最悪の3日間 第3回 |
なるべく目立たないよう、ゆっくりめに朝食に下りてきた丹羽は、食堂の真中で堂々と食事をとる中嶋と、彼にひっそりと寄り添うように座っている啓太を見つけた。中嶋のトレイにはいつもと変わらない量の皿が載っていたが、啓太の前には大好きなポテトサラダさえなく、ポタージュスープのカップだけが、手のつけられた形跡のないままにおかれていた。 「よう。おはようさん」 「ああ」 「……おはようございます」 彼らの周囲だけ、申し合わせたように席が空いていた。丹羽はトレイを置くとそのひとつに腰を下ろした。 「あのな啓太」 丹羽が大盛りごはんの上にふりかけをぶちまけながら、啓太に声をかけた。今日は海苔とごまのふりかけがでていたので、パンにせずごはんを取ってきたのだった。これと出汁巻き卵との組み合わせが、最近の丹羽のお気に入りだった。 「おまえ今日は公欠だってさ。だからメシ食い終わっても学校には行くなよ。詳しいことは遠藤に聞けばわかる」 「そうなんですか……」 わかったのかわかっていないのか、啓太は上の空のような返事しかしなかった。中嶋も丹羽もそれに気づいていたが、あえてそれには触れなかった。 「昨日は病欠になっちまったみたいだけどな。まあ、しゃーないわな」 そういって丹羽は性格のごとく豪快に朝食を平らげると、啓太たちを残して食堂を出て行った。もう大半の学生が登校した寮の中は中途半端な静けさが満ちていた。二階に上がった丹羽は和希の部屋をノックした。 「よう。啓太なら食堂にいるぜ。何も食ってないみたいだけどよ」 ドアを開けた和希に前置きなしで丹羽が言った。どんな眼と耳があるかわからない場所で、不用意な会話はできなかった。和希は硬い表情で頷くと、丹羽の手にカードキーを握らせた。 「よし。あとはまかせろ」 「頼みましたよ」 丹羽は何も言わずに踵を返し、立ち去りながら片手を挙げた。和希はその姿が見えなくなるまで見送っていた。 誰にも見られないよう細心の注意を払ってサーバー棟の前まできた丹羽は、もう一度あたりを見回してからカードキーを差しこんだ。和希が昨夜遅くにデータを変更しておいたので、今日はどの理事が来てもサーバー棟には入れない。丹羽はまっすぐ会議室に向かった。そこでは西園寺と七条が、すでに作業を始めていた。 「ずいぶんゆっくりだな」 「へっ。おまえらと違って俺は目立つからな。みんながいなくなるのを待って出てきたんだ」 「目立つというなら郁の方が目立つと思いますが?」 「俺はでけえから遠くからでも見えるんだ」 「じゃあ僕たちのように七時前から来ていたら、もっと目立ちませんでしたよ」 「……それに啓太の様子も見てたしよ」 「啓太か。どうしていた?」 「駄目だ。もう見てらんねえ。ヒデがなんとかメシ食わせようとしてたんだが、スープさえ口にできないようだった」 「かわいそうに。伊藤くんの為にも早く子供の親を見つけないといけませんね」 「ああ。啓太があんなままだと、今度はヒデの方がまいっちまう」 「それは……、別にこのままでもかまわないんですけど」 お互いの声が邪魔にならないよう、充分な間をあけてパソコンが置かれていた。そのうちのひとつの前に座った丹羽はヘッドセットを取り上げた。 「なんか……。テレフォンショッピングのオペレーターになったみたいだな……」 「同感ですが、やはり両手が使えるというのは大きいですからね」 そういいながらも七条の眼は画面から離れない。電話はすべて東京の鈴菱本社に設けられた情報センターを通し、一度ふるいにかけられてからこちらに転送されてくることになっているのだが、メールはこの会議室に置かれたサーバーに入ってくる。七条も西園寺も、すでに届いているメールのチェックを始めていた。 「どうだ。何かありそうか?」 「丹羽。何時だと思っている。いくらなんでも期待するのはまだ早い」 「まあな」 丹羽はサーバーに入っていたメールをひとつ取りこんで開けてみた。 ―― これ何ですか? 何のキャンペーンなの? リツコ ―― 「何だ、こりゃあ!?」 「うるさいぞ」 「だってよ郁ちゃん。これってあんまりなんだよ」 「どうせ『賞品はなんですか』とか『締切りはいつですか』とかいったものでしょう?」 「……なんだ。これが初めてじゃなかったのかよ」 「多いな。というか、今のところはそんなのばかりだ」 「けっ」 そういうと丹羽はそのメールをサーバーに戻し、『ゴミ』と大書されたフォルダに捨てた。見落としを避けるために、どんなに外れたものでも消すなと、和希から厳命されていたのだ。ため息をつきながら、丹羽は次のメールを取りこんだ。 ―― 手嶋陽二と岡田美夏のこども ―― たったの2通目だったが、早くも丹羽はうんざりし始めていた。人気アイドルの手嶋陽二と岡田美夏の間にこどもができたというのは、新聞の片隅に載っていたので、丹羽も知っていた。そんなこども、新聞で公開するわきゃねぇだろう !! 心の中で悪態をつきつつ、丹羽はそのメールをゴミのフォルダにぶちこんだ。 それでも10時を回った頃には、ぽつぽつとではあるが、具体性のあるメールが入り始めていた。それは「公園で見かけた子供に似ている」だったり「保健所の検診に来ていた子だと思う」だったりしたが、少なくとも芸能人の子供だというものよりははるかにましな情報だった。まだまだ数が少ないので全国各地に散らばってはいるが、もう少し時間がたてばまとまり始めるだろう。こういうメールは七条のパソコンに送り、分析されていった。 「でもよう。こんな大掛かりにしちまって、親がマジで中学生とかだったら、やってらんねえよな」 「中学生だったら子供を捨てていいということではあるまい? たとえそれがレイプの果てにできた子供であったとしても、捨てるという行為はまったく別の次元のものだ」 「おー、こわ。