最悪の3日間 第2回 |
翌朝。中嶋に寄り添うようにして食堂にいた啓太を、和希が島の外に連れ出した。昨日は病欠扱いだったが、今日は公欠となっているというのは、食堂に下りてきた丹羽から知らされていた。この他にも数人が理事長裁可で公欠になっているが、この中に中嶋は入っていない。 和希はまず、街中の瀟洒なマンションのペントハウスに啓太を連れていった。いったい何畳あるのか見当もつかないくらい広々としたリビングの閉めきられていた雨戸を開けると、ルーフガーデンの向こうに学園島が見えていた。ここはペントハウスなので、360度ルーフガーデンに取り囲まれている。今はリビングからの眺めしか見られないが、他の部屋に行くとそれぞれの眺望が楽しめるように、テーマを変えてガーデン設計がされていた。 和希はゆったりとしたソファに啓太を座らせると、キッチンでコーヒーメーカーをセットした。 「ここは?」 啓太が不思議そうな眼で室内を見回しながら言った。リビングの端には洋酒のボトルが何本も並んだバー・カウンターがあるし、そのためのグラス類はアイランドタイプのキッチンカウンターのこちら側に、逆さになって吊り下げられていた。今座っているソファを取り囲むようにして天井にスピーカーが据付けられているのは、音楽だけではなく、おそらく映画も楽しめる大型プロジェクタがあるからだろう。開け放たれたドアの向こうはどうやら書斎のようだ。はしごのかかった壁一面の書架とシンプルだが趣味のいいデスクが見えている。「豪華」とひとくくりにいってしまえば同じことだが、西園寺の部屋とはまるで違う、ここはまさしくエグゼクティブな大人の男の部屋だった。 「俺の部屋。理事長なんかやってるとさ、寮だけじゃ不便なことが多いんだよ。着替えだって理事長室に全部置いとくわけにいかないだろ。その他まあいろいろ。無断で外泊してるとき、半分くらいはここにいるよ」 「ふうん」 「家族と側近以外でここを知ってるのは啓太だけだ」 「ふうん」 「こらっ!! 啓太」 和希が啓太の肩をゆすった。 「いつまでそんなことしてるつもりだ!? 中嶋さんの無実を証明するんじゃなかったのか。お前がしっかりしなくてどうする。中嶋さんは動きたくても動けないんだぞ!!」 「和希? 俺……」 「王様や女王様たちだって協力してくれてるんだ。先を越されてみろ。中嶋さんになんといって言い訳するつもりなんだ?」 ほんの少し、それでもまだぼうっとしていた啓太だったが、和希のことばが胸にしみとおった頃、きっぱりとした顔をあげた。 「ごめん和希。俺ってば中嶋さんに、潔白は俺が証明してみせる、っていったんだよな。それなのにこんなじゃ、ホント、協力してくれてる王様たちにも申し訳ないよ」 「よし。その意気だ。まずはコーヒー飲んで目を覚ませ。おまえ昨日の朝から何も食ってないんだろう? バー・カウンターの引き出しにクラッカーとチーズが入ってるから、よかったら食っていいぞ」 そして和希は、クラッカーをコーヒーで流しこみ始めた啓太に、郵便受けから抜いてきた新聞を広げて見せた。数紙ともまん中の頁が見開きではなく一枚の差込みになっていて、片面にフルカラーで赤ん坊の写真が。裏側には電話番号とメールアドレスだけが書かれていた。 『WHO‘S CHILD? この子に見覚えのある方は、裏面までご一報ください』 「なんかすごいことになってない? いったい何紙に取材依頼したんだ?」 「そんなことしてないさ」 「え? だってこれ……」 「版下を七条さんに作ってもらって、日本中のありとあらゆる新聞社全部にメールで送った。全面広告だから有無を言わさず今日の朝刊に載ってる。全国津々浦々。どんな離島の新聞社でも、だ」 「……すごい…………」 正直、啓太は呆れたというより、開いた口がふさがらない気分だった。今啓太が見ているこの赤ん坊の写真を、北は利尻島から南は西表島まで、すべての住民が見ている。その事実もすごいが、広告を出すのにかかった費用は、いったいいくらくらいなのだろう? それはおそらく、啓太が想像する金額より確実に一ケタは大いに違いない。そして巨額の費用をかけて得られるものといえば、たかだか捨てられた子供の親にすぎないのだ。 「和希、これ、警察に任せようと思えばできたよな? っていうか、警察に任せちゃうのが普通だよな」 「まあな」 「なのにここまでしてくれたのは……。もしかして俺が……」 「ばーか」 不安そうな視線を投げかける啓太の髪を、和希がくしゃっと撫でた。 「おまえちょっとそれ意識しすぎ。別に中嶋さんが絡んでなくたって、俺は同じことをしたよ。捨てられた場所が学園なんだ。これはおまえや中嶋さんの問題じゃない。俺自身の問題なんだ」 「ならいいけど……。費用だってハンパじゃなかっただろうし」 「ああ費用ね。