窓会の翌日だ。学園へ戻ろうとして、郵便局の近くで車か何かに乗せられたらしい」 「そんな……」 「同窓会自体が仕組まれていた可能性がある。……協力してくれるか」 「もちろんです!」 たたみかける中嶋に、船木は引きずりこまれるような返事をした。不貞腐れた口調はきれいさっぱり吹っ飛んでいた。 「これは……、違うな」 背伸びをしたり這いずり回ったりしながら、啓太は少しずつ進んでいた。ここへ来たときに残したわずかな痕跡をたどろうとしているのである。 これだけ樹が枝を伸ばし、下生えが生い茂っているのだ。ここまで来るには枝を払ったり葉を踏みしめたりしたはずだ。誰かの手で運ばれてきたのならその痕跡はさらに大きくなる。全神経を集中させ、目を皿のようにして探せば、何かが見つかるに違いない。いや。絶対に見つけなければならないのだ。……もう一度、中嶋の腕の中に戻るためには。 「あった! あれだ」 不自然に折れた木の枝を見つけた啓太は、また1メートルばかり先へ進んだ。亀より遅い歩みだったが、啓太はもはや焦りも諦めもせず、1歩また1歩と中嶋へ続く道をたどりはじめていた。 |
いずみんから一言。 第4回です。啓太くんがなかなか見つかりません。 遅々とした作業はまるで、私の筆の遅さのようです(苦笑)。 ヒデの誕生日まで1週間を切り、もはやラストがヒデ誕にからむのが無理になった ことくらい、お読みになっている皆様もよくお分かりかと思います……(汗)。 12月はクリスマス中啓もあるし、ラストが年を越しちゃったとしても、暖かい目で お読みいただければと思います。 ヒデ誕が書き終らないと5話が書けないのでちょっと困っています。 |