あいかわらず郁ちゃんはきっついねぇ」 「わたしは何より『無責任』の三文字が嫌い……」 いいかけて西園寺が、左手を上げて丹羽を制した。電話が入ってきたのだ。西園寺はすぐに電話をつないだ。 「はい。サーバー棟です」 「本社会議室、鈴木です。おつなぎします」 長々と話していると電話を切られる恐れがあった。また、鈴菱やBL学園と関係があることも悟られてはならなかった。そして何より広告の子供が『捨て子』であることをほのめかしてもいけない。それらは『捨てた本人だけが知っている事実』だからである。電話の対応にはメールにはない緊張が強いられる。丹羽たち三人の気分が、この最初の電話で、ぐっと引き締まった。 「お電話有難うございます。担当の西園寺と申します。二度手間で申し訳ありませんが、もう一度最初からお話いただけますか?」 西園寺がキィボードを叩きながら話を聞いているのを、丹羽も七条も息を殺して見つめていた。そして電話が切られた瞬間、誰からともなくため息がもれた。 「どうだった? 郁ちゃん」 「うむ……。かなり具体的な話なんだが、場所がちょっと……」 モニタに向かってしばらく考えこんでいた西園寺だったが、画面から目を離さずに「臣」と声をかけた。 「N市からの情報は来ているか?」 「N市ですか? ……いえ。N県全体まで広げても、一件もありませんが」 「そうか……」 「ちょっと遠すぎる。ガセじゃねえのか?」 「いや。それにしては内容が細かすぎる。一応、遠藤への報告事項に入れておこう」 それを皮切りにいくつか電話も入り始めた。メールと違って相手に質問ができる分、より詳しい情報を得ることができる。七条がその分析に忙殺され始めた頃、鈴菱本社から変わった情報が舞いこんだ。 「無言電話……、ですか」 さすがの西園寺もこれには眉根を寄せてしまった。電話を取るとすぐ切れてしまうというのでは、子供の悪戯としか思えないではないか。 「ええそうなんですが」 かけてきたのは鈴菱の情報センター責任者である大前チーフだった。秘書課を束ねるキャリアウーマンである。彼女が知らせると判断してきた以上、無下にも切れず、西園寺が先を促した。 「私がさっき二度目を取って気がついたんですが、局番がすごく近いんです。それで同じ人なんじゃないかと思って、他のみんなにも聞いたところ、あと四件ありました。うちふたつがまったく同じ番号でした」 「都合六件かかってきて、そのうち二件が同じ番号……」 「ええ。これって……変なたとえなんですけど、自殺のときのためらい傷みたいなものなんじゃないでしょうか? 何か言いたくてかけてくるんだけれど、言えなくて切ってしまっている、みたいな」 「確かにそれはあるかもしれません。その番号とかかってきた時間とを全部メールで送っていただけますか。それでまたかかってきたら西園寺までお願いします」 「わかりました。全員に徹底させます」 そして届いたメールを西園寺は和希宛に転送した。モニタを眺めながら何かを考えている彼の姿は、どことなく楽しそうに見えた。 デスクの上の電話が鳴った。和希からのホットラインである。先に席を立ったのは西園寺だったが、リーチの長さを生かした丹羽が電話を取った。 「……んなことより、啓太はどうしてる? ……そうか? ならいいんだが。おっと、その件に関しちゃ、郁ちゃんが話したいそうだ。代わる」 差し出された受話器を受け取りながら、西園寺が丹羽をにらみつけた。 「西園寺だ。興味深い情報が入っている。一件目はN市だ。少し遠いが生まれた病院についての情報だ。公衆電話からだったが、かけてきたのは職員じゃないかと思っている。もう一件は無言電話ばかり六回もかかっているというものだ。うまくいけば、この情報は化けるぞ。……ただ電話番号がくるくる変わっているのが少々解せない。……ああ。よろしく頼む」 受話器を戻すと西園寺はまたメールを開ける作業を始めた。丹羽ももう作業を再開している。七条は電話などかかってこなかったかのように、モニタを睨みつけては忙しくキーボードを叩いている。まだわからないが、何かが形になり始めていることを、彼らは感じ取っていたのだ。 「啓太。待ってろよ。もう少しだからな」 丹羽が独り言とはいえないくらい大きな声で言いながら作業をしていた。しかし西園寺も七条も何も言わなかった。口に出さないだけで同じことを考えていたのに違いなかった。 昼前になって、和希の秘書二名がサンドイッチを持ってサーバー棟を訪れた。 「なんだ……。メシ食いにも行けねえってことかよ」 「食堂へ行く往復の時間だけで、いくつのメールが開けられると思っている。わたしは有難く頂くぞ」 「ちぇっ。言ってみただけだろ」 「貴方が言うとそんなふうには聞こえませんがね」 三人は秘書が入れたペパーミントティを飲みながらサンドイッチを手にした。このときばかりは西園寺といえどもモニタを見ながらの食事となった。 秘書たちは昼食の用意をしたあと、別室のパソコンを使ってメールの選別作業に加わった。不要なメールをゴミフォルダに入れていき、それ以外のものを西園寺か丹羽のパソコンに送るという方法を取ったのが当たり、作業は一気に捗った。あとは啓太と和希がどう判断するかにかかっている。長い一日はまだまだ終わりそうになかった。 |
いずみんから一言。 西園寺さん、とても楽しそうです。 しかし電話用のヘッドセットって、七条クンや西園寺さんは似合いそうだけど、 王様のは見たくない気が……(汗) |
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