昨日王様たちと相談して、テレビやめて新聞だけにしたからな。その分の費用は浮いたよ。この新聞見たらテレビと雑誌だって、ほっといても向こうから取材に来るだろうしね。それにこういう場合、金の問題ってたいしたことじゃないんだ。本当に大変だったのは、王様や西園寺さんたちさ」 「……」 「全国の新聞社のリストを作るのは簡単だ。問題はそのあと。そこから広告依頼用のアドレスを調べて、こっちのアドレス帳に取り込んで……、ってどのくらいかかったと思う?」 「うわぁ……!!」 「俺は警察の対応その他に追われてたからな。合間合間にちょっとずつしか手伝えなかったんだ。こっそり秘書たちにもやらせたんだけど。結局、八割以上をあの三人がやってくれた。だから昨日は七条さんだけじゃなくて、王様も西園寺さんもキーボード叩きづめだった。おまけに今日は電話とメールの対応要員だ。あとで差し入れ買って帰ろうな」 「……ああ、俺、どうしよう……」 啓太は文字通り頭を抱えてしまった。自分が馬鹿みたいに取り乱しさえしなければ、安定剤なんか服まされる必要もなく、及ばずといえども戦列に連なることができたはずなのだ。それを……。 「うん、そうだな。王様はともかく、西園寺さんや七条さんはおまえの必死な姿を見て手伝ってくれたみたいなものだからな。帰ったら一緒にお礼を言おうな」 「……うん。有難う、和希」 「こーら。お礼を言う相手が違うだろう」 軽く頭を小突いた和希に、啓太が小さく笑い返した。その表情を見て、和希がほっとした息を吐いた。 「よし。ようやく笑ったな。それじゃ出かけるとしますか」 「出かける?」 「そうさ。何もわざわざ新聞を見せるためだけにここへ連れてきたんじゃない。新聞なら学園でいくらでも見られるからな。俺たちには俺たちの仕事があるんだよ。ああ、そうだ。俺ちょっと着替えてくるから、ここ片づけといてくれるか?」 「わかった」 「もうちょっとしたら家政婦さんが来てくれるから、簡単でいいぞ」 「うん」 数分後。スーツ姿の和希と啓太はエントランス前で待機していた車に乗りこむと、まずは地元の警察署に向かった。ふたりはすぐに署長室の奥にある応接室へ通された。 「これはこれは鈴菱さん。わざわざお越し頂いて恐縮です」 「こちらこそ。今度の件ではご面倒をおかけして」 和希が署長と握手をしてから仕事に入るのを、啓太は知らない人を見るような眼で見ていた。理事長としての和希にはMVP戦のあとで会っていたものの、こうして外で仕事をしている和希を見るのは初めてだったからだ。いかにも仕事のできる男といった感のある和希は、うんと年上の警察署長を完全に圧倒していた。それが啓太には少し誇らしかった。 「その後、何か進展がありましたか」 ソファにゆったりと腰をおろした和希が水を向けた。 「今のところ誘拐の届出はないようです。失踪及び家出人の届出の中で、こどもの母親に該当するものがいないかは現在調査中です。こっちの方は何しろ全国ですから、もう少し時間を頂きませんと」 「そうですね。子供のことを考えるとあまり悠長なことはいっていられないのですが、ある程度の時間はしかたがないと思います。引き続きの調査をお願いします」 「それはもちろんです。はい」 「それでこのあとなんですが、我々も少々聞きこみの真似事のようなことをしたいと思うのですが、かまいませんか?」 「公安の丹羽警視からも内々の協力要請がきております。残念ながらひとりしかお付けすることができませんが……」 「いえ。充分です。何も危ないところにいくわけじゃない。せいぜいが病院廻り程度ですからね」 それでは、といって和希が立ち上がった。啓太も慌てて立ち上がる。ドアを開けるとひとりの私服刑事が彼らを待っていた。 「寺田巡査長です。今日一日、ご一緒致します。何なりとお申し付けください」 「鈴菱です。こっちは学生会の伊藤と申します。今日は我々の我儘にお付き合いいただいて、申し訳ないです」 「寺田です。自分にも同じくらいの娘がいますので、他人事とは思えず志願しました」 礼を交わす三人に、署長が「会議室を空けてありますのでお使いください」と声をかけた。厄介払いだな。啓太はそんなことを思った。そしてそれはおそらく的を射ていた。 「すぐ聞きこみに行くんじゃなかったの?」 署長が言った会議室に入っていく和希に、啓太が疑問をぶつけた。聞きこみに行くと聞かされたときから、早く出かけたくてうずうずしていたのだ。なんとか中嶋の役に立ちたい。その思いが身体中から溢れかえってきそうだった。 「気持ちはわかるけどね。どこへ行けばいいと思う?」 「どこへって。えっと……」 「やみくもに飛び出したって駄目だ、ってこと。急がば回れとも言うじゃないか。わかった?」 「うん……」 会議用の椅子に座った和希は、啓太に持たせていたバッグからパソコンを取り出した。何も言わなかったが、啓太と寺田がうしろに回って画面をのぞきこんだ。何通ものメールが七条から届いていた。 「これはどういうものですか?」 おそらく警察ではこんな捜査はしないのだろう。寺田が興味深そうに尋ねた。 「まず、新聞に全面広告を出しました。逐次投入は時間と費用の無駄になるので、全国中に出していますが、北海道や沖縄からわざわざ子供を捨てに来るとは考えにくい。もちろん家出をしてということもありますが。だからそういうのは電話を受けた情報センターの段階で篩いにかけています。情報と相手の連絡先だけを聞いて、一応おしまいにしておく訳です。「絶対女の子でした」というのも同じことです。情報が近県の場合は学園に待機している担当の者が――王様たちのことだよ――話を聞きます。数が多くなればなるほど、情報は一点に集中してくるはず。範囲を外れているものは除外し、残ったものを送ってきてくれている、というのが今のこの画面です」 「なるほど。我々が足でやるのと、基本的には同じことですね」 「そう。規模とツールが違うだけです。それで寺田さんには、この送られてきた情報の地図上での分析をお願いしたいのですが」 「わかりました。地図を何種類か用意します」 部屋を飛び出していった寺田は、縮尺の違う何種類かの地図や定規、コンパスといった必要機材を持って、すぐに戻ってきた。 「じゃあ啓太はこのパソコンを使って、刑事さんに必要な情報を伝えるんだ。古い方からメールあけていって。俺は電話で王様たちと打ち合わせたりするから……」 「うん、わかった。こっちは任せて」 そういって啓太は寺田と頭を寄せ合うようにして作業を始めた。その様子を見て軽く頷いた和希は、窓際へ行って携帯電話を取り出した。 「もしもし、遠藤だ。今、警察署の会議室でもらったデータを地図に載せてるところだ。……。ああ、啓太ならはりきってるよ。……。そう。うん、そうだね。ところでどこらあたりを指してるのかな。そろそろ絞りこみもでき始めた頃だと思うけど。…………。ふうん……。確かにそれは気になるな。わかった。それはこっちで調べるよ。有難う」 今度の一件で急遽作り上げた情報センターには、実は鈴菱本社の大会議室を使用している。そこに各課の女性事務社員のうち、特に優秀とお墨付きのベテランだけをピックアップして詰めさせているのだ。秘密保持という理由もあったが、何よりその場限りの派遣社員ではどうしても行き届かないところが出てくるのを、和希はよく知っていたからである。今、西園寺からもたらされた情報も、鈴菱本社という非常にシビアな職場を生き抜いてきた社員だけが持つ、独特の嗅覚が嗅ぎわけたものと言えるかもしれなかった。 「ごめん啓太。ちょっとメール見せて」 「あ? うん」 啓太の退いた椅子に腰をおろした和希は、まだ開封していないメールのうち、西園寺からのものを探して開封した。そしてざっと目を走らせてからメモに電話番号を書きとめた。 「すみません、寺田さん。ちょっと気になる情報が二件入ってるんです。まず一件目。公衆電話からだったんですが、内容が非常に具体的だったので……。ここに出ている医院について、調べられますか?」 「……ああ、なるほど。でもちょっと遠いようですね」 「そうなんです。しかもその周辺からの情報はその一件きりですしね。それからもう一件、と言っていいのかどうかわかりませんが、こちらもお願いします。大体の場所だけでもわかれば……」 「わかりました。こっちの方は数が多いので、ちょっと時間がかかるかもしれませんが」 「かまいません。我々は地図にマークする作業をつづけていますから」 プリンタがないので殴り書きしたメモをもって、寺田はまた部屋を飛び出していった。刑事には歩いていくという発想はないようだ。篠宮がいたらいつもの調子で「廊下を走るな」と小言を言ったに違いない。そんなことを考えてつい口元をほころばせた和希に、啓太が心配そうに言った。 「どうしたの。何かわかったの?」 「さあ。まだわからないよ。でも西園寺さんのアンテナに引っかかったんだ。調べてみるだけのことはあるさ」 「うん」 「さあ。作業つづけようぜ。啓太は寺田さんのやり方見てたんだろう? だから地図をマークしていってよ。俺がデータ読んでくからさ」 「オッケ。帰って来るまでに終わらせとこうよ。そうしたら電話がバツでもすぐに出かけられる」 「よしわかった。じゃあいくぞ。まず……」 |
いずみんから一言。 ようやく元気を取り戻してきた啓太くんです。 彼は無事、中嶋氏の無実を晴らせるんでしょうか?って、晴らせなきゃハナシにならないんですけど(笑) 次回は王様たちから見た同じ日の話です。 |
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